斉東野人の斉東野語 「コトノハとりっく」

野蛮人(=斉東野人)による珍論奇説(=斉東野語)。コトノハ(言葉)に潜(ひそ)むトリックを覗(のぞ)いてみました。

22 【桃太郎とハードボイルド】

2017年02月11日 | 言葉
 エンタテインメント小説の楽しさ
 前回の【もし神が存在しないなら、すべては許される】で10代から20代前半にかけての読書経験に触れたので、今回は30代になってからの読書を振り返ってみたい。20代後半が抜け落ちているが、1つは仕事を覚えるのに精一杯だったこと、もう1つの理由は読書傾向にまとまりがなく、特徴を挙げて云々しにくいためである。30代に入ると少し余裕が出てきたので、国際関係の本の延長という感覚でスパイ小説を読み始めた。当時まだ東西冷戦の真っ只中だったから、ル・カレやレン・デイトン、ケン・フォレット、フレデリック・フォーサイス、ライト・キャンベル、ロバート・リテルら実力派の作品が目白押しで、エンタテインメント小説の醍醐味を存分に味わった。もちろんグレアム・グリーンやエリック・アンブラーのようなスパイ小説の古典にも熱中した。
 この分野のエンタテインメント小説の好みはアリスティア・マクリーン、ディズモンド・ハグリィらのイギリス冒険小説へ、さらにダシール・ハメットやレイモンド・チャンドラー、ロス・マクドナルドといったアメリカ・ハードボイルド小説へと広がった。コナン・ドイルやG・K・チェスタトンのイギリス流本格派ミステリィや、カトリーヌ・アルレーやノエル・カレフのフランス流ミステリーを読むのは、その後である。ふつうは本格派ミステリーから入る人が多いようだから、読書遍歴としては逆の道をたどったのかもしれない。

 ハードボイルド小説の魅力
 どのジャンルの小説がいちばん楽しかったかと問われても答えに窮する。それぞれに良さがあり、どの味わいも捨てがたい。現在も書棚には当時買ったエンタテインメント小説が、文庫本を中心に2千冊以上並んでいる。整理したいと思うが、なかなか捨てられない。捨てるなら、いつでも捨てられるという思いがあるが、それ以上に愛着もあるからだ。
 なかでもハードボイルド小説はいちばん目立つ場所に置いて、繰り返し読んでいる。魅力はよく言われているように、探偵役の主人公に精神のダンディズムを見るからだ。行動は男らしく、言葉は的確で無駄がない。あんなふうに生きてみたいと憧れを抱かせる、男としての理想の姿があるように思える。興味深いのは、初期の探偵役はそれほどタフでなく、簡単に殴り倒されてしまうことだ。だが、そこにリアリティーがあり、再び立ち上がる姿に真のタフさを感じ取る。この点「腕力の強さ」ばかりが代名詞のように強調される、以後に続くハードボイルド小説とはオモムキがだいぶ異なる。
「世の中は強くなければ、生きて行けない。優しくなければ、生きる資格がない」
 レイモンド・チャンドラーは『プレイバック』の中で、主人公の私立探偵フィリップ・マーロウに、こう言わせている。もっとも、手元にあるハヤカワ・ミステリ文庫の清水俊二訳は「しっかりしていなかったら、生きていられない。やさしくなれなかったら、生きている資格がない」だ。強く優しく、である。警察官と違って国家権力という後ろ盾のない私立探偵が、拳銃一丁を手に、ときにはギャングに挑む。「強くなければ、生きて行けない」の言葉の裏に一般人の想像を超えるものがあるはずだ。一方で「強く」には精神的な強さの意味合いもあるから、現代人にも、たとえば幼子を胸に抱く年若いママにとっても、同じように説得力のある警句であり得る。

