アタッて砕いてみる!

オバサン奮闘記

ミニトマト

2013年06月27日 | 作ってみた
娘にもらったミニトマトの苗をプランタ-植えたら・・

腰の高さほどの苗に、たくさんのミニトマトが成ってきました。

あまり水をあげないでいたら、下の方の葉っぱが萎れてきています。

青い実の一房の内、四個が赤く成ってきました。

甘いかな?皮は硬いだろうな?カラスが狙っていないかな?

思わずつまんだら、ポロリと枝から外れので、

口に入れてみるとちょっと酸っぱいけど、皮が軟らかくて、

トマトの濃い味がしました。

実の成る夏の楽しみです。

野菜炒め

2013年06月18日 | 作ってみた
    

お茶にしようかと、「お父さん、コ-ヒ-のむ?」  「うん」
ポコポコのセットしてしていると、 「お昼は野菜炒めがいいな。」
スイッチを入れる・「そうだ!俺がやってみる。」
「キャベツはあるの?どうやって作るの?」
はいはい、キャベツはいつもここにございます。
冷蔵庫から野菜類を取り出して、「はいどうぞ!」  「どうやって切るの?
はい、お水でよ~く洗ってね。自分で食べ易いと思う様に切って下さい。
「こうやって?」  包丁の先っぽ でちょいちょいと切り始めた。危なっかしい・・
包丁の柄を手で包む様にしっかり握って、包丁の刃の全体で こう、切るの”ザクッ”。
自分の食べる時を考えて、あ、人参はそんなに厚く切ったら、食べる時”ガリガリ”だよ。
フライパンを火にかけてね。 「油はどれ?どの位入れる?野菜もいれていいの?」
フライパンが熱くなってから、入れるの、先にニンニクを油の中に、油に香りが移ったら肉を痛めて・・
「熱くなったよ、肉入れよ、アッチィ・・」 油が跳ねて手を引っ込め「あぶないね。」  
                             「その内慣れます。」
塩分控えめの人だから、調味料は少な目に入れる
「ハイ、出来た!娘に見せるから、写真撮っておいてよ!」   
んじゃぁハイっ!証拠写真パシャッ。
「さあて、食べよ食べよっと・・」
           ん・あれ?コ-ヒ―飲むんじゃなかったの!?

女子会:中学校編

2013年06月17日 | 日記
中学校で一緒だった仲良しの友達に女子会に誘われました。

駅からメ-ルを送ると、今チャコちゃんが迎えに行ったよ!と返信あり。
駅前で通りを見ていると、信号で止まった車の運転席に見覚えのある顔が!
「あっ、わ-っちっとも変わんない。」手を振ると、向こうも同じ様に手を振ってます。
50年経っても意外に判るもんだね。ギョギョッなんだってぇ~
そうです。遥か昔のクラスメイト・・昔話に花が咲きます。

会に誘ってくれたイケちゃんとおばさんは、いつも話題はビ-トルズ、箒をエレキ代わりに歌ったっけね。
                                   
八百屋さんのトンちゃんの家では、天皇陛下と美智子様の婚礼馬車行列を見せてもらった覚えがあります。
当時はテレビのある家が少なかったのです。
トンちゃんのお父さんは軽トラの音もユニ-クな、市場の名物お爺さんだったそうです。

そういえば、近所の遊び仲間の家で毎週夜にアメリカのドラマ「ララミ-牧場」を見せてもらいに行きました。
その家はその辺では一番早くテレビを買ったので、近所の子供達に交じっておばさんも押しかけていましたっけ。
                                    
迎えに来てくれたチャコちゃんは頭が良くて人気者。あの頃小っちゃかったけど、大きくなったわね。
ヤッちゃんと一緒に生徒会の役員さんをしていました。

お菓子屋さんのヤッちゃんは話好きでおしゃべりが絶えません。
ヤッちゃんのお店は毎日通いました。紐のついた三角錐状の飴や、クジをなめて当たりの駄菓子を買ったり。
夏は一本5円のアイスキャンディ、最中の皮と同じ材料の皿は、かき氷のシロップで解ける前に食べ切らないと危うい。
当時はペットボトルが無いので、飲んで返す瓶に入ったラムネ、バヤリ-ス(オレンジジュ-ス)。コ-ラは少し後だった。 
                              

ボ-イッシュなイクちゃんは介護のお仕事をしているそうです。
カラオケが上手だと思ったら、施設でお年寄りに歌わされているんだって、どおりで曲目が一昔前だ~ね。

お店を始めたさっちゃんは、その名で開店し今日も場所を提供してくれました。
商売っ気の無い低価格で、おっとりと言います。「食べていかれればいいと思って。」そのスタンス良いかもよ!

