幸喜幸齢 生きがい 日記!       

八十路の青春賦 人生の黄金期を自分らしく あるがままに生きる幸喜幸齢者 感謝と幸せの生きがい日記 頑爺/肇&K

日本列島縦断・江戸歴史街道歩き旅 完歩&雑感

2022年06月25日 | 江戸・奥州街道歩き旅(松前道)盛岡ー青森・三厩ー北海道・松前)
6月24日(金)17/20℃ 
日本列島縦断・江戸歴史街道
歩き旅 完歩&雑感

6/24 北海道・函館にて記載

今回歩き終えた津軽半島と龍飛岬





今回の奥州街道・松前道は盛岡宿から
延16日間、449.36㎞ 612.597歩 
1日平均28km  3.8万歩程 
(半日や雨の日など含む) だった。







これで念願の  
日本列島縦断  江戸歴史街道  歩き旅
を完歩 終着です。
* (江戸時代の参勤交代制度で、最南の鹿児島薩摩藩から最北の蝦夷地(北海道)・松前藩までの江戸街道を縦断し歩いてきた)
達成感でいっぱいだが、もう終わりかという淋しさと、充実感、感謝を噛み締め乍ら心は静かなのがなぜか不思議⁉️

75歳の幸期幸齢者になったのを機会に、初めて江戸・東海道57次を  (大坂城から江戸城まで) 又40年ほど過ごした (大阪・箕面から千葉・浦安まで曾孫訪ねて三百里) とのテーマを掲げ、区切り38日間で歩き通して少し自信をつけた。

それ以来、山陽・西国街道、長崎街道、日光街道、薩摩街道、奥州道中、奥州街道・仙台道、盛岡道、そして今回の松前道と順に歩き、鹿児島・薩摩藩から北海道・松前藩まで一本で繋ぎ江戸街道を完歩できた。







<喜寿の青春賦> と街道を一人歩き続けてきたが、まさか鹿児島から函館までの江戸歴史街道を歩けるとは思わなかった。
(学生時代の目標はただ日本列島を縦断し歩くだけの目的で、最南端は鹿児島の佐多岬から最北の北海道・宗谷岬までだった 当時まだ沖縄は米軍の管理下にあった頃だ)

延べ区切り
159日間 4091㎞ 561万歩ほどで完歩できたことは大きな自分の人生の自信となった。

真冬は積雪のない時を選び、真夏の炎天下を歩くのは危険だと避け、また今 自然大学校や文学学校、川柳会などの活動もあり、失礼ながらその合間をぬって区切りながら歩いてきたので、75歳の1月から77歳の6月まで2年5ヶ月もかかってしまったが、青春の夢を今 喜寿の青春 で達成できて幸せだ。

自分の足の一歩はたった70㎝ほどだが、560万歩歩けば歩き旅目標を達成できることも学んだ。 

いろいろあった159日間だったが、ダックスに似た短い足で、足、膝、腰、肩に出腹 半呆け気味のハゲ頭まで一体となってよく頑張ってくれた🤣 我身乍ら感謝でいっぱい🙏🤣







一歩を踏み出すのは勇気もいるし、人はいろんなしがらみの中でその決断は並大抵でないと思う。

幸か不幸か自分は古希を過ぎて独り身となり、「お父さんの人生だから思い切って最後に悔いのない人生を過ごしたらいい」と息子たち家族の応援をもらい、心置きなく自分らしくあるがままに、しかも自由に生き生きと過ごすことができた。









何と言う素晴らしい人生なのだろうかと、感謝と幸せに嬉し涙が溢れる日々だった。

歩きながら人生を振り返り、いろいろと心配や迷惑を掛けてきた人々を想った。 

未熟な自分を恥じ入る事ばかりだが、家庭にも家族にもまた自分の器を越えて会社を経営してきたことも、人間関係や社会生活においても関係する人々にただただ 
 <ごめんなさい> と悔いる事ばかりだ











生まれて今日までいろんなことがあった人生だが、子供の頃から今日に至る迄、全てに関わった人々を想い、またその一人一人のお陰で今の自分があることを知り、その感謝に肩を震わせむせび泣いた事が何度かあった。 

有り難い人生だったと、歩きながら人生回顧の日々を過ごす事ができた。





北海道・松前宿から前方に青森・三厩宿が見える幅19.5kmの津軽海峡だが公海だという



北海道 (蝦夷地) 松前藩から函館・五稜郭  箱館奉行所跡前を以って鹿児島・薩摩藩からの日本列島縦断江戸街道歩き旅を完歩とする

今日の函館は朝から土砂降り☔️
せっかくの休日なのでゆっくり寝ようと目覚ましを8時にセットしたのに、いつもと同じ5時に目が覚めてしまった😵

今朝 函館のホテルモーニングは今までになく種類が多く驚く😵‍💫 
海の幸が満載だが、これ以上にまだ種類があるが食べられない😂 

美味しくおなか1杯に食べられることに感謝🙏 ありがたいことだ❤️
このボリュームを朝から完食できるのは我ながら驚きだが、それだけ歩き旅でエネルギーをつかってきたのだなぁと感心する

予定した函館山は雨のためやめて函館朝市などを楽しみ周辺を散策












 
ホテルから見る函館朝市も土砂降りの雨に人もまばらだ


今日は東京に戻り、明日から学友や先日誕生したばかりの3人目の天使 (曾孫)らと会い、また小学校の同級生らと会い来週  帰阪予定







感謝と幸せな日々に喜寿を生きて本当によかったと涙する😂 
ありがたい人生です❤️


多くの皆さまにご声援を頂き心より感謝と御礼を申し上げます。
歩き旅の途中、ブログコメントやmail、Line などで励ましを頂き歩く力になりました。

皆様お一人お一人にお返事ができず申し訳ございません。
本当にありがとうございました。

<喜寿の青春賦>  ももうすぐして 
<傘寿の青春賦> となりそうですが、次の目標を定め、自分らしくあるがままの自然体で、生き生きと最後の日が来るまで、生き甲斐を持ち続け日々を過ごしたく願っております。

改めて心からの感謝と共に御礼を申し上げます。
ありがとうございました。 
       頑爺  ganjii


記事が全て飛び修復できなかった
6月19日(13日目)⑧ を再生しました。


コメント (8)
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江戸・奥州街道 松前道(16)⑪

2022年06月24日 | 江戸・奥州街道歩き旅(松前道)盛岡ー青森・三厩ー北海道・松前)
6月22日(水)
 13/20℃(北海道上磯郡木古内)
(16日目)⑪ 奥州街道・松前道
木古内ー松前宿(終着地)ー函館
(五稜郭・箱館奉行所跡)
新青森ー(北海道新幹線・海峡線で青函トンネルを抜ける)ー木古内駅ー松前(三厩―松前間は江戸時代に松前藩が本土と行き来する航路があったが、今は民間航路もない)ー江戸時代の船着き場、松前福山波止場跡(青森・三厩港からの着港地)ー松前藩北前船繋留所跡ー道の駅・北前船松前ーうみかぜ(北前食堂)ー松前宿(118)ー城馬坂ー龍雲院の蝦夷霞桜ー松前城跡ー本丸御門ー御番所跡ー松前藩屋敷ー松前神社ー徳山大神宮ー大館跡(戦国時代の松前氏の本拠地か)ー光善寺(松前氏ゆかり寺)ー血脈桜ー松前藩屋敷跡ー松前桜資料館ー中川五郎治の碑ー専念寺ー旧松前線松前駅跡ー松前灯台ー弁天島ー木古内ー函館ー五稜郭・箱館奉行所跡ー(終着)



目的地の江戸最北の蝦夷地・北海道  松前藩・松前城に着いた

朝4時に起床、準備をして新青森から新幹線海峡線に乗り青函トンネルを抜ける





木古内(きこない)の海は朝靄で遠くが見えないが、時間とともに晴れてきた 
北海道新幹線最初の駅  木古内駅にて下車、この間  47分 あっという間に北海道    何だか味気ないね
木古内から松前へは函館バスが走る

江戸時代にはあの青森・三厩から小舟で渡った松前の港 松前福山波止場跡を最初に歩く 

既に桟橋などはなく土台をみる 
津軽海峡を挟み対岸の三厩の港や龍飛岬は霞んでいてよく見えない


松前藩の藩主・殿さまも参勤交代で江戸へ参上するときはここから舟に乗り本土へと渡り江戸へ向かったのだが感慨深い


当時ここから本土へ、また江戸からここ蝦夷地へ帰着した時の想いなどを偲ぶ

江戸時代最北の蝦夷地、松前藩の跡を探して歩く 最後の松前宿に入る








松前藩は稲作がなく石高なしの藩で異色だったが、北前船での北方交易の拠点として栄え、蝦夷地と更に北方への警備の前線拠点として機能していた  

遠隔地のため松前藩の参勤交代は3年、後に5年ごとに江戸に出ればよいという特例があった。

松前城(福山城ともいう)は慶長11年(1606年)に完成し、城下は海を見下ろし、そのすぐ近くに商人町や飲食街・遊女町があり、武家屋敷の多くが台地上にあるという異色の造りだったようだ


















元々アイヌの人々の大地だったアイヌ・モシリだが、和人から蝦夷地(えぞち)と呼ばれ、和人に横暴な侵略を繰り返されてついに  <北海道>  と名付けられ日本国に併合されたのは明治2年の事だったという。