 桃太郎サンとの共通点
 フレーズに感銘を受けた筆者は一時期、この「強くなければ、生きて行けない。優しくなければ、生きる資格がない」を座右の銘にしていた。モットーを問われたり、自己紹介文に書き入れる必要があったりという時に使っていたわけだ。このことからもハードボイルド小説への傾倒ぶりが、お分かりいただけると思う。ところがそのうち、このフレーズはどこかで耳にしたもの、いつか聞いたことのあるものだと思うようになった。しばらく考えたすえに、やっと分かった。桃から生まれた桃太郎の、あの桃太郎サンである。
 桃太郎の童謡には、明治33年に作られたものと明治44年のものがある。文部省唱歌だった44年の方が有名である。
<桃太郎さん 桃太郎さん お腰につけたキビ団子 一つわたしにくださいな。あげましょう あげましよう これから鬼の征伐に ついて行くなら あげましょう>
 33年のものは田辺友三郎作詞、作曲納所弁次郎である。
<ももから生まれた ももたろう 気はやさしくて 力もち 鬼が島を討たんとて いさんで家を 出かけたり。日本一のキビ団子 なさけにつき来る 犬と猿 キジも貰うて お供する>
 33年の「ももから生まれた ももたろう 気はやさしくて 力もち」は絵本にも書かれていた文章だと記憶する。ともかくも「強くなければ、生きて行けない。優しくなければ、生きる資格がない」と「気はやさしくて 力もち」は、ともに“強く、優しく”を理想とした点で一致している。これに気づいてのち、筆者は自己紹介文で座右の銘を書く必要に迫られると「気はやさしくて 力もち」と書くことにした。本当は「(出来るなら)気はやさしくて 力もち」で、もとより短気で狭量、財力も権力も腕力にも劣るゆえの、憧れに過ぎないのだけれど……。

 桃太郎サンの絵本と「やさしさ教育」の必要性
 1【ガラケー】に登場の孫カズキクンが怪獣好きで恐竜にも詳しいことは、すでに述べた。
「シンゴジラとメカゴジラは、どっちが強いの?」
 こんなふうに仕向けようものなら、話はとまらなくなる。
「あのね、ジイジね。メカゴジラはロボットでしょ、だからね……」
 カズキクンは目を輝かせ、延々と説明してくれる。筆者にも思い当るが、この年齢の男の子は強いモノへ憧れがち、ということだ。遊び道具の少なかった筆者の子供時代、外で遊ぶ時は竹の棒でチャンバラごっこばかり、漫画の赤胴鈴之助が英雄だった。
「男はネ、強いだけじゃダメなんだゾ! やさしくなければ、男らしくないんだゾ!」
 折をみてカズキクンに言ってみるが、カズキクンは目を白黒させるばかり。「やさしさ」を説いても、カズキクンにはまだ理解しにくいかもしれない。

 童謡や絵本を通して幼児の心に「気はやさしくて、力もち」の精神を刷り込んだのは昔の人の知恵だろうか。すぐ意味は分からなくとも、成長するにつれ血や肉になる。昔の小学校にイジメは無かったような気がする。

21 【もし神が存在しないなら、すべては許される】

2017年02月06日 | 言葉
 フランス実存主義哲学の出発点
 ドストエフスキーの代表作『カラマーゾフの兄弟』は、近代思想に大きな影響を与えてきた。カラマーゾフ家の次男イワンは下僕(実は腹違いの兄弟)スメルジャコーフに「もし神が存在しないなら、すべては許される」と説き、暗に父殺しを仕向ける。ドストエフスキーが生きた19世紀のロシアでは、すべての価値観や規範が神の存在を前提にしていたから、人はある意味、日々の生活まで細かく縛られていた。日々神に束縛されると、むしろ安堵感に包まれて居心地は良い。慣れてしまえば、束縛から脱することの方が勇気は要る。イワンが弟のアリョーシャに語り聞かせる設定の「大審問官」の章では、キリストに見立てた“老人”に「人間にとって、人間社会にとって、自由ほど耐えがたいものはない」とも語らせる。神が存在せずに人間が自由な立場にあれば、すべての判断は個々人にゆだねられる。そのような状態を指して「自由ほど耐えがたいものはない」と“老人”は断じたわけだ。
 フランスの哲学者サルトルは、神なき世にあって「すべては許される」ことが実存主義哲学の出発点であるとし、「人は自由の刑に処せられている」とも言った。同時代人のカミュも同じ立場に立つ。この二つの命題を出発点とした思想家は他にも多い。

