馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

青春無頼 横浜駅西口5番街!

2016-03-28 20:44:38 | 日記

 

3月20日(日)

午後2時 実家に着いて

 

 

戻ることは出来ないお袋の部屋に入った。

 

 

仏壇で線香を灯し合掌。

3人で飲み始めた。

ビール 焼酎、日本酒、刺身、天麩羅、信州の漬物を肴に

飲み続けた。

実家なので心置きなく親父とお袋の想い出を語り

残り少なくなった私達の時間に想い馳せた。

子供のいない弟夫婦にとっては気が重い。

私は言った。

「大丈夫、息子が墓守をするし、孫も生まれた」

 

18時40分、実家を後に弟夫婦が道まで出て見送る。

街灯が灯る住宅碁盤の道を

ほろ酔いで駅に向かった。

19時40分 横浜駅に着いた。

駅までの道のりを歩き

電車内で眠ったので、酔いは醒めていた。

横須賀線に乗り換えてもいいのだが

西口に下りた。

5番街を回遊した。

雑踏の5番街は若者で溢れている。

 横浜駅西口5番街

私の魂と肉体は突如

47年前にタイムスリップした。

心身が削ぎ落された20歳の若者が眼前に現れた。

あの頃の自分自身が鏡に映る。

体育会所属なので

頭髪は坊主のように刈り込み

学生服だった。

西口5番街を

粋がってトレーニングボストンバッグを抱え

カウンターパブに一人で入り

ウイスキー、カクテルを飲んだ。

BARを出て決断した。

キャンパスに気になる女の子がいた。

酔いと勢いに任せて

横浜駅ビルの公衆電話で

女の子の自宅に電話した。

交際を申し込んだのだ。

電話口で戸惑いの彼女。

それから、付き合いが始まった。

 

5番街ではパチンコ屋が並び

換金はしなかったが

煙草をカートン単位で取った。

小学生の頃、西口前は

ローラースケート場だった。

 

高島屋の地下食品売り場でバイトした。

中元歳暮の受付、贈答品の包装。

後に仕事で包装は役にたつことになる。

味噌売り場が担当だったが

サボっては湘南電車、横須賀線に乗車して

大学に戻り、キャンパスでトレーニングして

3時間余り過ごし戻った。

高島屋さん、中抜きしてすいませんでした。

ダイヤモンド地下街のフルーツパーラーでは

厨房でバイトした。

バイトの先輩と5番街で飲んだ。

先輩は車で来たので、酔い醒ましに

サウナでアルコールを抜いた。

それから、突然 伊勢崎町のトルコ 今で言う

「ソープランド行こうぜ」となった。

帷子川、川淵に車停めてトルコに入った。

受付のどぎつい化粧で口に真っ赤口紅を塗りつけた

蛸のようなヤリテ婆がジロリと睨んだ。

先輩が「さっきサウナ風呂で汗を流した」と言った。

婆は「ここも風呂屋だよ」

「あんたら、お断りだ」

俺達は別の目的があったのだが?

プライドを傷つけたようだ。

しょんぼり、車に戻り

運転すると車が傾いた。

誰かが、後輪二つに刺した。

夜が明けるまで動かぬ車でじっとしていた。

 

又飲みすぎて終電に乗れず、タクシー乗る金もなく

14駅の道程を4時間歩き自宅に帰った。

 

当事、横浜開港記念日が出来たので

彼女とデート。

彼女とは夜、横浜から東京駅まで送ったのだが

彼女がキセルを見つかり3倍の料金を取られた。

 

彼女をケンとメリーの日産スカイラインに乗せて横浜新道で

追突されて事故った。

彼女の母親が怒り、交際を断ち切れそうになった。

卒業して乳業メーカー就職した。

神田川の純愛はなく彼女との交際は順調だった。

2年後 彼女は卒業することになった。

当時は女子大生亡国論が世間を騒がしていて

女子大生の就職門戸は狭かった。

コネを使って憧れの仕事を世話した。

そして、互いに結婚の約束をした。

 

20代の男は馬鹿である。

理想の夢を見て現実を直視していなかった。

彼女はしっかりと私の性格を見抜いていたのだ。

様々な行き違いに疲れた。

某日 「半年後に会いましょう」

と約束した。

半年後の初夏 18時半 横浜駅西口 改札口で会った。

会話は殆んど無く、彼女は5番街からタクシーに乗った。

ぼんやりと、遠ざかるテールランプが消えるまで見続けた。

何も言えなくて・・・夏 - J-WALK(フル)

 

抜け殻の心身を満たすべき

5番街を飲み歩き彷酔う。

帷子川に放尿した。

汚泥の流れによろめきながら放物線を

汚泥に注ぎ込む惨めな俺が

月明かりに映し出された。

アルコールは吐き出されても

失恋の痛みは吐き出されなかった。

そして 会社を辞めたのだ。

 ちあきなおみ 五番街のマリーへ  


そんな回想しながら、相鉄ジョイナス地下に下りた。

人気のレストランに若者達が行列。

横浜駅相鉄ジョイナス1

 

オジサン一人では入れない。

 

横浜に来ると食べていた地下の元祖札幌屋は昨年閉店した。

 

左右の店をキョロキョロ見ながら進むと

懐かしい店名がある。

高校生の頃、地上の5番街の古びた木造長屋の一角にあった店だ。

タンメンが旨くて、結婚前20代後半まで食べたのだ。

カウンター席で絶品タンメンと生ビールを頼む。

食べたが旨いのだが、当時のような味合いを感じない。

その頃、今のようなラーメンバリエーションがなく

限られていたので旨いと思ったのか?

でも 満足でした。

20時半 店を出て

横須賀総武快速に乗車。

車内で、その後を回想した。

 

彼女と別れてから2年後

大学同期と尾瀬に行った。

山小屋の薪ストーブの暖かと灯油ランプの下で酒を飲んだ。

「知っていると思うが、あいつ結婚したよ」

その夜 寝袋に包まれながらも一睡も出来なかった。

 

歳月は皆、等しく流れ

私も40半ばになっていた。

バブル 絶頂期

同期と銀座で飲んだ。

又も突然言った。

「お前の彼女と会った」

OB会パーティーがあった。

会場のエレベーターで乗り合わせた女性がいた。

「挨拶された」。

「俺より年齢が上に見えたので先輩かと思った」

ずっと、誰だか分からなかった。

名前を呼ぶのが聞こえたので、やっと分かった。

 

ふっくらした顔だったのが、頬がげっそりコケていて

顔はソバカスのようなシミが一面に出ていた。

 

「あれが、幸福とは見えね~」

「実情は知らないが」?

彼女は、横浜の邸宅街でセレブ夫人なったのだが。

 

聞いた時、動揺はなかった。

心は揺れず、当時 人生が終わるような

絶望感はなく、懐かしい微笑みの心がそっと偲んでいた。

 

誰もが 通過する無頼の青春。

22時 駅に着いた。

想い出も閉じられた。

 

優しい妻が待っているのだ。

 

映画   いちご白書1970年 (K・ダービー、Bデイヴィソン)