現在ロシアによるウクライナ侵略戦争に見られるように、人類史はいずこも同じか、武力による侵略の歴史と言っていいほどで考えさせられる

松前藩の屋敷が再現されていたが、京都の映画村のようにリアルで江戸時代にタイムスリップしたみたいだ









































白神岬から

当初は目標を歩き終えた後、松前から函館まで約6日間(歩き148㎞)で歩く予定でいたが、北海道警察や行政からの情報で一部熊の出没情報があり、熊の糞情報も多く、しかもこの間には宿泊施設もなにもなく、バスも一日数本しかないとのこと

もしもの時の避難場所がないとの事で自粛するようにとの事だったので既に目的は達成したので断念した

松前からまたバスで木古内へ
木古内から北海道新幹線で新函館北斗駅で函館へ出た
道南地図左下の◎が松前城跡、そこから歩く予定だった函館までの道には赤丸を含め何度もヒグマが出没しているようだ 
(昨年の情報だが、年々増えていると言う)

その後、函館の五稜郭・箱館奉行所跡へ向かい終着とする

箱館(現 函館)五稜郭は箱館の5.6里四方を直轄地とした江戸幕府が、蝦夷地経営と対外関係処理や海防のため、新たに建設し直した箱館奉行所が置かれた城郭


マンホールのデザインも面白い




五稜郭に入る





最終地の江戸・箱館奉行所跡に着いた




箱館奉行所のある五稜郭は、外国船からの砲撃を避けるため海岸から2.5㎞ほど内陸に移され、元治元年(1864年)に完成
フランスの築城法を真似た星型の特異形から五稜郭と呼ばれた 
戊辰戦争終結の地となったことでも有名だ








旅の終りは何となく淋しいものだ
だがこの達成感と充実感は感謝だ

この間、応援して頂いた多くの皆様に心から感謝とお礼を申し上げます 
本当にありがとうございました



(16日目)⑪
     20.31㎞ 27.830歩
 累計 449.36㎞ 612.597歩
 
 松前道  @一日平均値(延べ16日間
  半日、雨など含む)
       28.1 km   38.287歩

函館の街の広告板から きっと! 


コメント (5)
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江戸・奥州街道 松前道(15)⑩

2022年06月22日 | 江戸・奥州街道歩き旅(松前道)盛岡ー青森・三厩ー北海道・松前)
6月21日(火)
15/23℃(青森県東津軽郡外ヶ浜三厩)
(15日目) ⑩ 奥州街道・松前道  
三厩宿(奥州街道三厩道起点地)ー龍飛岬
三厩川ー義経寺ー厩石(まやいし)ー厩石公園ー義経海浜公園ー龍馬山義経寺ー三厩本陣跡(三厩村役場前)ー三厩(みんまや)宿(116)-三厩神明宮ー脇本陣跡ー本陣跡(廻船問屋・山田家跡)ー松前街道終点の碑ー源義経と静御前の渡道之地の碑ー小泊ー階段国道ー太宰治記念碑ー吉田松陰詩碑ー川上三太郎川柳碑ー龍飛岬(灯台)



津軽海峡を望む津軽半島最北の龍飛岬 (たっぴみさき)に歩き着いた

昨夜の旅館が三厩宿の中だったので朝再び周辺を散策する 
旅館の朝食を済ませ7時半に出発
大正時代の古い旅館で、設備もレトロだが女将さんや旅館の人の温かさが旅人を和ませてくれる 

まして学生時代に夢見た歩き旅では、この前を通り龍飛岬へ行く予定があり、59年前だから逆算すると女将さんがまだ中学生の頃だと笑った

さあもうすぐだ 元気に出発‼️








江戸時代、今別湊も三厩湊も北前船の寄港地であり、木材積み出し港で蝦夷地(北海道)と行き来する拠点の一つだったという また町奉行所や御山奉行所も置かれたという

旅館の部屋に感謝のありがとうを置く






三厩港は松前藩主や幕府巡見使が津軽海峡を渡る時の港だったとか
奥州街道松前道・三厩道はこの三厩宿が終着



 
とうとう夢にまで見た三厩(みんまや)の港に着いたが、感慨に耽る間もなく津軽半島突端の龍飛岬(たっぴみさき)へ歩く 

以下 歩いた順に記憶写真を羅列






おはようございます カモメが舞う









おはようございます それはなんですか?
「&/a#だ」わからなかったが見たらウニだ
そういえば旅館の女将さんがもう1日泊まってくれと言っていたが、なぜと聞いたら、今日からウニが解禁で漁場へ船が出る日だからぜひ食べていってくれと言われたが残念 住民の人たちはその採ったウニの殻を割っていたようだ









村村には神社があるものの、いずれも高台のためお年寄りは大変だ

フレンドリーなワンチャンだった







三厩中学校が山の上にあった













今日は快晴で暑い1日、だが浜風が涼しいので歩きやすい





津軽半島はまだ八重桜が咲き、サツキが咲き、これからは紫陽花が咲くよーだ











海水のきれいなこと





前からよろけるようにして1人のおばあさんが杖をついてやってくる 
おはようございます  大丈夫ですか?
「暑いねー ああ疲れたよ ここで一休みするかな」
それから長い間おしゃべりを楽しんだ

なんでも隣村の人でこの村に用事があって出かけてきた と 
ところでおいくつですか? 
「来年90だわ  長く生き過ぎたな」 
おしゃべりの後で 写真を撮らせてください と聞くと恥ずかしそうに、「もう何十年も撮ったことがないわ」と 
どうぞお元気で‼️







この岩場に咲くゆりの花が気になる




これだけ見ているとまるで西部劇のアパッチが出てきそうな岩場だ










太宰治の文学碑を見る








棟方志功や太宰治などが投宿した旅館 
今は観光案内所として利用されている







 
日本で唯一の車の通れない階段國道を経て数々の碑文をみたあ後とうとう龍飛岬灯台に着く


キツイ階段だった 道を尋ねたのをきっかけに若い人と話をする 鉄道が好きで今回は有給休暇をもらっての旅だと言う なんと大阪の人だった 楽しい話をありがとう






こんな高い所に龍飛中学校(廃校)があった

これも車が走れない国道339号線


龍飛灯台に着く 津軽海峡を望む
ここは国際航路で以前中国やロシアの艦隊(軍艦)が通り防衛省が緊張したところだという

まさに青い空と青い海 最高のロケーションだ うっすらと対岸の北海道・松前が見える   松前藩の殿様は参勤交代で江戸へ向かうのにこの海峡を往復した


ここに吉田松陰の詩碑や川柳碑、戦争時の砲台跡などがあった
















津軽海峡冬景色(石川さゆり)碑 突然のメロディーに驚くが、やはり現地で聞くと情感があるね



対岸の江戸期最北の蝦夷地(北海道)松前藩の港を遠望する


江戸と蝦夷地を歩く旅人や幕府の役人、武士、軍団などはこの海路を往復していたが、青函トンネルができ、また新幹線が通ることなど夢にも想像しなかったことだろう




江戸時代の三厩ー松前間の航路は今はなく船で渡れないが、明日は北海道新幹線で青森からー青函トンネルを通り、北海道の最初の駅  木古内(きこない)へ渡り、最北蝦夷地最後の松前藩・松前城跡を訪れる
 
鹿児島の薩摩藩・鶴丸城跡から途切れることなく歩いた江戸時代の日本列島縦断・江戸歴史街道の歩き旅は松前藩・松前城址で終える
  
その後 函館の五稜郭(箱館奉行所跡)を経て完歩となる

目的地の龍飛岬まで歩き終えたので、ここからは地域のコミュニティーバスと津軽線に乗り青森へ戻り明日の準備をする
龍飛岬公園の売店のおばさんと話をしていたらバスに乗り遅れるところだった😵













今まで歩いてきた道を随所に見ながら青森に着くと、今年のねぶた祭りは開催するとのことで活気がある
駅前のレストランでランチとする
ひとまずお疲れさん‼️ と体に乾杯




いよいよ明日で最後かと思うと寂しい気持ちと、達成感でいっぱいの気持ちと交差し複雑だな🤣
(龍飛岬を11時半で終えミニバスに乗ったので今日は半日扱いだ)




(14日目)⑩半日
    15.9㎞  21.939歩

 累計 429.36㎞ 584.767歩
コメント (2)
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江戸・奥州街道 松前道(14)⑨

2022年06月21日 | 江戸・奥州街道歩き旅(松前道)盛岡ー青森・三厩ー北海道・松前)
6月20日(月)
16/24℃(青森県東津軽郡外ヶ浜町)
(14日目)⑨奥州街道・松前道  
大平--今別宿--三厩宿
大平s--外ヶ浜町おぐにふるさと体験館ーやまなみラインー蟹田小国品吉ーR12ー稲荷神社ー大山ふるさと資料館ー大平山元遺跡ー津軽中山ラインーR14ー今別川ー上股川ー与次郎沢ー津軽二股s(奥津軽いまべつs)ーいまべつ総合体育館ー荒馬の里資料館ーR14-大川平岩木山神社ー今別sー今別(いまべつ)宿(115)ー三厩宿(116)

