葬儀屋をしていれば、色々な人に出会う。
その中で感じるのは・・・年々スケールの大きな人が少なくなったということ。
昔の葬儀で出会った人・・・企業家であろうとサラリーマンであろうと
豪快な人が、本当に多かった。
豪快とは、大きなお金を葬儀に使うのでなく、葬儀に対する考え方が、とてつもなく豪快で、その時・・・その瞬間・・・私など・・・神経戦に持ち込まれることも度々あったものである。
一例を挙げれば・・・
「参列者の数?・・・そんなもんわからんが、200名以上は来るじゃろう・・・」
「庭に椅子用意しといてや・・・それにテレビも・・・そうせんと中に入りきらんから・・・」
「駐車場・・・あそこの空き地借りたから、看板立てといてェ~や・・・それと警備員・・・あんたとこ用意できるんか・・・」
「ここと・・・ここに・・・テントやってや・・・かなりの人が来るから・・・」
不思議なもので当家の関係者から、その様な注文があった場合・・・人はあまり来ないもので、用意したテントや椅子は不要ということも多く、式場を映すテレビ前には・・・私一人が立っていた・・・ということも良くあった・・・
その反対に・・・当家は多く語らないが、雰囲気から多数の人手が見込まれる葬儀には、予想外の展開が起こることも多だあった。
今は亡き・・・某市議会議員さん・・・
亡くなられた時は現職を退き、数年が経っており・・・当初は密葬の予定であった。
しかし・・・周りの猛烈な反対もあり、互いに妥協し、一部の人に連絡を行い葬儀をする予定となった。
その後・・・人の口には戸は立てられないもので、亡くなったことが短時間で多方面に届き、結果・・・お世話になった支持者が多数訪れる、大葬式になったものである。
この方は生前・・・豪傑と呼ばれた大物市議だった。
「わしに文句があるんなら、陰でコソコソ言わずに言うてこい・・・」
「女の一人の面倒みれんもんが、他所の者の面倒なんか見れるわけなかろうが・・・」など、言葉も行動も豪傑で、魅力的な人だった。
就職に困った人や、身の上に困った人に
朝早くから玄関前に机と椅子を出し、相談に乗り
「その話はダメじゃ・・・」
「その話なら・・・聞いてやる・・・」
と、人を区別せず耳を傾けていた。
亡くなられた現在でも・・・伝説は続き、まさにあの時代に必要な申し子的な人であった。
私も若い時・・・お願いにあがった。
「そがいなこと・・・ワシは知らん。自分で行って頭下げ~や・・・若い時から、むやみやたら人に頼るな・・・このバカたれが・・・」
しかし・・・不思議と腹は立たず、納得できた。
これからの葬儀で出会うご縁・・・
どの様な変化をもたらすのか知らないが
人との多くの縁に喜怒哀楽を交えながら
歩んで生きたいと思う。