最初にお断わり
前々回の「11 梅に鶯」で、筆者が北アルプスの下山路でツキノワグマに出合ったと書いたところ、何人かの人に非常に珍しがられた。おおむね「50メートルの近い距離で遭遇して、よく怖くなかったネ」という驚きの声だった。そこで、この時のことを、もう少し詳しく書いてみたい。この回に限ってコトノハとは関係のない内容なので題名も無しに、つまり【………】とさせてもらった。ご了解ください。
とんでもない、怖かった!
その年の夏は、友人の土田君と2人で北アルプスを歩いた。上高地から入って涸沢の山小屋で1泊し、2日目は北穂高岳から縦走して奥穂高岳の山荘で2泊目。最終日の3日目は奥穂高岳から前穂高岳と歩き、岳沢沿いに上高地へ下りた。2日目午前中の北穂高岳への登りで小雨に降られたくらいで、おおむね快晴に恵まれた山旅。満足感に浸りながら岳沢沿いの下山路を歩いていた時、50メートルほど先に1頭のツキノワグマを見た。道の真ん中で何やら頭を地面にこすりつけている。体長1・5メートルほどで意外に小さく感じたが、ツキノワグマは成長してもヒグマのようには大きくならないから、小熊ではなかっただろう。それでも黒い塊は、ゆうに我々2人分の体重を超すほどに見えた。
迫力十分。とっさに「死んだふり」という言葉を思い出し、その場に寝転がろうかと考えた。そんな恐怖心を見透かしたように、土田君が落ち着き払って言った。
「立ち止まって大声で話しているふりをしよう。先に気づかせよう。大丈夫、心配ない、あっちも人間が怖いンだ!」
高校、大学と山岳部に籍を置いた土田君は冷静だった。すぐにガサガサッという物音がして黒い塊は下山路脇の急斜面へ消えた。少し待ってクマが地面に頭をこすりつけていた場所まで行くと、青い毛編みの手袋が落ちていた。クマは登山客が落とした手袋の臭いを嗅いでいたようだ。山の幸が豊富な夏場、それも1日に千人を超える登山者が行き来する夏山シーズン真っ盛りの登山道で、クマが出没するとは予想も出来ない。登山客の食べ残す弁当目当ての、人慣れたツキノワグマだったのかもしれない。
単独行のヤブ山でクマに震えた体験
実は筆者は、これより先にも山でツキノワグマに遭遇した経験がある。「4【春水満四田】」にも書いたが、新聞社の新潟県六日町通信部に勤務していた当時のこと。住居兼仕事場である通信部の2階から、頂上近くに巨岩を戴く山が見えた。金城山(きんじょうさん、標高1、369メートル)。市街地に近いせいか当時は登山する人の滅多にない山だった。しかし一般にヤブ山と言われる山でも、雪をかぶると神々しく見えるもの。初雪の朝に山頂付近の岩峰が白く輝く光景には、胸を躍らせる新鮮さがあり、思わず手を合わせてしまうほどだった。
それまでも金城山の奥に位置する巻機山(まきはたやま、1、967メートル)へは何回も登っていた。だが、金城山へは登ったことがなかった。とりたてて魅力のない山に思えたことが1つ。もう1つ、登ることを躊躇(ためら)った理由は、地元の人から「あの山はクマが出る」と聞いていたからだ。しかし登山への誘惑には勝てず、春のよく晴れた朝、意を決し単独行でリュックを背に出発した。
何の音か?