義経寺境内 幸福の鐘

昨日は蟹田宿平館宿から今別宿までの街道海ルートを歩く予定で宿泊場を調べていたが、コロナ禍で廃業や休業で全く探せず、途中で日暮れとなると野宿しかねず、平館宿をパスし別の山ルートで山中を経て今別宿を目指した

だが予想外の大雨に津軽線・大平(おおだい )駅迄歩き電車に乗り、三厩の予約した旅館にも地域のコミュニティーバスに乗せてもらった 
地元の人でもこんな土砂降りは珍しいと言う程の猛烈な雨

今日は一転快晴 昨日の電車、コミュニティーバスの区間を歩き旅なので遡って歩かねばならぬ

と言うことで遡り大平駅に着いたのは8時半、この電車の次は12時半で4時間後なので慌てた 乗る人もなく降りたのも1人の畑の中の無人駅だ

今日も元気に出発‼️
山中を経る山ルートに果たして辿り着けるか少し不安だ

以下 歩いた順に記憶写真を羅列

津軽線大平駅 乗る人はなくて1人降りた
昨日土砂降りの中たどり着いた駅だが助かった













竜飛岬の文字が出てきた 車で33kmなら歩き旅はその1.6倍、52.8kmほど 今日と明日で何とか到着できそうだ






















クマ出没注意の表示版が随所にある
昨夜泊まった女将さんの話では熊の糞が随所にあり注意警報が出ていたとか 
広い道路で歩きやすいが歩く人はなく、車もたまに通る位だ

















北海道新幹線・奥津軽いまべつ駅  山の中の畑の中にある感じだ



道路脇をタヌキが歩いている













今別宿に入る















































三厩の港に着く


山上の義経寺へ上る





















三厩石公園











ついに到着 松前街道終点地碑だ

三厩宿に入る











(14日目)⑨
     32.55㎞ 43.980歩
 累計 413.46㎞ 562.828歩

コメント (1)
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江戸・奥州街道 松前道(13)⑧

2022年06月20日 | 江戸・奥州街道歩き旅(松前道)盛岡ー青森・三厩ー北海道・松前)
6月19日(日)
 16/24 ℃(青森県東津軽郡蓬田村)
(13日目)⑧奥州街道・松前道 
蓬田宿ー蟹田宿ー中小国
郷沢sー蓬田(よもぎた)宿(112)ー正法院(松前藩主の休憩所跡)ー蓬田村役場ー汐越ー宮本ー郷沢ー玉松台公園・海岸ー日露戦争戦没者墓地ーたままつ海の情報館ー百万遍供養塔ー百万遍供養石碑ー瀬辺地(せひじ)天満宮ー広瀬橋(広瀬川)ー田中吉兵衛庭園(ニシン御殿)ー外ヶ浜町(蟹田、平舘、三厩村が合併)ー蟹田八幡宮ー滝沢ー丑ヶ沢ー蟹田湊ー蟹田(かにた)宿(113)ー蟹田児童公園(津軽藩蟹田奉行所跡)ー蟹田町商工会館一帯)ー外ヶ浜役場ー平舘宿はパス(114)ー蟹田小国山崎ー中小国(なかおぐに)ー大平s

魚の顔をした面白い橋 蓬田宿にて 川の向こうは陸奥湾


ホテルでの朝食を済ませる 
今日も元気な食欲だ!


部屋にはいつものように簡単だがお礼の印を残し片付けて出発!


昨日歩き終えた郷沢の無人駅に7.50着 
すぐに歩き始める






周りは畑ばかりで人を見かけない 
勿論  駅前に店も自販機一台もない






ようやく人を見かけたと思ったらキャンプをしている青年たちだった
おはようさんです! キャンプですか?
「オジィサンは?」 私は歩き旅です (それからいつもの説明に興味を持って話が広がる・・・) 
「僕もそんな旅がしたかったんですよ」 別の仲間が「そんならオジサンの人生にワープしてお前と交換してもらえよ」 
いいね! 私は50も若返ったらさて何からしようかな?
「ちょっと待ってくださいよ それなら僕はウチの爺さんと同じやないですか やっぱりやめときます😭 」 
そうか残念やったな😃  元気で! 
「おじいさんも気をつけて!!」

あれ!? 無意識に返事してたがお爺さんとは失礼な😠  だがやっぱり爺さんなんだな😱 😂 





魚の顔? をした面白い橋がかかる 橋の向こうは陸奥湾だ
















何故か人を全く見かけないゴーストタウンだが!?


ここにもキャンプをしている青年たちがいた 学生時代、学生YMCAにいたことがあり、キャンプが懐かしい😆
おはようさんです! 
「おはようございます どちらへ行かれるのですか?」 話が長くなるのでこの先の蟹田までにしておいた 
「雨のようですね 気をつけて!」 
ありがとう 君たちも青春を謳歌してね









 
再び海岸沿いの街道を進むが、江戸時代はもっと海岸に沿っていたようだ 
海が浸食されているようだ



あの海の人たちはまさかこの密漁じゃないだろうな?


かつての北朝鮮からのように外国からの密入国が時々あるようだが、この状態では見つからなければ安易に上陸できそうだ






歩いていてよく思うが、この硬いアスファルトの下からどうやってこの柔らかい植物が芽を出すのか不思議だ!? 博士教えてくれ~


蟹田宿に入る






父子で釣りをする人がいた 今日は「父の日」なんだな

そう言えばアメリカに住む長男からそのメールがあったし、大阪の留守を見てくれている息子からはお父さんへのプレゼントを家の冷蔵庫に入れておいたよ とのメールあり  どちらも有難くて涙が零れる ありがとう ありがとう




急に空が暗くなりまた雨が降り始めた








スコールのような激しい雨に近くの無人の蟹田駅のホームにてしばし雨宿り

雨が上がり外へ出ると すぐ前に蟹田の町奉行所跡があった







お寺の山門にある言葉にいつも頷く











これは昔お寺の住職さんの作品とか ちょっと迫力に欠けるかな?









 
いよいよ龍飛岬の標示が見えてきた


ホタテ貝の漁具が至る所に置いてあるので虫が飛び交う





この上に太宰治の碑があるようだが雨が急に降ったりやんだりで忘れてしまった







龍飛岬まで車で42㎞か 歩き道はx1.6=67㎞ほどあるな あと2.3日だ









雨上がりの道を進むと田んぼに何か動物が? よく見るとサルたちだ
冬になれば北限のサルとしてよく紹介されるが、温暖化でますます北上しているようだ 農作物を荒らすので嫌われ者だが、猿も生きねばと大変だ




 
おはようございます!
「ああ おはようございます」 
お二人で草抜きを黙々とされていたが、クマよけと言うラジオからハワイアンが流れていた




急にまた雨だ しかも今度はかなり本格的な大雨だ お寺の屋根の下で靴カバーをつける  前回買った靴カバーは丈夫だが重たいので、先日100均で100円で二足分(4足)を買いリュックに入れていたので使う

















100均だが使い捨ての靴カバーで十分だ


前を北海道新幹線が猛スピードで走り去る




今日は稲光と何度かビックリするような大雨が繰り返されるので予定を縮め、近くの無人駅から三厩(みんまや)へでて旅館を予約する 泊まる所があってよかった










トイレも風呂も共用で苦手な和室だが寝れるだけ有難い 外はまた激しい雨 
雨音が煩く屋根を叩く

 
食堂で夕食を頂く 周りに食べる所などなく頼んでおいてよかった
お風呂は小さいが冷えた体をヒノキ風呂で温まった まだ雨 早めに寝る









(13日目)⑧
      21.49㎞  29.219歩

 累計  380.91㎞  518.848歩

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江戸・奥州街道 松前道(12)⑦

2022年06月19日 | 江戸・奥州街道歩き旅(松前道)盛岡ー青森・三厩ー北海道・松前)
6月18日(土)
 15/28℃(青森県青森市柳川)
(12日目)⑦ 奥州街道・松前道 
青森宿ー油川宿ー蓬田宿
青森宿(110)ー青森森林博物館ー沖舘橋ー第一臨海橋ー小浜公園ー新田ー新城川ー大浜橋ー外ヶ浜道(松前藩主の江戸参勤交代時に使用、津軽藩兵や蝦夷地<北海道>との行き来に使用道)ー油川城址ー浄満寺(天明飢饉千人塚)新井田橋ーイタリア館跡地ー油川(あぶらかわ)宿(111)ージュセップ・ファブリーの墓(輸出用イワシ缶詰工場建設)ー明誓寺ー油川神明館ー猿田彦大神ー浄満寺ー青森開港奉行・森山弥七郎供養塔ー餓死千人供養塔(当時、津軽藩周辺で10万人が餓死したとか)ー油川城主・奥瀬氏の墓碑ー羽州街道、松前街道合流の碑ー西田酒造(油川港番所跡)ー伝馬町ー油川熊野宮ー栗島神社ー保食神社ー西田沢小学校跡地ー津軽宮田ー奥内川ー六枚橋川ー黒松の大木(樹齢500年)ー尻八城址入り口ー後潟神社ー蓬田(よもぎた)宿(112)ー正法院(参勤交代時の松前藩主休憩所)ー郷沢s




