幸喜幸齢 生きがい 日記!       

八十路の青春賦 人生の黄金期を自分らしく あるがままに生きる幸喜幸齢者 感謝と幸せの生きがい日記 頑爺/肇&K

江戸・薩摩街道歩き旅(10)

2022年01月31日 | 江戸・豊前 薩摩街道21次歩き旅(福岡・松崎ー熊本ー鹿児島)
..
1月30日(日)
 4/10℃(熊本県八代市日奈久)
(10日目) 
⑫日奈久宿ー⑬田浦宿
日奈久ー十三里木跡ー日奈久阿蘇神社ー肥後二見ー日奈久宿ー日奈久温泉発祥の地碑ー山頭火碑ーはんぺい湯ー薩摩街道十四里木跡碑ー西南戦争衝背軍上陸地標柱ー新免眼鏡橋ー御籠据え処跡ー赤松太郎峠ー薩摩街道道標ー合戦場の首塚の碑ー浜町八幡宮ー赤松館(せきしょうかん)ー田浦川ー田浦宿ー天子宮(景行天皇行幸船舶地跡石碑ー小田浦阿蘇神社ー肥後田浦

今朝は霧の曇天模様 お昼から晴れてくるとの予報に元気に出発する

歩き旅の行程も今日で半分になる
足も慣れてきて体調も万全 毎日が嬉しく感謝と幸せの喜びでいっぱい

歌う鼻歌のレパートリーが少なく いつも同じような歌を歌っているが
少しカラオケで覚えねば🤣

今日のカバー写真は夕暮れの有明海から対岸の天草の島々を見ながら歩いた風景



昨日歩き終えた日奈久(ひなく)から元気にスタートする 曇天に風が冷たい ネックウォーマーを持ってきてよかった
薩摩街道の表示を確認し、日奈久温泉へ向かう





日奈久温泉の看板塔を目印に温泉街へ入る





















ここにも師匠の俳人・山頭火が石像になっ
て存在感を示す





町中至るところに山頭火の句が掲げられびっくり
















日奈久温泉は目の前が海で竹輪が名物とか 一軒のちくわ屋で店を覗くと揚げたての変わりちくわを試食させてくれた ピリ辛で竹輪用のすり身にごぼうやにんじんを加えて揚げたものだが美味かった 300円の1番少量なのをランチ用に頼んだ
するとおじさんは小さな器にこれでもかこれでもかと言う位満杯にして包んでくれた 何と言うサービス🤣 ありがとう😂
竹輪のいい香りにその場で熱々をパクパク



旨い ビールが欲しいな だが朝から飲んだら今日は歩けなくなるから諦め 結局ランチと夕食後に終日食べていた感じ😆

日奈久宿の温泉街を歩く
















海辺に西南戦争の時の官軍上陸地と




この地域の随所で見かける大きなボール球位の柑橘類は晩白柚(ばんぺいゆ)だとか




日奈久宿で少しゆっくりしたので次の田浦宿へ向かう





ここからは肥薩おれんじ鉄道線路脇を進む 昨年の夏青春18切符で巡る西日本1周の旅の時この路線を走ったばかり 今日はその脇道を歩いているなんて不思議だ😆
ここの風景は好きだ👌












ラッキー 晴れてきた 頭上をピーヒヨロロとトビが舞う









残念だが途中で歩く道が途絶え山へ向かっている いよいよ難関の山越だ
しかしこれから先の薩摩街道の山越街道は厳しそうだ









寒風に汗だくと坂道を上り下りしながら有明海を垣間見る







山斜面を利用し特産の甘夏みかんを栽培
収穫したみかんをモノレールが運ぶ



羊歯(シダ)を見ると箕面の森を思い出す
植生豊かで特にシダ類は日本の植物学者が必ず訪れると言う位箕面の森は豊富なのだと聞いた


山を下り田浦宿に着く 足が悲鳴だ😂












今日はここまでとして田浦の夕景を楽しむ










(10日目)
  26.06㎞  (261.06㎞)
  35.609歩(363.208万歩)

  * この10日間の1日平均
          @26km   3.6万歩
 
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江戸・薩摩街道歩き旅(9)

2022年01月30日 | 江戸・豊前 薩摩街道21次歩き旅(福岡・松崎ー熊本ー鹿児島)
1月29日(土)
 3/13℃ (熊本県宇城市小川町)
(9日目) 
小川ー⑪八代宿ー日奈久宿
小川ー正善寺ー小川郷土資料館ー刈萱橋ー氷川町ー法道寺薬師堂(楠木)ー川原大神宮ー有佐ー氷川橋跡―御高札跡ー宮原集落ー旧井斧家(まちつくり酒屋)ー金海山釈迦院道ー宮原歴史資料館ー栫(かこい)集落ー栫馬之神(秀吉の愛馬墓)ー光徳寺(官軍・衝背軍の本陣跡木碑)ー彦一塚ー八代城ー河童像ー札ノ辻・十一里木跡ー前川ー球磨川ー肥後高田ー日奈久

日奈久宿の肥薩オレンジ鉄道にくまもん列車が1両通過して行った 写真をと思ったらもういない😂 だがその後に梅の花がきれいに咲いていた


今朝はどんよりしたお天気 でもお昼からは大丈夫な様子👌

今日のホテルのモーニングはメニューが極端に少なくすべてチョイスしてもこれだけ 各Cityホテルとも今朝食はほとんどが無料サービス扱いだが、ホテルによって朝食のレベルは相当に差があるな と思いつつもこれにパンをプラスしていつも通りしっかりと頂く 今日も快調👌


新八代駅から田んぼの風景を見つつ、半世紀前の20代の頃見た新大阪駅に似ているなと思った 半世紀後天の上からまた覗いてみるかな😆
なんて思いつつ昨日歩き終えた小川駅前へ向かい9日目をスタートする

各市町村ごとにマンホールの蓋が違うので面白い  これはogawaの刻印がある
小川の街から八代宿へ向かう












電線にカラスがずらりと並び不気味だ
昔のヒッチコック監督の「鳥」を思い出す


この集落も次の集落も道路に面してお墓が並んでいる珍しい光景だ



竜北町になりマンホールデザインも変わる



1月からまさか田植? 違うよね何かな?




ゲートボールに夢中のシニアさん






収穫中のこの植物は何かなぁ?








