野に撃沈2

多摩地区在住の中年日帰り放浪者。(k10D→k7→k30→)k‐5Ⅱsを忍ばせ、人気のない野山や公園、路地裏を彷徨い歩く

北信越を歩く②~秋山郷

2009-08-13 | 野の花
  昼過ぎに雪国植物園を出て、ルート17を南下した。十日町の道の駅で昼食。ここでは越後妻有アートトリエンナーレという催しが行われていた。昼食後秋山郷へ。途中津南町に入ったあたりで、ヒマワリ畑が見ごろという看板に惹かれ脇道に逸れる。








 雨の降りしきる中、県境を越え小赤沢集落に着いた。統合施設(役場の支所、保育所、民俗資料館、診療所等いろんな施設が一つの建物に入っている。)とねんぼの前の駐車場に車を止め、付近を散策することにした。













 裏手には古びた神社があった。激しく降り続いていた雨が小雨になったのはいいのだが、傘をさしているとその中に虻が入ってくる。







 道の反対側を少し下ったところに観音堂があった。





 六地蔵の下には一字一石経が埋められているのだという。



 さらに下ると江戸期に建てられた保存民家が見えてきた。







 雨が晴れ、ガスが立ち込めてきた。



 のどかな田園風景が広がる。が、川の向こうには天明の飢饉でほろんだ矢櫃という集落跡があるのだという。降り積もる雪のように、在りし時もこの風景の奥底に埋もれたままだ。田んぼの中の一本案山子が侘しげだった。





 深い山間の中、ガスが現れては消えていく。ミソハギやシシウドは往古からこの風景を眺めていたのだろうか。



 歩いていると至る所に六地蔵が現れる。それも不意にだ。私はどういうわけか隙を突かれたじろいでしまう。







 栗の大木があった。この地に初めて移り住んだ人が、御神体として祀ったという言い伝えのある大木だ。



  川を渡って少し離れた屋敷集落を訪ねた。 正面のこんもりと茂った森の辺りが大秋山村の集落跡地。そこもやはり天明の飢饉で八軒の家が滅んだそうだ。それにしてもこの秋山郷には飢饉で滅んだという集落の跡が多い。その無念さ、怨念が200年近くたった現在でも、この地を漂っているように思える。この地で暮らすということは、その200年の時の中で生まれ死んでいった人たちと共に生きるということなのだろうか。






クズの花の甘い香りが、雨上がりの湿気を含んだ空気を妙に悩ましく満たしている。



 小さく鳴き声を上げながら子猫が逃げて行った、その先の細い道を登りきった処に薬師観音堂が立っていた。



 眼下に流れる中津川が濁りを増してきている、川の脇には人陰のない小学校が見える。

 雨が突然音を立てて降り始めた。


 対岸の林道を車で10分ほどいったところに分岐が現れ、左切明の標示があった。




 今日の宿泊地の切明リバーサイドHに着いた。辺りはもう薄暗くなり始めている。






 宿のすぐそばの吊り橋を渡った先の河原には温泉がわき出ていて、これをスコップで掘り返し自前の温泉が作るのがここの売りだそうな。




 この地の地縛霊たちは私を見逃してくれたようで、枕元に響く瀬音を聞きながら、その夜はすぐに寝入ってしまった。久しぶりの深い眠りだった。


 翌朝、雨はますます強くなり、秋山郷の集落探検は断念。予定を早め、雑魚川林道を奥志賀へと抜けた。


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