青森・陸奥湾から


今朝 目覚ましを止めベットから起き上がると部屋が回っている⁉️😵‍💫
ふらつきながらやっとトイレへ
こりゃダメだ😩
全く食欲なし これもダメだ😱
さて今日はどうするかな⁉️

まあ途中でダメなら戻ろう と決めて支度を始める 
だが何か食べておかないと歩けない としぶしぶホテルの食堂へ 

食べられそうなものを少しずつ取り食べ始めたら、なんと次々とお腹に入るではないか😂
結局最後のコーヒーとクロワッサンまで今まで以上にしっかりと食べてしまった🤣 大丈夫だ👌😆

先ず 昨夕写真を撮れなかった善知鳥神社へ 再度  奥州街道終着地の碑を確認する   歩き着いたのだな😂
ここからは書物によれば三厩道とか外ヶ浜道とか呼称するらしい










以下 歩いた順に記録、記憶する

8月は青森ねぶた祭りだ
あちこちにポスターが貼られている

森林博物館の建物はレトロで、故郷の旧制松本高等学校の校舎に似ている















津軽海峡フェリー乗り場









ここにイタリア人がイワシ油漬缶詰工場の店を構えていたとは驚きだ









ここで奥州街道・松前街道が終点、羽州街道の起点地とあり、いよいよ歩き旅も終盤に入ったと実感😂
道路案内版に竜飛(岬)の文字も見る















カワウだが海に入るからウミウか

打ち上げられた流木が良いデザインに仕上がっている🤣









海辺に降りてみると、昆布や青さなど海藻類が目に入る

おじさんは釣り竿で石の間を突き、網でそれを採っているが何だろう?

昔の街道はもっと海辺沿いだったと













女優・山口もえの父親が経営する仏壇や社寺建築を手がける会社の青森工場とか 閉じていた






昇龍の黒松で樹齢500年とか 
江戸時代から街道を見てきたのだな








この村の屋根は伊達風で趣がある











村の道で小さな子供が三輪車に乗っていた
すると私の顔を見て「あっ おじいちゃん悪い子を、捕まえにきたの?」えっ 何のこと? いろいろとしゃべるが方言もあり意味不明? 坊やはいくつ? 3本の指を出す 「おじいちゃん歯が抜けたの? だって歯が光っているもの」鋭い観察眼😆
しばらくおしゃべりを楽しんだが、そういえば私の3人の曾孫の1番上はもう4歳だからこの子より大きいのか😵
しかし子供は正直だ この前までおじさんと呼ばれてたのに もう見た目からお爺さんなのだ トホホ😆


後潟駅前 何もないね









函館へ向かうヘェリーか








私は毎日沢山の豊かな幸せ収穫を得ているよ ありがたいね😂









今日は郷沢の村までとし、農家の人に郷沢駅を教えてもらった

明日ここからまた出発するが、ここまで来る時刻表を確認すれば6時、8時台に各1本、次は11時だと  3時間後となり要注意だ😵

近くに泊まる所はなく、予約した青森のホテルまで電車で30分ほど、この間疲れて眠ってしまった😪


 

(12日目)⑦
     31.03㎞ 41.434歩

 累計 359.42㎞ 489.629歩

コメント (1)
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江戸・奥州街道 松前道(11)⑥

2022年06月18日 | 江戸・奥州街道歩き旅(松前道)盛岡ー青森・三厩ー北海道・松前)
6月17日(金)
16/22℃(青森県東津軽郡平内町小湊)
(11日目)⑥奥州街道・松前道 
西平内ー野内宿―青森宿
西平内sー平内町役場ー小湊代官所跡(黒石津軽家領)ー大欅や黒松並木ー天明飢餓供養塔ー土屋御番所跡(領境警備)ー明治天皇御小休止所跡碑ー家ノ下集落ーほたて広場ーほたて貝祈願掛け所ーほたて供養塔ーほたて観音堂ーほたて大橋ー八大龍神宮ー奥州街道碑ー裸島対岸に東北大学浅虫海洋生物学研究センターー青い鳥鉄道浅虫温泉駅前ー竹久夢二文学碑ー旅館・柳の湯(弘前藩本陣跡)ー鍵懸坂ー浅虫温泉ーすず川番所跡(浅虫御本陣)ー善知鳥(うとうまい)崎山道(難所)ー陸奥護国寺ーー古戦場跡碑(奥州合戦のエピローグ)ー蛇塚漁師新田村発祥の地碑ー久栗坂ー観音寺ー錦木之塚ー諏訪神社ー川上神社野内(のうち)宿(109)浦島ー野内関所跡ー貴船川ー貴船神社ー野内関所跡(番所)ー当古寺ー野内川白鳥飛来地ー沢田橋(赤川)ー合浦(がっぽ)公園ー旭橋(堤川)ー青森宿(110)ー伊能忠敬顕彰碑ー青森県立郷土館ー札ノ辻ー棟方志功地ー青函連絡船・八甲田丸メモリアル--善知鳥神社ー弘前藩・外ヶ浜鎮守城址ー
奥州街道終点記念の碑

青森・陸奥湾を前に憩う人


今日は青森へ向かう
昨日はよく歩いたので疲れた  
ブログUPも午前様となったが、朝は5時になると目が覚める

気合で起きるが、この原動力は何なのかな⁉️   自分でもよくわからないが、毎日が感謝と幸せの日々なので、今日もそれを味わいたい🤣

ホテルでの朝食を食べ元気に出発
しっかり食べられるので大丈夫だ

昨日歩き終えた西平内に着き、すぐに出発‼️ 乗る人はなく降りたのは私1人

以下 いつものごとく記録、記憶写真を順に羅列




雪が多いだろうが、この屋根なら雪下ろしはしなくていいのかな?





畑の中にぽつんと観音さま

国道と奥州街道が並走し、しっかり歩道があるので歩きやすい👌



陸奥湾が見えてきた 感激!
ふと昨年 長崎湾が見えたときと同じ光景を思い出す






湾岸沿いにポツンと一軒家を望む
興味があり遠回りをして湾岸沿いにあるたった一軒の家を訪ねる







周囲に家がなく、前に無人の神社があったので、かつては集落があったと思われる


歩き旅に出ると自分の記念のお土産はいつもその土地の石ころ1つ
1つ1つの石ころを見るとその時の情景が思い出されるから不思議だ

ホタテの販売所を見つけた
留守宅の郵便物や植木の水やりなど見てくれている息子に早速送る









ついでにホタテランチを食べる🤣


















浅虫温泉街に入る

竹久夢二文学碑を見る 文通していた津軽の少女を尋ねたのだが、投宿した旅館が今も残る









善知鳥トンネルの横の奥州街道を歩こうとしたが、通行止め やむなくトンネル内を通る








少しずつ晴れてきて陸奥湾がきれいだ










野内宿へ向かう











ここで道を迷い石油プラントの敷地内に入ったらしく、テロ対策とかで警備員に怒られ何かと職務質問をされた やっと下り着いたのに再び上り汗がどっと出る😭



野内宿に入る





















青森市内に入る 
合浦西公園で一休み





高校生のカップル 青春だな😂
海辺の彼を見守る姿が愛だなぁ🤣

ここにもC11型の蒸気機関車を見る







棟方志功記念館に着く
閉館5分前で中に入れず😭



青函連絡船・八甲田丸のメモリアルパークへ 1度は乗ってみたかったな





















突然石川さゆりの津軽海峡が響き渡りびっくり こここで聞くと情感があるなー


ねぶた祭りのミュージアム



今日はホテルに着いてすぐにコインランドリーでの洗濯日だ 
だがホテルには二台しかなく順番待ちで結局終わったのは10時過ぎだった😭

バタバタして夕食もお忘れ、と言うより珍しく食欲もなく疲れたな😵‍💫😂
ありゃ 今日も寝る時間がない😭

だが、とうとう長かったが着いた
「奥州街道・終点記念の碑」地
だが、諸説学者の間でも見解が分かれているようで、この記念碑から三厩宿までとする説(外浜道)、更に船で蝦夷地の松前藩・松前宿までを取るとる説(松前道)などあり、私は当初より松前宿を最終の終着地としているので、更に明日も続けて歩く事にする


善知鳥神社鳥居右にある
奥州街道終点記念の碑 到着だ😂









(11日目)⑥
    33.42㎞ 45.383歩

 累計 328.39㎞ 448.195歩

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江戸・奥州街道 松前道(10)⑤

2022年06月17日 | 江戸・奥州街道歩き旅(松前道)盛岡ー青森・三厩ー北海道・松前)
6月16日(木)
 14/23℃(青森県上北郡野辺地町)
(10日目)⑤奥州街道・松前道
野辺地宿ー馬門宿ー小湊宿  
野辺地(のへじ)宿(106)ー愛宕公園ー天皇名馬・花鳥号銅像ー御膳水ー常光寺ー廻船問屋等商家軒ー野辺地八幡宮ー常夜灯公園ー遠見番所跡碑ー野辺地港ー北前弁才船みちのく丸(復元)ー野辺地橋ー野辺地戦争墓所ー馬門番所跡ー馬門(まかど)宿(107)津軽南部藩境塚ー高札場と馬門番所(復元)ー津軽藩・狩場沢番所跡ー熊野宮ー地蔵堂ー青い森鉄道(狩場沢駅)ー金比羅宮ー諏訪神社ー口広沢集落ー清水川集落ー清水川八幡宮ー雷電宮―白鳥飛来地・松島ー菅江真澄歌碑ー平内町民俗資料館ー黒石津軽領・平内代官所や武家屋敷跡ー津軽三味線・初代高橋竹山顕彰碑ー平内町役場(豪商・竹内与右衛門屋敷跡)ー小湊(こみなと)宿(108)ー西平内s

北前弁才船「みちのく丸」

今朝もホテルモーニングをしっかりと食べ元気に出発‼️

だがアクシデントの両足のケアに時間がかかり、昨日歩き終えた野辺地を出発したのはかなり遅くになってしまった

先ずは愛宕公園へ向かう
明治天皇の巡幸事に倒れた名馬「花鳥号」の銅像をみる










日本最北のエドヒガン桜とか
箕面の森にも多くあり春の名物だ


アーチの中に湧く「御膳水」
飲めるそうで飲んでみたら旨い!






