おやじのつぶやき2

「おやじのつぶやき」続編。街道歩きや川歩き、散歩がてらの写真付きでお届けします。

「九十九里鐵道」廃線跡(片貝~東金)。その2。(「銚子街道」をゆく。番外編。)

2024-03-17 13:35:12 | 廃線跡

東金駅まで向かって出発です。

右の道路は廃線跡ではありません。左の住宅が廃線跡に建てられたもの。敷地が四角でなく、細長い三角形になっています。

            左手が軌道跡。

→が線路跡。上が「片貝駅」。

通りを越えると、廃線跡は右にカーブします。

この先で、遊歩道になります。

自転車道と歩道と分離。遠くに大きなガスタンク。

「九十九里町」とある。

千葉県は、南関東ガス田の中心地で天然ガスが採取される地域。九十九里町では、地元の天然ガスを原料とした都市ガスを供給しています。

交差する道路の足もとには、

                       九十九里町の町章とガスバルブ。

用水路を越えます。

現役の頃からあったのでしょうか? 

振り返る。

周囲には田んぼが広がります。

「きどうみち」。

営業当時のようすはどうだったのでしょう? 

九十九里鉄道線は、千葉県東金市の東金駅と山武郡九十九里町の上総片貝駅を結ぶ8.6㎞の路線で、1961年に廃線となりました。1926年の開業後、成東(なるとう)町(現・山武市)や千葉市への延伸は実現しませんでした。九十九里鉄道では、小さな車体の単端式ガソリンカーが使われていました。客車の前面にフォード社製のエンジンを取り付け、バックができない構造のため、終点で向きを変える必要がありました。廃線間際には、鉄道と並行する未舗装の道路に自社の定期バスも運行し、列車と交互に運行しました。乗客が上総片貝駅で尋ねると、駅員が「列車が速いかバスが速いか」を、案内してくれたといいます。

映像は、1961年放送「NHKニュース」より。(「NHKアーカイブス」HPより拝借)

       

               

                    

<img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/7a/52f36190badc5094864e9d30dbf48df4.png">土地の方には、懐かしい映像。

※設置されていた駅名

東金(とうがね) - 堀上(ほりあげ) - 家徳(かとく) - 荒生(あらおい) - 西(にし) - 学校前(がっこうまえ) - 上総片貝(かずさかたかい)

         右手に「九十九里町立片貝小学校」。

  左手には「九十九里病院」。この付近は、少し広くなっていて、「学校前」駅があったようです。

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九十九里鐵道廃線跡(片貝~東金)。その1。(「銚子街道」をゆく。番外編。)

2024-03-16 13:31:07 | 銚子往還

かつて、JR東金線「東金駅」から九十九里浜の「片貝駅」まで「九十九里鐵道」線がありました。

※「九十九里鐵道」

現在はバス専業であるが、社名に「鉄道」が付くのは、1926年(大正15年)から1961年(昭和36年)までの間、東金駅から九十九里町の上総片貝駅までを結んでいた鉄道路線(1931年まで軌道)を有していた名残である。鉄道路線は千葉市や山武郡成東町(現・山武市)への延長も計画されていたが実現せず、1961年3月1日に廃止された。その後も社名に「鐵道」の名を残し、バス停名には片貝に「駅」が冠されるなど、鉄道の名残が見られる。

※九十九里鐵道線は、千葉県東金(とうがね)市の東金駅と山武(さんぶ)郡九十九里町の上総片貝(かずさかたかい)駅を結ぶ8.6㎞の路線。 

廃線跡は、九十九里町側は「遊歩道(軌道道(きどうみち)」や一般道路として、また、東金市側は水路やかつての雰囲気のまま残されているようです。

さっそく廃線跡を歩いてみました。

「東金駅」からバスで終点の手前「片貝」まで行き、そこから「東金駅」まで廃線跡をたどりました。

          九十九里浜・片貝海岸(北方向)。

まず片貝海岸まで出て、九十九里の海岸を眺めてから。

※線路とほぼ並行し、県道が「片貝」まで続いています。

(南方向)。

九十九里海岸のモニュメントが砂浜に。

          風が強く、人っ子一人いません。

                 

             「TOKYO ← KUJUKURI → HAWAI」。

陸地側。

しばらく眺めて出発! 

「九十九里有料道路」入口。

大きなおうち。             

この先を右に曲がると、

旧「上総片貝」駅。

現在はバスのターミナルになっています。バスの社名には、「・・・鐵道」が付されています。

       

↑が駅の位置、赤線が「軌道道」。                     (「今昔マップ」より)

バス停「片貝駅」。

減便のお知らせ。

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JR東金駅~成東駅。その5。(「銚子往還」をゆく。第2日目。)

2024-03-13 18:42:57 | 銚子往還

バス停「上町」。

左手のお店。「田舎ずし ことぶき」。

「田舎ずし」とは? 立ち寄ってみます。

大きな巻物。30㎝以上。太さは10㎝。

      恵方巻のはしりのような? その大きさにビックリ!