あっという間に4時間過ぎていました。しゃべり足りない思いでそれぞれの家に帰る、かつての女子達でした。




掌蹠膿胞症(しょうせきのうほうしょう)

2013年06月15日 | ・・のはなし
おばさんがこの病気になったのは、10年以上前の事です。
初めは手のひらがカッカと熱くなり、ガラス瓶を握って冷やした覚えがあります。
その頃の記憶は曖昧ですが、その後手のひらにポツンと水泡が出来ました。

その頃は主人のお付き合いの雑務が増えて、お爺ちゃんの介護が始まりました。
周りに振り回されるイライラを解消すべく、合間を縫ってゴルフのクラブを振り回していました。
気が付くと両手のひらが皮がむけてガサガサになっていました。
ガ-ゼを当てテ―プで止めて保護していましたが、次第に剥けてくる来る皮が固く厚くなっていきました。
皮膚科で診てもらいましたが、塗り薬(ステロイド)を処方されるだけで、病名も判りませんでした。
その内、両足のかかと(蹠)も同じ様になっていきました。まるで、あかぎれや水虫の様でした。
不思議に手の甲や足の指は何事も無く、手のひらと(掌)、かかと(蹠)だけに症状が出るのです。

手はただの水でも沁みる様になり、かかとは歩くたびにひび割れが深くなっていきました。
丁度その頃、眼腱痙攣が始まりました。
外出の時はかかとのひび割れが痛いので、ガムテ―プでぐるぐる巻きにして靴下をはき、
手には白い綿手袋、手が痛いので、化粧も出来ない”むさ苦しい顔”なのでサングラスを掛け、
人や電柱にぶつかりながら歩きました。(眼腱痙攣の為)
これは、とってもあやしい?!姿だったと思います。

手袋の上にビ二-ル袋をかぶせ、しっかり輪ゴムをきつくして両手をガ-ドし、頭をシャンプ-しますが、
どうしても水は沁み込んで、皮の剥けた手が痛みました。
綿とゴムの二重手袋の炊事は滑って、何度も野菜や皿を落としました。
ス-パ-では、床に落とした小銭がいつまでも拾えず、情けない思いをしました。
数件の皮膚科を回りましたが、治療は同じでした。
ある日市立病院の医師から、聞き覚えのない病名を告げられて、メモを渡されました。
「掌蹠膿胞症」と書いてありましたが、この病気は治らないと言われました。
  
”こんなに痛いのに治らない・・”途方に暮れたおばさんは、人生の相方に報告をしました。
病名は先生がメモをくれたけど読めません。これが病名だそうです。・・とメモを写メで送りました。
会社にいた相方は、職場の人に声をかけ、ネットで検索をしてもらいました。
そして、幸運にも「アキタコマチ」というホ-ムぺ-ジにたどり着きました。
相方はそれを全部コピ-して、持ち帰ってくれました。

そこにはおばさんと同じ病状の人達の体験が沢山書き込んでありました。
そしてホ-ムぺ-ジは自らこの病気で苦しみ、完治した 最上谷 智和子 ( もがみや ちわこ )さんが
一からパソコンを習得して立ち上げて下さったものだと知り、感激しました。
コピ-を読み終えたおばさんは、即秋田の病院へ行って直してもらおうと、病院に電話を掛けました。
新幹線秋田へ向かう「こまち」に乗り、未知の場所に向かいました。当時は予約なしで診察して頂けました。

「免疫内科」の前橋 賢先生は以後テレビ出演もされましたが患者に丁寧に接してくれる厳しい先生です。
皮がむけてガサガサのばっちいおばさんの足をポンと膝の上に載せて診察し、「治りますよ。」と言ってくれました。
当時前橋先生就きの婦長をされていた看護士さんは、どこの皮膚科でも教えてもらった事の無い、
塗り方を教えて下さりながら、丁寧に薬を塗って下さいました。この病気を知って研究してくれた先生がいた。
おばさんは、ほっとして腰砕けの様になりました。嬉しくて涙が滲んできました。

