幸喜幸齢 生きがい 日記!       

八十路の青春賦 人生の黄金期を自分らしく あるがままに生きる幸喜幸齢者 感謝と幸せの生きがい日記 頑爺/肇&K

別世界だね!

2020年02月29日 | 冬・喜寿の青春賦 日記!

2月29日(土)6/9℃ 

別世界だね!

 昨夜遅くに新幹線で10日ぶりに帰宅。 東海道の区切り歩き旅も2月19日に前回歩き終えた鳴海宿から歩き始め、昨日28日に江戸東海道19番目の宿場、府中宿(静岡)に着いた。 歩き旅の間はブログを書く時間も体力もなくサボってきたが、明日からしばし思い出しながらカテゴリー「旧東海道57次一人歩く旅」へ順番に書いてみる。

あー疲れた! 静岡の安部川堤防にて足を休める 気持ちいいー

 今回10日間で歩いた距離はスマホ、applewatchのデータから 264.5km 35.8万歩だった。 

  これで箕面(みのお)から大阪城を起点に京街道の57次を経て、京都三条大橋の53次から延べ23日間で 578・5km、78・9万歩となった。 1日平均25kmほどだが、計画では1日10kmも歩けたら・・ と思っていたので今のところ感謝だ。

知立宿へ向かう途中の史跡で足を休める

ダックスフンド並みの短い足で、あちこちよそ見をしたり迷いながら歩いたので予想よりも大幅に距離が出たが、毎日我ながらよく歩けたものだと、足腰肩と体に感謝した。 

 ウオーキングスタイルだが、何しろ旅の荷物をリュックに詰め込み10数キロの重さを終日背負っての旅だ。 ただ歩くだけでなく体調を見ながら泊る宿も探さねばならず、グーグルマップに助けられながらもそれでも迷い、東海道を探し回ったりあちこちと無駄な所も歩き、何とも弥次喜多道中ならぬ珍道中だ。 

藤川宿は旧東海道37番宿場だがこの日も寒風に震えた

 転んで顔からダイビングして擦りむいたり、縁石や石にけ躓きは何度もあった。 勘違い思い違いは日常茶飯事。 土砂降りの雨の中、雨宿りする所もない所でずぶ濡れになり、その手でスマホの操作を誤り後で数日間の写真1000枚ぐらいにいろんなアプリも消えていて大ショック!! 何とか回復できないか息子に頼んでいるのだが・・? 失敗の毎日ながらそれでもくじけず? 元気に風邪も引かずによく歩いてきたもんだと、誰かが言ってくれてる!?

岡崎宿を歩く 老人と挨拶する 散歩コースとか 年は同じだった

 失敗ばかりだが、それでもまだ歩く意欲は全く衰えず、自分は元来の放浪癖があるのか? と自笑した。 やはり俳人・山頭火の句碑を随所で見かけたが憧れていた理由が分かったような気分になった。  

 一人歩き旅は常に自分との闘いだ。 決して誤魔化さず、愚直に、正直に一歩一歩確実に歩き通せたら自分の人生で大きな自信となるはずだ。

旧東海道21番宿の岡部宿に入った いい宿場だが寒くて人がいなかった

 帰宅し今朝TVを10日ぶりに見てビックリ!! 新型コロナウイルスの話題でいっぱいだ。 しかも10日前から事態は拡大して大変な様相だ。 情報を知れば知るほど、今まで何もかも他人事のように聞き流して人と話すこともなく一人歩き旅を続けてきたけど、全く別世界に戻ってきたようだ!?

