アタッて砕いてみる!

オバサン奮闘記

7年前、7年後

2013年09月10日 | 日記
7年後のオリンピックが、東京に決定!

1964年の東京オリンピック・・おばさんの通っていた学校では、団体で何種目かの競技のうちの一つを選んで見に行きました。

たしか、人気の少ないホッケ-を見に行って、感想文を書かされた思い出がありますが、試合の内容は全く覚えておりません。

                                                           

7年後のおばさんは何をしているのか?と、思ったら”なぜか、7年前はなにをやっていたの・・”となりました。

7年前、お爺ちゃんの介護が始まって2年目、月に何度かの通院が憂鬱な日々でした。

介護認定を受けるには、まず掛り付け医から、医者の意見書を出して貰わなければなりません。

糖尿病の爺ちゃんは、毎月検査をし食事指導を受け、薬を貰って来なければならないのです。

病院の順番を取り、診察前の血液検査と検尿を済ませて、診察を待つのですが、これが容易に呼ばれません。

痴呆がかかった爺ちゃんは、飽きて勝手に病院を抜け出そうとするのを、騙し、怒りながら数時間、ひたすら診察室に呼ばれるのを待ちます。

血糖値や血圧は毎日自宅で測る様に器具をリ-スさせられ、自分では全く測ろうとしない爺ちゃんの数値を毎日測定し、

インスリン注射を打ち、血圧も測って表を作り、診察日に医者に見せていました。そうして介護施設に送り出すのも、幼稚園児と同じ様に、

連絡帳に体調や連絡事項を書いて持ち物調べをし、排便、食事と着替えをさせ、髭をそり、時にはけがの手当てをし、送り出していました。

                                 


その頃、連れ合いの婆ちゃんは介護を放棄・・詩吟の稽古を付けに、生徒を集めては忙しく出掛ける日々。おばさんは運転手をやる羽目に。

我が亭主殿は、会社に行くのかゴルフに出掛けるのか、毎朝、車のトランクにゴルフクラブを詰め込んで出掛けていました。

自分に半端な時間しか取れないおばさんは、その憂さ晴らしに”ガリガリッガ-”とガラスを削って、一時は作品の製作に没頭しました。

考えてみたら、病気でないおばさんなのに、ここ8年間病院に通う日々です。爺ちゃん7年、婆ちゃん1年、それに重複して亭主殿1年。

おばさんは7年前までの数年間に病気やら、怪我やらまとめて経験して、以後は何とか元気にやっております、高脂血症が問題ではありますが・・



と言うわけで、なんだ・ず-と介護だったんだ    

じゃ、7年後はどの様な事になってるか・・・スペインに行って、「ガウディ」の作品に触れて、自分の作品をランクアップ!出来たらいいな。



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1 コメント

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Unknown (ぶなお)
2013-09-12 12:46:33
大変たったね、ていうか今も大変なんだけどね・・・
人の人生って春夏秋冬があるって聞いたよ
順番は人それぞれだけど、振りかえるとその時は冬だと思っていた事が時間がたつと実は夏だったりしたな。私は。
おばさんは良くやったと思うよ。
バチを当てるのは神様に任せて、自分の為に楽しんで♪
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