あまり登られていない山なので、それと分かる登山道は見当たらない。そこで南へ延びる稜線に一度出て、これを目印に登ることに決めた。山肌のちょっとした窪みには黒ずんだ残雪が一面に固くこびりついていたが、陽のよく当たる斜面は前年の落ち葉もすっかり乾き、歩けばガサリゴソリと音を立てた。関東の冬枯れの低山を歩いている気分だった。テンポよく高度を稼ぎ、2時間弱で9合目付近の岩峰直下にさしかかった。
人の気配らしきものに気づいたのは、その時。タオルで顔の汗を拭おうと足を止めると、何かも足を止めた(ように思えた)。落ち葉を踏みしめるガサリの音が、ワンテンポ遅れて聞こえた。最初は「他に登山者がいるのだな」と思ったが、こちらが歩きだすと、やはりワンテンポ遅れてガサリゴソリの音がする。登山客なら、こちらの動きに合わせて歩くはずがない。つまり人間ではない。次に考えたのは、自分の足音が岩峰で反響しているのか、ということだった。たぶん、それに間違いあるまい、と。
だが同時に「クマか?」という考えも頭をかすめた。こちらは単独行であるし、一太刀反撃しようにもピッケル1つ持参していない。それでなくとも、こんな時は臆病風に吹かれがちだ。多少の迷いはあったが、頂上を目前にして登山を諦め、引き返すことにした。
直後、稜線に出ると、眼下のクマザサ斜面を転がるように駆け下りる黒い塊が見えた。クマも慌てて逃げたのだ。引き返せば金城山の頂上に立てると思ったが、クマにならって(?)こちらも出直すことにした。帰りの稜線をたどりながら、あの時はクマの方でも「自分の足音が岩でハネ返って聞こえたのか? それともクマと見ればテッポーを撃つドウモウなニンゲンか?」と迷ったのだろうか、と考えた。急にクマに友情を感じた。
変わったのはクマか人間か?
谷川山系や越後三山など、六日町のある南魚沼盆地は2千メートル級の山に囲まれている。冬眠から目覚める春先や、冬眠前の秋には、クマが里近くに下りて来ることがあった。特に冬眠前はしっかり栄養を摂り込んでおかなければならず、冷夏などで“山の幸”が不作の秋には麓の農民たちも「今年は下りて来そうだ、気をつけるベ」と警戒し合う。夏が寒いと山のドングリなどの堅果類が十分に実らず、飢えたクマが庭先の柿の実などを狙うからだ。クマが人を襲うときは、立ち上がった姿勢から、ツメを立てた前足を振り下ろす。一撃は強烈で顔に当たれば頭蓋骨が砕けた。六日町通信部に勤務当時、人が山に入る春の山菜採りや秋のキノコ採りシーズンになると、必ず被害事故の原稿を書いたものだ。
今秋、東京・青梅市の民家にクマが出没したとのニュースをテレビで見た。最近は夏の天候に関係なくクマが人里に下りて来るようだ。クマが人間の生活圏を脅(おびや)かすのか、人間がクマの生息環境を脅かす結果なのか。クマたちにとっても、生きにくい時代であることは間違いないようだ。
前々回の「11 梅に鶯」で、筆者が北アルプスの下山路でツキノワグマに出合ったと書いたところ、何人かの人に非常に珍しがられた。おおむね「50メートルの近い距離で遭遇して、よく怖くなかったネ」という驚きの声だった。そこで、この時のことを、もう少し詳しく書いてみたい。この回に限ってコトノハとは関係のない内容なので題名も無しに、つまり【………】とさせてもらった。ご了解ください。
とんでもない、怖かった!
その年の夏は、友人の土田君と2人で北アルプスを歩いた。上高地から入って涸沢の山小屋で1泊し、2日目は北穂高岳から縦走して奥穂高岳の山荘で2泊目。最終日の3日目は奥穂高岳から前穂高岳と歩き、岳沢沿いに上高地へ下りた。2日目午前中の北穂高岳への登りで小雨に降られたくらいで、おおむね快晴に恵まれた山旅。満足感に浸りながら岳沢沿いの下山路を歩いていた時、50メートルほど先に1頭のツキノワグマを見た。道の真ん中で何やら頭を地面にこすりつけている。体長1・5メートルほどで意外に小さく感じたが、ツキノワグマは成長してもヒグマのようには大きくならないから、小熊ではなかっただろう。それでも黒い塊は、ゆうに我々2人分の体重を超すほどに見えた。
迫力十分。とっさに「死んだふり」という言葉を思い出し、その場に寝転がろうかと考えた。そんな恐怖心を見透かしたように、土田君が落ち着き払って言った。
「立ち止まって大声で話しているふりをしよう。先に気づかせよう。大丈夫、心配ない、あっちも人間が怖いンだ!」
高校、大学と山岳部に籍を置いた土田君は冷静だった。すぐにガサガサッという物音がして黒い塊は下山路脇の急斜面へ消えた。少し待ってクマが地面に頭をこすりつけていた場所まで行くと、青い毛編みの手袋が落ちていた。クマは登山客が落とした手袋の臭いを嗅いでいたようだ。山の幸が豊富な夏場、それも1日に千人を超える登山者が行き来する夏山シーズン真っ盛りの登山道で、クマが出没するとは予想も出来ない。登山客の食べ残す弁当目当ての、人慣れたツキノワグマだったのかもしれない。
単独行のヤブ山でクマに震えた体験
実は筆者は、これより先にも山でツキノワグマに遭遇した経験がある。「4【春水満四田】」にも書いたが、新聞社の新潟県六日町通信部に勤務していた当時のこと。住居兼仕事場である通信部の2階から、頂上近くに巨岩を戴く山が見えた。金城山(きんじょうさん、標高1、369メートル)。市街地に近いせいか当時は登山する人の滅多にない山だった。しかし一般にヤブ山と言われる山でも、雪をかぶると神々しく見えるもの。初雪の朝に山頂付近の岩峰が白く輝く光景には、胸を躍らせる新鮮さがあり、思わず手を合わせてしまうほどだった。
それまでも金城山の奥に位置する巻機山(まきはたやま、1、967メートル)へは何回も登っていた。だが、金城山へは登ったことがなかった。とりたてて魅力のない山に思えたことが1つ。もう1つ、登ることを躊躇(ためら)った理由は、地元の人から「あの山はクマが出る」と聞いていたからだ。しかし登山への誘惑には勝てず、春のよく晴れた朝、意を決し単独行でリュックを背に出発した。
何の音か?
