みんなKK

家族のイニシャルが4人ともKKです。今もたぶんこれからもずっと・・

H28 夏の終わり

2016-08-28 | Weblog
 建築材の端材(木っ端~こっぱ~)を適当な大きなに割ります。大体は杉、檜です。どちらもとても良い香りがします。NHKのボヤキ川柳を聞きながら、約1時間、コンビニで夏の終わりにおでんを売り始めるころ、私も冬の準備をし始めます。今年は綿花も大きく育っています。去年は台風にやられてしまったので、今年はこちらも折れないようにできる限りのことはしました。30日に東北上陸らしいので緊張感があります。

 町の最後の盆踊りがありました。いつも出店のお手伝いをします。焼き鳥を焼いて、ふだんなかなか接することにできない様々な職種の人たち、そして障がいをもちながら頑張っている人たちと話をしたり、輪に入って踊ったり・・。自分の中では夏の終わりを告げる行事です。
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どなた様も台風の被害がありませぬよう

2016-08-22 | Weblog
台風9号通過中。小さいころ、台風や雷だと「いつ電気消えるかわかんねえから、早く寝ろ。」と言われ、家族がとてつもなく早く床についていました。兄弟は部屋の中で、なんだかわからずくすくすと笑いだし、するとそれがとてもおかしくて大きな笑い声になり、怒られたものです。台風一過の後は、今以上に後始末が大変でした。すべてが手作業ですから、それまで3日かかって終えた仕事を、また3日かけてやるわけです。そういう親や祖父母がいて、今自分がここにいます。生きる、とは地味にひたむきなものが根っこにあるはずです。
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お盆のこと

2016-08-21 | Weblog
5年前ここには町がありました。その海岸線まで今は行けます。遠くに見える煙突が原発のあたりです。

 中学生と小学生だった息子たちも、大きくなりました。長男に運転させ、街をめぐりました。

 盆に母の故郷に帰省すると、町の大きなスーパーマーケットに、小遣いを握りしめおもちゃを買いに行っていたあのお店。小学生だった次男もよく覚えていました。お店の様子は時が止まったままです。彼はどんな気持ちで外を見ていたのでしょうか。「来られてよかったよ。」子供たちはそう言いました。

 震災を知らない子供たちも間もなく小学生になります。時間は流れても、忘れてはならないこと、学んで生かすこと、をきちんと伝えていく責務が私たち大人にはあると改めて思いました。
←息子たちが来るとばあちゃんは満面の笑みで迎えてくれた家です。夏草が伸び放題だった。
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盂蘭盆会のこと

2016-08-19 | Weblog
 地域の広場に櫓が立ち、青年たちが子供たちへ太鼓を教え、それと笛の音に合わせて土地に伝わる盆踊りを踊ります。

お盆には都会から、普段はなかなかご縁が遠くなっている親類縁者が集まります。仕事のこと、子育てのこと、体のこと、昔話に花を咲かせながら、ここにこうして集えるのはご先祖様のおかげ。祖先は盆と彼岸に自宅や墓へ戻り、家や地域を見てくれる。

今を生きている私たちは、祖先にあらためて感謝し、またこうして皆が元気で顔をそろえられたことに手を合わせるのです。年中行事の意味は後でわかればよいのであって、「お盆は迎え火、送り火を炊きお墓まりをするものなのよ。」、と教えること、小さな掌が額の前で合わさって首を垂れながらちょこんとお辞儀をする姿を思い出し、今こうして成長できた姿を見て心から感謝をするのでした。
←震災、その後の避難以降、連れていくことのなかった母の故郷へこの夏初めて息子二人と一緒に墓参できました。
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一週一山(会津駒ケ岳2回目)