街道に戻り常夜灯公園へ向かう
この常夜灯は日本最古のものだとか


(以下、個々の説明やエピソードその他は時間的に書ききれず後日に再編集する)












北前弁才船 (復元) が陸に固定されている 高校生の修学旅行か? 盛んに説明を受けていた















海を眺める恋人カラスかな? 
次生まれてくる時は白いカモメがいいね とか🤣





馬門宿へ向かう 天気が曇ったり晴れたり目まぐるしく変わる
久しぶりに見る海だ 





























ここで一休みしつつお昼にする






ここより昔は津軽藩の狩場沢番所で許可を得て通行できる 高台へ向かうが、ここより下町へ向かう数時間人一人出会わなかった 山中ではやはり熊が気になりガサガサすると緊張する😅






























ほたて貝殻の山だ



いまここを歩いている 赤印

























夕暮れとなり西平内までとした
昨日は電車を1時間40分ほど待ったが、今日は30分ほどで来たので予約したホテルの青森まで20数分で着いた

今日は昨日1200km程を歩き穴の開いた3代目の靴から2代目の靴に履きかえて快調に歩いた 







だがこの2代目とて既に1300kmを越えて歩いているが、初代の靴はすでに1500km程歩いてリタイヤしたので、最終目的地の蝦夷地までこの二代目の靴で完歩を目指す👌




(10日目)⑤
    37.27㎞  50.345歩
 累計 294.97㎞ 402.812歩

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江戸・奥州街道 松前道(9)④

2022年06月16日 | 江戸・奥州街道歩き旅(松前道)盛岡ー青森・三厩ー北海道・松前)
6月15日(水)
 10/22℃(青森県上北郡七戸町荒熊内)
(9日目)④奥州街道・松前道 
七戸宿ー野辺地宿
七戸町ー七戸(しちのへ)宿(105)ー2頭の馬の銅像ー青森県営農大学校ー奥州街道碑ー松並木ー(歴史国道)ー中野川ー上道(旅人や商人らが利用)・下道(松前藩の参勤や幕府巡検使等利用の公式街道)で野辺地へ続くー柳平ー尾山頭ー尾山茶屋跡ー日本中央の碑(歴史公園)ー七戸町中央公園ー熊野神社ー天間館ー正洞院ー大ケヤキ(樹齢370年)ー天間塚一里塚ー天間館橋ー蒼前平一里塚ー奥州本街道碑ー町立夫雑小学校跡地ー夫雑原一里塚ー長者久保集落ー坊ノ塚一里塚(奥州街道最北の一里塚)ー坊ノ塚遺跡ー新鳴子坂橋ー旧南部縦貫鉄道跡ー千曳小学校ー野辺地川(清水目川)ー上道下道合流地ー野辺地代官所址(盛岡藩の海の玄関口)ー野辺地代官所跡(町立歴史民俗資料館)ー野辺地八幡宮ー野辺地湊(常夜灯や水神社)ー旧野村家(廻船問屋を営む北前船主)町立図書館ー野辺地(のへじ)宿(106)



朝いつもの5時前に起床、睡眠時間は平均4.5時間と短いが不思議と元気👌🤣

朝食は定食、トイレを済ませ(トイレ付きの部屋でよかった🤣)
今日は昼過ぎから雨とのことで温泉の朝風呂もやめて早々に出発


今日は七戸宿から野辺地宿へ向かうが、街道は上道と下道と別れていてどちらも奥州街道らしい


一般の江戸旅人は近道で早い上道を行くそうだが、参勤交代時の殿様や侍は下道を通ったとか 結局  下道を行くことにしたがさて?





靴擦れした右足をかばいながら歩いていると左足までおかしくなってくるし、バランスが悪いのか膝や腰まで影響😭 
頑爺ガンバ‼️ ファイト🤣

この靴は西国街道の途中から約1200kmを共に歩いてきたので、北の大地まで歩きたかったが靴の踵内生地が擦り切れ、初めての靴擦れ😭

更に靴底も穴が空き、これも初の靴底から水が入るようになり、今日で次の靴と交代する トホホ😭 
安全に気持ちよく歩けありがとう🙏 
帰ったらきれいに洗い記念に置いておこう🤣

さて今日も元気に出発‼️
青森県営農大学校の皆さんが挨拶してくれた



牧場 (まきば) の朝 そんな歌があったが思いだせない?









野辺地、青森の行き先文字が見えた




七戸中央公園で一休み 広大な芝生公園に何故か海上自衛隊のヘリコプターが 海難事故の救難活動や離島の急患搬送なども担ったようだ









街道を進む















この奥州街道の下道はかつて江戸へ向かう参勤交代の大名行列などが通った道だと聞くが、全く何もない砂利道をこれから5km以上も歩くとは思わなかった😭








砂利道で足が異常に疲れる 一休みしつつ畦道に座り早めのランチ
 (店も自販機もなくコンビニでお昼を買っておいてよかった 朝いつも2リットルの水を買いリュックサックに入れ、重いが街道歩きは必需品)

コンビニのおにぎりやパンに飽きてくるととうもろこし🌽や焼き芋も旨い👌

やっと人に出会った こんにちは!




田んぼの疏水で発電とか すごいアイディアだな😵‍💫















たまに森に入ると心身ともに癒される たくさんの野鳥が鳴いている

熊笹を見て急にあたりを見回す😂
クマの出没情報を忘れていた😅



残念ながら閉まっていた







街道の史跡を巡る







また4kmほど国道と街道併走で歩道のない道を慎重に進む まだ雨が降ってなくよかった



お相撲さんの石像か?






青森に入って森林伐採による木材の搬出運搬車が頻繁に走る



野辺地に入る






むつ 恐山の文字に、遠くまで歩いてきたものだと感慨深い


野辺地川を渡ると小学生が元気に挨拶してくれた





野辺地宿に入る





野辺地代官所跡に着く 
隣は図書館と歴史資料館







 
放射能の線量計があり、あの震災と放射能漏れ事故を想う









野辺地宿周辺を歩き、青い森鉄道の野辺地駅に着いたので、今日はここまでとする





ホテルで熱い風呂に入り身体を癒す
靴擦れの足のケアを念入りに施す👌

いよいよ本州先端の街へやってきた
青森も後数日だ
夕食はおしゃれな店があり、久しぶりに黒生ビールを飲む 旨いな〜😂





(9日目)④
    30.28㎞ 41.291歩

 累計 257.7㎞ 352.467歩




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江戸・奥州街道 松前道(8)③

2022年06月15日 | 江戸・奥州街道歩き旅(松前道)盛岡ー青森・三厩ー北海道・松前)
6月14日(火)
 7/18℃(青森県十和田市稲生町)
(8日目)③奥州街道・松前道
藤島宿ー七戸宿  
稲生町ー藤島(ふじしま)宿(104)ー三本木稲荷神社ー元町神明宮ー大清水大明神ー土手山の大欅ー井戸頭ー洞内ー土手山神社(祭神はマーシー号という駿馬)ー真登地(まとじ)一里塚ー洞内城址ー法蓮寺ー法身塚ー砂土路川ー袈裟懸けの松ー北野ー黒松並木ー池ノ平一里塚ー高瀬川(七戸川)ー造り酒屋ー青岩寺(七戸城本丸山門移設)ー七戸町役場ー七戸城址(柏葉公園)ー盛岡藩七戸代官所跡ー旧七戸郵便局(国文財)ー天間館跡ー盛田庄兵衛ー七戸絵馬の里ー見町観音堂ー七戸町役場七戸支所ー道の駅しちのへー七戸(しちのへ)宿(105)



今朝の食事 (ホテルバイキング) はしっかりと摂ることができた 感謝🙏


ところで今日到着予定の東八甲田の宿を電話で予約する時に 「トイレ付にしますか? トイレなしにしますか? 素泊まりですか 食事は朝晩できますが」 と聞かれた😵‍💫 
なに? トイレのない部屋など困る 
「トイレなしは安いので」 とのこと😵
 
そんなことを聞かれたのは初めてだったが、この地も他に適当な宿が探せなかったので食事もお願いした
いったいどんな旅館なのだろうか?
 
