幸喜幸齢 生きがい 日記!       

八十路の青春賦 人生の黄金期を自分らしく あるがままに生きる幸喜幸齢者 感謝と幸せの生きがい日記 頑爺/肇&K

江戸・西国街道歩き旅 6日目

2020年07月31日 | 江戸・山陽 西国街道56次歩き旅(京都・羅城門から九州・小倉へ)

7月30日(木)25/31℃


江戸・西国街道歩き旅(6)

昆陽宿から西宮宿へ

 今日は一昨日歩いた甲東園駅前から西国街道6番宿の西宮宿へ向かう。  甲東園は近くに関西学院大学や神戸女学院大学などがあり懐かしい街だ。 

 朝から雨が降ったりやんだりで、時折急な激しい雨が降ったかと思うと青空が出て暑くなったりと目まぐるしい梅雨の空だ。

門戸厄神を訪ねる  厄除け開運の厄除け明王が祀られている東光寺

   

町のあちこちに道標、標柱、標識が見られその説明板が掲げられている

   

   

豊乗寺から具足塚古墳へ足を延ばすが見当たらない?  場所は合っているようだが鬱蒼とした森だけ?

  

  

雨が上がり太陽が顔を出すと暑い  広田神社へ向かう  ここは創建が平安時代以前に遡る由緒ある神社で、天照大神の荒御霊を祀っているとか  平安時代から貴族の尊崇を集めた神社とのこと 杜の野鳥が紹介されていた

 

  

丁度 広田神社境内で人形供養が行われていたので見ていたが熱気で更に暑くなった

  

西国街道(鳴尾御影線)を西へ進む  マンホールの蓋も個性があって面白い

    

西国街道を南下し西宮の街に入る  昔の役所、武庫郡役所跡を訪ねたが、簡単な標識が一つあっただけだ

 

松原神社、染殿池など訪ねる

   

この辺から「宮水」の表示と共に酒造屋の館や採水地など見受けられる  山崎がウイスキーやビールに適した水なら、ここは日本酒に適した水のようだ  横を大阪・神戸を結ぶ国道43号線と阪神高速道が通る 

   

  

西宮神社へ  えびす宮の総本社として平安時代の終わり頃に鎮座したと言われ、古くは漁業や海上交通の神様として、後には商売の神様として尊崇を集めている  表大門(赤門)や神社を囲む大練塀は重要文化財に指定されている

  

   

西宮宿の表示やそれらしき家屋も探しきれなかったが、ここがれっきとした昔の宿場だったことは確かなようだ  西国街道6番宿の西宮宿に辿り着いた 

  

傀儡師(かいらいし)故跡へ  昔の人形遣い師か

 

西国街道(鳴海御影線)を西へ   

  

夙川公園へでる 夙川を渡る トイレもお洒落だ 春に満開の桜を見に来たことがあるので懐かしい

  

金津山古墳を訪ねるが金網で入れない

   

打出天神社へ  余りの汗と暑さに水分補給しても追いつかない

 

西国街道や国道を歩き芦屋市に入る  業平橋に出ると六甲山からと芦屋の海からの風が心地よい   

今日はここ芦屋川までとする

  

お洒落な芦屋の街並みを経て阪急・芦屋川駅にで 帰路へ

   

今日は<20km、2.7万歩>程だった

  

 諸説あるが狭義の西国街道の名称は別名・山崎街道と言い、京都・羅城門を起点にこの西宮宿までとある。  

 また広義の西国街道は別名・山陽道ほか多種で下関の赤間宿まで、または九州の太宰府までとする文献もあり定まっていないようだ。  しかしこの道は古く平安時代の900年ぐらいにはあったようだ。

 今回自分の歩き旅は名称を「江戸・西国街道」とし、京都・東寺の羅城門を起点に九州・太宰府までの歴史街道を歩く旅とした。 

 また西国の諸大名が江戸時代 参勤交代等で利用したであろうことからだが、それぞれ地域によっても名称が異なるので、西国街道(山崎街道)(鳴尾御影線)等と表示することにした。

 梅雨が明けるまでの間にこの西国街道6番宿の西宮宿まで歩こうと決めていたのでギリギリ間に合った。  

 九州・大宰府まで約60数宿の10分の1だけど、ちょっと歩けるかな? という自信を持たせてくれた。  

 これからの8月、9月の真夏の炎天下を歩くのは75歳の爺には自殺行為かも? なので、涼しくなる秋から冬にかけてゆっくりと歩くつもりだ。 今回は一旦ここまでとする。

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情報遮断

2020年07月30日 | 夏・喜寿の青春賦 日記!
7月30日(木)25/32 ℃
情報遮断
 
 先日 古い友と話していたら、雑誌に 一度は泊まってみたいホテル! と特集があり、その中で素晴らしい情景に友が早速申し込もうと情報を求めたら、ものすごく高いのにびっくり!  でもその環境は最高で改めて申し込もうと見直したらもう一度びっくりしたとか?  なんだそりゃ??
 