春近しの光景だね しばし足を休め魅入る





この大きな果物はこの地の特産のようだが





川でカモらの群をよく見かけるが春だし
集団お見合い中かな?🤣

昨日無人の露店で買ったと同じミニトマトが随所で大量に捨てられている 規格外なのかな? もったいないね


光徳寺に着く

ここは西南戦争の時官軍の本陣が置かれた


八代宿に入る 道路脇に有名人の手形や町案内が表示されている








歌手 八代亜紀も



あの大きな果物はこれだな



八代城跡に着く





一輪咲く?の花


























立派な土俵がある







ここは河童(カッパ)の発祥の地だとか









前川、球磨川を渡る






熊本県立八代工業高等学校の正門には高いヤシの木が生えていた


これは小学校の分校だとか



日奈久宿へ入る


肥薩オレンジ鉄道には昨年の夏、青春18切符で巡る西日本周遊の一人旅で乗り通った所なので懐かしい 


今日はここまでとして日奈久駅へ向かう




ここも無人駅で1時間近く待ったが足を休められた それに歩き旅であちこちで出会った師匠の山頭火の姿にやっと会えた🤣
今まで山頭火の足跡を歩いてきたようなものだが、どこにでも句碑があり放浪の俳人として崇められているようだ

だが私はどうみても山頭火の俳句は定型を逸脱したものばかり だがそれが面白くそれが楽しいのだが



今日もお陰でたくさん歩き放浪を楽しむことができた😆 
放浪の俳人・山頭火(さんとうか)に会えた
私は放浪の廃人・頑爺(ガンジー)だ🤣🤣




(9日目)
  32.24㎞  (235.0㎞)
  43.801歩(327.599歩)


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江戸・薩摩街道歩き旅(8)

2022年01月29日 | 江戸・豊前 薩摩街道21次歩き旅(福岡・松崎ー熊本ー鹿児島)
1月28日(金) 
 3/12 ℃ (熊本市南区川尻)
(8日目) 
⑨川尻宿ー⑩宇土宿ー小川
川尻宿ー高札場跡ー無田川ー川尻本陣跡(小路町の待賓館跡)ー川尻薩軍本営跡ー瑞鷹酒造ー加勢川ー放牛地蔵ー勅願所大慈禅寺道の道標ー大神宮ー緑川橋ー西安寺ー宇土ー船場川の眼鏡橋ー正栄寺ー温知館跡(宇土細川藩陣屋跡)ー高札場跡ー宗方小太郎屋敷跡ー宇城市へ入るー夜泣き地蔵ー山伏塚ー線刻の石仏ー景行天皇遺跡ー豊福阿蘇神社ー三軒屋番所・関所跡ー小川宿ー夫婦えびす様祠



今朝 気力は体力をカバーする とふっと思った と言うのも歩き旅に出ると元来のぐうたらの怠け者がしゃきっとして連日元気に歩いているからだ🤣 我ながらおかしいな?😂

朝食もしっかりとった
朝の食事は自分の健康のバロメーターなので今日も元気に歩けそうだ

Ponta腹をさすりながら、別の靴を履いて出発だ この靴は京都羅城門から山陽・西国街道を九州・大里宿、さらに昨年長崎街道と延べ1260キロ以上を既に歩いてきた強靴だ これもゴアの防水型ウォーキングシューズだが、昨日までの靴と同じでインソールを別注で自分の足に合わせて作ったので高くつくが、足と靴のトラブルは今までになく重宝している相棒だ

昨日歩き終えた川尻駅前へ戻りスタート 川尻(かわしり) は薩摩街道に入り最初の宿場だが緑川・加瀬川を活用した水運業に関わるところから始まる
ここは御船手渡し場跡とあり江戸時代から藩船の乗組員らが住み、参勤交代の際江戸へ向かう藩主の御座船・波奈之丸や御召替船・泰宝丸が停泊し細川藩の海軍拠点地として栄えたと 川辺には年貢の米藏がある










川には沢山のカモの群れ 




今はその上を鹿児島本線と九州新幹線が音を立てて走り抜ける ご先祖はさぞ驚きだ




もう一つ川尻薩軍本営跡がある
西郷隆盛ら明治新政府に反対する不平士族の最大かつ最後の内戦となった西南戦争
明治10年2月15日大雪の中鹿児島を出発した薩摩軍はここ川尻で宿営し「新政大総督征伐大元帥 西郷郷吉之助」の表札を掲げ熊本城攻撃のための本陣を置いたのだ




その近くに瑞鷹酒蔵があった



川尻宿周辺を見て加瀬川を渡り次の宇土宿へ向かう






























宇土(うと)宿に入り船場川の眼鏡橋を見る









宇土宿ではいくつか史跡を尋ねたが番地はあっても表示物がなく不明だった

宇土駅前は雑多とし史跡は探せなかった




今日初めての薩摩街道表示物を確認












これもお寺の掲示物 そうだよね

宇土城跡へ向かう









ここより次の小川宿向かう









ここで道を間違え街道を外れたようでかなり迷った
途中喉が渇き自販機1台もなく、田道の無人店でミニトマト1袋100円を買う 5日前のみかんでは難儀したのでちょうどいい🤣





















小川の町に入ったようだ
熊本県立小川工業高等学校があり下校途中の生徒の後ろを歩いてやっと小川駅に到着
今日はここまでとする








小川駅前には何もなく予約した新八代へ向かう
新八代は九州新幹線も停車し大きな街かなと思って予約したが、駅の目の前に田んぼがあり飲食店がなくホテルも1つだけでびっくり 聞けば少し歩けばスーパーかコンビニがあるとか 予想外に辺鄙なところでホテルの選択を失敗した😭
まあこんなこともあるさ ケセラセラ😂🤣



(8日目)
  29.38km(202.76㎞)
  40.363歩(283.798歩)

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江戸・薩摩街道歩き旅(7)

2022年01月28日 | 江戸・豊前 薩摩街道21次歩き旅(福岡・松崎ー熊本ー鹿児島)
1月27日(木)
 2/13℃(熊本市北区植木町)
(7日目) 
植木ー⑧熊本宿ー⑨川尻宿
植木町ー官薩両軍緒戦の地碑ー佛巌寺ー明徳官軍墓地ー菅原神社ー緒方小四郎屋敷跡ー四方寄(よもぎ)六地蔵付庚申塔―阿蘇宮ー豊前街道一里木跡ー山伏塚ー往生院ー池田屋醸造ー熊本城ー二の丸広場ー札ノ辻ー里程元標跡ー明八橋(眼鏡橋)ー長六橋ー薩摩屋敷跡ー専念寺ー一里木跡ー松之本神社ー河尻神社ーくまもと工芸館ー川尻宿

