馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

子宮頸癌治療 5年経過 最終判断。

2016-03-04 17:26:42 | 日記

3月2日(水)

診療所で痛風の薬を受け取り、柳橋事務所に11時に着いた。

 妻の診察は11時半だ。

事務所に書類一式を置いて、都営新宿線 東日本橋駅から乗車。

神保町で半蔵門に乗り換える。

乗って直ぐに 妻からメール。

11時26分「今 終わった」

今日が5年間の治療経過の最終判断を医師が下す。

 

車内で回想する。

長かった!

2010年10月

妻の子宮頸癌発症の知らせが健診を受けた病院から連絡があった。

指定病院で癌発症を告知された。

「ご自分で、大きな病院を探して治療をしてください」

冷たい告知であった。

 

息子は叔母さんに連絡した。

「千葉県内で治療できる病院を教えて」

叔母さんは言った。

「遠いけど、うちに来なさい」

直ぐに集中的検査を2日間でした。

婦人科部長から、治療方法について

三つ提示された。

①     手術

②    抗癌剤治療

③    放射線治療

放射線治療を選択した。

 

それから、45日間 定期券を購入して

土日を除き、船橋から池尻大橋駅まで

放射線治療で通った。

駒沢の国立医療センターにある

特別な放射線機械があり、交互に放射線治療をした。

2010年12月末

駒沢国立医療センターで

小線源治療で6日間入院した。

 

 

地下の手術室前 廊下の長椅子でじっとしていた。

医師と看護師、技師が無言で室内の出入りを繰り返していた。

待つのは私 一人。

アメージンググレイスの曲が、暖房が効いていない

冷たい廊下に流れ、祈りと慈しみメロディーは悲しい。

 

 

その時から 5年が経った。

11時40分 病院に着いた。

 

妻は正面入り口の長椅子に座っていた。

院内廊下 長椅子は患者でギッシリ。

 

「終わったか」

「それがね 99%大丈夫だけど

念のために7月にもう一度検査することになったの」

 

チョット がっかりだが安堵した。

 

病院を出た。

正面玄関に向かって一礼した。

来年には老朽化した病院は更地になり

近くに新築移転する。

昨年 3月 義妹は定年退職した。

副院長兼看護部長をしていた。

義妹に感謝!

 

昼飯を食べることにした。

「あの中華はダメよ」

 

 

私達は246号線の坂道を

渋谷方向に歩いて行った。