・歩き旅 戻ってきたら別世界

・憧れた山頭火みたいよく歩く

・あるがまま歩いたものの後任せ

・弥次喜多も歩いた道をてくてくと 頑爺

小雨振り続く寒い大井川を渡る

旧東海道最大の難所、”箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ大井川” と唄われた大井川は川幅1,000m以上もあるが、側道を渡りきるまで人一人通らなかった

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東海道歩き旅(25)岡部宿から丸子宿、府中宿へ

2020年02月28日 | 江戸・東海道57次歩き旅(大坂城から江戸城へ)

2月28日(金)2/12℃ 

東海道歩き旅(25)

岡部宿から丸子宿、府中宿へ

 昨日夕暮れとなった宇津ノ谷からスタートし丸子宿へ向かう  丸子は昔 鞠子とも言ったが、安倍川と赤目谷の間にできた宿場で、東海道では小さいほうだが、その歴史は古く、安倍川の対岸の手越には鎌倉時代の宿場も置かれた伝えられる  この丸子宿は東海道膝栗毛や松尾芭蕉の句でとろろ汁が有名になり今も店がある 

 昨日の岡部宿から宇津ノ谷を峠を超えた所から今日はスタートする 

百姓をしたい人はいないかい?

日本の紅茶発祥の地とか

国道沿いの桜は満開だ

国道から江戸東海道へ入る

丸子宿(鞠子宿)に着く

有名なとろろ汁の店「丁子屋」は11時開店でまだ一時間もあり諦めたが、広重の画そのままの風情を残す  創業はなんと1596年だとか  十辺舎一九の弥次喜多「東海道中膝栗毛」の碑や、芭蕉の「梅わかな丸子の宿のとろろ汁」の句碑もある

ここより安倍川堤防を歩き静岡浅間神社へ向かうが、予想外に遠く時間がかかった  でも早春を味わい気持ちのいい散策だった

土手に座り一休み  まだ風は冷たいが気持ちいい~

浅間神社に到着するも予定時間を過ぎ早々に次の予定地に向かう

府中宿へ入る  駿河国の国府が置かれていたので府中と呼ぶが、1582年に徳川家康が駿府城を築き、東海道一の城下町として発展した  府中は「不忠」に通ずるとして今の「静岡」に改名されたとの事

浅間神社の参道 周りは商店街だ

駿府城東御門が復元されている  府中は徳川家康が少年期と晩年を過ごした

家康公の散歩道があるとは面白い

静岡名物のワサビがそのまま石像になりこれも面白い

待ってました!  ここはあの京都三条大橋を出発するときに出会った弥次・喜多さんを生んだ「東海道中膝栗毛」の著者、十辺舎一九の生誕地でもあり、東海道とは縁の深い土地だ

静岡市街地に入り、上伝馬本陣、脇本陣跡をみる

(今日はapplewatch計によると 24・5km、33675歩 だった)

 今回は旧東海道53次の40番宿場の愛知・鳴海宿から歩き、19番宿場の静岡・府中宿までとし、10日間の歩き旅を一旦終えて帰路につく。 applewatchとスマホの歩数計から・・

* 10日間の歩き旅は 計 265・4km(一日平均26・5km) 359516歩(一日平均3.5万歩)だった。

(* ちなみに大阪・箕面から高麗橋・大阪城を起点にした京街道と、京都・三条大橋からの旧東海道57次のここまで歩いた距離は・・) 

* 23日間の歩き旅は 計 579.4km(1日平均25.19km) 790365歩(1日平均3.4万歩)となる。

 来週は所属する自然学校や自然保護団体、その他のイベントや行事に参加予定で久しぶりに絵の教室にもでかけたい、それに今年から初めて自分でやる確定申告や、それに健診、検査で病院など野暮用もあり、それらを一気に済ませて再びこの地からまた東海道歩き旅を再開するつもりだ。  

 新幹線で静岡から新大阪迄約2時間半、あっという間に到着しこの10日間を振り返る間もなく帰宅  しかし今の時代、この超アナログな歩き旅は究極の贅沢な旅だと実感し、健康で歩けることに感謝し、この幸せな老後の時間をしみじみと味わい涙に溢れた  ありがたいこと・・ 感謝でいっぱい)

(冷たい小雨振る東海道・袋井宿からしばし開花した桜に見とれた)

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東海道歩き旅(24)島田宿から藤枝宿、岡部宿へ

2020年02月27日 | 江戸・東海道57次歩き旅(大坂城から江戸城へ)

2月27日(木)5/13℃ 

東海道歩き旅(24)

