城郭 長谷川博美 基本記録

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goo blog(gooブログ) 石田三成 大谷吉継の伝説を求めて

2020-03-20 22:49:36 | 戦国武将
goo blog(gooブログ) 石田三成 大谷吉継の伝説を求めて

先日米原の大谷吉継首塚伝説に立ち寄りました。

米原市下多羅にありました。
私は余呉出身です。下多羅から中多羅に
向かうと。寺院の鐘楼が見えて来ました。
近年の研究では大谷吉継は近江余呉出身
大谷「小谷」説が有力視されています。
私の近江余呉の出身です。この寺院の梵鐘
の説明書きには以下如く記されています。
つまりこの寺院様の梵鐘は私と同じ余呉。
◆大谷吉継首塚伝承地から入江方面に向かう
と昔ながらの湖沼の風情きが残っています。
霊仙山系を遥か遠く望み水辺には水鳥の姿も!

治部少輔三成の辞世の句は
「筑摩江や 芦間に灯す かがり火と
 ともに消えゆく 我が身なりけり」
です。ともに消えゆくとは友たる
吉継の事を暗喩しているのかも?
三成は生前佐和山城で吉継と関ヶ原
準備会議を開いています!

◆藤蔓「ふじずる」と鴨狩猟方法
民俗学的考察。

石田三成の家紋の一つに石田藤も
あるのですが、長い縄の様な藤蔓
に餅木「もちの木」の粘着樹液を
琵琶湖に流すとその樹液に鴨が取
りついて鴨猟が出来ると言われて
います。石田三成の居城は佐和山
城でしたが三成の屋鋪は彦根側の
「もちの木谷」にあったと言われ
ております。

さてさて私は琵琶湖湖岸の浜みち
を歩いて行くと、世継集落の中に
春日神社があり、その社伝に何と
「石田三成参拝して藤一株を植える」
と書いてある事何とも石田三成辞世
の句である。
「筑摩江や 芦間に灯す かがり火と
 ともに消えゆく 我が身なりけり」
が大変切実に、感じられました。

三成の詩の余韻が湖岸に響き渡ります。
米原で聞く余呉の鐘の何と裏淋しき事。





コメント
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大河ドラマ麒麟が来る 織田信長の着衣の異形の考証に驚愕!的確!

2020-03-20 18:22:21 | 社会観察
大河ドラマ麒麟が来る 織田信長の着衣の異形の考証に驚愕!的確!

対談者
麒麟が来るの信長の着衣には幻滅です!

長谷川
貴方は歴史をよく御存じないのですね?

対談者
そんな事言ったって信長は鋭い人です!

長谷川
いいえ今回の織田信長の着衣こそ深い
寓意や歴史的な尾張人の履歴を的確に
捉えた大変秀逸な歴史通を唸らせる作
品に仕上がっていて物凄く深いです!

長谷川
先ず、永禄年間に近江八風超えをして
時の麒麟の花押を使う将軍足利義輝に
信長は面会しています。その記録とは
『多聞院日記』に信長の上洛を伝えて
いますが尾張衆500人は異形の者多し
と日記に書き記しています。

対談者
異形の者とは何でしょうか?

長谷川
平服では無い事!室町幕府の武家装束
から逸脱した!現代流に言えばスーツ
背広姿では無かったと言う事なんです。

対談者
織田信長って異様な服装だったんですか?

長谷川
信長とは凄く意味深な行動をする人物で
す。常人からは奇妙に見えるしかし深い
信長は足利義昭将軍の為に最初期の二条
城の普請現場に現れております。その姿
を宣教師達は信長は上半身裸体で腰には
腰蓑「こしみの」をつけて、信長自身が
作業を監督した様子を宣教師達は記録し
ています。よろしいでいすか?京都にあ
る元尾張守護職の斯波氏の邸宅の跡を
武衛邸「ぶえいてい」と呼ばれてまし
た。この尾張守護職用の土地に尾張の
信長が上半身裸体で腰蓑を付けて作業
している歴史的現実こそ信長の正体を
彷彿とさせる尾張人!信長像なのです。

対談者
でも歴史通の人ってそんな事知らない?

長谷川
いいえ、良く知られている信長像ですよ!
長谷川
今回の大河は暗喩や比喩がものすごく深い!
海産物の宝庫塩の採れる貨幣経済優良地域
の尾張や伊勢湾を信長に一見漁師風の衣装
を着せる事で愛知の語源である豊かな鮎地
「あゆち」それから伊勢湾の重要経済地域
の津島港につまりは愛知の皆様に充分配慮
したNHKさんのサービス精神も満点です。
海信長!海織田!陸の美濃斉藤の対比も!

対談者
そもそも腰蓑や尻尾つまり尾が張っている
典型的な大和朝廷に貢献した人物の起源は?

長谷川
『古事記』を読んだのですが、その神武東征
の章に出てくる、尾のある人「井氷鹿」です。

『日本書紀』では
「吉野に至る時に人ありて井の中より出でたり。
光りて尾あり。天皇問ひて曰はく、『汝は何人
ぞ』とのたまふ。対えへて曰さく『臣は是国神
なり。名を井光と為ふ』とまうす」とあります。

『古事記』では
「尾生ひたる人、井より出で来たりき。
その井に光ありき。ここに「汝は誰ぞ」
と問ひたまへば、『僕(ア)は国津神、
名は井氷鹿と謂う』と答へ白しき」です。

長谷川
尾生人=尾張の人?という説が昔からある。
講談社学術文庫次田真幸全訳註「古事記」
(中)に依ると「この地方の木樵は、今で
も防寒その他の目的で、腰に尾のついた獣皮
を着けるという。そんな風俗をいったもので
あろう。」との言う事です。

また尾張熱田は本来温泉の出る実り豊かな
土地と言う意味なんです。蓬莱の国とも言
える。それ尾張は蓬左文庫というものも。

日本書紀によると603年(推古11年)、豊浦宮
(とゆらのみや)で即位した推古女帝は新宮と
して小墾田宮「おわりたのみや」を造営しここ
に居を移したといいいます。歴史って意味深い

長谷川
ですから今回の織田信長の異形の装束
とは実は非常に何重もの隠された巧妙
なサブリミナル効果や暗喩が潜在して
いるんですよ!つまりは織田信長通と
称する人やインターネット電子世代を
討論検討させる一種のボクシングで言
う所のボデイブロウ効果を巧妙に潜在
させている。此の番組を見た視聴者様
が麒麟が来るの物語効果に叙々に巻き
込まれ行き視聴率がジワジワ上昇する
仕組みになっております。さあさあ!
越前の朝倉義景ゆうすけサンタマリア
さんが退廃的な義景を演じて明智光秀
を逆に如何に輝かて麒麟の花押を使う
織田信長と上手く如何にリンクさて行
くのか?さてさて、さても今回の大河
とは?なんと異形な令和大河になのか?
▼愛知 小牧アサヒホールでの著者。
コメント (1)
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