幸喜幸齢 生きがい 日記!       

八十路の青春賦 人生の黄金期を自分らしく あるがままに生きる幸喜幸齢者 感謝と幸せの生きがい日記 頑爺/肇&K

冬から春への空

2022年02月28日 | 冬・喜寿の青春賦 日記!
2月28日 (月) 2/15℃  
冬から春への空

暦の上でも冬が終り、明日から3月 
春のカテゴリーに変る
空がきれいだ この時期の青空が好きだ 凛とした冷たさの中で、キリっとしたその青さとマッチして清々しい



千里南公園から見上げる空の色も変わってきたようだ



芝生公園では園児たちが久しぶりにはしゃぎまわり楽しそうだ



今日は空ばかり見上げ、その美しい青色の変化に感動していたら、3回もつまずいて転びそうになった🤣 トホホ😂







それでも懲りずに空ばかり見ていたら、今度は道を踏み外し溝に足を突っ込んだ😭





自然の営みにはいつも感動し心奪われる





雨の日も好きだ、だが抜けるような青い空を見ているといつしか夢や希望が湧いてくるから不思議だね




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箕面の森の本から

2022年02月26日 | 頑爺のMy 出版本
2月26日(土)0/14℃ 
箕面の森の出版本から

昨年 大阪・箕面(みのお)の森を20余年歩いたその散策日誌から
「みのおの森の小さな物語」
「箕面の森の小さなできごと」
2冊の本を発刊させて頂きましたが、半年を過ぎ著者の知らぬところで本が一人歩きし、いろんな所で大切に読んで頂き大変ありがたく感謝でいっぱいです😂



本の間にある瓶は箕面ビールの人気銘柄

ボランティア活動に活用して頂いたり、地元の方々から遠く海外の方までお読みいただき感謝でいっぱい😂



中には直後にお亡くなりになり、御棺の中に入れて天国まで持って行って下さっ方もいてご冥福をお祈りしますと共に大変光栄です🙏
私も間もなく行く天の国の図書館で見れると思うと嬉しいです😇😇



幾人かの著名な方からわざわざお手紙を頂戴したり、また長文のお手紙にびっしりと感想などお書き頂いた方もいて、嬉しくも大変恐縮いたしております


本の表紙などに箕面の風景を油絵・アクリル画材で描いてみました

みのおの森を一緒に歩きたいと多くの方々からお声がけを頂き感謝しておりますが、これは一人歩きで森の癒しを中心に書いた体験談が中心となっておりますので、地元の各種ハイキンググループなどをご紹介しています 



また阪急・箕面駅前には箕面観光案内所があり無料のハイキングマップもあり、相談にも乗ってもらえますのでぜひお出かけください

所属する日本森林保健学会や日本自然保護協会、大阪自然環境保全協会、NACS-J自然観察指導員会、シニア自然大学校、大阪文学学校はじめ各所の機関誌や情報誌でも取り上げて頂き、誌面やnetでご紹介頂きありがとうございます

地元FM局「タッキー816みのおFM」では人気番組「植田洋子とTer For Two」に出させて頂き、その後のお付き合いも続けて頂くなど大変感謝しております

また本を通じて小学校時代の旧友らとの交わり、高校、大学時代の学友との交わりが復活し、また新たに語り飲み交わせる交友関係が築けるとは何物にも勝る喜びでした🍻🤣

更に本を通じてその交わりからこの喜寿になっても新しい友を多く得ることができるなど想像もしなかっただけに、その奇跡的な展開に驚くとともにその交わりに感謝と幸せ感でいっぱいの毎日です☕️😂


 またこの2/25(金)から阪急阪神マーケテイングソリューションズが発行する TOKK(とっく)の3月号誌面にこの2冊の本の紹介をして頂き感謝です

阪急電車各駅はじめホテル、商業施設など京阪神600余カ所に30万部配布されるフリーペーパーだそうです ありがとうございます





余談ですが、3月下旬からまた江戸・街道歩き旅に出かけます

2月に歩き終えた江戸・薩摩街道の鹿児島・鶴丸城址(薩摩藩)から徳川家康の眠る日光東照宮まで、すでに区切りで119日間 2,941㎞   404万歩を歩き終えたので、これからは東北の奥州街道  歩き旅です 終着の北海道・松前城址(松前藩)迄はまだかなり江戸街道を歩かねばなりません😂 

だが喜寿の青春賦 楽しい生きがいのある放浪歩き旅で幸せです🤣
これもいつの日か BOOK化 できればいいなぁ と夢見ています

出版本の感謝と御礼を申し上げます
今後ともどうぞよろしくお願い致します  頑爺Ganjii


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冬の終わり

2022年02月25日 | 冬・喜寿の青春賦 日記!
2月25日 (金) -1/8℃ 
冬の終わり

今朝は  -1℃  と寒い朝🥶❄️ 
思わず吉永小百合の唄う懐かしい・・・
北風吹きぬく~ 寒い朝に~ なんて唄ってみる🤣 

だがもうすぐ暦の上でも冬から春へ 
千里南公園をいつものように散歩しながら季節の営みを肌で感じる

梅の花を撮ろうとスマホカメラを構えたとき、私も撮って‼️  とばかりにジョウビタキが一羽飛んできて目の前の枝に止る
やー ありがとう




飛び立たぬうちにと早速パシャリ だが一眼レフと違いうまくピントが合わずに撮れないが、撮り終わるまでじっと待っていてくれた 
春が来るね ありがとう

今日も多くの野鳥観察の人々が上を見上げていた 

あと一月もすれば公園の桜が咲き、桜並木が楽しみ それまでにこのきれいな梅の花を撮って残しておこう









園芸クラブのボランティアの皆さんが、公園の花を植え替えていた 
ご苦労様です🌸🌷🌼 
いつもありがとうございます



故郷・安曇野を想う道祖神もある

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江戸・奥

2022年02月25日 | 江戸・奥州街道歩き旅(奥州道中・仙台道)宇都宮ー福島―仙台
3月26日 (  )  
 11/19℃ (栃木県宇都宮市伝馬町)
(1日目)  奥州街道 (奥州道中)
*(起点地の日本橋から宇都宮宿までは日光街道と同じなので省略する)
宇都宮宿ー白沢宿 