2016-08-17 | Weblog
 前回は6/12、ちょうど2か月後の8/12、K2と出かけました。少し遅れて7時20分に登りはじめ。(後でわかることなのですが、しっかり時間を読んでおかないと、下山に影響します。これがへとへとになる理由だったのです。何事も経験してわかります。)
 登り始めは急登が続きます。しかし、会津駒は、ブナの根が階段の役目をしてくれて、登りやすいのです。一歩一歩ゆっくりゆっくりです。
途中水場で休憩。八王子から来た「栗城さん」と楽しく話ができました。(「マツキヨで買ったんです。」というレモンのドライフルーツをいただき、ことのほかおいしかったこと)森林限界を過ぎると、一気に視界が開け、アルプスの少女ハイジの家を思わせる草原と山小屋が見えてきます。これまでの疲れを忘れ去る瞬間です。
←ここからの木道のおかげで比較的楽しく登れます。
 11時10分「駒の小屋」へ到着。大休止です。大きな池塘に会津駒ケ岳最高峰が映っています。

 ここから先はずっと木道が整備され歩きやすいことも、会津駒ケ岳の人気の一つでしょう。約15分で標高2,132.4m頂上へ到着。
←海の日に登った東北最高峰「燧ケ岳」がよく見えます。
 この先お花畑のある中門岳へ。ならだかな尾根歩きです。2月前はまだ雪のあったこんな景色も今はニッコウキスゲが咲くこんな景色に。自然の営みの大きさに畏敬と感動を覚えます。

 K2の登りと同じくらい険しい表情も一気に緩み、感嘆符の連続です。

 山登りを始めたばかりですが、息を弾ませながら登っているとき、こういう景色の中に身をおくとき、うまく言えませんがその時を楽しんで一生懸命になっている自分と、成し遂げた喜びがあるから、登るのです。(お盆に親戚からなぜ山登りするの、と問われその時は答えられなかったのですが、すべてではない自分の答えの断片です。)

 登り始めの遅さと上でゆっくりしすぎたため、忙しく下りました。これが疲れの原因。(翌日以降特にK2の歩き方は大変でした)下山後、桧枝岐の民宿で温泉につかり、イワナの刺身と山人料理を堪能できました。

時はお盆真っただ中。悲しい物語のある六地蔵も、とても可愛らしい服を着てなんとも愛らしいこと。




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鹿児島の旅~駅舎~

2016-08-14 | Weblog
指宿枕崎線、西大山駅。開聞岳と日本最南端の駅。恋の願いが叶うかわいい黄色いポストもあります。タイミングよく列車もきました。いいとこだわ、ほんと・・。(トリ鉄は飽きなのです)

肥薩線、100年以上前の古い駅舎「喜例川駅」(この駅舎ができたときに、ライト兄弟が初飛行に成功)うっとりするほどの佇まいです。
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鹿児島への旅~3つ目の目的

2016-08-14 | Weblog
 8年前の12月、初めて鹿児島に行ったとき、鹿児島町歩きステーションhttp://kagoshima-machiaruki.jp/、にお願いしました。マニアックな「集成館コース」そこで出会ったボランティアガイドが、Kさんでした。そのわかりやすさと、しっかり学んでいらっしゃることは、話しぶりからすぐにわかり感動しきり。帰福後、お礼を申し上げその後も、桜島と暮らす鹿児島の人々の日常のレポート、桜島の降灰、桜島大根など福島でなかなかお目にかかれないものを送ってもらい、当時学ぶ子供たちに実物を紹介することができました。また、「東日本大震災」の際は、いち早く連絡を下さり、長野県への一時避難先の案内や鹿児島の水など頂戴しました。たった一度、しかもわずか3時間の出会いです。どうしてもお目にかかり、お礼が言いたい。ようやく念願叶い、その目的を果たすために、鹿児島へ行きました。これが3つ目にして、主たる目的です。
 再会を殊の外喜んでいただき、丸1日かけて、市内を案内していただきました。特に、尚古集成館では教科書では知ることができない幕末の薩摩藩の殖産興業となぜ痛みを伴う戊辰戦争が起きたのか、について目から鱗の説明を聞くことができました。