聞けばどうやら地方の日帰り温泉に宿泊場があると言う感じだが、まあ寝る場所があるだけでもありがたいことだとお願いした😅

今日も元気に出発😆
朝は少し肌寒いので慌てて長袖の襟を下ろす😨 だが寒い方が歩き旅にはありがたい気候だ👌
(以下 歩いた順番に記憶、記録用に写真を羅列する)

三本木稲荷神社へ
十和田開拓の新渡戸1族集落の産土神とか




この人工水路・稲生川こそ新戸部傳が奥入瀬川から40キロに渡る大工事の末に完成させたもの 飢餓に苦しむ農民に生きる稲をと









神社の説明文を見て涙がこぼれた
東北に入り飢餓による供養塔をいくつも見てきたが、この地で数万人の民が亡くなり、死者の人肉さえ食べたとあり悲惨😰

それだけに水田に水を引く為、稲生川の開墾に生涯を捧げた新渡戸稲造の祖父、父親はすごい人だ 次は感謝の涙が流れた



地域バス停 この地は冬になれば豪雪地帯となるのか バスを待つ間も寒そうだ


奥州街道碑を確認

快晴の青空となる 雨も好きだがやはりこの青空にはかなわない









洞内城址に着く 
法蓮寺境内一帯が城址とか












馬洗川 城内や藩内に入る時、乗ってきた馬をきれいに洗い入るのかな?



















八甲田山系を望む まだ雪が残る

















上空を超音速の戦闘機が飛ぶ スマホカメラでは追いつかないが、米軍機か自衛隊機か不明だが、近くの三沢基地からの発着のようだ ゆっくり飛ぶ飛行機も軍用機のようだ ロシアのウクライナ侵攻を思えばやはりチカラによる抑止力しかないのかな?


気分一新、森の中に入ってみる







桑の木の実か? 蚕(かいこ)の餌となる桑の葉 安曇野の田舎でも植えていたが、その実がこれより大きくよく食べていた




この蛾は? また自然大学校の仲間に教えてもらおう😂









七戸宿に入る

















七戸城址に着く


















 
天王神社の石段を上る 年寄りには参拝も難しそうな地形だ😭







こんにちは! こんにちは!
ここまで階段を登られたのですか?
「ああ週に2.3回は来てるよ  神社の掃除もあるのでね」 仲良しばあさんとしばし話すが、恐れ入りました😵‍💫



今日はカッコーがよく鳴いている




森に入ると癒される マムシグサがあった



こんにちは! と遠くから子供の声
近くに小学校があるのかな 
元気な挨拶にうれしくなる



朝心配した旅館に着く 
小さくシンプルだが、やはり日帰りの温泉客が多く、その横に宿舎が併設 トイレ付きでよかった👌

部屋は畳でなくベッドにしてもらった
温泉場は天然かけ流しで水量も豊富 壁も床も真っ黒だがこれも天然だ😆

温泉は気持ちいい だが背中に総刺青の怖いおじさんが風呂場で洗っていたのでゆっくりと入っておれなかった😭

夕食は食堂で定食 ビールを頼んだら珍しく大瓶でなぜか懐かしい😂

 1日25km前後のゆっくりペースの歩き旅が楽だ



(8日目)③
    25.14㎞  35.485歩
 累計 227.42㎞ 311.176歩


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江戸奥州街道・松前道(7)②

2022年06月14日 | 江戸・奥州街道歩き旅(松前道)盛岡ー青森・三厩ー北海道・松前)
613日(月)
 11/17℃(青森県三戸郡五戸町下モ沢向)
(7日目)奥州街道・松前道
五戸宿ー伝法寺宿ー藤島宿
五戸宿(102)ー江渡屋(江戸時代後期の建築)ー稲荷神社(江戸中期の創建)ー明治天皇五戸行在所碑の立つ旧家(斗南藩仮藩庁宿舎)ー歴史未来パーク(盛岡藩五戸代官所復元)ー図書館付属展望塔(木村秀正博士記念コーナー)ー五戸橋ー菊駒酒造ー五戸高校ー根岸八幡宮ー十和田市ー伝法寺小学校跡地ー伝法寺宿(103)ー道の駅とわだー伝法寺館跡標柱ーダチョウ牧場ー御幸橋(奥入瀬川)ー藤島宿(104)ー奥入瀬川渡船場跡ー三本木台地ー稲生町(日本の道100選)ー旧陸軍軍馬補充部跡地ーアート広場ー太素公園--新渡戸稲造博士の墓

新渡戸稲造博士の墓にて


今朝は旅館を6時40分に出発
やっとコンビニを探してコーヒーと野菜ジュースと唐揚げ、サンドイッチで朝食😂 といってもコンビニ内では座るところもなく路上で座って食べる😅

やっとお腹が満たされたので、元気に出発だ👌😆

遠望の山は八甲田山かな?








五戸町立図書館前を通る
木村秀政博士の文字が 昨日は気がつかなかった 日本の航空機の設計者として有名











五戸館(城)跡





五戸橋を渡る 下を流れる五戸川は戸来岳を源流に八戸で太平洋に流入していると

この辺りに旧高札場があったようだ

菊駒酒蔵 老舗のようだ












以前見た江戸時代の公衆トイレに似ている



根岸八幡宮に着く





江戸時代に植えられたイチイの古木



横の木にリスを見る







歩き旅で最も気をつけないといけないのは、街道と国道が同じで歩道がないところを歩かねばならない時が危険だ



いよいよ十和田市に入る






十和田市に入り、十和田湖や奥入瀬渓流を期待していたが相当離れていて断念








伝法寺宿に入る





こんにちは! あーこんにちは
仲良しおばさんの笑顔が可愛かった



伝法寺館(城)跡








燐寸(マッチ)軸木の製造会社か?
確かにマッチ棒は木だが しばし眺める



野薔薇(ノイバラ)は静かで清楚なので好き



こんにちは!
雨の中☔️はダメなようだが?



藤島宿に入る





一時 横殴りの雨が降る



御幸橋に着く 明治天皇の巡幸に間に合わせた橋 それまでは渡し舟と



白鳥が舞う奥入瀬川を渡る






稲生町に入る



十和田市中央公園に入る





日本の道100選に選ばれたという官庁通り






アート広場 随所に面白いアートスペース













江戸時代の旅人が見たらさぞびっくり仰天



















十和田市民文化センター前には懐かしいデコイチ(D51)が 実際に走っていた蒸気汽関車が展示されている ワクワク🤣







その横手にある曹洞宗・澄月寺へ






太素塚に着く 新渡戸稲造博士と父親、祖父の3人の墓がある
































新渡戸稲造博士の本では、やはり「武士道」が好きだ

先月、盛岡でその生地を訪れたが、今回博士のその培われた精神とルーツを訪ねた 稲造の父親、祖父がこの地で多大な功績をあげていることを知る
 
新渡戸稲造博士は国際連盟の初代事務次長を務め、国際社会で日本の地位向上に努め国際間の懸け橋となった国際派の稀有な人だ 
その博士の功績を偲びつつ、その精神を培われた街を散策する 

歩き旅はその街道沿いに歴史を辿る様々な様子を垣間見ることができて嬉しい

朝昼はコンビニ、夜は一軒だけあったラーメン屋 この辺では店はあっても閉店状態? シャッター通りだ




今日の予約ホテルは朝食付なので明朝は大丈夫だ👌😆




(7日目)松前道②
     27.2㎞  37.654歩
 累計 202.28㎞ 275.691歩


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江戸・奥州街道 松前道(6)①

2022年06月13日 | 江戸・奥州街道歩き旅(松前道)盛岡ー青森・三厩ー北海道・松前)
6月12日 (日) 
13/19℃(青森県三戸郡南部町)
(6日目)①奥州街道・松前道
三戸宿ー五戸宿
諏訪の平ー三戸(さんのへ)宿(101)正寿寺集落ーー元木平ー南部町ー青い森鉄道ー長坂ー高山ー十和田山碑ー十和田神社ー高山駕籠立場跡ー高山展望台ー雨宮坂ー相内追分ー北向追分ー佐野坂ー水梨清水ー浅水(間宿)ー八幡神社ー浅水城址ー鳥内清水一里塚ー明治天皇八戸疑景天覧聖跡ー十海塚碑ー鞍越坂ー鳥内清水ー高屋敷分岐ー鳥内坂ー鳥内坂一里塚ーウツギ沢ーひよどり坂ー日本柳橋ー神明宮鳥居ー高雲寺ー江渡家住宅(重文財)ー五戸代官所跡(史跡公園)ー五戸川―五戸(ごのへ)宿(102)

日本列島縦断  江戸歴史街道  歩き旅
もいよいよ終盤を迎える

昨夕、新大阪駅から東海道、東北新幹線を乗り継ぎ八戸に着いた
5時間半ほどで直ぐだが、この間をこの短い足で数十日もかけて歩いてきた事を思えば感慨深い



すでに鹿児島の薩摩街道から長崎街道、山陽・西国街道、東海道、日光街道、奥州道中、奥州街道・仙台道、盛岡道、更に松前道に入り今日はその6日目の出発となる

奥州街道起点地の青森・三厩宿から終着地の北海道、江戸時代は最北の蝦夷地・松前藩まであともう少しだ

両足、膝、腰、肩にハゲ頭までしっかりと愛撫しながら  頼むぞ! と  毎回のローテーションから始まる





先月(5/28)歩き終えた青森県・諏訪ノ平から今日も元気に出発‼️
朝から天気予報が外れて雨模様☔️



駅前は何も無い 人も見かけない






















さくらんぼセンターでつい買う 旨い😋
1パック250円🍒🍒





クルミだ 安曇野の家にあった 懐かしい








南部の屋根の特徴かな





剣吉諏訪神社











剣吉(けんよし)城址へ 
朝から登りはきつい









城址下に創立148年と言う剣吉小学校



まだツツジやサツキが咲く 
野花も大阪と約1ヵ月遅いようだ





おっと! 好物の焼き芋 食べてばかりだと進まないので堪える😭



イタチハギは随所で花盛り







おっと 熊を忘れるところだった😅

黒い服の人を一瞬クマかと思った🤣

五戸町に入る











奥州街道を確認









やっと晴れ間が見えてきた 急に暑くなる







りんご研究所がある やはり青森だ

小さなりんごが🍎実をつける


三浦牧場に立ち寄る 馬に乗れる募集1時間1000円と よく見たら働く人の募集だった



牧場の馬は日高のように競走馬ではなく、かといって農耕馬は機械に変わり、では馬肉になるのかな?



