選挙の効果

総選挙の意味

自由な国の不自由な言い訳 バリケイト伊東

2022-04-03 13:03:43 | 政治

 国立市で表現の不自由展が開催された。国立は、外国人参政権の可否を市民投票で導入しようとした市だ。結果は否決されたが、日本の中では、リベラル改革の市だ。そういう町だから開催を許可したのだろう。また、中止になるのかと思われたが、開催された。警察の警備は厳重だ。入場する時には、バックの中を調べられる。予想されたように右寄りの連中が拡声器で妨害してるが、大きい混乱は今のところ見られない。最近の政治的イベントとで、多くの警察官が警備にあたるのは、珍しい。日本では多くの市民は、政治には興味ない。右翼も左翼もリベラルも活性度は低い。表現の不自由展を開催したところで、日本全体の政治活性度があがる事はない。一応日本では、言論の自由、表現の自由は認められてるが、権力の圧力は、強い。たくみに言論統制されてる。テレビは、特に操作されてる。テレビは、権力批判などしない。忖度、ごますり報道が多い。芸能人と食い物、バラエティー番組を放送していれば、いいのだ。テレビは、自ら表現の自由、言論の自由を放棄している。そもそも、国民が政治番組を見たがらない。視聴率の低い番組には、広告もつかない。表現の自由や言論の自由を守ろうとする気のない市民相手では、自由とは抜け殻のせみだ。中身がない。表現の自由展、賛成派も反対派も本気度が感じられない。誰か死人でも出れば、刑務所にでも投獄されれば、政治活性度も高くなるだろう。日本は、底が抜けてる。長く続くあくびの出るような平和が、人間を去勢させてしまってる。



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