癒しの森 湯布院(仙人の健康相談室)  


人を、そして自分を癒し真なる喜びをもたらす
   
        人生の生き方を学ぶ 癒しの森湯布院

NO1291・古代インド文明は6

2024-03-13 | カレシュワーラ、スワミ
・枝ではなく、根になりなさい2
 
 それこそがサティア(真実)・ダルマ(必須の義務)・シャーンティ(平安)・プレーマ(愛)なのです。素晴らしいマスターとの歩み方を知れば、これらすべてが手に入ります。私は自分を称えているわけではありません。
 
 
 あなたがその時を適切に楽しまなければ、たとえマスターと一緒にいても自由を手にするチャンスはない、ということなのです。私は毎日部屋を出るとババの足元にひれ伏して、そこの椅子に座る許可をもらいます。仮に私が思い上がり「この私には、何千人もの生徒がいます。あの像、あのババにひれ伏す必要などありません。
 
 
 なぜここに座らなければならないのでしょうか?なぜ必要もないのに、私はババにひれ伏すのでしょうか?」と思うなら、私にはまったく価値がなくなります。ババがいなければスワミもいません。ババがいてこそ、スワミがいるのです。
 
 
・もうは未だなり、まだはもう成り
 
 これは相場の格言で、もうここが天井だと思った時は、まだまだで更に上を目指すときと言っています。まだまだ上がると思った時は、そこが天井だったという事を指しています。人生も同じで、もうこれ以上は売り上げも上がらないだろうと、多くの社員が思うと、そのようになるでしょうが、過信は禁物であります。自分の能力はもう限界だと思う時は、まだまだ伸びしろがある時で、自分の能力はこんなものではない。と過信した時が限界だった。・・・・・・・損少利大とは、損は小さくして利は大きくする意味で、人生で沈んでいる期間は無理をせず、運が開けた時はぐんぐん伸ばせと言う事になります。この逆をやるから永遠に貧乏父さんなのです。が、この時期が分からないから修行が必要なのです。人生も相場も難しいですが、自然に逆らわない生き方が重要でしょう。
 
 

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