避暑だといって連れてこられたのは、森の中の別荘だった。
フレイアはさほど暑さを感じていなかったが、その家が気に入った。
湖の中の小さな島にぽつんと一軒、建っているのだ。
「二番目の姉に借りたのです。明日は近くの女性達も来ますよ」
ケダフがフレイアにウインクをしてみせた。
難問を解決したのだ。
次の日は特訓だった。
侍従達には南側への外出を禁じ、女達だけで岸に出る。
地元の女達は皆服を脱ぎ、ふっくらとした身体を、惜し気もなく陽に曝した。
フレイアもドレスの紐をするすると解き、躊躇なく脱ごうとする。
「フレイア様!」
侍女のユリアが飛び付いた。
「いきなり何をなさるのですか!幕がありますでしょう?」
フレイアが顔を赤らめた。
「あ、荷物を置く為ではなかったのですね」
「泳ぐためのお召し物も用意してございます。どうぞこちらへ」
ユリアが小さな青い幕へと、フレイアを導いた。
後ろ向きのまま、笑いを噛み殺す。
フレイアを初めて見た時、ユリアはその武人のような動きに驚いた。
けれどもそれも、近頃ではすっかり鳴りを潜め、柔らかなドレスで過ごす優雅な時間が、似合うようになっていたのだ。
実は無理をしていたなどと、気付く者もいないくらいに。
「がっかりさせてしまいましたか?」
幕の中でドレスを脱ぎながら、フレイアがユリアに問う。
「いいえ。安心致しました。短い間でこうも変わられるとは、魔術でもかけられているのかと、疑っておりましたので」
ユリアは慣れた手付きで、受け取った服を畳みながら答える。
「魔術ですか。似たようなものかもしれません。こうゆうドレスは、実際に動きを制限するだけでなく、相応しい身のこなしをしなければならない、という気にさせます」
真面目に答えるフレイアに、ユリアは又、微笑ましい気持ちになった。
自分より年上なのにも拘らず、フレイアが時々子供のように感じられるからだ。
「ではこちらに着替えられたら、すいすいと泳がれますね」
ユリアが取り出し服は、肩から腰までと、腰から膝までの二枚に分かれていた。身体に添い、よく伸びる。
色は真っ赤で人目を引き、肌のは映らなかった。
「努力します。沢山の方々にご協力に相応しい結果を、出したいと思っています」
フレイアは水着をてきぱきと身に付け、一刻も早く、水に入りたい様子だ。
ユリアが幕の入口を捲った。
「きちんとお召しになられています。他の者には黙っておりますなら、たまには子供にお戻り下さいませ」
フレイアが目を見開いて、破顔する。
「有難う。ユリア」
フレイアが地元の女達の元へ、駆け出す。
その様子に、女達が目を丸くする。
「あらあら、変わった奥方様だとは思ったけど」
女達は笑いながら歓迎した。
「さあ、こちらへ」
フレイアは言われるままに、浅瀬に入った。
「身体中の力を抜きながら、ゆっくりと仰向けになって下さい」
フレイアは素直に力を抜く。
一瞬顔が沈んだが、すいっと浮き上がり、丸い空が見えた。
薄く、綺麗な青だ。
目の端に、丸みのある雲が見える。
この空は故郷に続いている。
同じように自分も、故郷の自分からずっと、続いているのだ。
フレイアはふいに、そう実感した。
そして思わず伸びをして、ぶくぶくと沈んだ。
夕食には地元で買った魚が、卓いっぱいに並べられた。
久々に思う存分、身体を動かしたフレイアは、次々と皿に取ってもらい、美味しそうに平らげた。
そろそろデザートに移る頃かと、フレイアはケダフに目をやり、皿の魚が、あまり減っていないことに気が付いた。
頬も春より、少し削げたようだった。
「ケダフ様、どこかお悪いのですか?少しお痩せになったようですが」
「元々夏は苦手でね。明日からは美味しい魚を山ほど釣り上げて、少し太るように心掛けよう」
ケダフの目が笑っている。
目で合図して皿を下げさせ、話題を変えた。
「どう?泳げるようになりましたか?」
「勿論です。少しだけれど。色々と有難うございます」
「それは良かった。まだ日はある。どんどん上達するでしょう、きっと」
そう言って両手を卓の上で組んだ。
「実は、貴女に謝らなければならないことがあります」
「何でしょう?改まって」
フレイアが少し身構えた。
「私は、母上や姉上達がドレスを送り付けるのを、放っておきました。それは、こんなドレスが似合う生き方もあるのだと、貴女に身体で感じてもらうのに、良い機会だと思ったからです。けれども、貴女が拒み難い立場であることに、配慮が足りなかった。申し訳ない」
フレイアはケダフの顔を、まじまじと見詰めた。
「そうだったのですか。そんなお気持ちに思い至らず、最初の内は、ただ不自由に思っていました。けれども今、振り返ってみれば、効果は確かにあったようです」
「ああ、よかった」
怒った様子もないフレイアに、ケダフはほっと、息を吐いた。
「これからは嫌なことは嫌、したいことはしたいと、私に何でも話して下さい」
「何でも、ですか?」
フレイアが悪戯っぽく聞き返した。
「はい。慣れないドレスに戸惑う貴女は大変可愛らしかったけれど、裸足で走る貴女も、とても目映いに違いありません」
「ご覧になっていたのですか!?」
「まさか。でも大当たりでしたか!」
ケダフが笑った。
僅かながらフレイアの口が尖るのを見て、尚更愉快になったようだ。
やがて笑いを納めると、フレイアに優しい微笑みを向けた。
「ここは姉と義兄が出会った場所なんだ。三番目の兄が学友達と遊びに来ているところに、姉が顔を出してね」
フレイアはケダフとよく似た義姉と、眉の太い兄を思い浮かべた。
「義兄は貴族でも跡取りでもなかったけれど、自分が手に入れられるものは全て手に入れて、姉に捧げるからと、求婚したんだ。実際義兄は鉱山をいくつも掘り当て、国有数の資産家になった。この別荘も姉の為に、買い取ったんだよ」
「それは凄いですね」
感心するフレイアに、ケダフの目がけぶるような憂いを帯びた。
「私には何の能力も無いが、貴女に与えられるものは、全て与えたい」
その瞳に何故か、フレイアは言い様のない不安に駆られた。