窓写真は今日最初のびっくりから


今朝もホテルのモーニングバイキングをしっかり食べる
少し先に座った若者がびっくり顔で見ていたが、彼はパンを2切れとコーヒーだけでこっちがびっくりだ😆


今日はいよいよ豊前街道の終着地・熊本城を目指す
天気予報は外れ朝から小雨模様 
肌寒く風がとても冷たい🥶

いつものローテーションを終え、昨日歩き終えた植木町から元気いっぱいに出発だ



自作の感謝と喜びと幸せの歌を歌いながら足取りも軽い 雨が降らねばいいが






歩き旅7日目なので休日にしようとそれぞれに相談してみたが足も膝も腰も肩も体もハゲ頭も大丈夫だから歩こうとのことで今日もスタート😆🤣

日露戦争の戦役記念碑があり、その後の楠の巨木にびっくりする







この樹齢数百年の生命の魂から両手を当て深呼吸をしてその精気を胸いっぱいに頂くと不思議と体が軽くなり元気が湧く

これは今所属する日本森林保健学会の上原巌教授(東京農大)が森林療法として日本で初めて理論的にも実践的にも実証したもの
ドイツでは健康保険が効くクナイプと言う森林療法に取り入れられているそうだ

熊本城へ向かい歩く







長い陸橋が続く



鹿児島本線が走る

難しい停留所の名前あきなまずかな?
ここも昼間は3時間空きだ 熊本はもうすぐなのに乗る人がいないのかな?

 
上熊本駅前に着く
かの夏目漱石が旧制第五高等学校の英語教師として赴任し、初めて降り立ったのがこの上熊本駅だそうだ レトロな駅舎から今にも夏目漱石が出てきそうな想像をする😆








ここは我輩通りと言うそうだ

その横には熊本市電の各車両があり撮り鉄になる ロマンのある車両ばかりだ










少しクスっと笑う人形のシーンだ



いよいよ熊本城に近づく






あの熊本大地震の時TVに釘付けになりハラハラしていた時のことを思い出し、思わず涙がこみあげる
今も毎日コツコツとその修復作業を続けているが頭が下がる


















二の丸公園で一休みする ここにも大きな楠があり大切に保存されている その根本に座りパンとバナナだがランチとする



お城の周辺を散策する













熊本城・熊本宿を確認し豊前街道を完歩👌
ここから鹿児島城まで薩摩街道が続く
いよいよこれからが本番だ

次の川尻宿まで歩いてみる 




















河尻神社に着く 地名は川尻だが
つい入りたくなるようなコーヒーショップ










今日はここまでとして予約した熊本駅前のシティーホテルに入る
7日間の洗濯物が溜まり着るものがなくなったので夜は洗濯と乾燥のコインランドリーで何時間かを過ごす

今日は1つの達成感でほっとするが洗濯もあり熊本ラーメンを食べてすぐに作業をする これも楽しいや🤣





(7日目)
  26.71㎞  (173.38㎞)
  37.760歩(243.435歩)


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江戸・薩摩街道歩き旅(6)

2022年01月27日 | 江戸・豊前 薩摩街道21次歩き旅(福岡・松崎ー熊本ー鹿児島)
1月26日(水)
 1/12 ℃ (熊本県山鹿市山鹿)
(6日目)
⑦山鹿宿ー植木町
山鹿宿・人馬継所跡碑ー山鹿燈籠屋ー金剛乗寺ー石の山門ー灯篭民芸館ー山鹿温泉足湯場ー西南の役・山鹿口の戦い薩摩本陣跡ー山鹿温泉―宮本武蔵像ー火除け地蔵ー山鹿宿を支えた江上家案内板ー光専寺(西南の役・山鹿口の戦いの薩軍野戦病院跡)ー千代の国酒造所ー菊池川山鹿大橋ー惣門ー南嶋菅原神社ー郡境碑ー浦山坂ー郷原八幡宮ー持松塚原古墳入り口ー比丘尼坂ー善行寺ー乙貝坂ー三十六のお茶屋跡ー四里木跡ー放牛地蔵ー内空閑城跡ー山頭火石像ーほたて坂ー植木天満宮ー植木町

今朝も寒いが昼から暖かくなるとの予報
ホテルの朝食をたくさん食べて満腹 
いつもそうだがその分お昼は軽食だ

スタート前のローテーションを念入りに行い今日も元気に出発👌
山鹿宿から間もなく山鹿大橋にて朝陽を浴びる 山鹿の灯籠祭りを見てみたいな










豊前街道(薩摩街道) を確認する









ここから山間部へ上る



今日は坂の上り下りが多い街道を進む
先ずは比丘尼坂から


南島菅原神社をみる




丘を上る 冷たい空気が胸いっぱいに入る









坂道の上り下りにハーハーだが気持ちいい







集落に入る


秋の残り柿が熟れて野鳥たちがついばむ

今日は古墳群はパスし歴史街道を優先だ







善行寺に着く 江戸へ向かう参勤交代の大名が休憩を取ったところとか  大名行列の多くの家来もここで一息ついたに違いない



お寺の掲示の言葉が好きだ これもいいね

休憩後再び腰を上げる 
お一人同年代の方がリュックを背にいたが、豊前街道を歩いておられるようだった お話をしようとしたがすぐ行かれた










また比丘尼(びくに)坂を上り下りする

この地域は古墳が多いようだ




街道沿いの神社仏閣を見ながら進む




ここから内空閑城跡へ登ってみる
だが坂道を上ると次は階段に閉口











汗が出てきた やっと着いたが平地で城跡の痕跡はなかった 帰り道階段を数えたら193段あった











足がガクガクし下った所の西圓寺で一休



足をよくもみ出発 川を見るとカルガモの大家族か? カモが採食中で賑やか

再び小さな集落に入る 火の見櫓が懐かしい 日露戦争の文字が見える碑文があるが出征兵士の活躍を称えるもののようだ





集落を離れるとビニールハウスでの農業生産が盛んなようだ かなりの数が建つ



ほっかほっかの枯葉の上でランチ 2種類のパンと水、それに4日前のあのミカン🤣



熊本市に入る といっても周りは山と畑ばかりなり 市内に入るまで店は一軒もない






豊前街道ほたて坂を上ると国道に出て植木町へ向かう






街に入ると馬刺の店があった 信州でも馬刺しは食べられるが家で食べた事はなく、大阪で社会人になってから先輩に馬刺し店へ連れて行ってもらったがクジラの尾の身のようで美味だった



今日はアップダウンの連続で予想外に距離が伸びず足も悲鳴をあげるので植木町までとした 豊前街道の終着地・熊本城まであともう少しだ

予約したホテルに入り早めに食事、風呂に入る
ところで6日間歩いてきたが7日目の明日は休日にしようかどうかな? 
朝起きていつものローテーションで足膝腰肩身体そして禿げ頭に聞いてからにしよう
おやすみなさい😴💤