診察後の病気説明は病気の性質やどの様に治癒に向けて生活するかを納得できる内容で教えてくださいました。
おばさんは、病気に立ち向かう勇気が湧いてきました。そして、きっと治ると確信しました。

病院での検査結果は、後日封筒が郵送され、そこには前橋先生の手書きの結果表が書かれてありました。
そして末尾に、薬の性質と完治まで時間がかかる為、中断しない旨と「ご快癒を祈念しております」との
添え書きがありました。
約2年半、傷んだ皮膚を癒しながら、病院で処方された薬を飲み、完治する事が出来ました。












眼腱痙攣

2013年06月10日 | ・・のはなし
    過去の病気の話です。

    車を運転中、コ-ナ-を曲がると急に西陽が目を射しました。
    あまりの眩しさに、無意識に瞼を閉じ、再び瞼を開けようとした時にぴくぴくと痙攣をはじめました。
    家に着くまで、ず-っと痙攣が止まらず、でもその内に止まるだろうと思って様子を見ていました。
                 
    夜になっても収まらず、翌朝、目が覚めると、まだ痙攣が止まりません。困って近くの眼科へ行きました。
    眼球を丁寧に調べて、異常なしと診断されましたが、
    医師は「チック症では無いですね。一度脳神経外科で診察を受けてはいかがでしょう。」と勧めてくれました。
    そのまま近くの神経外科に行ったものの、CTを撮影して異常なし、薬も無し。
    範囲を広げて眼科を何件も回るのですが、結果は皆異常なし。
    今思えば、異常があるのは瞼なので、いくら目玉を調べても無駄な事でした。
                 
    やっとそれに気づいてみたものの、ひっきりなしの痙攣に困り果て、
    辛いので何とかならないものかと再び神経外科を訪れて訴えると、紹介状と画像を持たされて
市立病院へまわされました。
    市立病院では、加えてMRI/MRAを撮影した結果、眼腱痙攣と診断されました。
                  
    医師曰く、方法は投薬か手術ですが、取りあえず薬を飲んで下さいと、パ-キンソン病の薬を処方されました。
    これが又、、飲んだ後が薬が咽に詰まる感じで、それがず-と続いて、一日中気分悪い薬でした。
    痙攣が全く収まらないので、まずはおでこの皮膚が凝り、頭皮が凝り、首、肩、遂に背中に鉄板を入れた様になり、
    虚脱感でぐったりしてきました。薬は半年位で勝手に飲むのを止めてしまいました。通院もやめました。
    誰かと向かい合って話をしていると、おばさんの顔を見ている相手の方が、痙攣に疲れてしまうようでした。
                  
    痙攣が辛いので、少しでも楽になりたくて瞼を閉じました。
    ところが瞼は閉じても痙攣は止まりませんでした。歩いていても、自転車に乗っても、辛くて瞼を閉じる様になり、
    人や電信柱にぶつかりました。そうしている内に、今度は瞼を開けようとする時に、瞬間的に開かなくなりました。
    「さあ、目をひらくぞ!」と目の周りに意識を集中させて、「えいっ!」と掛け声をかけて瞼を開けました。
    車の運転時は、自動で開かなきゃ、手動で開けてやれ!とばかりに、片手で、瞼を吊り上げていました。
    たまたま旅行で台北に行く事になり、上手いと評判のマッサ-ジ店を二件訪ね、全身マッサ-ジを受けましたが、
    「アナタ、カタイ・・・」とさじを投げられました。
    針治療も受けましたが、これは疲れには少し良いようでした。でも、根本的な改善ではありませんでした。 
    あまりに長い間、休み無く痙攣しているので、瞼の腱が切れて 眼瞼下垂になり、瞼が垂れ下がって来ました。
                  
    今はとても感謝している友人の紹介で皮膚科を受診しました。 ここに早くたどり着けば良かった
    瞼の周りの(肛門の様に周りを取り巻く)腱の痙攣を、伝達を止めてしまう切断手術と
                    垂れて伸びた分の瞼を切って、縫い縮める手術を同時にやりました。
    「どんなに痛くても、どんなに無様な顔に成ろうとも構わない、この疲れから解放されたい・・」
    術後の腫れあがった両瞼に、にじんで来る血をガ-ゼで抑えながらホテルに着くと、
    痛みを感じる余裕すら無く、全身の緊張が解けた解放感で、ベッドになだれ込みました。
    聞けば、夜中じゅう大イビキだったそうです。
                         