 それは施設内や泊る部屋にテレビも電話もPC.ネットなど情報機器は一切何もなく、周辺に所謂 娯楽施設などは一切なく、ただ豊かな自然があるのみ・・  更に自分のスマホや時計やipad等全て一切フロントに預けるのだそうだ。  しばしうなったまま・・   結局は取りやめたそうだ。  一緒に行く予定の家族からも反対され、高い金を払って無人島に流される気分になったからだとか・・   
 
 分かったような解らないないような話だが、何となく納得はできる。
my愛読書の1つに鴨長明の「方丈記」とヘンリーソローの「森の生活」がある。 いずれも800年前と200年以上前の古い本だが、今でも隠れたベストセラーの一角だと言うが、ずいぶんとそんな生活に憧れたものだ。 1人で山を歩きながら何度かそんな生活を望んだ。 
 
 ところが生活環境が180度 ゴロリと変わったこの1年半。 初めて文明の機器に触ったかのように全く初めてのスマホ、iPad、Apple Watchに最新のTVなど新機器を教えてもらい覚えて、昔の友人知人親族そして息子らとの交わりも急速に復活し、Googlemapで旅ができ、覚えなくても個人情報が全て入り、買い物もnet注文が出来るようになり浦島太郎の生活が一変した。 
 
 するとどうだろうか・・?  最近はこの小さなスマホ一つ、先日は故障してしばし使えずとことん不便を感じ、昨日は忘れて買い物に行き帰宅するまで不安だったが、これが文明人の生活なのかとしばし唸って考えた。  あの森の生活では考えられない不便さ不安さだったから。
 
 今の高度なnet社会で文明機器に左右される生活から、いったんそれら全てを遮断して生活してみるのも現代の精神生活にはいいかもしれない。 
 特に限られた時間の旅行などで実践してみるのも最高の贅沢と言えば贅沢な本来の人間を取り戻す本当の癒しの旅なのかもしれないなー と。
 
友に再度 お前ぜひ行ってみろよ! と伝えた。  
オレ!? オレはお前の後でいいわ!
 
・情報と機器に頼るは文明人
・現代人 原始生活お洒落かも
・お前行けオレその後で行くかもね
・文明はnet操作で破滅かも 頑爺
 
南公園を散歩する  自然の中で魚と対峙する釣り人を見ていると何となく心が落ち着く
 
 
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江戸・西国街道歩き旅 5日目

2020年07月29日 | 江戸・山陽 西国街道56次歩き旅(京都・羅城門から九州・小倉へ)

7月28日(火)25/31℃


江戸・西国街道歩き旅(5)

瀬川宿から昆陽宿へ

 一昨日歩いた西国街道4番宿の瀬川宿(箕面)から、次の5番宿の昆陽宿(伊丹)へ向けて 8時半、阪急宝塚線・石橋駅前をスタートする。  

前回は突然の豪雨と湿気により汗だくとなったが、今日はどうかな?

 

西国街道から先ず正光寺へ  「中納言石」「夜泣き石」と謂れのある石があるというが古いお寺だ

 

街道沿いの住吉神社へ  境内を大掃除をしていた

  

近くの順正寺から西国街道を西へ 

 

弁慶の泉に着く  源義経一行が西国街道を尼崎へ落ち延びたさい、武蔵坊弁慶がこの泉で喉の渇きを潤したとか  そんな伝説が諸々面白い

 

街道沿いにはお寺が多い

  

 

伊丹市の都市景観形成建築物と指定家屋が並ぶ

  

猪名川にかかる軍行橋を渡る  ここは明治44年の陸軍大演習時に架けられた橋

 

猪名川 ここは昔、堤と堤との間が120間(216Ⅿ)もあったが渡し舟がなく、あの松尾芭蕉も旅の時、歩いて渡ったとか 更に下流では高瀬舟で酒荷物が運ばれていた  

丁度 大阪国際空港の離着陸誘導灯があり、その真上を飛行機が離陸する光景が見えた  趣味があればもっと近くの撮影穴場があるのだがね

   

辻の碑 多田街道との分岐点にて

 

伊丹坂を上り「伝和・和泉式部の墓」の標識へ  恋愛遍歴が多く道長から 浮かれ女 と評された和泉式部の墓だとか  住宅街の一角にひっそりとあった

    

西国街道を進む

  

 

西国街道・国道171号線沿いの伊丹市千僧の陸上自衛隊第三師団前を通る  昔ここは農業溜池で僧行基が築造した池だった 訓練中の女性自衛官の甲高い声が響く

   

国道171号線・大鹿交差点 南北の有馬道(中山観音への参詣や有馬温泉への湯治道)と交差する 

 

お昼となり国道沿いのレストランでランチを食べて一休みする  とにかく外は蒸し暑く汗がダラダラと流れ落ちる  

食後 西国街道に戻りまた歩き出すと、小学校の旗当番のオジサンが「歩いてまんのか  よろしいな  この石はな 戊辰戦争の時にな、敗走した何とか言う人がここでとうとう最後を遂げ張ったんや・・」と教えてくれた

   

西國街道沿いの落語家・桂春団治の碑

 

昆陽(こや)宿に着く  史料ではこの辺りには本陣1軒、旅籠7軒、人馬継問屋1ヶ所があり、西は西宮宿、東は瀬川・半丁宿までの継立てを行った 1872年に江戸の宿駅制度廃止に伴いなくなったが、東海道のように特別の施設や碑もないが、この辺だということだ!?

