SNSでの議論。
オレが正しい!アイツは間違っている!
剣呑だと、人は寄り付かない。
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会社の施策。
絶対にこうしたほうがいい!そんな古いやり方は間違っている!
たしかにそうかも知れないけど。
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家庭の会話。
それはおかしい!そんなのは全く論理的じゃない!
夫婦喧嘩の9割は「言い方」が問題。
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アタマで感じる正しさではなく、
ココロで感じる美しさを。
真の人は智もなく徳もなく名もない
渡辺英一という人が、師匠の新井奥邃を称した言葉。
智もなく、名もない、ってのは分かるけど、徳もないってのは、、、
禅問答みたいだけど、なんとなく、分かる。
なんとなく分かれば、いい。
そのうち分かるときも来るだろう。
この一節に出会っただけで、『新井奥邃著作集』を求めた甲斐があった。
一生を掛けてでも、「真の人には徳もない」ってのはどういうことか。
隠者の聖者・新井奥邃をネタに、考え続けていきたい。
不犯というのは童貞ということ。
歴史上、童貞で死んだ二大偉人は、吉田松陰と宮沢賢治。
- 吉田松蔭29歳、
- 宮沢賢治37歳。
宮沢賢治の場合、童貞として性欲を浪費しなかった(懸命に自慰も我慢していた)そのエネルギーを、妹トシとの、官能的とも言える関係に昇華させた。
私も、齢50歳にして、執行草舟の本を読んでいると、吉田松陰とか宮沢賢治的な、欲望に対して抑制的になった自分に気づいた。
そのため、その私のリビドーが、家族への愛情に向かったように感じている。
歴史に残る人も、性欲を抑制することで、マグマのように溜まりに溜まった衝動を、革命的な行動とか、ほとばしる詩情とか、驚天動地の思想とかに、昇華させ、爆発させてていたのでしょう。
町田宗鳳さんの本に出てきた、アメリカで薔薇売りをする、真摯な家庭連合・統一教会信者の姿。
想像するだに神々しい。
雨の日も、風の日も、嵐の日も、雪の日も。
交差点で、夜、薔薇売り。
なんのためなんだろう。
商売、金儲けのためなら、「嵐の日に交差点で薔薇売りをする」以外に、いい方法があるはずだ。
そうは考えない。
合理的に考えない。
不合理に考える。
愚かに考える。
愚かになる。
デクノボーになる。
そこに美しさが宿る。
実際にこういう姿を目にしたら、また思うところがあるのだろう。
読書家は家で仕事しない。
って仮説を立てている。
読書家は、家に何百冊も本がある。所狭しと本が並んでいる。積読が100冊くらいある。
だから、自宅の書斎とかにいると、「この本を読まねば」という強迫観念に駆られてしまう。
だから、仕事をしていても、ふと読みかけとか積読の本が目に入って、それを読もうという誘惑に蠱惑される。
だから自宅では集中力が上がらない。
だから読書家は、自宅で仕事しない。
仕事をするなら会社(弁護士なら事務所)に行く。自宅以外のところで仕事をする。
私の先輩で、読書家の弁護士が「家では仕事しない」っておっしゃっていた。
その先生と私との共通点を考えると、N=2でしかありませんが(2人だけの例しかありませんが)、
読書家は家で仕事しない
って言えるんではないか。
いかがでしょうか!
私が大事にしている#業務効率化ネタ。
場所の力を借りる。
たとえば。
- カフェに行って仕事する。
- カフェに、携帯端末を持たずに、片付けたい仕事の書類のみを持っていったり。
- (気が散る)自宅ではなく事務所に行って仕事する。
- 筋トレするために、GYMに行く。自宅で筋トレするのではなく。
「その場所ではこれしかしない」って強制力を使う。
昨日も、甲府から出張で夕方に帰宅して、5分後には、家を出て、ファミレスに行って、仕事とか読書した。
家にいると、蔵書を読んじゃったりして、集中して仕事するには意志の力を必要とするから。
場所の力を借りた。
それで思った。
場所の力を借りるってのは、「意志の力を使わない」サボりなんだなと。
場所の力を使うことで、意志の力を使わずに済む。エネルギーとストレスの省略。
意思とか忍耐とか根性の力を借りない工夫。
精神的なストレスを掛けない工夫。
それが「場所の力を借りない」ことの意味なのだと思います。
『サンダカン八番娼館』。からゆきさんの本。
母の蔵書にあった。たぶん以下。
今は新装版も出ている。買うかな。
ここに出てくるおサキさん、ってのが、すごい。
地獄、羅刹、餓鬼、非道、没義道、悲惨の極地、奈落の底、、、なんて形容していいか、わからないほど、辛い人生。
極貧に育ち、10歳くらいで、騙されてからゆきさんとして売られ、13歳くらいから身体を売らされ、一日30人くらい客を取らされ、儲けはほぼ全部娼館に取られ、、、
日本に帰っても蔑まれ、結婚しても旦那に恵まれず、、、、
でも。
でも、誰も恨まない。辛い境遇にいればいるほど、人格が磨かれていくような、おサキさん。
人間は環境ではない。
人間には主体性がある。
環境がどうあれ、立派な人間は、立派になる。
何でもかんでも親とかその宗教のせいにする、いまどきの宗教二世(評判の悪い家庭連合に便乗して火事場泥棒のようにお金をむしり取らんとする方たち)と比較してしまう。
『サンダカン八番娼館』のおサキさんを見よ。
美しい魂がここにあるぞ。
悪衣悪食を恥ずる者は、未だ與に諮るに足らざるなり
論語
貧乏を恥ずるような奴は、相手にするな。
貧乏を恥ずることを恥じよ。
同じ論語の
君子、固より窮す。
小人、窮すればここに濫る
に似てますね。
こういう言葉は若い頃に何度も読んでおくのがいいと思う。
また新井奥邃の本を買ってしまった。
仙台の医師の瀬上先生以外に、私以外で新井奥邃にハマっている人を知らない。
後世、私のことは「新井奥邃に惹かれていた人」とだけ覚えていただければ、私の人格の一端が伝わるはずだ。
パラパラと読んだら、新井奥邃も私と同じくらいの早起きだと知った。
吾々が精神に力を得るのは、朝の4時頃から5時頃の間にあるものです。
だから3時半には是非起きなければなりません。
だって。
太陽に先立ちて起きよ
とも。
押忍。
明日も早起きします。