JR「久留里線」。存続か廃線か? JR東日本と沿線住民との協議会が始まった久留里線。
8月中旬に出かけました。関東地方のローカル民間電鉄巡りが一段落したので、報告を。
1ケ月前の記録なので、季節感のずれがありますが、ご容赦を。
8月10日(木)快晴。
(「ジョルダン」より)
《往路》・木更津 11:11→久留里 11:55
・久留里 13:53→上総亀山 14:11(木更津から13:01発の列車)
《帰路》・上総亀山 14:27→木更津 15:36
「木更津」~「上総亀山」。
久留里線の乗客数。
「久留里」から終点の「上総亀山」間が乗車人数の厳しい状態。※直通運転本数の関係もありそうですが。
久留里線は、千葉県が道路事情の悪さを補うために県内各地に敷設した県営鉄道の一つで、1912年に木更津駅 - 久留里駅間が開業した。当時は軌間762mmの軽便鉄道であった。敷設工事は大日本帝国陸軍鉄道連隊によって訓練の一環として行なわれた。1922年に制定された改正鉄道敷設法別表第48号の予定線に「千葉県木更津ヨリ久留里、大多喜ヲ経テ大原ニ至ル鉄道」が挙げられたことから、1923年に国へ無償譲渡され、鉄道省の久留里線となった。
1930年には1067mmへの改軌が完成し、1936年には上総亀山駅まで延伸されたが、その先へ伸びることはなかった。この延伸区間は、太平洋戦争中の1944年に不要不急線として休止され、戦後の1947年に復活するという経過をたどっている[5]。なお、予定線の大原側は、木原線(現在のいすみ鉄道いすみ線)として1930年に開業したが、1934年に上総中野駅まで延長されたに留まり、房総半島を横断するには同駅で小湊鉄道線と乗り継ぐ形となり、久留里線とは接続しなかった。
戦後は京葉工業地域への通勤客が増えるが、それでも閑散線区の域を出なかった。しかし将来性が認められて国鉄諮問委員会による赤字ローカル線廃止勧告は免れた。1968年には千葉駅直通列車が廃止された。2009年に全線が東京近郊区間に編入された。
2022年7月28日、JR東日本は利用者の少ない輸送密度2,000人未満の地方在来線区間別収支を発表し、本路線の久留里駅 - 上総亀山駅間の2019年度の収支率[注釈 3]が0.6%とJR東日本管内で最も低いことを明らかにした。2020年度は、160万円の収入を生み出すのに2億7600万円の経費がかかった[7][8][9][10]。2013年以降は平均通過人員(輸送密度)が4年間で半分になるペースで減少している(2013年度216人/日→2017年度103人/日→2021年度55人/日)。
この区間は高速バスが併走しており、久留里線の駅前やその近くから千葉市へ直行できる[11]。その他、君津市デマンドタクシー「きみぴょん号」も運行している。
2023年3月、JR東日本が末端区間の久留里駅 - 上総亀山駅についてバス路線への転換も視野に、千葉県や沿線の君津市に協議を申し入れた[14][15]。これに対して君津市役所の担当者は、「乗客の減少は現実問題として受け止めないといけない」としつつ、少ないながらもいる利用者が「不便にならないようにする必要がある」として、廃線などの前提は置かずに協議に臨む方針を示している。
(この項、「Wikipedia」より)
単線。千葉県内のJRで唯一の気動車。
スタートの周囲は市街地。
しばらくすると、左手に小櫃川。
小櫃川(おびつがわ)千葉県を流れ東京湾に注ぐ二級河川。流路延長88kmは、千葉県内では利根川に次いで2番目に長い川である。
鴨川市清澄(房総丘陵)の清澄山系に源を発し、君津市黄和田畑の札郷支川との合流点より二級河川の指定区間となる。君津市、木更津市、袖ケ浦市を蛇行しながら貫流し、再び木更津市に入って久津間・畔戸で東京湾に注ぐ。下流部は三角州を形成し、河口付近では東京湾内で最大規模となる1,400haの広さの盤州干潟を形成している。
久留里線は、小櫃川を遡るように進みます。
「上総清川」。
「東清川」。
田園地帯が広がる。