 また、噴煙が5000mにも達する大噴火を起こした桜島の「黒森の鳥居」がどうしてもみたいという私のわがままにも、「危険ならばやめます」とおっしゃりながらきっとお一人ならこのタイミングでは行かないであろう桜島を一周案内していただきました。

 帰りは錦江湾に夕日が沈むころ。Kさんのあたたかな心と相まって、ことの他美しく見えました。

 夕食は奥様と合流され、ご自宅近くにして行きつけの「さえ幸」さん。(今後鹿児島市へ行かれる方には、絶対おすすめのお店です)福島からくることをお店にお知らせし、首折れさば、くえ、などをはじめとして地鶏刺しまで用意してもらい鹿児島の味を堪能させていただきました。(お礼に伺ったのにかえってごちそうになりました)またお店のご主人・奥様とも親しく話をさせていただき、出会いにあらためて感謝でした。

 〝デザートはお二人ですぐそこの「むじゃき」で食べてください。私たちはお店の前までご一緒し、お別れします″、と実にさりげなくもあたたかなお別れ。ぜひ福島へいらしていただけることを願っています。
←元祖「しろくま」 二人で1つで十分、とてもおいしい~
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鹿児島への旅~2つ目の目的~

2016-08-05 | Weblog
 知覧に行きました。戦況は厳しく、4/6から特攻作戦がとられました。終えたのは7/19、その間に1039人が亡くなり、知覧基地からは439名の若き命が散ったのです。私が住んでいる街には戦時中,陸軍の飛行場がありました。昭和20年4月5日、ここで訓練を終えた杉戸隊長他11名が飛び立っていきました。知覧に着いたのは4月18日、この町から沖縄戦へただ一つの特攻隊(知覧からの特攻隊は「振武隊」と称された)です。杉戸大尉の第80振武隊は、4月22日知覧基地を飛び立ち、尊い命を捧げてくれたのです。

 皆さんはこの三角兵舎で命令を待ったはずです。

 富屋食堂で過ごした時間もあったかもしれません。

 知覧特攻記念館にいくとわかりますが、たくさんの遺影が飾られています。遺書や遺品もあります。その中から、皆さんを捜しました。そして1時間かかって見つけました。どうしても手を合わせたかったのです。これが目的の2つめです。そして、前号で記した開聞岳からも手を合わせたかったので、登りました。私たちは尊い平和を絶対に失ってはいけないし、あたりまえととらえず、折々にでも感謝をすることを忘れてはなりません。
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鹿児島への旅~1つめの目的~

2016-08-03 | Weblog
福島=大阪経由=3つの目的があって鹿児島へ。途中富士山が美しく見えました。

8年前一人旅で見た開聞岳の美しい姿。東シナ海からそびえたつコニーデ型の山の姿と、かつて知覧を飛び立った特攻隊の若者たちの零戦はこの山の上を飛び、山が見えなくなるまで何度も振り返った話を聞いたとき、特別な思いをもったのでした。
←長崎鼻からの開聞岳
ならば、ぜひ登りたい!下調べは十分。標高924m、だが行きは3時間、帰りは2時間半とありました。9:00、2合目からの登山開始。

亜熱帯の危機が生い茂り視界は全く開けません。しかも火山灰土ですべりやすい。

五合目で視界が開け、薩摩半島の先っぽ「長崎鼻」と向こうに大隅半島、硫黄島・竹島もよく見えました。

ここからまた樹林帯の中。しかし、東シナ海からの海風が吹いてくるので蒸し暑さはそれ程ではありません。でもこんなところを上り、ぐるりと山を回りながら登るコースなので今までになく人間こんなにも水分が出るのか、というくらい大汗をかきました。きっかり3時間かかり、開聞岳山頂。
←手前は池田湖、向こうは錦江湾と桜島。
皇太子も登山をされた記念のプレートがありました。

50歳夏のいい山旅でした。



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