憂国の花束

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愛子さまの反面教師に使われる眞子さん

2021-12-23 23:02:21 | 愛子さま
文芸春秋’22年1月号。今上家お抱え記者と評される友納尚子氏は手慣れた筆致で愛子さま絶賛を続けるが、中に気になる所がある。

ちなみに記事表題の<本当に幸せだったのだろうか>は愛子さまが眞子さんを指して言われた言葉ではない。
表題だけ読むと、あたかも愛子さまが眞子さまのことを言われたように錯覚してしまう。こういう方法は嫌らしい。文藝春秋の品格なのか、友納さんの品格なのか。どっちだろう。

「皇族の結婚とは何が理想なのか」愛子さま20歳が眞子さんの結婚までの過程をご覧になって考えられたこと〈本当に幸せだったのだろうか〉
#3
<抜粋>
今上皇后両陛下の困難を乗り越える方法とは
楽しかった出来事を思い返すと気持ちが安定するので、目の前に困難があったとしても乗り越えられるという実感をお持ちのようだということだった。

😇 なるほど今上陛下のお人柄が伝わります。目の前の困難は過去の楽しかったことを反芻してやり過ごしていたら「何もせずとも愛子は無事に育ったし、私を拒否していた皇后は私を頼りにするようになった。良かった良かった。」でしょうか。
困難は楽しいことを思い出して乗り越えるというかたに、皇室の将来を考えて眞子さんの結婚をどうにかしようという発想は逆立ちしても出てくる筈がなかったのだ、と解ります。少しは期待した私が馬鹿でした。

3年生の時には学校からもらってきた蚕を御所内で育てられたという。美智子上皇后陛下も蚕を大切に育てて来られたため、愛子さまと話が弾むことがあったという。

😰 紀子さまに連れられた幼い眞子さまと佳子さまが美智子さまの養蚕を毎年手伝ったことは、無かったことにされてしまうのでしょうか。
雅子さま、愛子さまが美智子さまの養蚕を手伝ったことなどないでしょうに。
雅子さまは皇后になって初めて渋々養蚕の儀式に形だけ手を出されるようになりましたね。
雑誌は何もしてこなかった雅子さま、愛子さまを称賛し、地道に子供を育てて来られた紀子さまの努力を嗤うような記事ばかり書く。

眞子さんの結婚で愛子さまが考えられたこと
愛子さまは、眞子さんの結婚までの過程をご覧になりながら、皇族の結婚とは何が理想なのかを考えられたといわれている。 
「ご自分の意思で選んだお相手が両陛下や国民から納得を得るためにどうしたらいいのか。どういう相手なら祝福されるか。そういうことを考えると、結婚の時には躊躇なさることもあるかもしれません」
 と天皇家をよく知る人物は語る。

😨 眞子さんと小室が結婚する少し前、愛子さまはTV報道を見て、犬の頭を撫でながら「幸せになられるといいね。」と言われたとかで「愛子さまも二人の結婚を応援している。」という文字が週刊誌に躍ったものでしたが。

実際は眞子さんを後ろ指さして「ああはなりたくない。」と御本人が言ったのか、ご両親や周囲が「ああなってはいけませんよ。」と教えたのか。
従姉を反面教師にして、「ああはなりたくない。」「ああなってはいけない。」と言い合う家族って何なのでしょうね。何か、嫌らしいなー。
天皇の御家族には、従姉を反面教師にするような発想とは無縁でいて欲しかった。
眞子さんと無関係に皇族としての結婚の在り方、を考えるのは良い。眞子さんを見て理想の結婚を考えるのは、単に批判されるのを避けたいという保身でしょう。

〈藤原氏は、自分の娘を天皇のきさきとして、外戚関係を築くことにより、勢力を伸ばしていった。その中でも、藤原道長は4人の娘を天皇と結婚させ、摂政や内覧の座について権力を手中におさめていったことが分かった〉

 そしてレポートの最後は、〈道長の人生は本当に幸せだったのだろうか〉と結ばれている。

😇 記事の題名中の<本当に幸せだったのだろうか>は、愛子さまが道長について書いた言葉でした。

外戚になることは本当に幸せかって?そんなことは現在天皇の外戚である小和田のお祖父様に聞いてごらんなさいませ。





自分流の天皇家

2021-12-23 13:05:34 | 天皇
秋篠宮家の失態を利用して、即位するまで低評価だった今上家の評価を上げることを目論む記事が途切れることなく出て来る。今上家を絶対評価で高評価に繋げることが出来ないことを「チーム今上家」も承知しているのでしょう。
私は今上家にも秋篠宮家にも皇室の再生のために奮起して頂きたいと願っているのですが「チーム今上家」の採る方法は常に姑息で卑しい。もっと何か、違う方法は無いものかと思う。

黒田清子さんのティアラ借用は愛子さまのご提案だった…成年を前にご両親へ宛てた“お手紙の内容”《皇后雅子さまは手紙やカードの数々を箱に保管》
#1
文藝春秋2022年1月号 友納尚子