島田宿から藤枝宿、岡部宿へ

 島田宿を後にし、藤枝宿へ向かう  藤枝宿は宿場であると同時に歴代城主が江戸幕府がの要職を務めた田中城の城下町として栄えた  徳川家康はこの田中城で鯛の天婦羅を食べそれが原因で死んだと伝えられている  また塩街道としても栄えたという

島田宿から藤枝宿へ向かう

大井川の氾濫でこの辺迄水害が及んでいたので、少しでも高い場所を通るように、古東海道は山の尾根伝いに歩いたという  

東海道・22番宿場の藤枝宿に入る

瀬戸川の勝草橋を渡る  当時は徒歩渡しが行われていて川会所まったという  今は水は流れず一面砂利ばかりだ  広重の行書版では旅人を背負い徒歩渡しをしている絵があるが・・ 

岡部宿への道を歩く

岡部宿へ入る  岡部宿は難所の一つ「宇津ノ谷峠」の西側に位置する宿場で昔、藤原南家為憲の子孫・清綱が駿河権守となり土着し岡部を名乗ってのが岡部宿の始まりたという

大旅籠屋柏屋など古い旅籠建物が残る  現存の建物は天保5年の大火のあと、天保7年に建てられたものとか  160余年を経ても東海道筋の貴重な建物として国の登録有形文化財に指定されている

旧東海道を上る

明治のトンネルを通る

宇津ノ谷を上る

山の中は3・4時ともなると足元が暗くなるので早めに引き返す

今日は気持ちのいい歩き旅だった  東海道の宇津ノ谷で夕暮れとなり足元が危なくなったので途中で山の麓に下った

今日も歩く人とは誰一人として会わず、音楽と鼻歌で一日を楽しく過ごした

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東海道歩き旅(23)掛川宿から日坂宿、金谷宿、島田宿へ

2020年02月26日 | 江戸・東海道57次歩き旅(大坂城から江戸城へ)

2月26日(水)9/12℃ 

東海道歩き旅(23)

掛川宿から日坂宿、金谷宿、島田宿へ

 昨日の掛川城を再びと思ったが朝から雨なので次の日坂宿へ向かう。 日坂宿は掛川宿と金谷宿という大きな宿場に挟まれて宿場としては坂下宿、由比宿に次いで三番目に小さな宿場であったとか  鉄道もなくしずかな街並みだ

日坂宿へむかう

事任(ことのまま)八幡宮へ  巨木が茂り鬱蒼としている  「枕の草子」にも名前が見られるとのこと  1062年に源頼義が石清水八幡宮を勧請し以来八幡宮を併称するとのこと

宿場の木戸は大規模な宿場では観音開きの大きな門だったが、小規模の日坂宿では木戸の代わりに川がその役割を果たしていたと

満屋は江戸時代末期の旅籠で1882年の日坂宿大火で焼失し、その後まもなく再建されて庶民の旅籠として栄えたとか

秋葉常夜灯は1856年の建立だが朽ちたので今のものに再建された

お茶所らしい茶畑が広がる

山に霧が出てきた  小雨が降り続く・・

こんな山中に高速道路の橋脚工事が行われていた

ここから菊川坂で石畳の玉石だ  雨で何度も滑った  正直危ない!

東海道金谷坂も石畳だ  霧がでてきた  人影は全くない

この地蔵尊はちょっと怪しいぞ!?  滑らない!?  とんでもない!  どれだけ滑って転んだか分からないよ

しかし下ってみるとこの絵馬が・・ なんとも??  すると初めての人と出会った・・ したから傘を差したセーラー服の高校生が一人登ってくる  恥ずかしそうに会釈をしたかと思ったら滑った・・ 受験生かな?  大丈夫かな?