  

  

国道171号沿いの西天神社前

 

昆陽寺(こやでら)に着く 県の指定文化財だ

  

国道沿いにひっそりと建つ「師直塚」 足利尊氏の執事であった高師直の塚 由来は壮絶な敵討ちのようだ

 

武庫川の「髭の渡し」に着く  武庫川の流れを見ながら一休み  川風が涼しくほっとする

 

昔はこの川を人足の肩車で渡ったが、諸大名や公用者の増加に依り1825年に渡船使用許可願いが出され許可されたが 大名、公用者、武士、僧侶は無料だったとか  1909年に甲武橋の完成によりその使命は終わった 

 

山陽新幹線を撮っているのかと思いきや、川の中州にいる野鳥を撮る人々だった   上を新幹線がひっきりなしに通る 

 

その武庫川・甲武橋を渡って西宮市に入る 

 

西国街道・一里塚を経て甲東園にで、今日の歩き旅はここまでとした

 

 

3時に着き、近くの阪急今津線・甲東園駅から神戸線西宮北口を経て帰路へ  

今日は<22km、3万歩>程だった

  

 まだ関西圏を歩いている分には宿泊しての継続旅をせず、今の時期の歩き旅でもまだ何とか歩けるが、梅雨が明ける前には西宮宿(山崎宿の終点)に着き、一旦今回の区切りとする予定。 

 炎天下の真夏は避け、また秋になり涼しくなってから今度は本格的に継続旅をし九州・大宰府を目指し江戸・西国街道を完歩したいものだ。 

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江戸・西国街道歩き旅 4日目

2020年07月27日 | 江戸・山陽 西国街道56次歩き旅(京都・羅城門から九州・小倉へ)

7月/26日(日)22/30℃


江戸・西国街道歩き旅(4)

郡山宿から瀬川宿へ

 前回歩いた郡山宿(茨木)から西国街道4番宿の瀬川宿(箕面)を目指す。

茨木の大阪モノレール豊川駅前を9時半にスタートする

 

  

 

江戸・西国街道を小野原南から西へ

 

 

住職の趣味なのか大きな無線アンテナが目を引く理照寺前から

  

街道の名残りを思わせる家屋が点在するが立派な家が多い

 

 

勝尾寺大鳥居が見える  勝尾寺へはここから箕面の山をいくつか越えるが、西国巡礼道でもあり、かつて毎月のように歩いたので懐かしい

 

箕面墓地公園を横に見ながら今宮へ

 

箕面新都心の萱野地区  新御堂筋沿いに北大阪急行電車の延伸工事が続く

 

西宿から萱野へ  地名となった萱野三平の生誕地だが、忠臣蔵で赤穂浪士38番目の義士としても、俳人としても有名だ 

史跡・萱野三平邸跡へ 

  

 

この辺りは石畳風に整備され、周辺は宿場跡でその雰囲気を垣間見ることが出来る

 

高札場跡をみる

 

萱野三平墓を訪ねる 

   

萱野の村と、すぐ近くの箕面市立病院、隣接する箕面船場の街並み  田舎と都会の風景が混在する

  

ここより西国街道を西へ進み牧落交差点を渡り、今度は国道を左に見ながら牧落の高札場跡へ  ここは旧箕面街道と交差する所  土砂降りの雨に一時避難

 

 

阪急・箕面線の桜井駅前はまだ昔の雰囲気が残る  懐かしい街並みだ

  

 

 

狭い西国街道を進むとやがて瀬川半町立会本陣跡がみえる  と言っても今はその表示板が箕面自動車学校の前にあるだけだ

 

    

瀬川宿は中世のころから宿場として栄えたという、その面影を少し感じられる

 

武蔵坊弁慶・鏡水の一つ   戦いへ出陣の時、水鏡で身を整えたとされる

 

ここより阪急・宝塚線の石橋駅までで今日の歩き旅を終える

  

  

雨が降ったりやんだりの天気だったが、最近の雨は梅雨とは思えない位、降るときはまるで南国のスコールのように突然激しい土砂降りになるので傘が役に立たない

蒸し暑さに汗だくの上に、スコールでずぶ濡れになった衣服がベタつき、なんとも夏の歩き旅は爺には厳しい。

まさに 水も滴るいい男!? ならいいんだが・・  水も浸る枯れススキだ・・  トホホ!

・雨に濡れ水も滴るいい男 頑爺

・汗に雨ずぶ濡れ爺の枯れ薄

・夏歩きこりゃ過酷だと実感す

・戯れにどこかの爺の夏歩き

 

 

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蚊友

2020年07月26日 | 夏・喜寿の青春賦 日記!

7月26日(日)25/29℃ 

蚊友

蚊に刺された。  夏だなー  

 関西では 蚊に咬まれた! と言う人がいて、どんなにでっかい蚊かと思い最初はビックリしたものだ。

 しかし 昔から蚊には特に好かれる体質のようで、この季節になるとちょっと庭にでて花に水をやっている間に何と3ヶ所も刺された・・ あー かゆい 痒い カユイ! 