😇 いつまで愛子さまのティアラネタを美談で引っ張るつもりなのでしょうか。しつこいですね。
このしつこさ、クドさは上皇上皇后の「最後の〇〇」と同じしつこさ、クドさ。執念深ささえ感じてしまいます。


<抜粋>
お誕生日をむかえる数週間前、愛子さまは新しい親子関係の始まりとなるこの日に向けて、両陛下に宛てて、育てていただいた感謝の気持ちを手紙にしたためられた。
 雅子皇后が実家の小和田家でそうだったように、愛子さまも節目の時には、手紙やカードに感謝のお気持ちを綴られ、両親に渡してきたという。

😇 それは単に外交官で海外暮らしが長い小和田家がちょっとしたことでカードを贈り合う欧米の文化風習に馴染んでいたということではないでしょうか。

両陛下への感謝の挨拶は成年式の中に含まれていますね。愛子さまの成年式では、両陛下への挨拶は非公開でしたので、愛子さまが何を言われたのか、両陛下がどのような御言葉を掛けられたのか不明ですが、心のこもったやり取りであったことは想像できます。
感謝の意は何度表しても良いとはいうものの、このようなことまで、さも立派な事のように取り上げて報じて、ついでに雅子さまと小和田家の印象まで良くしようという魂胆が透けて見える。なんとなく嫌な感じ。

奇しくも、この度ティアラをお借りした天皇陛下の妹黒田清子さんが学ばれたのと同じ学部だ。 愛子さまは現在、学習院大学文学部日本語日本文学科の2年生。

😇 毎度、国民に評価が高い黒田清子さんを引き合いにして、愛子さまの評価を高めようとするし…。
黒田清子さんと同じ、、、黒田清子さんがお手本、、、黒田清子さんに学ばれて、、、等々。しっこい。クドい。黒田清子さん抜きに、愛子さまの素晴らしさを語れないものでしょうか。

成年にともなう関連行事は、12月1日と5日の2回に分けて行われるという異例の対応となった。

 宮内庁は、事前にその理由について「1日は愛子さまの授業があるため」と説明。学業優先は黒田さん成年時の先例を踏まえたものだというが、それはあくまで表向きの理由であって実際には、いまだに尾を引く秋篠宮家の長女、小室眞子さんの結婚問題の影響も考慮したといわれた。

😇 わはは。友納さんが「学業優先は表向き理由」というからには、愛子さまの「学業優先」は表向き理由で決まりですね!

黒田清子さんが成年になった平成元年(1989)は昭和天皇の喪中だったため、お誕生日当日は勲一等宝冠章(現在の宝冠大綬章)の親授式だけが行われたが、祝賀行事は年をまたいで行われ、祝宴も晩餐会も催され盛大なものだった。翌日も茶会などの行事は続き、多くの人たちから祝福を受けられた。

😇 喪中であっても、清子さんの成年式の宮中行事は当日に滞りなく行われた。愛子さまも黒田清子さまに倣うのなら、成年式の宮中行事は12月1日、皇族、三権の長、ご親戚の挨拶を受ける祝賀行事は5日、というスタイルになるはずですが?

今では、女性皇族の象徴ともされるティアラだが、元々は海外の女王が日本に招かれた際に着けていたもので、日本には着ける伝統や習慣はなかった。その歴史的な経緯を知った愛子さまは、新しいティアラを製作しないことを両陛下にご提案。3人で話し合われた結果、黒田清子さんのものを借用することにしたのだという。

😱 イヤイヤイヤ。何を仰る!
女性皇族の礼装を定めた明治19年婦人服制以来、礼装にティアラは必須だったのです。ティアラと礼服のセットで皇族女性の礼装が完成するのです。
美智子さまが御自分の都合でティアラを付けなくなって以来、ティアラの扱いが軽くなりましたね。



「ティアラは元々日本の文化ではない」とおっしゃるのなら、西洋に追いつくために定めた婦人服制から脱して、古式ゆかしい装束など皇族の礼服に如何でしょうか。
ティアラ無しの寒々しく貧乏臭い礼服のオンパレードより余程日本文化の素晴らしさを伝える機会になると思います。

黒田清子さんのティアラを借りることが愛子さまの提案だったとは信じがたい。宮内庁の「有り難き思し召し」の殆どは、日が経ってから出てくる。後付け、なのではないか。

愛子さまは、公の場でこれほど多くの儀式に臨まれたことがない。そのためこの日に向けて両陛下から所作を習い、何度も練習をなさってきたといわれた。ご自分でノートに鳳凰の間、竹の間など各部屋の間取りを書きこんで、入っていくところから退場なさるところまでの経路やお立ちになる位置などを確認されていたそうだ。

😐 もしかして・・・すごく物覚えが悪いという事実を言い換えていらっしゃるのではありませんでしょうか?
三月の記者会見はどうなるのでしょう。

祭祀への欠席もそうですが、ティアラ、成年式、決まり事を自分流に変えて行く今上家。決まり通りにしない理由に、コロナと秋篠宮と学業を使う。決して褒められるものでは無いとおもうのだが。