 

金谷宿へ下る  ここは東に大井川、西に金谷坂と小夜の中山峠を控えたしゅくばであり、島田宿と同じ川留めになると大いに潤った宿場である

大井川にでる  でかい!!  「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」と馬子うたにも歌われた大井川は東海道最大の難所であった  幕府は防衛上の理由から橋を架けるのを許さなかった  その為に増水するとすぐに川留めになり、島田宿や対岸の金谷宿、岡部宿まで宿泊客で潤ったとか

大井川は川幅は1km以上あるが、人一人出会わなかった

東海道・島田宿へ入る

今日は終日雨模様で大変だったが、面白いコースで興味津々で楽しかった  例によって一日の疲れで今日もバタンキューだ

 

 

 

 

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東海道歩き旅(22)袋井宿から掛川宿

2020年02月25日 | 江戸・東海道57次歩き旅(大坂城から江戸城へ)

2月25日(火)6/15℃ 

東海道歩き旅(22)

袋井宿から掛川宿へ

袋井宿の制定は東海道の宿場より遅く1616年で、掛川宿と見付宿が4里と広くその間を埋める為に袋井宿が追加されたとの事  東海道53次の27番宿なので東海道ど真ん中を売りにしているのが面白い  

原野谷川を渡り東海道27番宿場・袋井宿へ

東海道・松並木道を歩く  当時の旅人もこんな松の木陰で一休みしたことだろう

東海道53次ど真ん中東小学校とは面白い

東海道久津部一里塚跡にて

早咲きの桜がきれいに咲いた

再び原野谷川を渡り掛川へ向かう

東海道の松並木でまた一休みだ

善光寺にて

いかにも古い建物が続く・・

掛川の城下町へ入る

掛川城に入る  掛川桜が開花したところだ

雨が降ってきた・・ 今日は体調もありここまでとする  自分との対峙は決して無理をしないことで、あるがままに順応して気楽が一番!

 

 

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東海道歩き旅(21)浜松宿から見付宿、袋井宿へ

2020年02月24日 | 江戸・東海道57次歩き旅(大坂城から江戸城へ)

2月24日(月)5/14℃ 

東海道歩き旅(21)

浜松宿から見附宿、袋井宿へ

 今朝は気持ちのいい快晴だ 浜松宿は徳川家康が浜松城の城下町であり、東海道最大規模の宿場として栄えた  歴史は古く昔は「引馬宿」ともいい1280年の十六夜日記にもあるとか  浜松城は出世城ともいわれ家康以後も多くの出世者をだした  

浜松宿から東海道28番宿の見付宿へ向かう 

天竜川に出る  ここは江戸時代は流れも急で水深もあり、大井川のように人夫による川越が出来なかったので渡舟に依った  川岸には木橋舟橋跡がある

一言坂の戦跡をみる

見付宿へ入る

旧見付小学校をみる  ここは明治8年に開校した日本最古の現存木造の洋風校舎だ  いまは市立郷土館となっている

行人坂を下り旧東海道を歩く  古道があちこちに見られる

廃屋となった光景はもの悲しい

旧東海道の松並木は今は少ししか見られない

木原に着く  この地は木原畷(なわて)の古戦場でもあり、武田軍と久野氏と一戦を交え、徳川家康が敗北した三方ヶ原の戦いの前哨戦であった。 家康が腰掛けたという腰かけ石があり、座ってみたが尻が痛かった

袋井宿へ入る

袋井宿は東海道のど真ん中でそれを標語にしているところが面白い

袋井宿の名前はすでに1278年に書かれた「遺塵和歌集」の長歌にあり古い  ここは家康が東海道の宿場制度を初めて15年後の1616年に開設され、江戸日本橋からも、京都三条大橋からも各々27番目の宿場で丁度ど真ん中の宿場だ

夕暮れとなり宿を探す  今日もよく歩いた  いつものバタンキューだ

 

 

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東海道歩き旅(20)新居宿から舞阪宿、浜松宿へ

2020年02月23日 | 江戸・東海道57次歩き旅(大坂城から江戸城へ)

2月23日(日)6/12℃ 

東海道歩き旅(20)

新居宿から舞阪宿、浜松宿へ

 台風一過・・ のような快晴のお天気だ  昨日、土砂降りの雨の中、最後に着き、写真を撮ったりしたものの一日全ての写真が消えてガックリしたが、気を取り直して今朝からまたスタートだ。

