100万パワーズ日記

100万パワーズがあなたに幸せをお届けする

ソフト

2005年05月12日 | RYOTA
ソフトボール大会がある、という旨のカンバンを見つけた。それは適当にチームを組んで参加できるというものだ。おもしろそうだというわけで早速まわりの奴らに募った。するとあっと言う間に人数が集まった。あまり知り合いでない奴も集まったのでうれしかった。ただピッチャー希望者がいない。しばらくは中高と部活のソフトでピッチャーをやってた女の子を探すというのが自分の仕事になりそうだ。

バレーの伝道師

2005年05月10日 | RYOTA
今日はバレーの授業があった。ネットが2m15しかなくて余裕ですやんと言っていた。少しオーバーアンダーやサーブの練習をしてからずっとアタックの練習ばかりしていた。俺は今日はすこぶる体のキレがよく、9割強いスパイクが決まった。高校の時の体育の時とは何故か全然感覚が違い、悟りを開いた感じになっていた。周りからは「バレーやってたやろ」と言われテンションが上がっていた。「いややってへん」と返すと、部活でやってなかったのにできる=運動神経がいい奴っていう設定になった。バレーをやってた人がたぶんいなくて、みんなバレー部のアタックを知らないからそう思ったのであろう。ただ運動神経なんぞ小学校ん時から悪い方やし、もちろん良いなんて言われたことないので悪い気はしなかった。しかし後期のサッカーでグダグダになることは言うまでもない。

そういえば暇で

2005年05月09日 | RYOTA
最近気づいたけど学校にいない時間が暇でしゃあない。特に今日なんかは授業が昼までなので午後はだらだらしてて何をやったかよく覚えていない。なんかフリータイムの有意義な遣い方はないだろうか。やっぱバイトせないかんかなぁ

それがウルルンやないか

2005年05月08日 | RYOTA
今風呂あがってサッパリしてからのウルルンだ。昔の竹内結子が熱い。

今日は母の日。そんなわけで数日前、今楽天で熱いあのチーズケーキを今日実家に届くようにしていた。家族にプレゼントなんぞしたことなかったが、仕送りやなんやで世話になっているので、いい機会だと思い贈ったというわけだ。
三千円でチーズケーキとカーネーションのセットを買った。しかしそれは三千円以上の価値があるように思えた。家を離れてみてはじめてできることってあるもんだ。
今さっき母から「おいしかった。ありがとう」と簡単なメールが来た。普段母はメールをしないので、やり方を聞きながら少し苦労して打ったメールなんだということが容易に想像できた。

我が町

2005年05月05日 | RYOTA
久々に大阪に帰ってきた。水や空気は断然地元のほうがうまいがここも悪くない。自分はなかなかこの街が気に入っている。都会じゃないけど、田舎でもないただただ家が多いこの街。ここでのんびりとやっていく。