(6日目)
  25.62km (146.67㎞)
  35.519歩   (205.675歩)

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江戸・薩摩街道歩き旅(5)

2022年01月26日 | 江戸・豊前 薩摩街道21次歩き旅(福岡・松崎ー熊本ー鹿児島)
1月25日(火)
 1/10℃ (熊本県玉名郡南関町)
(5日目)
⑥南関宿ー小原ー⑦山鹿宿  
南関宿ー南関宿高札場跡ー南関手永会所跡ー八塚の碑ー姫塚ー追の道標―豊前街道十一里木跡ー小原茶屋ー参勤交代・旅人の道案内板ー八幡神社ー肥猪町官軍墓地ー肥猪御茶屋跡ー石碑(左山鹿・熊本城 右南関御茶屋跡)ー菊池川・平野橋ー池田右京邸跡ー日本赤十字発祥の地ー光行寺ー腹切坂ー下岩官軍墓地ー豊前街道永ノ原石碑ー西南の役古戦場跡ー郡境碑(従是西北玉名郡、玉名・山鹿郡境碑)ー車坂ー史跡・西南の役鍋田戦跡の木碑ー平和の碑ー山鹿宿ー八千代座

今朝も寒い朝だが、徐々に暖かくなるとの予報 
今日は昨日歩いた南関宿から山間部の山鹿宿へ向かう

南関町役場は広くて綺麗だ


朝食はホテルバイキング付だったので昨日の分もしっかりといただく これに+コーヒーとクロワッサン🤣
お腹いっぱいたが、いつも朝はしっかり食べるので大丈夫だ👌

ホテルの食器はすべて紙の成形品で使い捨て コロナ対策も万全で客の会話もなく一安心だ

いつものごとく足膝腰肩身体と最後に禿げ頭をさすりながら、今日も1日よろしく! そして一緒に楽しもうと声をかけて出発だ


豊前街道(薩摩街道)を進む

森の木立に朝日が輝く 凛とした冷たい空気に深呼吸をして新鮮な空気を取り入れる
あー幸せだなぁ 感謝だなぁ ありがたいなぁ と思わず声が出る いつものことだが嬉しい1日の始まりだ










秋の残り柿が熟れ野鳥の食事だ


豊前街道の表示が所々にあり助かる


















足元にきれいな野草が群生している
思わずそっと手で撫でてみるが柔らかい




西南戦争の官軍犠牲者の墓地は熊本県内だけでも21カ所もあると言う   同じ日本人が血を血で洗うように戦うさまは今は想像もできないが、歴史街道を歩いているとそのような戦死者の墓地や墓碑を常に見て悲しい










再び街道を進む












各藩の大名が参勤交代で江戸へ向かう街道との表示版表示版




御茶屋は大名が休憩する場所 参勤交代では随所にあり宿場とはまた別だ






菊池川にでる




江戸時代はこの川の水運事業が盛んだったようで渡川の渡し場もあったと




菊池川の土手に腰をおろし一休み
川の流れを見ているとキラキラと輝き見飽きない 昨日の足の故障も大丈夫のようだ






このバス停の時刻表を見ると朝8時の次は夕方5時 9時間待ちとはすごいなぁ



山鹿(やまが)宿へ入る

山鹿大橋を渡り山鹿の街に入る



山鹿温泉のさくら湯 入浴料350円 夜になると火が灯り賑やかになるだろうなぁ







温泉水を飲む施設 温かくクセもない




落語カフェとか 面白い店が多くある




八千代座へ向かう



山鹿灯籠民芸館(旧安田銀行山鹿支店跡)
山鹿の灯籠祭りは有名らしい



山鹿宿を確認する





山鹿宿・山鹿温泉の街
予約したホテルも源泉掛け流しで、久しぶりに温泉に入る あー最高だ👌🤣



(5日目)
  26.34㎞    (121.05㎞)
  36.136歩  (170.157歩)

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江戸・薩摩街道歩き旅(4)

2022年01月25日 | 江戸・豊前 薩摩街道21次歩き旅(福岡・松崎ー熊本ー鹿児島)
1月24日(月)
 2/8℃(福岡県みやま市瀬高町)
(4日目) 
④瀬高宿ー⑤山川宿ー⑥南関宿
瀬高宿ー来迎寺ー祇園宮ー菊美人酒造ー矢部川ー伊能忠敬測量基点の地碑ー萬福寺ー石塔群ー山川町指定文化財平家の塔ー野町五輪塔群ー日当川地蔵堂ー要川公園(源平最後の激戦地)ー松風の関ー筑後國と肥後國の湯谷川領境界石ー熊本県に入るー城原官軍墓地入り口ー正勝寺(西南の役・官軍の本営地)-南関宿・御茶屋跡

今朝は雨も上がり気持ちの良い朝 だがとても風が冷たい🥶

昨日雨の中を歩き終えた瀬高宿から出発する 改めて古代卑弥呼の邪馬台国の所在地としての碑文をみる

この地に瀬高宿の表示物を見つけることができなかった


ニ尊寺は1308年創建の禅寺と












踏まれても踏まれてもしっかりと上を見て育つ麦の新芽に見とれる 何故か涙目に


この植物は何? れんげ草のように肥料用の植物なのかな フンワリ寝転びたい🤣

朝食がなくお腹が減りちょうど良いなと山を上るが閉鎖😭 もう1件もだめ 山の中での営業は難しそうだ 余計にお腹空いた





冷たい風の中でカモたちが元気に泳ぐ

峠道にみかんの自販機があった 何はともあれ300円を入れて取り出す 何という量だ 朝食に7個食べたがもういらない😂
だがもったいないのでリュックに入れるがこれがなんと重いこと 昼もみかんだ




山川宿に入る ここも宿場の雰囲気もない
バス停の時刻表を見ると昼は3時間に1本




何とここは山川みかんの産地だったのだ





みやま市山川支所前の家の蔦が電線にまで伸びて気になるな😆



きれいな名前の小学校だ


境界石 右柳河、左隈府 とある


街道沿いの西楽寺をみる






ある農家の納屋に懐かしい木製の脱穀機?があったが違うかなぁ 安曇野の庭で秋の収穫時にこんなのを使っていたのだが?

農道を散歩するお婆さん お元気で!

ここは悲劇の場所、古戦場要川(かなめがわ) 源平最後の決戦場で野山川一帯が血で染まり川も血波川と呼ばれたほどとか 今の平和な風景からは想像できない





このスタイルの屋根が随所で見られたが気になる?