宇都宮(うつのみや)宿⑰ー日光街道追分ー高札場跡ー朝日坂ー宇都宮城址ー琴平神社ーおしどり塚ー清巌寺ー八坂神社ー鳥山道追分ー宝蓮院ー首切り地蔵ー馬頭観音ー感恩報徳碑ー日吉神社―桜並木ー稚児坂ー白沢地蔵堂ー旅籠高砂屋跡ー白髭神社ー番所跡ー宇加地本陣跡ー白沢(しらさわ)宿⑱  
番号は江戸日本橋からの宿場通し番号)
 
奥州街道・奥州道中は江戸日本橋から宇都宮を経て白河宿までの江戸幕府直轄道だった(日本橋から宇都宮宿までは日光街道と同じ道)

今回は日光街道で歩き終えた宇都宮宿から奥州道中の白河宿までと、その以北の福島、仙台宿までの奥州街道・仙台道を3週間で歩く予定

だが春の嵐や積雪状況、体調により安全第一で途中撤退も覚悟しながら進むつもり  さあ出発!!

今朝 1番の新幹線で大阪から宇都宮に入った  考えてみれば新大阪駅から宇都宮駅までは3時間33分で到着  だが歩けば大阪から東海道38日、日光街道・宇都宮迄5日で約43日(1032時間)もかかったが、この近代文明のハイテク時代に、一歩一歩自分の足で歩いてここまでとは超アナログだが、逆に超贅沢な旅だと思う

日光街道で宇都宮宿近辺は歩いたので1日目は次の奥州道中・白沢宿を目指す
いつもの如く数日は足の訓練や体の調整の為 少ない距離を歩く事にして調子をみる 日頃事前の訓練をしないナマケモノのグータラなのでいつも歩きながらの訓練だ トホホ!

宇都宮



初日を歩いてみて

ここから

(1日目) 26.2㎞ 3.59万


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駅ホームのクスノキ

2022年02月23日 | 冬・喜寿の青春賦 日記!
2月23日 (水) 0/8℃ 
駅ホームのクスノキ

先日「クスノキがプラットホームと屋根を貫く全国でも珍しい駅がある」と聞いた

以下は京阪電車・萱島駅から



京都に行った帰り、久しぶりに京阪電車で大阪に戻る途中 その京阪・萱島(かやしま)駅で下車した
京阪乗る人 おけいはん のCMで有名


電車からホームに降りた途端、目の前にホームをくりぬいて下からクスノキが屋根もくりぬいて青々と茂っているのでびっくりした

ホームから1階の改札口に下り外に出てみた すると高架の下にお社があり萱島神社があった 





その横にクスノキが鎮座していた 
樹高約20m、幹回り約7m、樹齢約700年とあった 
700年もここに立ち続け、栄枯盛衰の歴史を眺めてきたのかと思うと感慨深いものがある





クスノキは巨木になり、歩き旅でも各地で御神木扱いの大きなクスノキを見てきた
ちなみに1番大きいのは鹿児島県姶良(あいら)市蒲生町の蒲生八幡神社にある大クスノキは、高さ30m、樹齢1500年と言うからすごい長寿だ 

高々77年生きてきただけで偉そうなことを言っているが、同じ所に1500年も立ち続けるなんて想像もできない 何思い生きているかな? 知りたいものだ😂

まだ行っていないが屋久島の縄文杉は樹齢8000年以上もあるというから キリストや釈迦が生まれる遥か前から生きていることを思えば 何故か自然と頭が下がる

話は飛んでしまったが、この萱島駅舎を繰り抜いてまでして守る地域住民の熱意を感じつつ帰路についた 

あのクスノキはあと何百年あそこで立っているのかな? じっとしておれない放浪爺には想像できないな トホホ🤣



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撮り鉄の気持ち

2022年02月22日 | 冬・喜寿の青春賦 日記!
2月26日 (土) 2/15℃  
撮り鉄の気持ち

私は撮り鉄でも乗り鉄でも鉄ちゃんでもないが、子供の頃から汽車や電車を見るのは好きだった

信州・安曇野にいた子供の頃は、まだ蒸気機関車の最盛期で、あのモクモクと煙を上げて疾走する勇姿は今も心に焼き付いている

国鉄・大糸南線の豊科駅と国鉄・篠ノ井線 田沢駅の間に住んでいたのでの両方とも連れて行ってもらった
蒸気機関車の機関士、運転手になりたいと初めて思った子供の夢❤️

先日 岸和田へ3回目のコロナワクチンを終えて講演会に走ったことを書いたが、南海電車・天下茶屋駅 (てんがちゃや) で乗り換えホームに立つと南海電車が誇る関西国際空港へ向かうラピートが入ってきた😆




しばらくして特急こうや も入ってきた 思わずどちらもスマホでシャッターを切ったが、改めてこの年になっても列車が好きなんだなぁ と回顧した 
撮り鉄の気持ちがわかる😂