覚のおもしろ日記

2005年05月04日 | SATORU
今日朝自分の日記を見たときにはコメントがあったのであるがなぜかなくなっていた。内容は自分の日記を読んで若かった頃を思い出したみたいなコメントであった。自分はこのコメントが久しぶりなのもあって嬉しかったのもあるが1番の理由は100万パワーズは少年の心を忘れないみたいなのをコンセプトにしているからだ。山を下りる時にみんなとも話しをしたが大学などの都会者は子供の時の様にいらない事をしようとはしない。多分昔から遊ぶ場所がないなどの理由でいらない事をすると言う習慣がないからであると思う。また都会者はある点で恵まれ過ぎていたのであると思う。みんなで何かしよう→カラオケ、ゲームセンターの発想である。周りにそう言った建物が沢山あるからである。一方田舎者は周りに何もないのでみんなで何かしよう→何をしよう。の発想である。だから何かいらない事をしようの発想になる。またそこで考える事により発想が豊かになるのである。自分は発想の面白さと言う点においては田舎者の方が圧倒的に勝っていると思う。自分は本当に田舎で育って良かったと思う。
今日は家に1人きりで暇であった。GW中は相方やキャッツと遊ぼうと考えていたが相方は今日は出かけていていなかったし、キャッツのメンバーは地元に帰ってきていない子も多く会えなかったのである。外に出て今までは何も考えず毎日の様に通っていた道を色んな事を思い出しながら歩いた。なつかしかった。今日は天気も良く風が気持ちが良かった。曲がりくねった川やそれを囲む様に生えた木々、その先にある急な坂道、坂の上にある白い公民館とブランコ、色んな遊びをした公民館の小さなグラウンドその横にある何回登ったか分からない山。全ての景色が愛おしく感じられた。公民館には幼稚園くらいの少年達が歓喜を上げ騒いでいた。いつもなら確実にからむであろうが自分は昔の自分と重ね彼等を見ていた。彼等もやがては大きくなり自分の様にキャッツや相方の様な友達と出会うのだろうと考えた。ちょっと楽しい気がした。このまま時間が止まり、西脇で相方やキャッツのみんなや家族とずっと暮せたらいいのにと考えた。住めば都と言う言葉があるがやはり自分は西脇が1番好きである。

いろんなこと

2005年05月04日 | RYOTA
この3日間もうむちゃくちゃで何が何やらよくわからないし時間の感覚もぐちゃちゃだ。やったことはだいたい相方が書いているので割愛する。
ただ日の出は本当に綺麗だった。普通に感動した。みんなケータイのカメラで撮っていたがやはりデジタル化されたものよりも目の前に広がるパノラマを憶えておくべきだと思い、途中でケータイをしまった。これは思い出としてずっと残っていると思う。一睡もしないで山登りをするというスタンスはこれから何回できるだろう。おそらく一度もないかもしれない。「いらんこと」をすることが実は一番大事だということを俺は一生忘れない。ダイゴもいればよかったのに