はなたれ小僧さま とは





いよいよ熊本県に入る


このガラス窓を見て、70年前入学した南安曇郡南穂高村村立小学校を想いだした







豊前街道・薩摩街道を上るが途中で竹で通行止めにしてある 通れなくはないが念のため引き返す




南関宿に入る





この地は宿場表示がある ここは参勤交代の時、大名が休憩した場所(御茶屋)





南関城跡と薩摩軍と戦い戦死した西南戦争の官軍犠牲兵士の墓を山の上にみる





途中 樹齢数百年の巨木から今日も両手を当て深呼吸をして精気を体いっぱいに頂く


山の上にある西南戦争官軍の墓地







山を下り南関宿を確認

正勝寺は官軍の本営と野戦病院が置かれた



終日冷たい風に体感温度は非常に低く底冷えする🥶 足が痛いと珍しく悲鳴😭

今日は南関宿のここまでとし早めに予約した宿へ向かう
幸い宿に温泉があり有り難くしっかりと体を温める 1日みかん三昧だったので夕食はしっかりとすき焼き鍋を食べた👌😂
だがみかんはまだ4/3残ってる トホホ🤣


 
(4日目) 
 22.42㎞ (94.71㎞)
 32.416歩   (134.021歩)


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江戸・薩摩街道歩き旅(3)

2022年01月24日 | 江戸・豊前 薩摩街道21次歩き旅(福岡・松崎ー熊本ー鹿児島)
1月23日(日)
 1/6℃ (福岡県久留米市羽犬塚)
(3日目)
③羽犬塚宿ー④瀬高宿 
羽犬塚宿―羽犬像ー六地蔵尊―六所宮ー羽犬塚恵比寿像ー石碑(北上妻郡・南下妻郡)郡境石ー史跡・一之塚源平古戦場跡ー日本第一秋津島浪右衛門の墓(力士)ー聖母宮ー天満神社ー瀬高宿

今朝は予報通り雨、しかも本降りだ
雨支度をして様子を見るがやむ気配はなく少し遅れていざ出発

昨日歩き終えた羽犬塚(はいぬづか)宿に着き、今日はここからのスタート




ここでも羽犬が迎えてくれる 羽犬とは聞き慣れないが、羽犬伝説はいろいろあり豊臣秀吉が1587年4月、天下統一を目指し薩摩の島津氏討伐の遠征時、この羽の生えた犬に苦しめられたがやっと退治 その強さと賢さを讃え塚を作り丁寧に葬ったとか

歩き始めた途端 突風に傘は反転 帽子は飛ばされてやれやれ😆
と思いきや土砂降りとなり慌てて軒下を探すがこの数分で服は上下ずぶ濡れだ😭
まさに水も滴るいい男⁉️  なんて笑っておれない😂





街中にも羽犬の絵をみる

少し待ってから出発 次の瀬高宿へ向かう 近くを九州新幹線が走る








麦畑やビニールハウスが続く 小川ではシラサギが舞い狩りをする




水たまりを避けて歩く 
ゴアの防水ウォーキングシューズだが水溜りにつっこみ水が入り足が濡れ冷たい ドジだな😭 雨蛙がケケケと笑う あのね!





一之塚源平合戦古戦場跡に着く
かつてこの地で源氏と平家が戦ったのかと周辺を見回す







筑後の広い公園に着きひと休み 
広い公園だが人影は全くない






日本第一秋津島浪右衛門の墓を探す
江戸時代の力士で強く大男で日本一だったとか 横綱・若の花や大鵬 柏戸などが巡業の時に訪れたとか
だけど懐かしい昭和の横綱の名前だ



周辺を歩く









船小屋温泉大橋を渡り福岡県みやま市に入る 
(先ほど船小屋は有馬藩の舟小屋が置かれた所ですと当地ご出身の方からコメントをいただきました)🙏













聖母宮 聖母マリアでなく聖母神社⛩  に着く 後方を九州新幹線が走りぬける ちょっと煩いが? 
街道を歩く昔の旅人が見たら腰を抜かすだろうなぁ🤣












再び雨が激しくなり瀬高宿へ急ぐ
瀬高宿は特にその雰囲気も宿場表示もなく と言うより探しきれないのか? 何もないので寂しい








瀬高駅前にモニュメントがあり 微かに見える文字には 古代の卑弥呼伝説の地 のようだが




今日は終日雨のようなのでここまでにして半日で終了
まーこんな日もあるさ ケセラセラ
とにかく無理せず明日にしよう

遅くなったが昭和レトロな店でチキンランチを食べるが美味かった👌


冷たい雨風に体が冷えてしまい、予約したホテルに入ると熱い風呂に飛び込んだ セーフ👌🤣



(3日目) 
 16.4㎞    (72.29㎞)
 23.787歩(101.605歩)

コメント (4)
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江戸・薩摩街道歩き旅(2)

2022年01月23日 | 江戸・豊前 薩摩街道21次歩き旅(福岡・松崎ー熊本ー鹿児島)
1月22日(土)
 1/8℃(福岡県小郡市松崎)
(2日目) 
松崎宿ー久留米・府中宿―羽犬塚宿
松崎宿ー下岩田の一里塚ー筑後川ー神代浮橋之碑ー神代天満宮ー久留米・府中宿ー高良大社ー坊津街道・府中宿本陣跡ー高良下宮社ー田中久重鋳砲所跡(からくり儀右衛門)白布観音像-羽犬塚

今日は松崎宿からスタートする
油屋は西郷隆盛や乃木将軍が宿泊したそうで松崎宿のシンボルだ




甘木鉄道の松崎駅は無人駅だが、単線の上りと下りがここで交差するので撮り鉄になって撮ってみる






松崎宿の町外れの南口を後に、次の
府中宿へ向かう 今朝も寒いが凛とした冷たさに身が引き締まり好きだ
















また麦畑を見ながら長い道をいく















何キロにも及ぶ桜並木にびっくり
春の桜が満開となればその景観はすばらしいだろうなと思いつつ

筑後川を渡り府中宿へ入る
筑後川の水源は阿蘇山で有明川へ注ぐ九州最大の河川で筑紫次郎と呼ばれているとか なぜに次郎?











府中宿本陣跡前の高良大社をみる




府中宿場跡には当時の店の名前などが掛けてある









どんな商売なのかな?