 我が貧しき“ドストエフスキー体験”
 初めて『カラマーゾフの兄弟』の分厚い本を手に取ったのは高校2年生の時だったと思う。1年生かもしれず、記憶はおぼろだ。芥川龍之介と太宰治のどちらかが、自分の本でドストエフスキーを激賞していた。4つ違いの兄の本棚を見ると、古本屋で安く買ったのか、装丁の崩れかけた『カラマーゾフの兄弟』があった。そこで1ページ、数日経つとまた1ページと、きわめて不熱心かつ非効率的に『カラマーゾフの兄弟』を読み始めた。
 当時は本好きでなかった。「芥川龍之介と太宰治のどちらか」と書いたが、この2人の薄い短編集以外にそれまで小説の類いを読んだことがなく、ドストエフスキーを激賞したのが芥川と太宰の、いずれとも正答できぬ程度の読者だった。ともかくも読み始めたとはいえ熱心でなかったから、高校の3年でも読み終わらない。浪人中も遅々として進まず、本は参考書とともに机の上に放置された。結局読み終えたのは大学1年生の夏頃だった。
 作品に魅了されたなら一気に読んだはずだ。振り返ってもカラマーゾフ兄弟の父親殺しに絡む物語という程度で、細かなストーリーを覚えていない。ただ、自分でも不思議に思うのは、ストリーリーの大半は忘れても2つの命題、すなわち「神が存在しないなら、すべては許されるだろう」と「大審問官」で“老人”が語る「人間にとって、人間社会にとって、自由ほど耐えがたいものはない」とは、言霊(ことだま)のように後々まで記憶に刻まれたことだ。
 
 通り一遍には小説も哲学書もカジったが、通り一遍の域は出なかった。2つのテーゼがサルトル実存主義哲学の出発点だと知るのは『カラマーゾフの兄弟』を読み終えた後のこと。だが知ると拙(つた)ないながら自信のようなものが湧いてきた。ストーリーの詳細は忘れても、いちばん肝心要の部分は読み取っていたのかもしれない、という思いだった。自分に自信のない人間は、ちょっとしたことで調子に乗りやすい。続いて『悪霊』『罪と罰』『白痴』『死の家の記録』『地下生活者の手記』『貧しき人々』とドストエフスキーの作品を読んだが、学生運動の盛んな時代だったせいか『悪霊』が記憶に残ったのみ。他にドストエフスキー研究書の類は読まなかった。

 「もし神が存在しないなら、すべては許される」への疑問
 まあ、そんな程度の“ドストエフスキー体験”であり「斉東野語」、つまり野蛮人のタワゴトだ。言わんとしているのは「もし神が存在しないなら、すべては許される」という命題への疑問である。
 この命題を裏返せば「神が存在して初めて、たとえば『殺すなかれ』は絶対的な価値観になる」だ。絶対の神が存在するゆえに絶対的な価値観が生まれる--が、考え方の根幹である。逆に言うなら、絶対神が存在しなければ絶対的価値は存在せず、すべての価値は相対的なものにとどまることになる。「殺すなかれ」も相対的な規範に過ぎない、と。
 だが、絶対の神が存在しなければ絶対的価値は生まれないとする考え方はどうだろうか。人間は生まれ、やがて死ぬ。これは絶対的真理だ。生まれるのだから親が存在し、親を取り巻く人間社会も存在する。人が支え合う社会では「殺すなかれ」がルールになる。人類が生きる自然環境や地球環境も絶対的な要素である。地球が消滅すれば人類も消滅するからだ。つまり神の存在如何にかかわらず人間は幾重にも連鎖する「絶対」の中で生きている。それゆえ神無き人間社会であっても「殺すなかれ」「盗むなかれ」は不動の戒めとなる。

 “逃げ道”
 イワンは末弟のアリョーシャに、こうも言っている。
「神はありやなしやといった問題はすべて、三次元のことしか考えられないように創られている人智には手に負えない問題なんだから」
 ドストエフスキーは“逃げ道”も用意しているわけだ。万物の創造主たる神の領域に、被創造物たる人間が人智を尽くして迫ろうとも、しょせん無駄な試みに過ぎない、と。分かりやすく言うなら、幼児(=人間)がどう知恵を巡らせたところで、大人(=神)の心のうちは理解できない、という理屈に同じだ。真理が「不可知の雲」の上のみにあるなら、すべての人智は意味を失う。つまりは人智を排除する論理である。
 しかしそれは同時にドストエフスキーみずからがイワンや大審問官の口を借りて語らせてきた論理の一切を帳消しにしてしまう。ドストエフスキーは人間であるから「神が存在しないなら、すべては許されるだろう」も「人間にとって、人間社会にとって、自由ほど耐えがたいものはない」も人智に過ぎない。“逃げ道”を用意したことで、示された2つの命題は当然のこと、命題を立脚点とするサルトルの実存主義も、おぼろに雲散霧消する。

 繰り返すが、時代を熱狂させた考え方は、キリスト教的世界観や価値観が色濃かった欧米やロシアであればこそ、成立し得た。唯一絶対の創造主を戴かずに現代へ至った日本人であれば、そのことがよく分かる。