SDカードが今手元にないのでまた明日写真たくさんupします。

覚のおもしろ日記

2005年05月03日 | SATORU
今日は昼食を摂るとあのやすともがやって来たカナートへ行った。相方やダイゴ、シーサーとテニスをする約束をしていたのでテニスラケットを持ってカナートへ入った。何かスベったと思った。相方は2階のベンチで頭にかぶった新しいヘルメットの重さにウトウトしていた。目を覚ました相方はラケットを持っている自分に「スベっっとる」と言った。相方とダラダラカナートをうろつきバスの時間を待った。相方は何やらジョイフルのドリンクバーの券に載っているキャラクターのシールを買っていた。相方とバスを待つ間自分はカナートで買った3冊の漫画を読み相方は新しいヘルメットにシールを貼っていた。相方はめっちゃおもろいめっちゃおもろいと言っていたが自分はスベっていると思った。バスに乗るとスグに自分の携帯がないことに気が付いた。カナートに忘れて来たようである。相方の家のそばまで710円もかかった。バスが止まり相方の家へダラダラ歩いていた。相方の家の近くに3人の少年がいて相方の姿を見つけると「あっ最強君や!最強く~ん」と駆け寄って来た。少年達が遊ぼう遊ぼうと言うので相方の家で服を着替え近くの公園で野球をした。1人ソロバンで帰ったらしく少年は2人になっていた。2人だけのチームで試合をした。自分は最強君より活躍して自ら無限君と名乗った。少年達の才能に可能性を感じた。最強君が家に帰ると言い出したので川へ行く事になった。自分は昨日から雨が降っていたこともあり少年達が溺れたりしないか心配であったが、少年達が本当に浅く親にもそこへは行ってもいいと許可をもらっているらしいので行く事にした。自分は終始「気ー付けろよ」と言っていた。少年達の案内で行ったそこは川と言うにはあまりに小さく水溜りの様であった。しかしそこには川エビやメダカや小さな魚が沢山いた。最強くんは全くの魚とりの素人で1匹もメダカを捕まえる事ができていなかったが無限くんは田舎でもトップクラスの魚とりの才能を少年達に見せつけ「とってとって」とせがまれた。やはり無限君は子供達のカリスマである。次にクワガタがとれると言う神社し少年達と行ったが全くいる気配が無くスグに帰る事にした。最強君が修理に出していた原付が直る6時になり少年達に別れを告げ原付を取りに行く事にした。配線が剥き出しになっていた原付はちゃんと走れるようになっていた。相方の家で修理し終わった原付にヘルメットに貼ったのと同じシールを貼った。やっぱりスベっていると思った。しばらく相方の家の外でダラダラしているとシーサーがおばあちゃんの原付に乗ってやって来た。相方と近くのテニス場まで田舎道を2人乗りした。3人でテニスをした。やはりテニスでは負ける気がしない。途中高校が一緒であったとんくんも交じり4人でテニスをした。10時前になり父が向かえに来てくれ自分は一旦家に帰り3人はおばあちゃんの乗るボロボロの原付で山の闇夜に姿を溶け込ませて行った。家に帰り食事を終え日記を書いていると家電に相方から電話がかかってきた。「ジョイフルにいるが今から10人程呼ぶから来ないか?との誘いであった。勿論行くに決まっている。自分は人の誘いは全く断らない。前輪がパンクした自転車にまたがるとジョイフルへ急いだ。ジョイフルにはテニスをしていた3人の絵的におもしろい原付が3台仲良く並んでおり、ジョイフルの中にも彼等が仲良く3人仲良く座っていた。みんなで力を合わせて携帯で誰かを呼ぼうとしたが誰も来なかった。4人で山を登ろうとしたが月明かりもなく危険だと言う判断で中止になった。カラオケに行くことになった。3人は原付自分は前輪がパンクした自転車であるが移動速度は変わなかった。自分は前輪がパンクした自転車でも常に30キロぐらいで移動できる事が分かった。自分脚力に可能性を感じた。もう時間は3時でカラオケを2時間だけした。相方は最近カラオケをプッシュしすぎである。カラオケを終えると外は少し明るく色付き始めていた。また山に登る事にした。頂で朝日を見たかったからである。空はますます透き通り朝日を頂で拝むことはできないと思っていたがどうにか間に合った。淡いオレンジはしだいに黄色くなり光となっていった。みんな携帯で沢山の写真を残した。携帯もデジカメも忘れた事が悔やまれた。やっぱり友達と朝日を見るのはいいものである。別に朝日を見るに限らず、自分はみんなで何かの為に苦労し成し得る事が好きである。山から下りる途中道でない道を行った。こんな事ができるのもあと何年かだと思ったからである。自分は山に登る途中に暑さのあまり道に服を脱ぎ捨て上半身裸であったので体がズタズタになった。山を降りる途中大学ではこんないらない事をする考えがないことについて話をした。山を降りるとシーサーととんくんの2人は帰って行った。相方と自分は川へ行くことにした。朝の静かな時間に水面が朝日を反射していた。相方ととんくんがくれたチョコチップを朝食にした。相方は朝食を終えると川原で横になりウトウトしていた。今日は睡眠耐久我慢大会も開催されており寝てはいけないのである。自分は相方が寝てしまえばいいと思って川原をダラダラ散歩していた。途中川の中に大きなナマズを見つけ捕まえようとしたが逃げられた。自分は魚を捕まえる事にした。川の水はまだ冷たく痛い程であった。自分は川底から大きな石を拾った。相方は目を閉じたままであった。途中パンツ1枚で石を頭の上に構えている自分を見て川原に犬の散歩に来た人が帰って行ったがそんなの無視である。自分は岸のそばを泳ぐ鯉に近づき石を投げ弱った鯉を捕まえた。この間約10分やはり自分は魚とりの天才である。相方に写メールを撮ってもらった。鯉はスグに逃がしたが弱っている様で悪い事をしたと思った。相方とカナートに自分が昨日忘れた携帯を取りに行く事にした。まだ時間は朝の8時でカナートは開いておらず外の駐車場に腰掛2人でネタ合戦みたいな事をダラダラした。場所を移動しベンチに腰かけた。相方は横になり目を閉じていた。相方の口がカチカチと空を咬み始め相方は完全に寝ていた。自分の勝ちである。カナートのオープンとともに入店し携帯を受け取った。10時にもなっていないのに今日は仮面ライダーショーがあるらしく9時半ぐらいから子供連れの家族が多数並んでいた。相方はマクドナルドで朝食をとっていた。カナートを後にし2人で相方の髪をブリーチする為のヘアカラーを買いに行った。睡眠耐久我慢大会も勝負が付き正午も近いので帰る事にした。本当に今日は疲れたが濃い1日であった。母の作った昼食がおいしかった。ちなみに自分はまだ寝ていない。無限の体力である。