東海道31番宿場の新居宿へ入る   古くは「荒江」「荒井」とも表記されたようだ。 当時は舞阪宿から船で渡り、新居宿の関所に着岸せねばならなかった  地震や津波の被害により、関所も宿場も何度か移転し、現在地に落ち着いたのは1707年と言われる

浜名湖から舞阪宿へ向かう  今は橋もあり陸路だが江戸時代は船で渡った

ここは日本の丁度真ん中とのこと

舞阪宿へ入る  当時はここで東海道の陸路は一度切れて、新居宿まで海上一里半を船で渡った  1498年の大地震で浜名湖と遠州灘が繋がったので、その後はこの舞阪から船で渡ったとか  当時の交通政策上は重要な宿場であったようだ

脇本陣「茗荷屋」 1838年建築の旧茗荷屋にあった書院棟を復元したもので、旧東海道では唯一の脇本陣の遺構だ  多くの靴が玄関にあり入るのをためらった

この見張り台の上から大名行列の際、人馬の通行を見張ったとか

舞阪宿の今の街並み

東海道を歩く旅人の日よけも兼ねて植えられたという松並木は各所に残る

舞阪には面白い伝説が多くありこれもその一つ・・

舞阪の松並木は約700mに340本ほどがまだ残っているという

街道沿いにはいろんな遺構が残り伝えてる

街道沿いの植木屋さんでお洒落な鉢をみる

今朝は昨日の後遺症が残ったままだったが、一転青空と早春の浜風に気分一掃で気持ちのいい歩き旅を満喫  でも足腰肩や体は夕暮れともなると悲鳴を上げる  宿でいっぱいのビールが心身を癒してくれる・・ がすぐにまたバタンキュー!

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東海道歩き旅(19)吉田宿から二川宿、元白須賀宿、新居宿へ

2020年02月22日 | 江戸・東海道57次歩き旅(大坂城から江戸城へ)

2月22日(土)7/15℃ 

東海道歩き旅(19)
吉田宿から二川宿、元白須賀宿、新居宿へ
 
 吉田宿は明治になって豊橋と改名され、吉田の名前は使われなくなった。 吉田藩の城下町でここは江戸・東海道が設定された当初より重要な宿場であった。 戦時中の空襲などで当時の面影はないものの街道筋を辿ることは出来る。 
 
 電車の走る札木町にはいまも「問屋場跡」碑が残る。 吉田宿の本陣跡碑もある その向かいには本陣跡碑も立つ  更にその向かいに脇本陣跡碑もありこの地は江戸宿場の重要施設が集まっていたようだ
 
 今の札木通りは広いが、当時の吉田宿の道は狭く、でも賑わっていたようで当時は旅籠屋が多く立ち並び、客引きの飯盛り女の声が飛び交っていたようだ 
 
 二川宿へ向かう  二川宿の成立は慶長6年だが、1644年に二川村と大岩村と合わせて宿となり発展した。 東海道線の二川駅と二川宿が離れていたことから宿はそのまま残り、今も旧道の両側には古い家並みが残る
 
 白須賀宿へ向かう  ここは遠江の国の西の宿場で海岸近くにあったが、1707年の大地震と津波の為大きな被害を受けたため、その後潮見坂の上の高台の現地に移された  白菅とも書き、須賀とは眞砂の集まるという意味。 ひっそりとした家並みを残す
 
 町中はひっそりとしていて人影もない  やがて突然の大雨・・ しかも土砂降りとなり、浜風が暴風雨となり一気に服はずぶ濡れとなった  雨宿りする所もなく為すが儘といった感じで大慌て!  慌てて取り出した折りたたみ傘は5分も持たず骨が折れズタズタで使えなくなった  
(*後で雨の中であれこれ弄ってスマホの操作を誤り、それまで取った今日の数百枚の写真が再生不能で消えてしまった)
 