 しかしこの長い年月、オレの肌を求めてくるのは蚊ばかりだ・・ 淋しいね・・ トホホ!   蚊と友達で 蚊友 かゆー カユウ なんてね。 アホなこと言うてると余計に痒くなってきた。

 昨日は何を食べたかな??  夜ベットに入るとオナラばかり・・  かつて横にいる人の為に息をひそめ、お腹を縮めて我慢をしたものだが、今や遮るものもなく快く思い切り元気よく威勢よく好き放題に・・  

ぶーぶーぶー ぶー  

予想外にデカい音!  進軍ラッパじゃあるまいに! 

(こりゃまた失礼をば致しました) 

 今日は先日プレゼントされた外国ビールシリーズ最後の1本を飲んだが、これが銘柄を見るとメキシコのコロナビールとある・・ なんとまあー  netでコロナ禍の影響で倒産の危機にあると報じられていたがね。 

お蔭で全く酔わなかったが、早くコロナ退治の特効薬を作って欲しいものだ。

 2日間外は大雨で家でくすぶっているとロクなブログも書けやしないな。

まあこれが本来の怠け者でグータラな頑爺なんだが・・  トホホ! 

・吾輩は蚊と友達で(蚊友)痒いなり

・我が肌を求めてくるは蚊ばかりだ

・思い切り進軍ラッパならす夜は

・コロナ禍にコロナビールで酔いわせぬ 

梅雨の晴れ間に南公園の散歩道から

 

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幼友達

2020年07月25日 | 夏・喜寿の青春賦 日記!

7月25日(土)24/29℃

幼友達

 幼友達と言っても川端康成と笹川良一の事だが、23日に歩いた西国街道・3番宿の茨木・郡山宿や豊川村・春日神社で思い出したことがあり、しばし周辺に浸り当時の面影を偲んだ。

 1899年に大阪・天神橋で生まれた川端康成は、事情で今の茨木市豊川村で祖父と共に暮らしたが、祖父は商売に失敗し家は貧しかったという。  

 一方 笹川良一は同じ1899年、豊川村小野原の造り酒屋の長男に生まれ、裕福に育ったとか。

 二人とも同じ豊川村尋常高等小学校で祖父同士が囲碁仲間の縁もあり、時に一緒に幼少時を過ごしたという。

 後に方や東大を卒業しノーベル賞作家となり、方や後に日本のドンとかフィクサーとか政界の黒幕とかいろんなエピソードを聞くが、反面 競艇事業を立ち上げ日本財団を創設して社会事業に貢献した人でもある。  箕面の大きな邸宅に住んだが、箕面駅前の滝道を歩くと笹川が母を背負いて歩く銅像がある。

 二人の交友はその当時だけのものであったようだが、川端の著作の中で幼少時に遊んだ原風景が随所にあり興味深い。  その中で春日神社の事が詳しく描かれていて、当時からガキ大将で悪童だった笹川が何故か自分には優しかったとか。

 豪胆な笹川に比べ、気弱で虚弱な川端が時に共に遊び、暗くなりこの春日神社を通るのが怖くて帰宅できないような時には笹川が付き添ってくれたとか・・  そんな話を文章の中で読むと各々の人柄がよく分かる。

 そんな昔に読んだ川端康成の本を思い出しながら、春日神社と周辺の森を散策した  歩き旅の効用はこんな事まで思い出させ楽しませてくれる。 

・想いでは幼馴染と遊びごと

・日本を背負った二人違う顔

・年老いても原風景は変わらない

・大切な幼友達いつまでも 頑爺

今の春日神社とその森、前を流れる川・・鬱蒼と茂る森の中は薄暗かった

  

  

二人の通った豊川小学校の石碑か  しばし川端康成と笹川良一の幼馴染が過ごした村に浸った

  

(別の話しだが、今日 自分の小学校時代を共に過ごした友が癌で手術をし、入院したと連絡があった  あの東海道歩き旅で東京に着いた時に真っ先に駆けつけてくれて椿山荘でお祝いをしてくれた  この秋には一緒に信州・安曇野を旅することにしていたが・・  幼友達が病気になると自分の事のように 辛い! )

 

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江戸・西国街道歩き旅 3日目

2020年07月24日 | 江戸・山陽 西国街道56次歩き旅(京都・羅城門から九州・小倉へ)

7月23日(木)25/29℃ 


江戸・西国街道歩き旅(3)

芥川宿から郡山宿へ

 午前10時、出足は遅いが前日まで歩いた高槻の芥川宿を経て、西国街道3番宿の郡山宿(茨木)へ向かう。

 歩き始めてまもなく雨脚が強くなったが、折り畳み傘を出して進む  芥川宿の辺りはまだ昔の面影が残る

  

 途中小雨となったものの人だかりが?  何かと思ったら小さなお菓子屋さんの店頭に並ぶ人だったが、すごい繁盛店にコロナ禍も吹っ飛びそうだ!?

