馬鹿も一心!

表題を変えました。
人生要領良く生きられず、騙されても騙されも
懸命に働いています。

マヒナスターズと立川談志さんの思い出。

2021-02-24 08:25:09 | 日記
アメージンググレイスとマヒナスターズ。



続きです。
マヒナスターズ 日高さんとは音楽とは別仕事でしたが
京王プラザホテルホテルで開かれた
マヒナスターズを応援する内輪のパーティーに招かれた。
関係者は、名の知れた著名人ばかり。
大鵬親方、プロゴルファー 尾崎将司 青木功
徳光、王貞治、国会議長になった土井たか子さん
綺羅星の如く方々が会場にいた。
司会は立川談志さん。
会場にいた方々はかなり人が没した。


再掲
2011-12-04 14:51:33
落語家立川談志さんが亡くなった。
私が小学生低学年だった頃
夏祭りの神社境内で演芸会が開かれるというので観に行った。
裸電球が灯る境内に臨時舞台らしき櫓が組まれ
立ち見の大人達の間をすり抜け舞台のまん前に立った。
落語家が来るというので大人達は大騒ぎだった。
小さかったので舞台演台に手を伸ばしぶらさがった。
落語の意味も分からなかったが登場を待った。
 
素人喉自慢大会だっのだろう知り合いのオバサンが
浴衣姿で舞台に登場歌っていたのを驚いて見ていた。
その隣にやはり浴衣の20歳前後の目がキョロとした
お兄ちゃんがいて喋っていた。
名前は「柳家こえん」と名乗っていた。
新聞も読めない田舎の小学生には
当時はラジオしかなく、声でしか聞けなかった。
我が家にも中学生になって白黒テレビが入ってきた。
ある日 テレビ画面に夏祭りで見た柳家こえんが
演芸場を走り回っていた。
唯一人名前と顔が一致する落語家だった。
幾年月後、立川談志を襲名、毒舌で有名となり
参議議員になったが酒酔い発言で政務官を首になった。
それから私もサラリーマンを辞め悪戦苦闘をしている頃
ムード歌謡コーラスとして一斉風靡したグループのメンバーと
知り合い仕事した時期があった。
人気が下がりメンバーも脱退していった。
再復活すべき催しをホテルで開かれた。


私もなぜか招かれた。
有名歌手、俳優、スポーツ選手、昭和の大横綱、経済界、政治家、 革新政党の女性委員長まで応援に駆けつけた。
これだけの有名人を生で身近に見られることはない。
その時 司会者が立川談志さんだった。
壇上の下には著名人が酒グラス片手にムード歌謡を聴き観ていたが
その人たちを掻き分け舞台下に立って観た。
47年近い歳月を経て再び柳家こえんを観たのだ。
著名人を前にした内輪の会なので
緊張していて毒舌話はなく、平凡な謎解き問答をしゃべっていた。
意外だった。
やはり稼業としての商売の顔と違う一面を出していたのだった。

まだ日本が貧しく戦後復興途上にあった頃
小さな町の夏祭りの宵舞台下で尻にミシン目の縫いがある半ズボンの
子供としてじっと見たが、成長して少年、青年、中年、老年となり
一番上等なスーツを装い 胸には招待のリボンを付け
華やかな饗宴の渦中にいるのは不思議だった。

75歳で談志さんはこの世を去った。
己が人生を途切れることなき毒舌で突っ走り
息絶えた。
友人も食道癌1年半前生涯独身で息絶えた。
どんな人も様々な人生辿り、思いがけない病である日突然死ぬのだ。

速度を増して遠ざかる思い出、夜祭の演芸会の太鼓お囃子の音色が
幼い日々の記憶として奥底から聞こえてきた。

死ぬのに失敗はない。
ご冥福に。
合掌!

The True Meaning of Memorial Day