マナー違反の撮り鉄の記事を目にするようになったが、歩き旅でも踏切の中に入りカメラを構えている人なども時々見てきたが、それは絶対にダメだよ

次に興味を持ったのは歩き旅をするようになって、足元のマンホールの蓋が各市によってデザインが違うことに気づき、いつも足元の写真を撮ってきた👌

南千里駅を出発するときに1枚


南海電車・春木駅 (岸和田市) に着き、講演会場へ急いでいるときに1枚





電車もマンホール蓋も、また美しい風景写真もその時だけで整理した事はないが、歩けなくなったときの楽しみに残しておこうかな🤣  

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近代文学者の母

2022年02月21日 | 冬・喜寿の青春賦 日記!
2月21日 (月) 0/8℃  
近代文学者の母

先週、3回目のワクチン接種を受けた直後、急いで聞きたかった岸和田の講演会場へ電車で向かった

大阪も北から南までは結構時間がかかるが冷たい雨の中 ギリギリ到着した👌

興味のない人には なんだ⁉️ と言う話かもしれないが、近代文学者を生んだ母たち「我を生まし足乳根の母」物語の著者・中塚鞠子さんの話を聞きたかったのだ





レジメには樋口一葉、石川啄木、谷崎潤一郎、室生犀星、小林多喜二、林芙美子、堀辰雄、高見順、井上靖、椎名麟三、斎藤茂吉、萩原朔太郎、小野十三郎、中原中也、その他20名の近代文学者と母親との話があった

人はだれでも母がいるが、母と子の関係、結びつきはそれぞれに違うものの、愚かな母、賢い母、どうしようもない母親でも子供にとっては切っても切れない絆 

そこに母がいたからこそ詩人や作家たちは一人一人がもがきながら過酷な運命を引き受け、苦しみ葛藤の中からそれぞれの形で文学作品に昇華させていったと 

その一人ひとりの原点が母親にあったことに深く胸をつかれたのが、私の興味のある所だった

母親の影響が子供に、そしてその後の人生に大きな影響を及ぼすことを今回改めて認識し、そして自分の人生を回顧した

だが不思議と父親の影響はごく少ないことも知り、影が薄いのか? 動物社会の生態を見ても同じだなぁ  と苦笑してしまった😭

著者は著名な詩人、エッセイストであり大阪文学学校のチューター(講師)でもあるが、既に引退されたものの薬剤師として公的機関で幅広く活躍されてきた方だけに、着眼点が面白くとても参考になった

今度生まれてくる時は女性として生まれてきたいと男性から聞いたが、女性から逆の声も聞いた 
だが70%は女性は女性に、男性は男性にまた生まれてきたいと願うそうだ

私⁉️   もちろん男がいい  です😂🤣


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歩きこぼし(160日目)

2022年02月19日 | 江戸・山陽 西国街道56次歩き旅(京都・羅城門から九州・小倉へ)
2月19日 (土)  2/9℃  
歩きこぼしを歩く

(160日目)
江戸・歴史街道歩き旅で鹿児島・鶴丸城址、薩摩藩から徳川家康が眠る日光東照宮までの歩いた道のりを検証していたら、歩きこぼしがあることを発見😭 追加して160日目を歩く。

以下の写真は今日の京都・東寺から


初めて街道歩きをした2年前の1月、東海道五十三次は京都の三條大橋からだった そこまでは出発地の大阪・箕面から高麗橋へ そこから京街道4次を歩き着いていた
(後の東海道57次)





その年 今度は山陽・西国街道を起点地の京都・東寺の羅城門から出発し九州へ歩きだした

一昨年、1日目この東寺から歩きだした西国街道だが、九州まで果たして歩けるか不安だったことを思い出す 





発見した歩きこぼしはこの京都・三條大橋と東寺・羅城門の間が抜けているのだ😂





今まで2回バスに乗りその区間を後日に歩いたが、1回目は東海道の鈴鹿峠越えで朝からの豪雨と霧のため宿舎から鈴鹿峠山麓まで地域のコミュニティーバスに乗せてもらったが後日にしっかりと歩いた





もう一回は同じ東海道の箱根峠越えで突然の雨と風、次いでドカ雪で山道がわからなくなり遭難を覚悟した時、奇跡的に箱根峠の宿舎に着いたが、翌日の山下りは積もった雪で危険だからと宿の主人に言われ、箱根湯本まで開通したバスに乗ったが、この間も雪が解けた3日後にしっかり歩き終えた







こうして自分の足で途切れることなく日本列島を歩いてきたことを思い、わずかな区間であっても歩きこぼしはごまかせない



悪友らからは時たま、誰も見てない一人歩き旅なのでバスに乗ったりしてるんだろう🤣 とからかわれるが、この歩き旅はいつも自分との戦い もう1人の自分が空からしっかりと管理し見届けているから誤魔化すことなど考えた事は無い






と言うことで前置きが長くなったが、これも記録しておかないとすぐに忘れるからね😂

京都・東寺駅前に着き東寺へ向かう


まだ2年前のことだが、よく鹿児島から日光まで歩いたものだと自分のダックスの短い足や膝腰肩身体とさらに薄くなったハゲ頭にも触り撫でながら ありがとう と感謝した😂🤣



ここまで今日の京都・東寺の境内から

東寺を散策後、目的地の京都・三條大橋へ向かう
途中 梅小路公園を通り梅林をみる ここには京都鉄道博物館や京都水族館、野外ステージなどある広い公園だ













 
龍谷大学・大宮キャンパス前を通る


興正寺前を通る






京都は古い町並みとモダンな街が混在する




東本願寺前を通る









 
女性の厄除けの神様とか




五条大橋に着く










川端通りをすすむ


鴨川には鳥たちが憩う




鴨川の水べり刻む青春賦 












三条大橋に到着






街道筋で多くみられる高札場跡




池田屋事件の時の刀傷とされている




三条大橋の袂にある東海道中膝栗毛の弥次・喜多コンビの像
旧東海道五十三次の西の起点地だ


2年前の1月、ここから東海道五十三次の歩き旅に出発した あれから先日の鹿児島・鶴丸城址から日光東照宮までこれで途切れることなく 2.954㎞を歩いたことになり我ながら驚く 

