憂国の花束

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祖国日本よ! 誇り高くあれ。

悠仁殿下の進学先についての私見。

2021-12-15 23:10:58 | 悠仁殿下
悠仁殿下の進学先が取り沙汰されている。
なんでも紀子さまが悠仁殿下に用意したプランの最終目標は東大なのだそうで、そこに至る高校進学について様々な意見が出ているようだ。


日本に軍隊がある時代が続いていたら、昭和天皇の弟宮たちがそうであったように、悠仁殿下の進学先は議論の余地無く陸海空軍いずれかの(たぶん陸軍?)の学校だったでしょう。
大正天皇の第二皇子・秩父宮殿下は昭和天皇がまだ皇太子だった1920年陸軍士官学校入学。昭和天皇に皇太子が誕生する前、継承順位第一位の皇嗣殿下であった1928年には陸軍大学校へ入学している。
親王といえども天皇の臣下。天皇の臣下として天皇と国を守る。それが親王の立場である。
と、されてきたのであったのだが・・・。
ちなみに、昭和天皇は皇族身位令により11歳で陸海軍少尉、14歳で陸海軍中尉15歳で陸海軍大尉。15歳で皇太子となり、満18歳で成年式。満19歳で陸海軍少佐となっている。
ご学問のほうは、学習院初等科卒業後、東宮御学問所に入り1921年(大正10年)2月28日、満20歳を前に東宮御学問所修了式が行われている。

気がつけば、いつの間にか天皇は天皇家の”お父さん”(雅子皇后は今上を”お父さん”と、お呼びになるようだ)秋篠宮親王は秋篠宮家の”父”。共に徹頭徹尾マイホーム主義の父親と父親が並び立っているだけで両家の間に交流は殆ど無いと報じられている。

さて、軍隊が無くなり、天皇に対しては臣下という位置づけも曖昧になった親王は最終学歴に何を選ぶのだろうか。
上皇は初等科2年で終戦を迎えた。もし戦前の体制がそのまま続いていたら昭和天皇と同じような経歴となっていただろうが、天皇が象徴天皇となり、軍隊も無くなってしまったので、学習院を大学まで行くことになり、公務多忙で中退され、聴講生として学業を続けられた。
今上と秋篠宮殿下は、学習院以外に選択肢を与えられないままに学習院大学を卒業された。

私は悠仁殿下の進学先が東大であっても良いと思っています。行かれるのなら、大学の成り立ちと歴史から見れば、私立より国立のほうが、筑波大より東大のほうが、天皇には相応しいと思う。
当然忖度入学となるのだろうが、将来の天皇なのだから、堂々と表から大手を振って忖度入学されたらよい。「堂々と大手を振って」というところがミソです。
忖度が無いかのように面接を受けてみたり、コソコソと特別制度をつくって利用しようとするのは下品で卑しい。どの高校、どの大学へ行かれても「忖度」の噂は付きまとうでしょう。将来の天皇を「卑しい忖度」で進学させるのではなく、「公明正大な忖度」で進学して頂けばよい。というのが私の主張です。
残念ながら、今まで誰からも共鳴していただいたことが無い。

麻の中の蓬という諺もある。テニスも上手なプレイヤーとプレイすると上達するというし…。
一応日本のトップクラスの「知」とされている東大へ行かれたら、トップクラスの人々に揉まれる中で、軍隊を持たない日本を護る「知力」日本の国益を護る「知力」を磨いていただきたいが…。
天皇には天皇にしか出来ないことがあるはず。と私は思っておりますけども。


2021年秋篠宮殿下お誕生日映像。二枚とも本当は佳子さまと三人の家族御写真。
次代の天皇、次次代の天皇を強調するために佳子さまをカット。
御二人だけでもそれほど不自然ではない。