覚のおもしろ日記

2005年05月02日 | SATORU
今日は朝から雨が降っていた。自分は布団に包まりダラダラしていた。今日は相方とかと遊ぼうと考えていたが雨の為に中止になった。夕方おばあちゃんの家に行った。おじいちゃんもおばあちゃんもたまにしか来ない孫の姿に喜んでいる様であった。嬉しそうなおじいちゃんやおばあちゃんを見て自分も少し嬉しくなった。帰りしいつもの様におじいちゃんとおばあちゃんは自分と兄にお金をくれた。いつも「いらない」と言い返そうとするがおじいちゃんとおばあちゃんはいつも「もろとけもろとけ」と行ってお金を半ば強引に渡してくる。本当にありがたく嬉しいが80歳であるおじいちゃんとお婆ちゃんが汗水垂らし田畑を耕し野菜を売りやっとの思いで手にしたお金であると考えると使う事がなかなかできない。自分は本当に必要になるまでおじいちゃんとおばあちゃんのお金をとっておくつもりである。おじいちゃんにもおばあちゃんにも長生きして欲しいと思った。おじいちゃんとおばあちゃんが作る無農薬野菜や米はで本当においしい。

2台目

2005年05月01日 | RYOTA
いつ地元に帰ってきても足があるように地元用の原チャをゲットした。2万くらいでボロボロのやつをどこかで買おうと思っていたのだが、シーサーの知り合いかなんかが安く譲ってくれるということで頼んでみた。店で黒いディオとかジョグとか一番安い定番タイプのスクーターを買おうと思っていた。すると偶然にシーサーがもってきたのは黒いジョグだった。内心かなりテンションが上がっていた。

今日は昼前から強い雨が降っていた。にもかかわらずわざわざシーサーとみっちゃんは俺のために原チャを持ってきてくれた。二人は雨に濡れてベタベタになりながら原チャを軽トラからおろしてくれた。家に上がってもらって熱いアプリコットティーを入れてあげようと思ったが、なんか流れで帰らした感じになってしまった。その時はちゃんと礼が言えなかった。俺は人に礼を言ったり、謝ったり、感謝することが苦手だ。言葉にするとなんか嘘っぽくなると思っているからだ。相方はよくしょうもないことですぐごめんなとかありがとうと言う。相方は本気で言っているのだろうが、俺は全部嘘でスベっていると思っている。
でも今回のことは本当に感謝していて、雨の中本当にありがとうとこの場で足立兄弟に言いたい。またシーサーには何かお返しをしたいと思う。ホンマありがとう。

虫の声

2005年05月01日 | RYOTA
相方の家で1泊した。外で寝たが全く寒くなかった。そして今日地元に帰ってきた。自分の布団が干してあり、部屋には掃除機がかけられていた。そして肉じゃがと筑前煮がたいてあった。煮物系はあまり食べていなかったのであったかくてうまかった。
夏の夜じゃいって八千代が叫んどる。虫の音、蛙の鳴き声。実は今泣きそうなんですよ