よく見ればマンホールの蓋も馬のデザイン





五戸の町に入る
















五戸で人と余り会わなかったが
なんと立派な町立図書館



その横には江戸時代の五戸奉行所の門
また斗南藩の藩庁跡があり見惚れた











敷地全体がコメツブツメクサで覆われていて黄色い小さな花が咲き美しい






国指定重要文化財・江渡家をたずねる 
凄い迫力










今朝はスタートから道を間違えたらしく、街道を少し外れたが、無事五戸宿に着く

歩き着いた五戸には探したが旅館が1軒しか見当たらなく予約する
到着して苦手な和室に通された 
部屋に風呂はないが沸いていると言うので3人風呂に入り先ず汗を流す 気持ちいい 風呂前の庭がいいな

すいませ~ん 日曜日は炊事場が休みでして 夕食と朝食はなしですが
初日から食事なしの素泊まりか
あのね トホホ‼️

密かに楽しみにしていた名物の馬刺し料理ができないとの事で残念😫 

コンビニは坂を降りて1.5km程のところにあると案内 往復3kmか😭

飯屋を探しに出るのも億劫で、昼の残りパンとチョコと水で空腹を満たしバタンキュー😭  ケセラセラ😩🤣

だが気持ちのいい旅館に癒された😆 
初めて見る新聞社




(6日目)① 奥州街道・松前道
    25.63㎞ 35.116歩

累計(前回5日目までの松前道)加算
  <149.45㎞ 202.921歩>
         175.08㎞ 238.037歩


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江戸奥州街道・松前道(16)-⑤

2022年05月29日 | 江戸・奥州街道歩き旅(松前道)盛岡ー青森・三厩ー北海道・松前)
5月28日(土)  
 12/22℃(岩手県二戸市石切所)
(16日目)奥州街道・松前道⑤
二戸福岡宿ー金田一宿ー三戸宿  
二戸・福岡宿 (99)ー呑香(とんこう)稲荷神社ー九戸城址(福岡城)ー堀跡ー土井晩翠歌碑ー馬助坂ー一里塚跡ー岩屋橋(白鳥川)-岩屋観音堂ー福岡代官所跡ー蔵元(南部美人)ー愛宕の清水ー一里番所跡ー高札場跡碑ー黒沢治助商店ー龍岩寺ー歴史民俗資料館ー竹内神社ー八戸街道追分石ー斗米橋ー江戸大工棟梁供養碑ー二基の供養塔(下斗米道と福岡道の分岐)ー四戸城址ーいわて銀河鉄道ートキメキの追分石ー上平の経塚ー餓没供養塔ー長寿寺ー金田一(きんたいち)宿(100)ー金田一温泉ー金田一京助歌碑ー岩舘橋ー姉滝神社ー川口集落ー豊年橋ー川口橋(海上川)ー釜沢地区ー釜沢用水ー蓑ヶ坂ーりんご園ー駒焼場ー川口ー岩手県・二戸市から青森県・三戸街へー駕籠立場ー蓑ヶ坂頂上ー巡幸碑ー馬淵川ー一里塚跡ー熊原川・黄金橋ー三戸城址ー城山公園ー三戸城温故館ー同心町ー長栄寺ー馬検場ー熊野神社ー―唐馬の碑(八代将軍・徳川吉宗から盛岡藩に贈られたペルシャ馬を供養)ー鹿角街道追分ー三戸(さんのへ)宿(101)ー観福寺(山門は三戸代官所門移築)ー三戸大神宮ー八日町ー三戸代官所跡ー野馬役所ー蔵役所跡ー関根の松(樹齢430年)ー黄金橋ー六日町ー法泉寺ーアップルドームー住吉橋(馬淵川)ー村井家主屋(国文財)ー南部藩発祥の地へー住谷橋(馬淵川)ー馬暦神社ー軍用馬碑ー地獄沢上橋跡碑(処刑場跡)ー馬場館跡碑ー天明飢饉念仏供養塔ー本三戸制札場跡ー猿辺川ー若宮八幡宮ー聖寿寺館(南部氏本宗家本拠地、本三戸城)跡ー南部利康霊屋(重文財)ー三光寺(南部氏菩提寺)ー諏訪の平

三戸城跡から

今朝は昨日と一転 快晴のお天気だ
昨日歩き終えた斗米駅前から7.50
スタートする 
降りたのは1人 何もない無人駅だが雨の昨日と景色が違う









先ずアイヌ碑を探し手を合わす 
ロシアの侵略や中国のウルグイ族迫害を非難するが、和人が東北や北海道の先住民・アイヌ民族を迫害してきたことをこの旅で学んだ 旧琉球王国の沖縄にしても同じ事だが、力の強い者が弱い者を支配するのは世の常なのか😭



気分一転 快晴の青空の下  出発!












金田一宿に入る 
四戸城跡(金田一城跡)を探す



神社の裏山とは聞いているが、そこへ行く道がなく墓場から上る道を探しまわる





やっと平地に出るが? 探し回ると表示版を見つけた ここだ!














ここで急に予想外の通り雨だ
民家の軒下に避難 昔の建物だった

雨が上がり金田一駅前を通り金田一宿に入る









おはようございます   (2回位声掛けをしたが耳が遠いようだ)
  
また雨 今日は青空と雨が交互に入れ替わるようだ しかも時折り吹き飛ばされそうな突風が吹くので山中の街道を避け国道へ迂回する




  
いよいよ青森県に入る 三戸市だ





りんご園に入る りんごの白い花が咲き終わり小さな実をつけ始めている
青森のりんご🍎 りんご追分 りんごの故郷 とひばりを歌う









果樹園ではりんごのほかにいろんな種類の果物が栽培されているようだ






道を間違えてとんでもないところに入り込んだが自然を楽しめた








目の前を鹿が2頭通り過ぎた  
尾の長いキジもトコトコ歩いている





三戸城跡へ向かう









城跡内に第42代横綱・鏡里の碑を見る 懐かしい名前だ







この日本鹿は柵の中 見学用かな?











ここより南部町に入る
かの南部藩発祥の地

三戸駅前を通るが、ここも閑散としている 2軒の旅館は休業中だった






懐かしい手漕ぎポンプだ



南部公霊室をたずねる 
徳川家康の日光東照宮や仙台の伊達政宗公の霊室を見てきたが

南部氏は東北北部最大の中世武士団で聖寿寺館(城)は室町時代から戦国時代にかけて南部氏の居城だ

周辺はぶどう畑やりんご畑が広がる
















南部利康公霊室







諏訪の平にて今回の歩き旅を一旦終える 




(5日目)松前道
    35.1㎞  46.638歩
累計 149.45㎞  202.921歩

  (16日目 累計)
        458.38km   619.172歩
 *一日平均(半日、雨の日を含む)
   28.5km 3.86万歩

次回はこの諏訪の平から青森・三厩宿、龍飛岬を経て北海道へ渡り、江戸時代最北の松前藩(松前城址)が終着地となる。
来月は最後のチャレンジだが、ますます暑くなるので対策を考えねばならない。

*かかりつけ医師 (内科.眼科.歯科)の検診予約等もあるので、他の予定を済ませて帰阪後、文学学校や自然学校に川柳会などにも参加した後、その他の個人雑用も済ませて再びこの地より終着地を目指す。

*多くの人々から応援メッセージを頂きありがとうございました。
直接お返事はできませんでしたが、お一人お一人に心から感謝と御礼を申し上げます。
ありがとうございました。
  頑爺 ganjii


コメント (1)
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江戸奥州街道・松前道(15)-④

2022年05月28日 | 江戸・奥州街道歩き旅(松前道)盛岡ー青森・三厩ー北海道・松前)
5月27日(金)
 15/21℃(岩手県二戸郡小鳥谷)
(15日目)奥州街道 松前道 ④
小鳥谷ー一戸宿ー二戸・福岡宿 
小鳥谷(こずや)ー野中一里塚跡(馬頭観音)ー小性堂集落ー日影坂ー明治天皇御野立所之碑ー雷電神社ー女鹿橋ー百姓一揆終結地碑・老ヶ舘ー白子坂ー馬淵川ー一戸南小学校(安藤忠雄設計)ー諏訪野集落ー縄文の里・一戸ー御所野遺跡ー八坂神社ー万代橋ー一戸城址ー萬代館ー一戸(いちのへ)宿(98)ー南部藩一戸代官所跡ー実相寺ー小井田の千本桂(樹齢700年)ー奥州街道・末の松山道ー小井田川橋ー浪打峠(難所・熊注意)ー浪打峠一里塚ー浪打峠の交叉層(1500年前の地層・天然記念物)ー山下水ー桜清水ー村松八幡宮ー九戸城址ー二戸・福岡(にのへ・ふくおか)宿(99)