府中宿から次の羽犬塚宿へ向かう
昔懐かしレトロな店 いいね









自衛隊の施設が随所にあるんだ






国道と並走する街道は車も多く落ち着かない 本当に街道なのかなぁと案ずる頃に薩摩街道の印があるのでほっとする 足が少し休ませてくれと言うが、腰を下ろす場所もないんだよ











ここにも山頭火の句碑がある 
この地の宿で泊り作句したものとか  たがどこを歩いても山頭火と伊能忠敬の足跡を見るので友達に会った気分だ😆



羽犬塚宿へ入る














この羽犬塚小学校あたり一帯が宿場街だったようたがその面影はない
地域の人は薩摩街道を坊津街道と呼ぶらしい

寒い寒いと厚着をすると、歩きだすと今度は汗をかき、それが冷えるとまた寒くなるので服の調整がその都度難しい  

だがそこは一人旅で気兼ねする人もなく自由に着たり脱いだりと調整できるのでありがたい  

久しぶりにと言ってもまだ長崎街道を歩き終えて3ヶ月足らずだが、こうして自由気ままに好きな所へ好きなように歩ける幸せを実感する 
今日も笑顔で幸せと感謝の1日だった



(2日目)
  33.55㎞ (累計 55.89㎞)
   47184歩   (累計  77818歩)

* 昨日深夜の地震には上下2.3回
大揺れし飛び起きたが大丈夫です👌
コメントや個々にメールやLINEをいただきありがとうございました
しかし突然何が起こるか分からないので1日1日を大切に生きていきたいものです

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江戸・薩摩街道歩き旅(1)

2022年01月22日 | 江戸・豊前 薩摩街道21次歩き旅(福岡・松崎ー熊本ー鹿児島)
1月21日(金)
 1/7 ℃(福岡県筑紫野市山家)
(1日目)
福岡県・筑前山家宿ー(豊前・薩摩街道へ分岐)ー①松崎宿
山家宿ー三原家洋館土蔵ー旅籠・油屋ー御茶屋本陣跡ー松崎宿ー下町の恵比須様ー旅籠・鶴小屋ー南構え口ー石堰の追分ー筑前‣筑後の国境石

今日は朝4時前に起き、新大阪駅から始発の列車で博多へ 福北ゆたか線で桂川(けいせん)へ 更に原田線で筑前山家駅に昼前に着いた  



無人駅で駅前には自販機一つないので今日もランチはお預けのようだ😂



禿頭が芯から身に染みる寒風の中、帽子を深くしっかり被り出発🥶😆






ここまでは昨年長崎街道を歩いた時に通ったので、この先の分岐点から豊前・薩摩街道へと入る  






その昔九州の多くの大名はここから江戸へ また江戸から帰藩したのだからまさに歴史の道だ

しばらくは延々と麦畑を進む  
安曇野の田舎で祖母と麦踏みをしたのを思い出す 今はローラーでするのだなー😆







道端のアブラナの花にも癒される




やっと街道の表示があり、道は間違えていないと確認する












祇園神社に着き一休み 楠の巨木に手を置き、深呼吸をして精気を貰う








豊前・薩摩街道最初の松崎宿へ向かう


















松崎宿に入り北構口から旅籠・油屋をみる 旅籠としては大きく西郷隆盛が泊まったり、乃木希典が休憩した所とか 松崎藩の宿場をみる


















松崎宿本陣の御茶屋跡を見る
芭蕉の句を想う まさに強者たちの夢の跡だ






初日はここまでとし松崎駅前も無人駅で何もないので甘木鉄道で予約した久留米のホテルへ向かう  
いつもスタート数日は少し抑え気味に脚慣らしとする






毎回なぜか出発10日前後に重い荷物を持ってギックリ腰になったり、足を痛めたりアクシデントがあり心配するが、今回も店の椅子から落ちて尾てい骨を嫌と言うほど打ちしばらく動けなかったが、何とかクリアしてきたのでそれだけ注意して歩く様にとの事前警告かと有難く受け入れている まだお尻が痛いわ😆🤣

何とも心もとないスタートだが、だが慎重にと家にばかり籠っていてもリスクは変わらず家庭内事故も多い、むしろ健康的な生活を阻害され病気の確率が高くなっていると医師から聞いた

後は自分らしくあるがまま
マイペースの ケセラセラ‼️
まあ何とかなるさ👌😆🤣 

今日も感謝と幸せでいっぱい❤️
 お休みなさい💤



(1日目) 22.34km  
     3.0634


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江戸・薩摩街道歩き旅(プロローグ)

2022年01月20日 | 江戸・豊前 薩摩街道21次歩き旅(福岡・松崎ー熊本ー鹿児島)
1月20日(木)0/7℃大寒 
江戸薩摩街道21次歩き旅へ
プロローグ

明日からまた放浪歩き旅に出る
オミクロンの急拡大や「蔓防」の発令などで躊躇していたが、毎回相談している かかりつけ医師は  従来と同じように対策をした上で歩くことには問題ないから大丈夫だ 歩いて下さい との事で決断👌

今回は薩摩街道 昨年歩き終えた長崎街道の途中にある筑前山家宿から豊前街道(ぶぜんかいどう)へ分岐し ①松崎宿から②久留米(くるめ)府中宿-③羽犬塚(はいぬづか)宿ー④瀬高宿ー⑤原町・山川宿ー⑥南関(なんかん)宿ー⑦山鹿(やまが)宿ー⑧味取新町宿・熊本宿までの8宿場の豊前街道(ぶぜんかいどう)を行く

更に熊本から⑨河尻宿ー⑩宇土(うど)宿ー⑪八代(やつしろ)宿ー⑫日奈久(ひなく)宿ー⑬田浦宿ー⑭佐敷宿ー⑮陳町・水俣宿ー⑯米ノ津宿ー⑰出水宿宿ー⑱阿久根宿ー⑲向田・川内(せんだい)宿⑳ー串木野宿ー㉑伊集院宿ー鹿児島の13次宿場の薩摩街道を歩く 

ただ豊前街道と合わせて薩摩街道とも呼ぶそうなので、ここでは薩摩街道21次で統一呼称する

筑前国・福岡藩、肥前国・佐賀藩(または鍋島藩)から肥後國・熊本藩・熊本城を経て薩摩國・薩摩藩の鹿児島城(鶴丸城址)から照国神社、鹿児島市役所別館地の「下町札辻跡」を終着地とし、2/9まで20日間の歩き旅として予定

薩摩街道は豊臣秀吉が島津氏征伐の為、1587年に20万人の大軍団を率いて進んだ道として名高い

また薩摩街道は九州諸大名の参勤交代で江戸へ上り下りする道 薩摩藩の島津氏、八代藩の松井氏、人吉藩の相良氏、肥後藩の細川氏、柳川藩の立花氏、久留米藩の有馬氏の6藩が利用し、宇土支藩の細川氏が利用した豊前街道を含めると7藩が薩摩街道を行き来したという