 

 

芥川橋を渡り「嶋上郡衙跡」(しまがみぐんがあと)へ向かう。 

 ここは奈良から平安時代の郡役所跡  発掘調査から庁院や寺、役人が住む村があったとか、広い草むらが広がり、説明がなければ見落すところだった  

  

  

 

 

 史跡・今城塚古墳(いましろ大王の杜)に着く  埴輪群を見る  6世紀前半に築かれたという古墳周辺には埴輪壺が並ぶ   9haの広い古墳公園を回り発掘された190点の復元埴輪を楽しむ  

高槻市立今城塚古代歴史館は工事中)

  

 

 

 

西国街道を西へ  

藍野病院や藍野大学施設の西側にある 「太田茶臼山古墳(継体天皇陵)」 5世紀中頃に築造された三島最大の前方後円墳とか

  

  

 

西国街道沿いにある、茨城市東芝町の東芝工場跡に建築中の巨大なデータセンター  昔人もビックリだ!

 

  

西国街道沿いには昔の面影が残る

 

   

 

 

 耳原古墳を探したが、工事中なのか周囲はガードされ遠くからしか望めなかったが、田んぼ道を迷った

 

 

 次いで「白井河原合戦跡」へ  織田信長上洛後、摂津の支配をめぐり高槻軍と池田軍が激しくぶつかり、大きな合戦があったのがこの地

 

 

茨木市へ入る  中河原は交通の要衝だったという表示板  茨木城主・中川清秀の生誕地

    

 

 

 西国街道で現存する江戸宿場・郡山宿本陣を訪ねる  江戸時代の大名宿で国の史跡指定  椿の本陣ともいわれ。現存する宿帳には忠臣蔵で有名な赤穂藩主・浅野内匠頭の記録もある 

コロナ禍の影響で拝観は暫く中止と)

 

 

 

春日神社を経て茨木市豊川に着く

大阪モノレール豊川駅から、つい先日歩いた万博記念公園駅を経て帰路へ  横から見る太陽の塔を遠くから見るとゴジラの出現かと!?

 

  

 今日は雨が降ったりやんだり、傘の出し入れも忙しかったがそんなに日焼けもせず 6時間足らずの楽しい歩き旅だった。   

 今日も誰一人とて話す人もなくマスクをしてただ黙々と一人歩いたが、東京・大阪始めコロナ禍の感染者数が拡大し、大阪通天閣も黄色の警戒色に染まったようだ。  

 もしこれが赤色になり外出自粛要請がでれば、いくら歩き旅でもいいのか悪いのか判断しかねる!?

今日もゆっくりと<19.6km 2.7万歩>程の歩き旅だった。

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江戸・西国街道歩き旅  2日目

2020年07月23日 | 江戸・山陽 西国街道56次歩き旅(京都・羅城門から九州・小倉へ)
 7月22日(水) 25/35℃

江戸・西国街道歩き旅(2)
山崎宿から芥川宿へ
 
 20日に歩き終えた大山崎駅前を朝7時20分 に出発する。  
山崎と言えば名水の為 今ではサントリーウィスキーの工場や、アサヒビールの大山崎山荘美術館などが有名だが、ここは後日ゆっくりと試飲も味わいに来る予定。
 
 大山崎といえば、豊臣秀吉と明智光秀による「山崎の戦い」の地で知られ、1582年に起こったこの戦いの舞台となったのは、山崎の背後に聳える天王山の山麓だった。  秀吉が天下統一への道を歩み始めた天下分け目の天王山だ。
  
 
離宮八幡宮を訪ねる   860年創建、僧行基による神社  鎌倉・室町時代の油座の本所となり、諸国の油製造販売権を独占したとか
  
 
 
妙喜庵を訪ねる  ここは室町時代後期に、僧春獄が開山  国宝の茶室「侍庵」は、千利休が作った茶室の中で、唯一現存するものとか  コロナ禍の影響で暫く休館
  
 
西国街道を西へ  
  
 
  
 
 水無瀬神宮へ  かつて後鳥羽天皇の離宮があった地に建つ神社だ  重要文化財の客殿は豊臣秀吉が家臣に作らせ寄進したとされる  大阪府で唯一環境庁認定の「名水100選」に選ばれた「離宮の水」がわく井戸がある  冷たくてさすがに旨い
見ていると次々とその水を汲みに来る人が絶えない
  
 
西国街道を西へ  JR線沿いに桂川、淀川を左手に見ながら歩く   ここは阪急・京都線に東海道新幹線、JR東海道線に貨物線がひっきりなしに走り、沿線の人はさぞうるさいだろうなー と思ったがね?  
やはり撮り鉄人がいた
  
 
  
 
  
 
西国街道沿いの史跡を訪ねつつ 史跡桜井駅跡へ  奈良時代、平城京と各地を結ぶ交通路を整備するための駅(うまや)を言い、続日本書紀には「摂津国嶋上郡大原駅」とあり、これを桜井駅跡と指すとのこと
  
 
  
 
 
 
 
西国街道の<丹波街道><物集女街道>を西南へ進む  暑い!  日傘(雨傘だが)をさしてみるが、どうも邪魔に感じるが不慣れなせいかな!?
 