縄文時代の大規模な集落跡「御所野遺跡」

今日の天気予報は終日雨とのことで雨支度をして出発
今朝のホテルビュッフェは和食らしい いつものように朝食をしっかり取るのは数日ぶりだ😂 シジミ汁が旨い


昨日歩き終えた小鳥谷(こずや)を8時にスタート

昨日ここで長い時間電車を待っていた時、掃除のおばさんが1人いたのでおしゃべりをしていたが、今朝自分1人降りたが改札で切符を受け取った 無人駅の近所の管理人だった
今日は雨ですから気をつけて歩いてください いってらっしゃい‼️
と元気にエールをもらった😆
小雨だが涼しくて歩きやすい












馬渕川渓流を見ながら進む
















この一戸南小学校のモダンな校舎は安藤忠雄設計とか




おはようございます
町内会の皆さんで花壇に花を植えているのだとか







橋桁に春夏秋冬のモニュメントが立つ








白い花をつけた木を多く見る 後で近くで見たらニセアカシアの木だ
いい香りがする



一戸町立一戸中学校


世界遺産の縄文古墳群「御所野遺跡」をたずねる

















中に入ると暖かい よく見れば囲炉裏に炭が入り燃えている いろいろな縄文式家を見たが、どこも玄関口に囲炉裏があり入っていて暖かい















中が外からの想像と違いかなり広い








遺跡公園を堪能したが、古代の人たちの知恵には驚いた 
少し前に息子とフィンランドを旅したが、トナカイのソリで雪深い森の中に連れて行ってもらい そこで遊牧民の冬のテントを見せてもらい中に入ったが、予想外に広く暖かかったのを思い出す

ニセアカシアの花の香りが好きだな







動物の飛び出し注意等の案内があるが、昨日は田舎道でタヌキが1匹倒れていた


国道と並走する街道を歩けば、大型トラックのはねる水滴が体に当たる
たまに水たまりに入ると水を大きく撥ねて全身びしょ濡れになる





雨が激しくなってきたので、ビニールハウスの中で靴カバーと下のカッパだけ装着する これで大丈夫だ👌

二戸城跡を探すが、草に覆われて道もわからないので断念する











岩手県立一戸高等学校 女子校かな











この何キロも続く坂道は辛い 汗だくとなり休み休みに上る



浪打峠の交叉層は国の天然記念物だが1500年前の地層だとか






御膳水を探す 明治天皇行幸時に使われたようだ 山を上ると記念碑が立つ だが今の水質では煮沸して飲んでくださいとの表示あり































史跡・九戸城跡向かう

















激しい雨の中でも修復作業が続いていた











ニ戸宿に入る 二戸市の中心街だ
この清水は飲めるようなので飲んでみたがおいしかった


母の実家は信州松本の清水と言う町にあったが、大きな井戸があり下からこんこんと冷たい冷水が湧いていて夏にはそこにスイカやトマトきゅうりなどがたくさん浮いていたことを想う 勿論美味しく生活用水だったが、今はもう枯渇しているようだ








2時を過ぎ、今日もお昼は無しと諦めていたが、丁度いい店があった👌
体が冷えていたので温かい山かけ蕎麦にしたが実に美味かった😆











雨がさらに激しくなってきたので、今日はここまでとした

斗米の駅に向かっていると徐々に晴れてきた だが運悪く電車は出た後で次まで2時間以上も1人無人駅で待っていたが、汗が冷えて寒かった



予約したホテルに入り、熱い風呂に浸って冷たくなった体を癒した




(4日目)松前道
    27.39㎞  37.864歩
 累計 114.35㎞ 156.283

(15日目) 累計
    423.28km  572.534歩

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江戸奥州街道・松前道(14)-③

2022年05月27日 | 江戸・奥州街道歩き旅(松前道)盛岡ー青森・三厩ー北海道・松前)
5月26日(木)
 13/27℃(岩手県岩手郡五日市)
(14日目)奥州街道 松前道 ③
御堂ー小繋ー小鳥谷 
御堂(みどう)-水堀小学校ー尾呂部一里塚跡ー念仏供養塔ー北上川源流公園ー御室観音の弓はずの泉ー大杉(樹齢1200年)ー馬羽松一里塚ー新奥の細道ー中山一里塚ー蒼前神社ーー火行伝馬所跡ー開拓農道小繋線ー塚平一里塚ーヨノ坂(湿地難所)-小繋一里塚ー小繋御番所跡ー小繋(こつなぎ)集落sー長楽寺ー(南部藩本陣)ー笹目子トンネルー川底一里塚ー高屋敷集落ー五月館の追分ー小鳥谷八幡神社ー藤島のフジ小鳥谷(こずや)



昨日歩き終えた御堂(みどう)を8時に出発する
昨夜は泊まるホテルを日にちを間違え予約したが満室でダメ 慌てて他のホテルを探したがやっと探して着いてびっくり 

客はペンキの付いた服や工具を担いだ作業員の人々ばかりだった 夕食朝食はなし 部屋は狭くとても不衛生だが、ベットで眠れるだけありがたい 水道水をお腹いっぱいに飲んで寝たが 4時半に目が覚めた

さあ今日も元気に出発!
今日は山道を歩くためにせめて水だけでもと思うが、御堂駅前とて店もなく、自販機一台もないので仕方なく歩きだす
















先ず街道沿いの北上川源流公園を目指す

















北上川源流公園があり、幸い自販機が1台あり2本買って水を飲む できるだけリュックサックを軽くしたいが水は別だ


公園前に御堂観音があり、その中に北上川の源泉「弓弭(ゆはず)の泉」を見る
あの北上川の大河の流れを見てきただけに、その源泉がこの一滴の山の水からとはにわかに信じがたい思いがした









観音堂の前の獅子に誰か笠をかぶせたのか犬に見えてクスっと笑う

長い山道を上り下りするが、江戸時代の旅人はこんな舗装道路もなく難所の1つだった





奥州街道一里塚を確認




一里(約4km)を歩いてまた次の一里塚へ
岩手町からと一戸町からとそれぞれが左右に一里塚と案内板を立てていて面白い










広大な農地が広がる この地域の特産はレタス等の高原野菜やチーズにハムなど牧畜もあるようだ



牧草地が広がる








かつて訪れたことのある北海道の美瑛や富良野を想う













道を間違えたかな? まさか明治天皇の行幸にこんな所を馬車が通ったのかな?






不安になった頃 山の中に明治天皇の行幸碑があり恐れ入りました





ここが奥州街道の最高地点だとのこと
484mなら160階建マンションを屋上まで登りきった計算だな


フキはフキだがセイヨウフキ 群生しているが植物の世界も外来種に圧倒されている













小さな集落に入ると前から1人のおばあさんがやってきた 手には採ってきた山菜が
挨拶を交わした後その山菜の名前を聞いた
これはウルエ、これはカデナ、これはワラビで知っているだろう ウルエは塩で揉んで漬物だ・・・ところでどっから来た どこへ行く 何してる
フレンドリーなおばあさんの話が止まらない 長い時間立ち話を楽しんだ
ところでこの付近にクマはいますか
たくさんいるぞ あちこちで見るな だからこのラジオをいつもつけているのだ
クマの巣窟だな・・・まあ気いつけてな
あのね そんなに簡単に言わないでよ
(事前に了解を取って写真を撮る)

おばあさんのクマの話から歩いていても緊張感でいっぱいになる 特に熊笹が多いところなど気になる😭










ここが難所の1つヨノ坂だ 木や草で覆われた坂道を藪漕ぎしながら降るのだが、マムシに注意とあり、熊の話も聞いて迂回することにした トホホ😂











だがその迂回路の道を間違え、気がつけば逆の東回りを歩いていた またケセラセラ















やっと山道を下り里に出てくるとほっとする


東北最大と言う古民家をみる













今日は歩く距離は短くも山を何度も上り下りしたので足がガクガクだがよく頑張ってくれた 今日はここまでとし、近くの小鳥谷駅へ向かう


ここも無人駅 1時間待って1人だけ乗車
八戸の予約したホテルへ向かう



やっとまともな食事にありつけた
イカ飯や魚のホッケに塩辛、細い八戸ラーメンが美味しかったがビールも最高🍺👌🤣




今日はこれだけ歩いても宿場一つなく、当時は小繋(こつなぎ)の御番所あたりに間宿があったようだがその宿場の痕跡はない

奥州街道の立て札や明治天皇巡幸碑や御休憩所碑があったので道は間違っていないのだが、昔の旅人はよくぞこの道を歩いたものだと感服




(3日目)松前道
    31.11㎞  42.207歩
 累計 86.96㎞ 118.419歩

(14日目)  累計
          395.89km  534.670歩


コメント (3)
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