参勤交代などで江戸から地元へ帰藩する大名行列や旅人もここで一休みし、大坂を避けて山崎街道、西国街道、山陽道を経て帰る


(160日目)
歩き残し区間は13.71km   18.308歩だった
 
これを加えたここまでの累計歩数は
2.954km 406.3万歩 となった

日本列島縦断の江戸街道歩き旅は終着地、北海道の松前藩までまだ68%の途中だが、この喜寿の放浪青春旅を楽しみたい


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戦時下の新聞

2022年02月17日 | 冬・喜寿の青春賦 日記!
2月17日 (木)  -1/6℃  
戦時下の新聞

題名とかけ離れるが、先月 喜寿の誕生日に近くに住む子供達家族と蟹🦀三昧の会食をして豪華に祝って貰いとても嬉しかった😂

以下の写真は千里南公園から
老夫婦の温かいベンチ


アメリカの長男家族・孫娘らからも祝いのメッセージを貰い嬉しかった💝😂
孫息子家族の曽孫二人 天使の笑顔が何とも愛らしく幸せだ💕


 
少し前まで考えられない有り難い感謝と幸せな一日を過ごした



喜寿になるが、心温まるプレゼントをもらった中に息子らから桐箱に入った自分の名前入りラベルのお酒とともに自分の誕生した日の新聞がコピーされ入っていた



わー 自分の生まれた日の新聞がこんな形で残っているのかと驚いたのだが、その全国紙の紙面を見たとたん一瞬  嘘ばかりだ! と叫んでしまった 

なぜなら生まれた頃 あの太平洋戦争の終戦半年前の戦況は惨憺たるもので、日本軍は各地で敗走を続けていた  
生まれ故郷の田舎まで誤爆かどうか分からないが米軍機による爆弾が落とされ、沖縄を始め守るべき日本の国土は敵に好きなようにされていたではないか

それなのに新聞記事には「敵損害千機に上らん モロタイ敵基地の連襲戦果」「我潜艦ルソン西方出撃 戦艦一隻撃沈した」「重慶軍七箇師攻勢」「セレベス激撃戦 十機を撃墜」「狙う太平洋廻廊」「ペリリュー島 我将兵斬込み敢闘」「狙う南方圏完封」等など耳障りの良い戦果ばかり その他諸々戦時下とは言え、軍寄りのマスコミ報道には疑問だらけだ

戦争末期の戦時下で生まれた身として、戦地の父や叔父たちは戦場との乖離に、母親は心配と不安の中でどんな気持ちでこの戦況紙面を見ていたのかと思うと涙が出る 

敗戦後の日本のどん底の生活局面を経験してきた両親、その中で自分は守られ育ち今日まで戦争のない77年間を生きてきた

先人らの尊い犠牲の上に今の平和があることを思えば、今日からまた1日1日を大切に生きていかねばと心に誓う喜寿であった

77年前 生まれた日の新聞
他紙も同じような内容だときいた

当時の新聞紙面を見ながら今の平和な日本を誇りに思う



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三度目の春

2022年02月14日 | 冬・喜寿の青春賦 日記!
2月14日(月)3/12℃  
三度目の春

南千里を終の住処と定めて三度目の春を迎えた
久しぶりに前の千里南公園を散歩

公園の梅林に行くと花が咲き春の訪れを実感する






暖かい早春の日差しを浴びて各々が思い思いの姿で芽吹きを楽しむ

鯉釣り場でノンビリと釣り糸を垂れている人
 



芝生広場ではテントを張り子供たちが元気に遊ぶ





公園をランニングする人たち


野鳥観察をする人たち


公園のカフェで食事やお茶を楽しむ人


鳥籠を梅の花に近づけている人がいた やがて鳥が鳴いた 鳥も家族の一員でお花見なんだなと思い心が温かくなった

いつもと変わらぬ自然と四季の移り変わり 人々の営みにホッとしつつ小一時間 2~3㎞の散歩を楽しむ 

歩き旅の 1/10 程の距離でも目的が違うと別の楽しみがあるものだ😂


今夜は近くに住む息子が 薩摩街道完歩 に旨い酒とアテを持って乾杯に来てくれるという🍻🍶 有難いこと
感謝と幸せな一日😂

今週は人間ドックの予定に内科、歯科、眼科など定期検査もあり体調管理をしてもらう これも有難いことで次へのステップに繋がる😆
  
洗濯機を3回回しベランダも家の中も洗濯ものばかりだ トホホ🤣  
次いで部屋の清掃片付け、20鉢以上に増えた観葉植物の手入れ、旅の整理にアフターケアなど数日はバタバタと過ごした  

だがここしばらくはまあよく眠ること!😴
それまで5~6時起きだったのに10時過ぎに起床 ちょっと寝過ぎだぞ🤣 トホホ! 