 
  
 
 
 西国街道2番宿の芥川宿(高槻)に入る  江戸時代は本陣1、旅籠33軒、家数253軒と賑わい、幕末1863年には政変に敗れて長州に逃げる途中の三条実美ら7卿も芥川宿に泊まった記録があるとか
  
 
  
 
  
 
  
 
 
 高槻のトリプルタワーマンションや関西大学高槻キャンパスなど近代的な街並みを見て、ここを歩いて旅をしていた江戸の人たちが見たらさぞ腰を抜かすだろうな・・  と思いつつ、今日はまだ昼過ぎだがここまでとした  
今日も誰一人として話す人もなく 
<18km、2.5万歩> ほどのゆったり歩き旅だった。
 
  
 
・夏歩き蝉の合唱共に鳴く
・歩き旅猛暑日ありて茹で蛸だ
・一人とて話す事なき歩き旅
・炎天下雨傘さして日陰かな 頑爺
 
 なんでこの猛暑日の炎天下の下を好き好んで歩くんだろうなー・・ と我ながら苦笑しつつ・・  
何でかな? 何でかな??
  
(*写真や資料が多いため、後日再編集とする)
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遊行の門

2020年07月22日 | 夏・喜寿の青春賦 日記!

7月22日(水)25/33℃ 

遊行の門
 昨日は疲れたのか久しぶりにぐっすりと眠った。
赤くなった腕やお猿顔になった肌が少し痛痒い・・   トホホ!  
 いつものマイペースで無理をしたつもりはないけれど、やはり炎天下の猛暑日に21kmも外を歩くなど老人には厳しいかな。
 
 今日はそんな老体を? 労わる為にも家で本でも読んでゆっくり過ごす事にした。  先日Amazonを初めて利用して買った本「遊行の門」五木寛之著 を読む。
 
 読むまではまた仙人みたいになれと言うのかなと思っていたが違った。  いろんな読み方があっていいと思うが、人生最後のひとときを自分なりに自分らしくあるがままにマイペースで自由に生きたら良いのだと解釈した。  まさに今が人生で最高に素晴らしいゴールデンタイムだ。
 
 ぐうたらの怠け者で、人のお役にたつ事は何もできなかったけれど75年を生かされてきた。
 今 毎日を感謝と喜びの中で目を覚まし、生きがいを持って「今日」と言う時間を大切に生きている。
 
 人生で死んでいてもおかしくないことが何度かあったから、いつ召されてもいいと覚悟はできているが、それまでは自分らしく精一杯生きたいものだ。
 
 本を読みながらウトウトと昼寝までして あー 幸せだなぁー と両手を広げた途端、置いてあったコップの水をひっくり返してしまった・・    ありゃー  書いてた知人への手紙の上に  こりゃまた書き直しだわ・・   トホホ!
 
・労りて身体休める読書かな 頑爺
・生きること自分らしくが1番だ
・今日の日が最後としても幸せだ
・またやったチョンボばかりの老姿
 
散歩する南千里の公園を分断することなく、上に盛り土をして山を作り千里トンネルとした粋な阪急・千里線  半世紀以上を経て盛り山の木々も成長し森となる
 
 
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江戸・西国街道歩き旅 1日目

2020年07月21日 | 江戸・山陽 西国街道56次歩き旅(京都・羅城門から九州・小倉へ)
京都・羅城門から第一宿・山崎宿へ
 
  さあー また新しい歩き旅が始まる。
 と言っても本格的に歩きだすのは冬季となるが、まだ梅雨の歩けそうな時期を見、足慣らしの試し歩きを兼ねスタートを切る。
 
 今日から歩くのは別名、山崎街道と言われていたルートで第1宿場の山崎宿(大阪府三島郡島本町) 第2宿場の芥川宿(大阪府高槻市) 第3宿場の郡山宿(大阪府茨木市) 第4宿場の瀬川宿(大阪府箕面市) 第5宿場の昆陽宿(兵庫県伊丹市) 第6宿場の西宮宿(兵庫県西宮市)で大坂を経ないで西国へ抜けられる脇街道として西国の諸大名が参勤交代などでも利用し繁栄したとの事。
 
今回調べると多様な呼称があるが、自分は西国諸大名が参勤交代などで使用したであろう事から「江戸・西国街道」で統一することにした。  そもそも西国街道は京都東寺・羅城門を起点とし、その歴史は古く1000年以上も前の平安時代の923-930年にできたと言われるから、その江戸時代の一角を歩く旅とする。
 
 昔の江戸を中心とした主街道だった五街道の一つ「東海道」などと違い、当時この西国街道は脇往還・脇街道と位置付けられていたが、江戸と長崎を結ぶ幹線道路であり、また参勤交代制度の確立の為にも重要な街道だったようだ。
 
 しかし東海道と違い現代人が余り歩く人が少ないのか資料が乏しく、そのルートを探すのは難しそうだが、まあ歴史旅というより自分流に放浪旅を楽しんで歩いてみようかと思う。
 