 雨の中、元白須賀宿から山を下るとき突然視界が開け太平洋の荒波が見えた  荒れた海もきれいだ!  沢山写真を撮ったのに後で見たらみんな消えてしまっていた  残念! 途中の旧坂道を下っている時、下から自転車を押しながら登ってくるセーラー服の高校生がいた  目が合った瞬間零れるような笑顔で元気に挨拶してくれた  この上の集落の子供だろうが雨に濡れながら心も笑顔になった
 
 新居宿へ向かう  突然の暴風雨は少し収まったものの雨風は相変わらず叩きつけるが兎に角歩くしか方法がないのだ  人も車も通らない  
新居宿は東海道・江戸の日本橋から数えて31番宿だ  当時は度重なる地震や津波で被害を受け、関所も宿場も落ち着いたのは1707年との事 
 
 何とか自分の宿に滑り込んだものの体はびしょ濡れで冷たく、熱い風呂にじっくりと入り、服はコインランドリーの世話になった
幸い風邪を引かなくてよかったが、何とも貴重な写真がみんな消えてしまい残念至極! 眠れなかった。
 
スマホとアップルウオッチの今日の万歩計データは、31.2km 43339歩を記録していた。
 
(*翌日の新居宿は見事な快晴! 昨日の暴風雨と写真喪失が悔やまれる)
 
  
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東海道歩き旅(18)藤川宿から赤坂宿、御油宿、吉田宿へ

2020年02月21日 | 江戸・東海道57次歩き旅(大坂城から江戸城へ)

2月21日(金) 3/14℃ 

東海道歩き旅(18)
藤川宿から赤坂宿、御油宿、吉田宿へ
 
藤川宿から赤坂宿へ向かう  赤坂宿と次の御油宿とは16町しか離れておらず、宿の朱印状には「赤坂・五位」と併記され、当初は赤坂・御油宿として一宿で扱われていた。 赤坂宿は御油宿と同様に飯盛女が多くいて、遊行の宿として賑わったとか。 明治以降は鉄道が通らなかったこともあり衰退していった。
 
藤川宿から赤坂宿の間にある「間の宿」の本宿を経る 
 
 
 
 
 
旧東海道を歩く
 
 
 
 
長沢城跡へ  御殿橋の跡
 
 
塀も波打って倒れそうだが・・
 
 
 
 
 
東海道・赤坂宿へ着く
 
 
 
 
 
 
 
 
 
御油宿へ向かう
 
 
 
珍しい野鳥観察だとか・・
 
 
 
 
 
東海道・35番宿の御油宿へ入る
 
 
 
 
 
 
 
 
珍しい太鼓の専門店
 
 
 
東海道34番宿の吉田宿へ向かう  豊橋市街に入る
 
 
 
 
 
豊川を渡る
 
吉田宿に入る
 
豊橋の街に入ると今は種類の違う珍しい路面電車が走る
 
豊橋公園の吉田城跡へ
 
今日もよく歩いた  あちこち歩いたので30kmを超えたが、自分のキャパを超えたようでいつになくバタンキューだった
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東海道歩き旅(17)知立宿から岡崎宿、藤川宿へ

2020年02月20日 | 江戸・東海道57次歩き旅(大坂城から江戸城へ)

2月20日(木)0/13℃ 

東海道歩き旅(17)

知立宿から岡崎宿、藤川宿へ

 朝は0℃でさすが寒かったが徐々に暖かくなってきた  知立宿を立ち国道沿いの東海道を一路岡崎へと急ぐ・・  

やがて矢作川の矢作橋に着く  江戸時代には東海道で最長の木橋だったとか  橋の西岸には秀吉の幼名、日吉丸と盗賊・蜂須加小六の出会いにちなんだ「出合之像」がある

昔の八丁村に着く  ここは岡崎城から八丁(約870m)離れているからこの地名となった  八丁味噌の老舗がありしばしここで休憩した

岡崎城下町につき、早速 徳川家康が浜松城に移るまで本拠にした岡崎城を訪ねその公園を散策する

東海道・岡崎宿を歩きながら、次の藤川宿へと向かう

あの忠臣蔵で有名な「吉良上野介」の領地だった「吉良の道票」 江戸時代はこの道を通り大名行列や、茶壺道中、海産物塩などが運ばれた重要な街道だったとか

東海道・藤川宿に入る

 