例によって歩き旅の間は五感を働かせ、体力・体調の都合により予定通りには中々進まないこともあるが、江戸時代の旅人が歩いた旧薩摩街道を歩きながら非日常生活を楽しみたいと思う😆

2年前の1月、幸期幸齢者(後期高齢者)になったのを記念し、初めて歩き旅を始めたが、あれから東海道、日光街道、西国街道、長崎街道を歩き、今回の薩摩街道を完歩出来れば鹿児島から日光まで途切れることなく歩いた事となり、後は雪解けを待って東北、北海道への奥州道中・奥州街道となる

途中で何度か「老後の究極の贅沢旅」ですねと言われてきたが、徐々に体力の衰えと共に頭も呆け気味となり いつまで どこまで続けられるが分からないが、たとえ今倒れ未完となっても全く後悔はなく、最高に幸せな人生だったと断言できる自分が嬉しい😆
 
従来と同じようにかかりつけ医の個々のアドバイス、歩く地域の各行政への問い合わせなど今回も計画を話し助言を受け対策をしいる 
概ね特に問題はないでしょう との事 鹿児島県担当局からは薩摩川内など歴史街道6部になる地図や案内誌をご親切にお送り頂き感謝です🙏
 
人の余り歩かない真冬の歴史街道の一人歩き旅で、宿舎もできる限り地域で一番大きく対策をしっかりしている所を選び、勿論マスク、手洗いの実施、三密を避け、自分では十分な対策を施し、念入りにしているつもりだが、刻々と変わる状況に不安も募る

少しでもおかしな傾向が見られれば決して無理をせず引き返すつもりだ
自分のみならず人様にご迷惑を掛けない事は大前提、最重要である事を再認識して臨む

さあ幸せ放浪旅のスタートだ🤣

散歩を楽しむ千里南公園とも3週間ほどお預け
小さな春も寒そうだ🥶



寒空の下、絵画教室だろうか? 10数人の方々が随所でスケッチし、描いておられる




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冬の絵画

2022年01月17日 | 頑爺のMy 絵画
1月16日(日) 0/12℃ 
冬の絵画

今日までクリスマスの風景を部屋に掛けていたが、季節が部屋に合わなくなり、冬の風景画をまた押し入れから探し出し壁にかけてみた
 
冬となれば雪の景色となるが、寒い時に寒い風景より常夏の風景がいいのかもしれないが、そんな都合よく描いた風景画もなく、今月はこんな風景画を掛けて眺める
 
相当昔に描いたものだが、懐かしく当時描いていた時の心境など思い出しながら眺める

さてどの絵をかけようかな?
いずれも油絵、アクリル画材 キャンバス

雪裡川を飛び立つタンチョウヅル
北海道  F6号キャンバス

寒牡丹・上野の東照宮 F8号キャンバス

雪の摩周湖 北海道 F6号キャンバス


雪の清水寺・京都 F8号キャンバス

初雪の瀧安寺・大阪箕面 
F8号キャンバス


雪の箕面川渓谷とつるしま橋・大阪箕面 
P10号キャンバス

雪の明日香村・奈良 F6号キャンバス


雪の磐越西線を走るSL・新潟 
F3号キャンバス

冬の朝 D/D P10号キャンバス

描いたリストにはまだ冬の風景画は10数枚あるが、これ以上押し入れを引っ掻き回したら後片付けに一日日が暮れるのでやめた😂 
その前に額縁も限られどれを掛けるか迷う こんな穏やかな一日
幸せをありがとう😆


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地球は人間だけのものではない

2022年01月14日 | 冬・喜寿の青春賦 日記!
1月14日(金)1/7℃ 

地球は人間だけのものではない

これは「エコロジスト西村真琴の生涯」の本の表題です
表紙の帯には日本初のロボット「学天則」をつくった男
植物学を専門とし、45歳で北大教授から大阪毎日新聞社に転身 自然を愛し、自然と人間の共生を解き続けたとあります





先日知人より1冊の本を頂戴し、この正月に7冊ほど読んだ中で最も感動した本がこれでした
西村真琴の生涯を明らかにする評伝で、失礼ながら今までお名前さえ存じ上げなかった

だが読み進めるうちに最初はご専門の植物学を極めるために満州医科大学の教授の傍ら、広大な中国大陸を歩き植物採集活動をして満州植物2千余の標本を残す その後コロンビア大学等を経て若くして北海道帝国大学の教授となる マリモの画期的な研究から北海道の大自然の中で幅広い多彩な植物学の研究活動をされている 

私は植物に興味もあるのでその話が面白く読んでいたが、その後紙面は西村真琴の詩人、画家、木版画、エッセイスト、作家、短歌、漢詩など多彩な活動が紹介されていく

そして45歳で北海道帝国大学教授を辞任し大阪毎日新聞社に入社するがこれにはなぜと驚いた  そしてこれからの活動がものすごく展開し心を奪われる

新聞社では専門の自然科学の分野で活動し論説委員などをされていたが、1928年に開催された大礼記念博覧会で「学天則」と言うロボットを出品して世界の注目を浴びたが、これを考案したのも西村真琴だ

これは後に1988年の東宝映画「帝都物語」で登場し、真琴役は俳優の西村晃だったと そしてあのTV・映画で人気の水戸黄門役の西村晃が西村真琴の次男だと知りまた驚いた

続いて活動の場は中国へ移り、多くの自然科学の著作物を執筆しつつ、日中戦争など混乱の時代に入る

新聞社の医療奉仕団団長として中国で命がけの奉仕活動をしていたが、ある日荒廃した三義里の街で食べ物がなく怯えさまよう鳩を見かけた 真琴は持っていた少しの乾パンと水を与えたが、このままではすぐ死ぬと拾い上げその鳩を後に日本へ連れ帰り飼育したという

大阪・豊中の真琴の自宅で飼っていたその鳩が亡くなり三義塚を建て葬ったが、このことを伝え聞いた中国の魯迅から「三義塔に題す」と手紙が送られてきたそうで、今豊中の「三義塚」にその詩碑がある 魯迅もすごい人だ

また「日中戦争の残忍な殺戮の中で、一羽の飢えた鳩を助け日本で死に「三義塚」を残した西村真琴博士の大慈悲心に気高い心の故にいつか中日人民は深い恨みも亡び去るだろう」と1978年4月号の「人民中国」が詳しく報道している 
これには日本人としてとても誇りに思い これぞ日中人民の友好のシンボルだと思わず涙がこぼれた

