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斉東野人の斉東野語 「コトノハとりっく」

野蛮人(=斉東野人)による珍論奇説(=斉東野語)。コトノハ(言葉)に潜(ひそ)むトリックを覗(のぞ)いてみました。

断想片々(56)【「ドミノ理論」の変質?】

2024年03月02日 | 言葉
 ウクライナ戦争も2月24日で開始から2年が過ぎた。ウクライナの民間犠牲者は1万5百人を超え(2月24日付け読売新聞朝刊)、兵士の戦死者は3万人を超えて(26日付け)、ウクライナ側の劣勢は鮮明になっている。メディアが繰り返し伝えるように、旗色逆転の主な理由はNATO側、とりわけ米国からの武器弾薬の供給が滞っているためだ。
 そんな情勢の変化を印象付けるのは、米大統領候補へ名乗りを上げているトランプ氏が「軍事費を負担しないNATOの国へは、ロシアに『どうぞ自由に攻め入ってくれ』とに言いたい」と公言していること。半世紀前のベトナム戦争と、当時アメリカで盛んに唱えられた「ドミノ(ドミノ倒し)理論」というコトバを思い出す。

 さま変わり
 それにしてもベトナム戦争からもう半世紀も経つのかと書いていて驚く。ならば、この言葉を取り巻く環境が変わっても当然かもしれない。当時を知る世代には説明不要だろうが、「ドミノ」は28個の札(牌)を使って数の組み合わせを競う西洋の室内ゲーム。日本では本来の遊び方より「ドミノ倒し」の方が知られている。日本の「将棋倒し」に似て、立てて並べた駒(牌)を連鎖的に倒してみせる遊びだ。
 半世紀前には「米国がベトナムで負ければ、隣接する東南アジア各国が連鎖的に共産化する」というふうに、世界の自由陣営を引っ張る米国がベトナム侵攻を正当化する文脈で使われた。そして今は、米国の同盟国側に「米国は、自由主義陣営のリーダーの座から降りる気か?」と思わせる、ある意味のオドシのようでもある。

 額面通りに受けとめるのは、いかがか?
 やっかいな2国を眼前にしつつ”日米同盟”を頼みの綱とする日本人にとって「どうぞ自由に攻め入って」のコトバは刺激的だ。もっとも、このコトバを額面通りに受け取める日本人は少ないかもしれない。要は、自由陣営のリーダーとして世界にも顔を向けなければならないバイデン大統領と異なり、トランプ氏は当面、大統領選に向けて米国民だけを相手にしていれば良いのである。誰に向けて話しているかを考えつつ聞くべきだろう。

1 コメント

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プロテリアルリスペクト (塑性加工関係)
2025-04-11 01:57:56
最近はChatGPT(LLM)や生成AI等で人工知能の普及がアルゴリズム革命の衝撃といってブームとなっていますよね。ニュートンやアインシュタイン物理学のような理論駆動型を打ち壊して、データ駆動型の世界を切り開いているという。当然ながらこのアルゴリズム人間の思考を模擬するのだがら、当然哲学にも影響を与えるし、中国の文化大革命のようなイデオロギーにも影響を及ぼす。さらにはこの人工知能にはブラックボックス問題という数学的に分解してもなぜそうなったのか分からないという問題が存在している。そんな中、単純な問題であれば分解できるとした「材料物理数学再武装」というものが以前より脚光を浴びてきた。これは非線形関数の造形方法とはどういうことかという問題を大局的にとらえ、たとえば経済学で主張されている国富論の神の見えざる手というものが2つの関数の結合を行う行為で、関数接合論と呼ばれ、それの高次的状態がニューラルネットワークをはじめとするAI研究の最前線につながっているとするものだ。この関数接合論は経営学ではKPI競合モデルとも呼ばれ、トレードオフ関係の全体最適化に関わる様々な分野へその思想が波及してきている。この新たな科学哲学の胎動は「哲学」だけあってあらゆるものの根本を揺さぶり始めている。こういうのは従来の科学技術とは違った日本らしさとも呼べるような多神教的発想と考えられる。
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