文芸春秋’22年1月号。今上家お抱え記者と評される友納尚子氏は手慣れた筆致で愛子さま絶賛を続けるが、中に気になる所がある。
ちなみに記事表題の<本当に幸せだったのだろうか>は愛子さまが眞子さんを指して言われた言葉ではない。
表題だけ読むと、あたかも愛子さまが眞子さまのことを言われたように錯覚してしまう。こういう方法は嫌らしい。文藝春秋の品格なのか、友納さんの品格なのか。どっちだろう。
「皇族の結婚とは何が理想なのか」愛子さま20歳が眞子さんの結婚までの過程をご覧になって考えられたこと〈本当に幸せだったのだろうか〉#3<抜粋>今上皇后両陛下の困難を乗り越える方法とは。
楽しかった出来事を思い返すと気持ちが安定するので、目の前に困難があったとしても乗り越えられるという実感をお持ちのようだということだった。
😇 なるほど今上陛下のお人柄が伝わります。目の前の困難は過去の楽しかったことを反芻してやり過ごしていたら「何もせずとも愛子は無事に育ったし、私を拒否していた皇后は私を頼りにするようになった。良かった良かった。」でしょうか。
困難は楽しいことを思い出して乗り越えるというかたに、皇室の将来を考えて眞子さんの結婚をどうにかしようという発想は逆立ちしても出てくる筈がなかったのだ、と解ります。少しは期待した私が馬鹿でした。
3年生の時には学校からもらってきた蚕を御所内で育てられたという。美智子上皇后陛下も蚕を大切に育てて来られたため、愛子さまと話が弾むことがあったという。
😰 紀子さまに連れられた幼い眞子さまと佳子さまが美智子さまの養蚕を毎年手伝ったことは、無かったことにされてしまうのでしょうか。
雅子さま、愛子さまが美智子さまの養蚕を手伝ったことなどないでしょうに。
雅子さまは皇后になって初めて渋々養蚕の儀式に形だけ手を出されるようになりましたね。
雑誌は何もしてこなかった雅子さま、愛子さまを称賛し、地道に子供を育てて来られた紀子さまの努力を嗤うような記事ばかり書く。
眞子さんの結婚で愛子さまが考えられたこと愛子さまは、眞子さんの結婚までの過程をご覧になりながら、皇族の結婚とは何が理想なのかを考えられたといわれている。「ご自分の意思で選んだお相手が両陛下や国民から納得を得るためにどうしたらいいのか。どういう相手なら祝福されるか。そういうことを考えると、結婚の時には躊躇なさることもあるかもしれません」と天皇家をよく知る人物は語る。
😨 眞子さんと小室が結婚する少し前、愛子さまはTV報道を見て、犬の頭を撫でながら「幸せになられるといいね。」と言われたとかで「愛子さまも二人の結婚を応援している。」という文字が週刊誌に躍ったものでしたが。
実際は眞子さんを後ろ指さして「ああはなりたくない。」と御本人が言ったのか、ご両親や周囲が「ああなってはいけませんよ。」と教えたのか。
従姉を反面教師にして、「ああはなりたくない。」「ああなってはいけない。」と言い合う家族って何なのでしょうね。何か、嫌らしいなー。
天皇の御家族には、従姉を反面教師にするような発想とは無縁でいて欲しかった。
眞子さんと無関係に皇族としての結婚の在り方、を考えるのは良い。眞子さんを見て理想の結婚を考えるのは、単に批判されるのを避けたいという保身でしょう。
〈藤原氏は、自分の娘を天皇のきさきとして、外戚関係を築くことにより、勢力を伸ばしていった。その中でも、藤原道長は4人の娘を天皇と結婚させ、摂政や内覧の座について権力を手中におさめていったことが分かった〉そしてレポートの最後は、〈道長の人生は本当に幸せだったのだろうか〉と結ばれている。
😇 記事の題名中の<本当に幸せだったのだろうか>は、愛子さまが道長について書いた言葉でした。
外戚になることは本当に幸せかって?そんなことは現在天皇の外戚である小和田のお祖父様に聞いてごらんなさいませ。