真琴と同郷の島崎藤村がこの鳩のことを書き、中学校の教科書に採用され広く知るところとなったとある

他に子供たち向けの自然科学の実験や多くの著作活動には興味を持った  それは自らの実証実験により得られた結果を子供向けに容易に理解できるよう工夫して面白く解説しているから、大人でも引き込まれる魅力があった

また幼児教育の活動は、私が箕面の山を歩いている時に野山を自由に駆け回っている幼稚園児を見て、生き生きと自然と戯れる自然幼稚園の存在を知ったからで大変興味を持って読んだ 
戦前 すでに幼児教育の大切さとこれほど真剣に向き合い活動していた人がいた事を初めて知った

最後に中国大陸を荒らした日本の軍国主義、それを非難する立場にはないが中国の戦災孤児数百人を引き取り、大阪で養育さらに教育を施した 後に復興した中国へ届け 就職までサポートする事業の中心で活動された事は、戦時下から始まり大変なご苦労もあったことと頭が下がり 日本人として本当に誇りに思います

戦後は豊中の市会議員や議長を務められながら、教育のあるべき姿を求め、中央公民館の館長などされつつ自然学の研究や山野草の愛好家グループを作られたりし、1956年73歳の生涯を閉じられた

もう少し簡潔明瞭に紹介するつもりが、あまりにも多彩な方ゆえに長文になってしまった

本来書きたかった私の感激や感動のこと また不思議なつながりが点々とあるのだが、これらは後日にまた記載することとします

それにしても西村真琴博士についてもっと早く知りたかったが、日本が誇る日本人として 私はその人間性とともにとても尊敬する人となりましたので  ここにご紹介させていただきます

地球は人間だけのものではない
畑中圭一著 発行 ゆいぼおと 
発売 KTC中央出版
初版2008年5月 ¥1500

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ありがとう

2022年01月12日 | 冬・喜寿の青春賦 日記!
1月12日(水) 3/10℃
ありがとう

自然学校の仲間から何かプレゼントを頂く時、いつも小さな紙片に 
笑い文字が添えられている😆


何枚か机の前に貼って毎朝笑顔をもらってきた
その小さなありがとうを見ているだけでほっこりとし 自然と笑顔がこぼれ心がじんわりと温かくなる

この笑い文字は作者(ち)の許可をもらい掲載







そうだ 自分も感謝の ありがとう をこんなミニ絵の形にしてその場で渡せたらもっといいなー きっと素直に心が伝えられるかも 教えて欲しいとお願いした

その「笑い文字普及協会」の教室に仲間たちと参加させてもらった
不器用でなかなか思うように描けないが、笑顔で練習すれば上手くいくと
初絵はなんと歪なありがとうだこと😂
自分の下手さ加減に笑う🤣
自分は肇の(は)落款も手書き


聞けば旅先でちょっとしたお礼に、ホテルのメイキングをしてくれた人へ 出会った人へ 美味しかったお店に 親切にしてもらった人へ 公衆トイレを掃除する人へ ボランティア活動の人へ 笑顔をもらった子供さんへ 病院の看護師さんへ 飛行機上のCAへ 外人さんへ・・・ どこでもどんな人へでも感謝があれば小さな ありがとう がどれだけ人の心に明るい灯りを点し、そしてその笑顔が回りに伝播し笑顔の会話が広がっていくことか



その人を思い感謝の ありがとう を描き、その人にお渡しして完成なのだが お渡しした人の笑顔が何よりの報酬 そして笑顔のご縁がつながる 何より筆ペン黒朱を持てばその場で描いて手渡せる手軽さがいいね

長い年月 沈黙の時間があったので 
ありがとう の笑顔を忘れていた 
だが自由の身となり今こうして多くの友達を得て沢山の笑顔をもらい、自分も大笑いしながら交われる幸せと感謝を噛み締め、いつもいつも ありがとう とつぶやく

頑爺の初の笑い文字はガタガタの笑いものだが、最初に先ずブログ訪問を頂いた皆さんに ありがとう をお伝えしたい



下手な笑い文字で ありがとう だが 
いつも感謝です ありがとう😆🤠


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メトロポリタン美術館展

2022年01月08日 | 冬・喜寿の青春賦 日記!
1月7日(金)2/8℃  
メトロポリタン美術館展

小雪舞う寒い1日だ
昨日は友達から誘ってもらいメトロポリタン美術館展大阪を鑑賞した  
大阪展は天王寺の大阪市立美術館 (通称・天王寺美術館) で開催されているが、有意義で楽しい1日を過ごした




ニューヨークのメトロポリタン美術館が2023年まで大規模な修繕作業中で、その間に海外へ貸し出されたようで貴重な作品も多くあった
絵画の知識もなく名前だけだが自分の知るモネ、シスレー、セザンヌ、ゴッホ、ゴーギャン、ドガ、ルノワール、クールベ、コロー、フラゴナールの他は初めて知る画家や作品も多くあり見応えがあった

遠くからでもその色彩から分かったヨハネス・フェルメールの作品 その「信仰の寓意」は自分のイメージを覆すような寓意的モチーフが画面いっぱいに盛り込まれフェルメールの特殊な作品だと知った 

 
もう一つ、ルイ13世の国王付き画家のジョルジュ・ドラ・トウールが描いた「女占い師」はロマの老女が占いをしている間に、その高貴な若者の貴金属を盗む二人の女の姿が実に滑稽で笑った 


他に多くの女性の肌の色や衣服の色づかいなどがとてもきれいに表現されていて印象的だった


もう随分昔になるが、ニューヨークのマンハッタンにある世界最大級クラスの美術館・メトロポリタン美術館を訪れたことがある
セントラルパークの東にあり、年間700万人以上が訪れると言うから凄いが、さらにこれが私立だと言うから驚きだった
ニューヨーク近代美術館と併せて1日中絵画三昧だったことを思い出す

パリのセーヌ川畔にあるフランス国立ルーブル美術館に最初に訪れた時はモナリザやミロのビーナスなど現物を目の当たりにして興奮し感動したものだが、やはり写真で見るのと違い生の絵画や彫刻などはものすごいオーラを感じる ここは年間1000万人の入場者があるというが頷いたものだ

大阪市立美術館の正面から後ろを振り向くと、右手奥に通天閣が見える




公園では大道芸人が芸を披露していた


天王寺公園のてんしばから見る日本一高いというアベノハルカスビル


今年は音楽といい、美術といい、心に響く感動を沢山頂き  
感謝と喜びと幸せな年の始まりとなった



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