と言いつつも疲れた体をしばし休める  これも至福を感じるひと時  束縛のない自分の時間があり ありがとう の一言だ😂


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江戸・薩摩街道歩き旅 雑感

2022年02月12日 | 江戸・豊前 薩摩街道21次歩き旅(福岡・松崎ー熊本ー鹿児島)
2月12日(土) 0/13℃ 
江戸・薩摩街道歩き旅 雑感



薩摩街道歩き旅を終えてここ数日はまたぐうたらの怠け者状態でトドみたいだなと自分の姿を笑う🤣
いつも自分の性分をいやと言うほど思い知らされる時だな😂 


目的や目標を持つとそれに向かって懸命に努力しようとするが、それが達成できるとまた見たくない自分に戻る ヤダネ😭


どっちが本来の自分なのか? 
どっちも自分なのだが、以前 貴方は生き急いでいる と言われたことがあるが最近はそうなのかもしれないと思う


生死を体験してきた (脳硬膜化血腫であと30分遅かったら死んでいたと)   それ以来生かされた命 1日1日をより大切に生きようとしている 今 天に召されても後悔のないようにと生きているつもりだ


青春時代のやり残しはいっぱい残っているが、自分の体力、知力、能力に人間力などを省みれば当然限界もある  今できる範囲の中で無邪気と言われても喜寿の青春を精一杯  夢を追いかける


今回の薩摩街道は一昨年1月 75歳の幸期幸齢者を記念して初めて東海道を大阪・京都から東京・千葉まで歩いたのをきっかけに、その後 京都から九州・大里宿への山陽・西国街道を歩き、次いで福岡・小倉から長崎街道を長崎・出島まで、更に東京・日本橋から東照宮までの日光街道を歩き、そして喜寿となった今回 長崎街道の山家宿から分岐する豊前街道、薩摩街道を歩いた 




これで鹿児島の薩摩藩から日光の家康の眠る東照宮まで途切れることなく江戸街道を歩き通したこととなる


と言っても忠実に江戸時代の街道を歩けるわけもなく、現代の国道や整備された道も併用しながら概ね歴史街道を歩いてきた
その街道にある史跡、石碑、時代の表示物や城郭、江戸時代からある神社仏閣に歴史的建造物などを巡り歩いた




それら歴史的な遺物は半分が国内の (日本人同士による))紛争、戦さ、戦争に関わるものが多くあり、現代日本の今からは想像もできない悲惨で残忍な殺し合いの悲劇史跡のようだった 


日清、日露、大東亜戦争のように他国との戦争犠牲者の墓碑も多くみたが、それ以前の江戸時代の戦いの歴史とそれに関わる史跡を多く見てきて、今この日本の平和社会を奇跡的な安定期間だと実感してきた 




特に数日前に見た鹿児島・鶴丸城址に残る最後の内戦、西南戦争での史実を見るたびになぜ なぜとその悲惨な戦いに涙が込み上げた 


敗戦を重ね最後に立てこもる西郷隆盛率いる薩摩軍300余名に対し、山縣有朋大将率いる政府軍4万人の大軍が容赦なく打ち込む弾丸の跡を見て触りながら、それまでに数万人の血が流れた幾多の同じ日本人の国内戦争を回顧し無性に悲しくて涙が幾度も流れた 




歴史街道は今まで知らなかった先人の苦労と尊い血の上に築かれた日本国家であることを教えてくれる





江戸・歴史街道歩き旅 行程

1⃣ 東海道57次歩き旅
      (2020 年1月~ 75歳)
(大阪・箕面市ー高麗橋ー京街道4次ー京都・三条大橋ー東海道53次ー東京・日本橋ー千葉・浦安)
延べ 38日間  916.2㎞ 124.1万歩

2⃣ 山陽・西国街道56次歩き旅
       (2020年6月~)
(京都・羅城門ー山崎街道ー西国街道ー山陽道ー九州・大里宿ー小倉)
延べ 38日間 936.0km 131.0万歩

3⃣ 長崎街道24次歩き旅
   (2021年10月~ 76歳)
(福岡小倉・常盤橋ー佐賀ー長崎・出島)
延べ 15日間 352.2㎞ 48.0万歩

4⃣ 日光街道21次歩き旅
   (2021年11月〜)
(東京・日本橋ー宇都宮ー鉢石ー東照宮)
延べ 9日間 243.4㎞ 33.2万歩

5⃣ 豊前・薩摩街道21次歩き旅
  (2022年1月~ 77歳)
(長崎街道・山家宿から分岐 豊前街道ー熊本城址ー薩摩街道ー鹿児島城址)
延べ 19日間 492.5㎞ 68.2万歩


ここまで歩いた累計
延べ 119日間 2.941km 404万歩
(鹿児島・薩摩藩から家康の日光・東照宮まで繋がる)
 1日平均@24.7㎞ @3.4万歩


*次回の予定 
6⃣ 奥州道中27次歩き旅(予定)
(2022年 3/26~ 6⃣7⃣)
(日本橋ー(日光街道と同じ道)ー宇都宮宿から白河宿 江戸幕府直轄道)
  延べ 6日間 約150㎞

7⃣ 奥州街道・仙台道42次歩き旅 (予定)
(6⃣に続く~)
(白河宿―福島ー仙台 ここから各藩所轄道)
  延べ 12日間 約290㎞

8⃣ 奥州街道・盛岡道22次歩き旅(予定)
(仙台宿ー盛岡宿)6⃣7⃣完歩の後
  延べ 13日間 約290㎞

9⃣ 奥州街道・松前道23次歩き旅(予定)
(盛岡ー青森・三厩ー北海道・松前宿ー五稜郭ー箱館奉行所跡ー北の終着地)
  延べ 25日間 約580㎞ 8⃣を完歩の後

<日本列島縦断 江戸歴史街道歩き旅>
  進捗状況 2/10現在 65%  / 4500km

余談だが、1月に笑い絵の教室で初めて教えてもらった  ありがとう  の文字を早速泊まるホテルのスタッフにチェックアウトの時やベットメーキングをして部屋の掃除をしてくれるハウスキーパーへ渡したり置いてきた 

一宿一飯の感謝と有難さの心を示すために上手下手はさておき気持ちを伝えたかっただけ 数分で書ける簡単なもの

だが皆さん驚き  やがて笑顔いっぱいに見送りしてくれるフロントやスタッフの皆さんの気持ちがとても嬉しい 
自分がまたその笑顔で温かい心を受け取り  ありがとう  の一言がこんなにも人にも自分にも感謝と幸せを与えてくれるものとは実感で知り驚くとともに嬉しい😂 