 

藤川宿を後にして次の東海道36番宿の赤坂宿へ向かうが、夕暮れとなり宿へ入る

足腰肩も徐々に歩き旅に慣れてきたようだが、さすがに疲れた  熱い風呂でゆっくりと体を癒し、ついでに? 旨い酒で心も癒しつつすぐにバタンキューで眠りに入る

 

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東海道歩き旅(16)鳴海宿から知立宿(池鯉鮒宿)へ

2020年02月19日 | 江戸・東海道57次歩き旅(大坂城から江戸城へ)

2月19日 1/11℃ 

東海道歩き旅(16

鳴海宿から知立宿(池鯉鮒宿)へ

 朝の始発で家を出て三河の鳴海宿に9時半に着き、次の知立宿へ向かうべきすぐに出発する。 一定の期間を休むとやはり体が慣れるまで半日はかかるようで両足、膝、それに10数キロのリュックで肩が痛い。 でも始まったばかりだと気合を入れて歩くも、そこは若い頃と違い時間がかかるようだ

山に雪はかかるものの、いつになく暖かい2月だ 

 知立(ちりゅう)は現在の地名だが、江戸時代は池鯉鮒宿の方が多く使われ、昔から馬市や木綿市が開かれた地だ。 中世は鎌倉街道の要所として栄え、江戸時代には39番宿場として賑わった  近くに鯉や鮒が多く住む池があったのでその名がついたと言われるが、ここは大火で何度も焼けていて昔の宿場の雰囲気は少ない

江戸時代 三河国と尾張国が争い境川の真ん中で橋が違った境橋、変な橋だ

有松の一里塚で一休み

長坂道から東海道を歩く

有松絞で有名な街並みを歩く 今も昔ながらの商家が並ぶ

織田信長が今川義元を破った桶狭間の古戦場跡で歴史を学ぶ

東海道・逢妻橋を渡る

総持寺に立ち寄る ここは徳川家康の側室 お万の方の誕生の地で、徳川秀康の生母誕生の地だ

この標語が好きだ

町は落ち着いた静かないい所だ 楼上が鐘楼になった門の了運寺がある

知立神社に着く 神仏混合時代の苦労が偲ばれる

毎年5月にあるという知立まつりは今年はどうなるのかな?

知立古城跡を見る

知立宿(池鯉鮒宿)跡へ着く 周りにはその痕跡は何もないが・・

東海道には面白い店がある

突然場違いな 外国へ来たのか? と思わせるような風景が・・?? ラヴホテルかなと思ったら立派なキリスト教教会だった 失礼しました!

旧東海道の松並木道 当時界隈では馬市が盛んだったようでその跡が残る

日暮れ前にやっと宿に着く 今日は25km歩いた  宿で暑い風呂に入り足腰肩体を癒し、ビールで旅に乾杯したとたんバタンキューで眠ってしまった

 < 歩き始めて2時間ほどし、少し休もうと思ったとたんに縁石に足を引っかけ顔から地面にダイビング・・ あっという間の出来事に何が起こったのか暫く混乱?? 顔から血がでてる・・ 痛い! アップルウオッチの緊急警報が鳴り響く・・ しばしうずくまってしまった。  しかし大したことはないようなので止血し、擦りむいた手や顔にバンドエイドを張る。 足がもつれたり、上がらなくて転ぶことが多くなったので気をつけねば・・ まだ初日の2時間で引き返すわけにはいかず、気合をいれてまた急に重くなったリュックを担いで出発する。 初日からとんだアクシデントだ!>

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再び東海道57次歩き旅へ

2020年02月18日 | 冬・喜寿の青春賦 日記!