玉子太巻き、太巻き寿司。玉子の太巻きの具は干瓢と玉子、でんぶ、玉子の方には椎茸が入ってます。
巻き寿司の中で絵を作るのが蘇我や千葉辺りの昔ながらの風習ですが、そこまで凝ってなく、素朴で田舎っぽさがあります。

他にも、うずら豆の煮物などのお惣菜がケースの中に並んでいます。巻きずしはけっこうな大きさなので、持って帰るには・・・。煮物を二種類、購入します。甘さもほどほどで、美味でした。

バス停「波切不動」。

左手高台に、「波切不動」。

成東下町の標高30メートルの小丘「石塚山」(石塚の森)の中腹の岩石上に、成東山不動院長勝寺本堂が建てられています。
 入母屋造りの瓦葺き、間口三間、奥行四間、欄干・回廊をめぐらせた、朱塗りの懸崖造りのお堂です。昭和49年の修復工事によって、石積みの基壇が作られ、その上に、本堂内陣まで通し柱2本を通しています。お堂は計26本の柱によって支えられています。

 寺伝の縁起書によれば、不動尊本尊の由来は、天平年間に行基菩薩を造作したところのものと伝えられていますが、当本堂の創建年代は不明とされています。改修に当たって発見された当院棟札に元和4年(1618年)と記されていたと伝えられており、現在の本堂の建立時期は、少なくとも江戸時代初期にまで遡る建造物と考えられます。(「山武市」HPより)

                   

「作田川」。

「大橋」。

                 

作田川上流方向。

 

個人のおうち?

             「共樂館」。老舗の旅館。

かつての曲尺手のようです。

   

JR総武本線「成東駅」に向かいます。銚子往還(旧道)はまっすぐ進みます。

            

「成東駅」広場。

「魁」モニュメント。

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JR東金駅~成東駅。その4。(「銚子往還」をゆく。第2日目。)

2024-03-12 19:32:43 | 銚子往還

しばらく県道を進みます。

左の旧道へ。

              古びた方向案内板。

この角にもあります。

「関東ふれあいの道」。

ため池「東池」。西側には「根蔵池」「姫島池」。

旧道はもう少し進みますが、

県道に戻ります。

バス停「根蔵(ねぞう)」。

   

県立成東高校モニュメント。 

開校当時、学校と県道を直接つなぐ道路はなく、生徒は曲がりくねった小道をたどって登下校していたが、登下校時の混雑や雨天・霜解け時のぬかるみが大きな問題となっていた。これを解決するため学校と県道を結ぶ100間の道路建設を計画していたが、用地の買収をめぐって地主との折り合いがつかず、建設の目途がたっていなかった。1910年になって、地域有力者の仲介などもあって用地の買収が成立し、11月16日から職員・生徒を動員して建設工事がはじまり、12月24日に完成した。翌年、皇太子嘉仁親王(後の大正天皇)が成東中学校に行啓した際、この道路を通過した事から、それ以降「行啓記念道路」と呼ばれるようになった。

県道から左の旧道へ。

この道も水路沿い。

結城藩校 興譲館旧跡。

             

明治2年(1869)2月24日14歳の水野勝寛が上総領千石減封の1万7000石で最後の結城藩主となり、勝知は7月4日に改めて二本松藩預となった。
6月版籍奉還で勝寛は結城藩知事となり、11月に成東陣屋の西に位置する福星寺に結城藩学館興譲館が開かれた。朱子学と武術を教え、武術は大河内阿三郎(不二心流四世大河内正道)が指導した。翌年に作られた勝寛の筆による興譲館扁額は市指定文化財。
明治4年(1871)7月14日に廃藩置県、11月に成東陣屋を廃した。 

「成東陣屋跡」。

結城藩水野家は武射(むさ)郡成東村に上総国領を治めるための陣屋を、廃城となっていた成東城址の入道山東南麓に造営した。
面積1615坪、かつては堀及び土手があり、南側に門、西側に牢屋や蔵が建てられていたという。  

           跡地遠景。

県道に合流します。          

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JR東金駅~成東駅。その3。(「銚子往還」をゆく。第2日目。)

2024-03-11 18:38:29 | 銚子往還

街道筋らしい家並み。

バス停「東金商業入口」。

「←↑→」。

角に大きなお屋敷。

「千葉学芸高等学校」。

      

県道から分かれ、左の道に。

ここでも水路沿いに進む。 

           

変わりやすい雲行きに。

昔ながらの家並み。

「真亀川」沿いのレストラン。

「kawa no saki」。古民家の店で隠れ家風。(「食べログ」より)

左奥にあります。

県道に合流する手前に、

キンカンの実がすずなり。

趣のあるおうち。

里山風景。

県道に合流。

「公平幼稚園」。

1974年(昭和49年)4月、旧公平小学校の西半分を使用し、公平幼稚園が開園。園庭は、かつての小学校の校庭の大きさだったのですね。園舎も小学校の校舎のまま?

右手は九十九里浜平野。

小高い森。

バス停「姫島」。

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