しかし もう少し上手く描かないとな  練習します  トホホ😅 





そして最後になりましたが温かいコメントをいただいた皆様、ブログを見ていただいた皆様に心から感謝と御礼を申し上げます。
毎日の大きな励みになりました。 
ありがとうございました。




コメント (5)
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江戸・薩摩街道歩き旅(19)完歩

2022年02月10日 | 江戸・豊前 薩摩街道21次歩き旅(福岡・松崎ー熊本ー鹿児島)
2月8日(火)
 2/8℃(鹿児島市上谷口町)
(19日目)
広木ー㉒鹿児島宿ー鶴丸城址
水上坂ー阿弥陀井戸ー常盤町ー日枝神社ー薩英戦争本陣跡ー西郷隆盛祖先之墓ー甲突川・西田橋ー鹿児島市内ー大中寺ー宝暦治水の薩摩義士の墓ーザビエル記念公園ー鹿児島カテドラル・ザビエル教会ー中央公園ー医学院跡碑ー照国神社ー造士館跡ー演武館跡ー鹿児島県里程元標ー小松帯刀銅像ー西南戦争官軍本営跡碑ー鹿児島宿ー下町札辻跡(市役所別館P前)ゴール地点(薩摩街道起点地)

今日はいよいよ最終日 薩摩街道の起点地に到着する予定 といっても文献や資料によれば終着地はまちまちなのでその一つ鹿児島城趾(鶴丸城址)と下町札辻跡(現在の鹿児島市役所別館地)を目指す

最終日の窓写真は鹿児島城(鶴丸城跡)と西郷隆盛像




最終日は昨日歩き終えた広木駅前から出発  朝から本降りの雨 無人駅だが通学生が多くホームにいた






雨の日は国道を避けて街道や地道を歩くルートを変更して元気に出発する






ここはバイパスを通らねばならぬが歩道があり助かる









トンネルを出ると通勤の自動車ラッシュだ

遠くに? こんなところにお城? 地元の人に聞くとあれは民間企業のビルとか 紛らわしいが建てた人は殿様気分だね😆 




鹿児島駅に近づくとさつま揚げの店が多い


鹿児島中央駅に着く

史跡・西田橋へ向かう



この西田橋で検問する当時の写真 西田橋関とある(写真下)






公園のトイレを拝借するとこんな紙が

ここは薩摩義士の墓所




随所に桜島噴煙灰の集積場がある

街の銭湯

キリスト教伝来の地 ザビエル記念公園









カテドラル・ザビエル教会




照国神社



西郷隆盛銅像前に着く



眺めていたらボランティアガイドの方が色々と教えて下さった







遂に鹿児島城址(鶴丸城跡)に歩き着いた







日本最後の内戦 西南戦争の跡 立てこもる薩摩軍300名、対する政府軍40,000名、銃弾が容赦なく打ち込まれた跡が残る





旧制第7高等学校 (現鹿児島大学) 学徒像



篤姫(天璋院篤姫)銅像

近くの西郷隆盛終焉の地を訪れる


神になった薩摩義士墓標






天を敬い人を愛する 敬天愛人 は西郷隆盛(号南洲)が学問の目的を述べた語 
旧国鉄トンネルの上に書かれている

西郷隆盛 最後の司令部 5日間潜んだ洞窟跡



城山に立てこもった当時の薩軍



城山に上り桜島を望む あいにくのお天気だが微かに噴煙を見る








ハイキングロードを下る







イギリス人医師ウィリアム・ウィリスと日本人初の医学博士・高木兼寛








薩摩街道起点地・下町札辻跡に到着する
(鹿児島市役所別館)
ここに何か表示物が欲しいものだ




鹿児島市のマンホール蓋は格好がいい


遂に19日間の薩摩街道を歩き終えた 
感無量だ  周辺を散策する 
撮り鉄になり鹿児島市電を撮る








 
お寺の掲示板から
〜人もまた・・・

港に出てみる 桜島へのフェリーが出港










再び雨風に海が荒れ桜島も見えない




夕方には晴れ間も出て夕日が差してきた


ここで薩摩街道歩き旅を終える




(19日目)
  21.21㎞    (492.51㎞)
  29.699歩 (682.812歩) 


江戸・薩摩街道歩き旅
(長崎街道・山家宿分岐点より豊前街道を経て薩摩街道・鹿児島城 起点地迄)

  延べ 19日間
累計距離 492.5㎞  
     (1日平均 26km)
累計歩数 68.2万歩
    (日平均   3.6万歩) 

この間皆様に応援を頂き、また温かいコメントもいただき お一人お一人に心から感謝と御礼を申し上げます。

お陰様でとても励みになり 毎日元気に歩くことができました。
また皆様のブログへもお邪魔させていただきます。
本当にありがとうございました。
              頑爺



コメント (7)
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江戸・薩摩街道歩き旅(18)

2022年02月09日 | 江戸・豊前 薩摩街道21次歩き旅(福岡・松崎ー熊本ー鹿児島)
2月7日(月)
 2/8℃(鹿児島県日置市東市来町)
(18日目)
東市来ー㉑伊集院宿ー広木
東市来ー東市来総合運動公園ー馬頭神ー鶴白寺ー鶴丸城跡ー春日神社ーザビエル像ー護国神社ー薩摩焼の郷・美山ー沈寿官屋敷ー神之川ー大渡橋記念碑(西郷隆盛刻)ー小峯之尾陣営跡ー一宇治城跡城山ー永平橋記念碑(西郷隆盛刻)-妙円寺街道ー長松川・清藤橋ーザビエル歴史街道・ヤジロウの墓ー五本松茶屋跡ー伊集院宿ー島津義弘公騎馬像ー上伊集院ー広木

今日の窓写真はさて?