2月18日(火)2/8℃ 

再び東海道57次歩き旅へ 

 明日早朝から名古屋の鳴海宿へ向かう。 先日最後に到着した東海道57次の40番宿場だ。 ここより39番宿場の知立宿、岡崎、藤川、赤坂、御油、吉田、二川、白須賀、新居、舞阪から29番宿の浜松宿へと順に歩きたいが、今回は冬の天候と体調を見ながらどこまで歩けるかな・・!? またEXILEの曲リズムやテンポで歩けたら嬉しい。 

 今までの体験から重い荷物を調整してリュックに詰める。 いくらあれこれと準備しても実際に歩いていると不要なものや必要なものが分かり、何事も体験しないと分からないものだと実感する。 体重とリュックの重さで80kg以上だが、今回は先日の北極圏でのフィンランドビールで更に腹が出た分増加しそうなので荷物を減らしたいものの、この75歳の脚腰体は果たして大丈夫かな・・??  

・一人旅 孤独になりつも歌がある、

・歩き旅 脚腰体に感謝して

・EXILE今度もよろしくいいリズム

・歩き旅 出腹減らしに丁度いい 頑爺

原点の江戸東海道53次・西の起点、京都三条大橋の弥次喜多像から

<歩き旅しばしBlogは一休み> 頑爺

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確定申告!?

2020年02月17日 | 冬・喜寿の青春賦 日記!

2月17日(月)3/10℃ 

確定申告!?

 今日から確定申告とか!? 実はお恥ずかしいながら仕事から引退後は家人の会社の税理士が、それまでは自分の会社の税理士が全てやってくれていてメクラサインをしていただけなので、さて今年から自分でとなるとはたと困ってしまった・・ 収入と言えば年金ぐらいだが、医療費や何とかいろいろ明細はあっても未整理で不明!?  こんな時グータラ虫は困ったものだ・・ トホホ!!

・税金を人任せにし つけ回る

・引退し年金暮らしさていかに

・グータラは税金とても人任せ

・還付金それがあるなら頑張るか 頑爺

朝露の残る散歩道から

 

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暗越奈良街道ちょい歩き

2020年02月16日 | 冬・喜寿の青春賦 日記!

2月16日(日)9/19℃ 

暗越奈良街道ちょい歩き

 この水曜日の朝からまたしばし中断していた旧東海道57次の1人歩き旅を再開の予定なので、今日は少し足を調整するために暗越奈良街道の一部をちょい歩く。

 この街道は奈良時代に設置され、大和から河内を経て大坂・難波に至る薄暗い古道との案内。 最大傾斜37%の古道、日本一の激坂のある酷道との事だが、若い頃ならチャレンジも面白そうだが今日は平坦地を調整のみ。 

 なにしろここ暫くは日頃静かな頑爺が? 旨い酒ばかり飲み大いに笑いながら幸せ生活に浸ってきたので体重が一気に増えたのだ。 果たして歩けるのかな!?

・酷道をあえて歩ける齢でなし

・旨い酒 幸せ日々に腹がでる

・歩き旅 腹が出過ぎて歩かれず

・でもなおと曾孫訪ねて百万歩 頑爺

起点の高麗橋から標識のある玉造・暗越奈良街道へ

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自然学校・万博記念公園へ

2020年02月15日 | 冬・喜寿の青春賦 日記!

2月15日(土)5/16℃ 

自然学校・万博記念公園へ

 多くのシニアが集う自然学校だが、今日自分たちの組は万博記念公園が舞台だ。 専門家の先生方に学び改めて自然の営みやその不思議さに感動した。 いつも学習を終えての居酒屋での飲み会は、みんなとの楽しい会話に時を忘れシニア世代を謳歌する。 

 半世紀以上前の日本万国博覧会に仕事で携わっていた頃はまだ20代の新婚時代だったので懐かしい。 あれから55年後の2025年大阪万博まで元気でいたいものだが・・ 80歳か!? 早くも孫からひ孫の世代となった・・ 感無量!!

・万博は新婚時代の真っ盛り

・時を超え次万博は孫世代

・万博時植えた木々がもう巨木

・植物の自然の営みまか不思議 頑爺

今 万博公園は梅の花がきれい

 

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