 今日はその江戸・西国街道の起点となる京都・東寺の羅城門をスタートし、第一宿場の山崎宿を目指す。
 
7月20日(月)25/35℃ 
江戸・西国街道歩き旅(1)
京都・羅城門から山崎宿へ
 
 朝9時 京都・東寺(とうじ)
いよいよ<江戸・西国街道>のスタートだ。
 
 東寺は正式名は「教王護国寺」といい、世界文化遺産に登録され、国宝の金堂などがある。  平安京建都の際に建立され、後に嵯峨天皇によって空海に下賜され、以降 真言密教の根本道場として発展したとか。
   
 
 
 
次いで羅城門跡に着く。  
 当時の遺跡保存がままならないのか、今はその跡を記す石碑のみが小さな子供公園の横に立つ。  
 ここは古代日本の都城の正門で、朱雀大路の南端に位置し、北端の朱雀門と相対すると。 
  
 
ここより西国街道を辿りつつ、一番宿の山崎宿を目指す
(*説明文や編集は後日ゆっくりと追記する)
 
   
 
  
 
    
 
 
 
   
 
    
 
 
    
 
     
 
 
    
 
 
(*写真は100枚以上撮ったが整理できず、説明文と共に後日の編集とする)
 
 今日は梅雨の晴れ間で快晴となった。  気温が35℃ と夏日だが、しかし外を歩くとなるとそれどころではなく、炎天下でアスファルト上はもう40℃を遥かに超えていて照り返しも強く、やはり夏場の炎天下の歩き旅は汗だくとなり厳しい。
  
 一番宿の山崎宿近くの大山崎付近で少しめまいと頭痛で熱中症状が出かけたので,今日はここまでとした。
 
 6時間ランチもせず歩いたので一日で日焼けしたが、顔面を見ると箕面のお猿の仲間になったみたいだった・・  トホホ!
<今日は 21.9km  3万歩程だった>
 
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江戸・西国街道歩き旅 プロローグ

2020年07月20日 | 江戸・山陽 西国街道56次歩き旅(京都・羅城門から九州・小倉へ)

7月20日(月)24/32℃ 

江戸・西国街道 歩き旅

<プロローグ>

 75歳に感謝して、この1月から3月にかけて「江戸・東海道57次歩き旅」を終えたが、延べ38日間、916km、124万歩の一人歩き旅は大いに自信となった。

 コロナ禍もありまた歩き旅をしてみようとかかりつけ医師に相談したら、これも今夏中止したが青春ローカル列車旅と同じく ぜひやってください・・ との応えに今回は京都から西へ向けての<江戸・西国街道>とした。 

 あの江戸・東海道と同じように、人と話すこともなくただ黙々と自分だけの世界と対峙しつつ、昔の江戸の参勤交代などで使われたであろう街道を想い、その歴史を辿りてただ歩くのみだ。

<江戸・西国街道>にはいろんな呼称があるが、自分はこの名称で統一する。  

 当時の京の都の東寺・羅城門を西国街道の起点に西へ向かい、文献が残る下関の赤間関から関門海峡を船で渡り、九州の門司・大里宿までの約700km、56宿場とし、その後は大宰府から江戸幕府が重要視した長崎街道へ入り長崎宿へ向かう予定。

 江戸・東海道より長い西国街道だが、東海道を歩いた自分の足から計算すると約900kmを超える歩き旅となるかな!?

 しかしこの真夏の炎天下ではさすが歩き旅は厳しく、また老年には熱中症など危ないので冬場の楽しみとするが、この梅雨のまだ少し涼しい時期を選び、足慣らしも兼ねて近場から歩いてみる。

 急ぐ旅でなし、期間を定めているわけでもないので、相変わらずのマイペースでゆっくりといつものドン亀歩きを楽しむ。

ところで我が体の膝、腰、肩と眼に頭とそれぞれの仲間、同志諸君!   今回もどうかよろしく!

・歩き旅 今度は西へ向かうかな

・山頭火真似したわけじゃないけれど

・マイペース自分と対峙ドン亀で

・足膝と腰肩揉みてよろしくな 頑爺

江戸・西国街道の起点 京都・東寺 羅城門からスタートする

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万博記念公園

2020年07月19日 | 夏・喜寿の青春賦 日記!
7月19日(日)23/31℃ 

万博記念公園
 昨日は自然学校の仲間と共に万博記念公園での自然観察会に参加した。
 この地にはもう何度も来ているが、やはり太陽の塔を見るたびに50年前のあの日本万国博覧会を思い出す。  
 
 まだ学卒の新人の頃だったが、仕事で開館オープン前の万博パビリオンに何度か入ったが、その跡がモニュメントとしてあり半世紀前の昔々を想う。
 
 万博記念公園へ入るとその太陽の塔が迎えてくれる。  東側の「夏の花八景」を観察後、日本庭園へ入る。  ゲート前の平和のバラ園が美しい。
 
 ここは一年中いろんな花が咲き美しいが、7月のこの季節はなんといっても蓮の花かな。
 
 自然観察会を終えてガーデンテラスでみんなと乾杯する冷たいビールが最高に旨い!  しかもかつてビールの世界金賞をとった地元・箕面のクラフトビールとなると更に美味しかった。
 
今日はこれが目的で参加したみたいだな・・       ハハハのハハハだ!
 