    術後の診察を受けた後、サングラスを掛けて帰宅。
    数日間は、縫い縮めた瞼が寝ている内に半開きと成り、それによって眼球は乾いて痛みを伴いました。
    目薬を差し、瞼に塗り薬・・そうしているうちに症状も落ち着き、ゆっくり眠れることが実感できました。
    
     穏やかな眠りから覚めたある日、鏡を見ると、
    !!眉が濃い! 縫い縮めた瞼の上まで、もじゃもじゃの眉が広がっていました。
    まるで原始人。次の処置は伸び放題に幅の広がった眉を,自分で通常の位置に整備する事でした。
    「痛っ・たた・・」時に涙を滲ませながら、原始人から現代人へ、伸びてくる眉毛を一本、又一本と抜きました。
    皮膚科で行った手術は痙攣を遮断する対処治療なので、美容整形とは目的も出来上がりも違い、
    以前の顔とは変わりましたが、久々に会う人にも認識?してもらえる程度なので、まあいっかなのです。
 

    病気は身体だけでなく、心を病みますね。こころが折れたら、病気に負けたら・病人になってしまいます。
    実は同時期にもう一つの病気と闘っていました。     
                                         
    

    

     

ちゃりんこ

2013年06月08日 | ・・のはなし
完全退職を間近にグランドゴルフを始めた相方は、専用のクラブ持参で近所の公園までちゃりんこを飛ばします。

老年になって初めて、ちゃりんこの手軽さ、身体に受ける風の心地よさに気付いたおじさんは、最近よくそれに乗る様になりました。

そんな訳で、おばさんは愛車が必要な時に乗れず困っていました。

「仕方ない、そんじゃぁ一つ、オジサン専用のかっちょいい!自転車を買ったら如何?」と勧めてみましたが、

(着るものなどは、捨てたくなる様なモノを好んで着る・・)”古い物好き”の爺さんは何故か”婆チャリ”に固執

                    
ある日、買い物のついでに、シマホに展示してあった自転車を買いました。オレンジ色の1万5百円なり。

店員さんが、「ダイナモライトなので、点灯するとペタルが重くなりますよ!」といってます。

おばさんは、「はい、けっこうですよ。」(望むところだべ、付加が付けば少しは運動になる。と内心ほくほく)

何だかな・・・おばさんもオジサンと似たり寄ったりの、安もの好き。
                       
                         

     実は先々週から二回も自転車のタイヤがぺしゃんこになり”パンク”と思って修理をお願いしに行きました。

     二回ともパンクではなく、”空気が抜けた”だけでチュ-ブは傷んでおりませんでした。

     納得できないので店員さんに聞くと、

        「夏の日差しは強く、タイヤの空気が膨張して、チュ-ブが大きく膨らみます。

         特に硬め(沢山空気を入れる)癖のある人は、チュ-ブが破裂して、いざ乗ろうとする時にパンク!!」

     対策は・・  

     場合によりますが、これから気温が高くなるという時に空気を入れる場合は、少なめに入れるべきだそうなのだ。

     でも、うちのババチャリはパンクじゃないのに、ペッタンコ!だった・・しかも二回、これは何?!

     店員さんも首をかしげた。日向に放り出しっぱなしに チョットと反省。

     暑い日はなるべく木陰を選んで駐輪しています。ちゃりんこの反乱だったか・・な。


梅雨です

2013年06月04日 | 日記
良いお天気が続いています。どちらさんも、洗濯物のオンパレ-ド・・たしか、梅雨入り

最近、”家事”に目覚めた亭主殿が、水だけで汚れが落ちるスポンジ”激おちくん”であちこち掃除をはじめました。

最初、ゴルフクラブを磨いてピッカピカに成ったのを皮切りに、

ベランダに転がしてあるゴルフボ-ルを磨いて新品になったと、大はしゃぎ

次にスパイクを磨いて感激し、部屋のドア-も磨き始めました。

おばさんもつられて、愛用のサンバイザ-に着いている汚れを水だけでこすると、なんと綺麗に落ちました。

歯ブラシに洗剤を付けてこするよりも綺麗になり。あっぱれ激落ち君洗濯にも使えちゃうのね。

「床も磨いてみようか」と我が家の”掃除大臣”・・・ぇへっ・いいぞぉ