今朝のホテルモーニングサービスが小鉢入りなのでテーブルいっぱいに広がる 体調も良くいつもの通りしっかりと朝食をいただく


今日まで18日間休みなしで歩いてきたが、これも朝食がしっかり取れるからだと思う

昨日歩き終えた東市来駅前に7.40に着き今日の歩き旅を出発する










もうすぐスギ花粉の季節で歩けなく辛い

大きなバイパスを通るが当然昔はこんなものは無いので? 橋の下には旧道が見えた
当時は船場があり舟渡りだろうな








ここは薩摩焼きの里













こんにちわ お元気で!










この道幅が街道 東海道や中山道など幕府
直轄の五街道は道幅が決まっている








ザビエル会見の地




一宇治城址を見る









街道から少し離れた所に防空壕跡をみる
日本国土が空爆されてたなんて信じられないな






史跡を見ながら山を下る




















どうやら街道筋を一つ間違えたようだが戻れないので進む またドジ😂







九州自動車道の下のお地蔵さま 何思う?





鹿児島市内に入るが山の中








山や峠を上り下りして汗だく



山の中に邸宅 昔の庄屋かな?





汗だくでまた一つ峠を越えると あれ?
GPSでみるとやはり煙をはく桜島だ
とうとう鹿児島に来たんだ 感無量😭







ここは星ケ峯と言うらしがバスは1日2本だ



火山灰の集積場があるんだな





広木駅前に着き今日はここまでとした
鹿児島中央駅の次の駅なのに無人駅だ
店もなく山の中だが、周辺には住宅地が広がっている


昨夜iPhoneが故障? ブログがUPできずにいたが、今朝息子から容量オーバーでダウンしそうだったので勝手に補充手配しておいたよと遠隔操作してくれたらしい 
専門家ならではの補完体制に有り難く感謝😂

先日も家の留守状況をチェックしてLINEで送ってくれたが、その時に寒い寒いと連発してたらその先にたこ焼き屋があるよとのアドバイス 天の上から丸見えでGPSでフォローしてくれているので安心だが🤣

息子ながら彼がサポートしてくれなければ今回の歩き旅も到底歩けてないなぁとありがたいこと😂 ビールが好きなので晩酌に鹿児島から酒のつまみをたくさん送ってやろう🍻

ついでに千葉に住む孫夫婦とひ孫2人にも何か美味しいものを送ってやろう🎁😆
お土産も送れる子供家族、孫家族に曽孫たちまでいてくれて嬉しく有り難く 感謝と幸せでいっぱいだ😂



* 今日は城址の階段を200段以上上ったのにiPhoneの階段カウントはいつもちがうな??

(18日目)
  27.8㎞   (471.3㎞)
  38.563歩(653.113歩)


コメント (1)
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江戸・薩摩街道歩き旅(17)

2022年02月07日 | 江戸・豊前 薩摩街道21次歩き旅(福岡・松崎ー熊本ー鹿児島)
2月6日(日)
3/7℃ (鹿児島県薩摩川内市木場茶屋)
(17日目) 
木場茶屋ー⑳串木野宿ー東市来
木場茶屋ーいちき串木野市・表示板ー芹ヶ野川沿いー矢張橋ー御駕籠茶屋跡山下家(木場原御茶屋跡)ー芹ヶ野公民館ー旭初等小学校跡石碑ー北口屋橋ー金山集落ー十里塚ー五反田川ー針原公園ー星越坂ー薩摩焼発祥の地碑ー八房公民館ー八房川ー八房神社ー川口番所跡ーいちき串木野市役所ー串木野宿ー西村寺ー浜田酒蔵ー白石酒蔵ー市来ー崎野の思案橋跡ー中原治水溝跡ー堀公民館ー東市来

今朝は凛とした冷たい空気 顔を突き刺すような冷たさ 
故郷・信州安曇野の朝を想い 身が引き締まる好きな朝だ


ホテルのモーニングサービスをしっかりといただき、準備をして出発


昨日歩き終えた木場茶屋に7.40に着きスタートする 四方を山に囲まれた無人の駅前からやっと太陽が昇る






鹿児島に入ってからは出発前に鹿児島県地域振興局からわざわざご丁寧なお手紙とともに6部からなる「薩摩の古道・薩摩街道出水筋歩行マップ」送って頂き、その詳しいマップを参考に歩いている