・万博はわが青春とともにあり
・植物の自然観察 癒し時   頑爺
・仲間との乾杯ビール至福なり
・晴れ男梅雨のイベント引き出され
 
万博記念公園から







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近大マグロ

2020年07月18日 | 夏・喜寿の青春賦 日記!
7月18日(土)22/27℃ 

近大マグロ

 昨夕、祝い事がありみんなと久しぶりに週末の梅田に出かけた。
梅田の新名所となったグランフロント大阪にある「近大マグロ店」 で実に美味しい数々のマグロ料理を堪能した。  
 最高級のクロマグロがこれが養殖とは思えない位に天然魚に劣らない美味しさだったのでびっくり!
 
店名は「近畿大学水産研究所グランフロント梅田店」 とあり、近畿大学水産学部が50年前から研究を始め、18年前にクロマグロの完全養殖に世界で初めて成功したものだとか。
 
 近大卒の魚と紀州の海の恵み・・  と、和歌山県の白浜の海のいけすで養殖された世界初のクロマグロからスタートし、今や企業と提携してマダイ、カンパチ、シマアジ、トラフグ等など各地で養殖事業をしていると言うから凄い!
 
 手塩にかけて育てられた魚には近畿大学の 「卒業証書」 が添えられているのがなんとも遊び心があって面白い!
 
・クロマグロ生け簀で泳ぐ不思議さよ
・養殖の技術有りてクロマグロ
・天然魚ぎょぎょと驚く池育ち
・大学の卒業証書付きマグロ 頑爺
 
雨のグランフロントと近大マグロ店






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遊行期

2020年07月17日 | 夏・喜寿の青春賦 日記!

7月17日(金)22/30℃ 

遊行期
 あっという間に林住期を過ぎて  (変換したら臨終期と出たが違うよ)、遊行期に入った。
 古代インドでは人生を4つの時期に分けて考えていたとか。
つまり「学生期」「家住期」「林住期」そして75歳以上を「遊行期」(ゆぎょうき)と言うそうだが、まさに枯葉の落ちる黄昏時のようだな!?
 
 本を読めば 「遊行期はこの世の一切の執着を捨て去って乞食となり巡礼して歩く   そして永遠の自己との同一化に生きようとする」   事とか書かれているが、自分は全く逆でこりゃだめだわ・・  と。
 
 しかし別の本には 「人生最後を積極的に生きることを意味し、物質世界の煩悩を離れた生き方で日常生活から解放されて自由に生き、精神的に遊び放浪する生き方」 とあり、まだこの方が行けそうかな!?
 
 五木寛之著「遊行の門」をネットで注文したので、そのうちゆっくりと人生最後の生き方を学んでみる事にしよう。
 
 と言っても頑固爺ジイなだけに、結局は自分の好きなように最後まで生きるだけだろうがね・・    トホホ!
 
・林住期 臨終期とはちゃいまっせ
・遊行期 仙人みたいに生きられぬ
・頑固爺 好き勝手にと生きるのみ
・遊行期 遊び放浪任しとき 頑爺
 
南公園の散策路から


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変身!

2020年07月15日 | 夏・喜寿の青春賦 日記!

7月15日(水)22/27℃ 

変身!

 自分は以前から全く変わらないのに、もし意図せずに言動や表情や外見が違ってきたらどうするか?  やがて周辺の人々から知人、友人、やがて家族まで対応が変わってきたらどうするだろうか?

 自分はそれまでの会社経営の心身ともに激務から引退した後、隠居生活に入ったものの生活環境の急激な変化もあり、とうとう鬱うつ状態になってしまった。  

 その後の10余年はまさに変化する自分に周辺が、親しい人たちが、やがて家族までが見る目や対応が違ってきて精神的に随分と追い詰められ辛かった。  

 当初より専門医のカウンセリングを受けやがて正常に戻っても、一度持たれた印象は元へは戻らなかった。

 今 全てを捨て自分の意思で環境を変え、やっとそれらの状態から解放されて自分を取り戻し、自分らしくあるがままの生活を一から始めたが、この新しい一年はまさに泥水から清流に戻された魚のように感謝と幸せの中で泳ぎ生き返った。

 フランツ・カフカ著「変身」を読んだときはショックだった。  主人公がある日 急に虫に「変身」していた。  

 本人も家族もビックリ・・ あれだけ家族の中心で働き、愛し愛されていた家族や両親までが徐々に遠ざかり、まさに虫けらのように扱われ傷付けられ、やがて埃だらけの荒れた汚い部屋の中で寂しく死んでいった。

 家族は庭に穴を掘り、やっと逝った厄介者(虫)を埋めた後はみんなが口笛を吹きながらピクニックへとでかけていった・・ で終わる話。

 意図せず「変身」してしまい人間関係に苦しむ人々は多いと聞く。  思い切ってそんな環境を変え、新しい自分らしい人生を取り戻してほしいもの。  

こんな爺ジイになっても自分の意思で人生をやり直せるよ。

・意図せずも変身した人 同じ人

・外見の変化で変わる人の眼は

・愛情も意図せず変わるものなのか

・自分らしく生きる権利を人は持つ 頑爺

南公園の台風で倒木した巨木と成木

 

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