あまり登られていない山なので、それと分かる登山道は見当たらない。そこで南へ延びる稜線に一度出て、これを目印に登ることに決めた。山肌のちょっとした窪みには黒ずんだ残雪が一面に固くこびりついていたが、陽のよく当たる斜面は前年の落ち葉もすっかり乾き、歩けばガサリゴソリと音を立てた。関東の冬枯れの低山を歩いている気分だった。テンポよく高度を稼ぎ、2時間弱で9合目付近の岩峰直下にさしかかった。
人の気配らしきものに気づいたのは、その時。タオルで顔の汗を拭おうと足を止めると、何かも足を止めた(ように思えた)。落ち葉を踏みしめるガサリの音が、ワンテンポ遅れて聞こえた。最初は「他に登山者がいるのだな」と思ったが、こちらが歩きだすと、やはりワンテンポ遅れてガサリゴソリの音がする。登山客なら、こちらの動きに合わせて歩くはずがない。つまり人間ではない。次に考えたのは、自分の足音が岩峰で反響しているのか、ということだった。たぶん、それに間違いあるまい、と。
だが同時に「クマか?」という考えも頭をかすめた。こちらは単独行であるし、一太刀反撃しようにもピッケル1つ持参していない。それでなくとも、こんな時は臆病風に吹かれがちだ。多少の迷いはあったが、頂上を目前にして登山を諦め、引き返すことにした。
直後、稜線に出ると、眼下のクマザサ斜面を転がるように駆け下りる黒い塊が見えた。クマも慌てて逃げたのだ。引き返せば金城山の頂上に立てると思ったが、クマにならって(?)こちらも出直すことにした。帰りの稜線をたどりながら、あの時はクマの方でも「自分の足音が岩でハネ返って聞こえたのか? それともクマと見ればテッポーを撃つドウモウなニンゲンか?」と迷ったのだろうか、と考えた。急にクマに友情を感じた。
変わったのはクマか人間か?
谷川山系や越後三山など、六日町のある南魚沼盆地は2千メートル級の山に囲まれている。冬眠から目覚める春先や、冬眠前の秋には、クマが里近くに下りて来ることがあった。特に冬眠前はしっかり栄養を摂り込んでおかなければならず、冷夏などで“山の幸”が不作の秋には麓の農民たちも「今年は下りて来そうだ、気をつけるベ」と警戒し合う。夏が寒いと山のドングリなどの堅果類が十分に実らず、飢えたクマが庭先の柿の実などを狙うからだ。クマが人を襲うときは、立ち上がった姿勢から、ツメを立てた前足を振り下ろす。一撃は強烈で顔に当たれば頭蓋骨が砕けた。六日町通信部に勤務当時、人が山に入る春の山菜採りや秋のキノコ採りシーズンになると、必ず被害事故の原稿を書いたものだ。
今秋、東京・青梅市の民家にクマが出没したとのニュースをテレビで見た。最近は夏の天候に関係なくクマが人里に下りて来るようだ。クマが人間の生活圏を脅(おびや)かすのか、人間がクマの生息環境を脅かす結果なのか。クマたちにとっても、生きにくい時代であることは間違いないようだ。