今朝も1番からそのマップに従い山を登る
しかしこれが昔の街道なのかなぁ? だがGoogle マップと交互に利用しながら進む










やがてブッシュで行き止まり 本来ならここを藪漕ぎしながら進むのだろうが一旦引き返す


南国らしいヤシの木が並ぶ国道に出る
すぐに いちき串木野市 に入る





ここからまた街道へ入る 山の間から朝日が顔を出す






街道から県道や国道また街道へとマップは江戸時代の薩摩街道を忠実にたどる






ここにも創立142年の小学校があった




横を鹿児島本線が走る



随所に薩摩街道出水筋の表示があるので歩きやすい



九州自動車道が走るが昔の人が見たらびっくりだろうなぁ



近くに鉱山があったようだ







冷たい風が吹き寒いが季節は少しずつ春へ向かっていることを肌で感じる













随所で見る海抜表示とともに原子力発電所からの距離が表示されている













さつま焼きの里

神村学園の大きな校舎群が立ち並ぶ






急に横殴りの強い風が吹く 左右の竹やぶからは竹と竹があたりカンカンギシギシと、ついで杉林からはギーギーと木々が擦れ合い異様な音が響き不気味だ


風が止むとまた青空が見える




ここから思い込み、勘違いから道を間違えてかなり遠回りをしたみたいだ😭











おかしいな? なぜ鹿児島本線が?
ここで間違いに気づきGPSで位置を確認



薩摩街道へ戻る途中で古い城跡を見つける
何もない所だがかつてここに城があったと






日置市に入る また強風に草木がなびく



温泉街だ







お寺の言葉にうなずく



早春の街道は季節を肌で感じる



今日の予定地 東市来に到着 周辺には何もなく予約したホテルへ向かう
だが列車は出たばかり😭 また1時間20分ほど待つ間が寒くて凍える🥶



今日は小雪に小雨、かと思うと快晴の繰り返しだったが、終日強い冷たい風が吹き荒れた
早めに目的地に着いたので予約したホテルに5時前に入る 

好きなブルーグラス音楽と毎週聴く大阪の箕面FM「植田洋子とTea For Two」を聴き逃したので再放送をインターネットラジオで聴きながら熱い風呂に入り冷たい体を温める😂
今週は関西から新潟の十日町へ移住したアーチストの方がゲスト 10年若ければ挑戦したかったような夢物語だ 
1時間楽しく聴いたがちょっと風呂が長すぎたな🤣 だがゆっくりと疲れがとれた👌



(17日目)
  27.4km   (443.5㎞)
  38.801歩   (614.550歩)


 
コメント (2)
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江戸・薩摩街道歩き旅(16)

2022年02月06日 | 江戸・豊前 薩摩街道21次歩き旅(福岡・松崎ー熊本ー鹿児島)
2月5日(土)
2/6℃(鹿児島県薩摩川内市湯田)
(16日目) 
薩摩高城ー⑲川内宿ー木場茶屋
薩摩高城(さつまたき)ー一条坂(薩摩軍が敗れた戦場跡)ー一条神社ー高城青年学校跡ー四牧自治会館ー鳥居と招魂碑ーさつま街道跡ー高城町役場跡ー中麦石塔群ー妙徳寺ー陽成尋常高等学校跡石碑ーヒレキ神社ー一戦川橋ー耳切峠ー西郷どんの腰掛石ー梶蔵坂ー西郷どんの手水鉢ー高城郷の野町跡ー祇園神社跡ー川内川ー薩摩川内宿ー平佐川ー福昌禅寺(島津家の菩提寺)ー南方神社ー隈之城川ー坪塚公園ー木場茶屋(こばんちゃや)

今日の窓写真は川内宿の満開の桜から

水引小学校の桜




今朝もホテルのモーニングサービスをしっかりと食べる 満腹満足🤣


荒天の予報に覚悟して出発
TVとネット情報から今日の鹿児島は冬への逆戻りの寒さに雨雪嵐とか

朝方 昨日歩き終えた薩摩高城(たき)に着くと景色が一転 海は荒れて波高く冷たい強風、更に雪混じりの雨に写真も撮れず 




こんな日に再び難関の薩摩街道山岳コースを歩くのは危険だと判断 国道(酷道)に戻り峠を越えるが、ここも別の意味で危険だ





雨の国道は大型車が通るたびに風であおられてとても傘は役に立たない 巻き上げられた雨水が容赦なく体をたたくので歩き旅の難関だ

ところが2時間ほど歩くと急に空が明るくなり風も止み薄日が差してきた これなら行けるかなぁと再び街道へ上る  
















ところが天気が急変 雪混じりの雨風が強くなり空は暗くなってとてもこの状況で山道は無理だと再び判断

歩き旅では今まで東海道の箱根峠越え、西国街道の岡山の峠越えで朝は良いお天気が山道で急変 雨の後ドカ雪となり山道が消えて迷子になったが、GPSも一面の雪でどこだかわからなく遭難を覚悟したことがある

今日はその二の舞を回避せねばならぬと断念 できるだけ国道を避けて近辺の田舎道をつなぎつないで目的地へ向かう



外来種ジャンボタニシの救世主が鯉とは知らなかったなぁ



時折強い粉雪混じりの冷たい雨が降る





小学校の壁に川内川あらしの写真があったがこれはすごい





できるだけ国道を避けるとなるととんでもない所へ出くわすがそれも面白い









今日はまだ昨日のみかんが残っている



やっと薩摩街道と合流したようだ
















お天気が回復青空も見えてきた















この川内川の工事に当時18歳の西郷隆盛が参加してたとか



この地のマンホールデザインはユニークだ




















薩摩街道の標識を見るとほっとする




薩摩街道を行く



冷たい風に日頃しない手袋を出す ネックウォーマーがありがたい そういえばホッカイロを持ってきているのに1回も使っていないな 余り好きでなく年に一回使う位か








今日の目的地 木場茶屋(こばんちゃや)に着く 急に雨小雪風と嵐になる 小屋のような無人駅だが囲いがあり何とか雨風はしのげるがオープンなので寒く冷たい🥶🥶


駅の前になぜかたこ焼き屋があった 早速14個600円(高い)の大阪たこ焼きと缶コーヒーを買い求め寒いが駅舎で食べる
大阪人には残念な味😭



1時間20分待って体が芯から冷える頃やっと列車が来る 外は冷たい強風が吹く


いつも思うがこの陸橋を渡って列車に乗るのに老人や足の悪い人大きな荷物を持った人などはちょっときつくて不便だな


今日は予定の木場茶屋までとした
思えば昨日のあの快晴の海と今日の嵐の日の風景とを思えば、人との出会いと同じく自然界との出会いもまさに一期一会だと実感する その時その時の何気ない風景や自然の営みを大切に記憶し心に留めたい

予約したホテルへ入り熱い湯船に冷たい体を温めた あー 幸せだなぁ❤️



(16日目)
  30.63㎞  (416.1㎞)
  42.159歩(575.749歩)  

コメント (1)
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