斉東野人の斉東野語 「コトノハとりっく」

野蛮人(=斉東野人)による珍論奇説(=斉東野語)。コトノハ(言葉)に潜(ひそ)むトリックを覗(のぞ)いてみました。

断想片々(34) 【さまざまな1年】

2021年12月29日 | 言葉
< お空のママへ 
      仲山 凛

 バァバァ
 高い所に行こう
 だって
 ママがいるお空に近いよ
「ヤッホー
りん もうすぐ5才だよ」
 ママ聞こえたかな

(栃木県下野市・愛泉幼稚園年中) >

 *読売新聞12月29日付け朝刊生活欄「こどもの詩」から転載。さまざまなことが起きた1年。人知れず落とした、おさな子の涙も--。世界の人びとに、とりわけ子どもたちに幸あれと祈る。

断想片々(33) 【ジジイとジイジ】

2021年12月05日 | 言葉
 Wさんのブログを読んでいて、自分のことを「ジジイ」と書いている個所で、思わず笑ってしまった。「そうか、Wさんは独身だから、お孫さんから『ジイジ』と呼ばれることはないのだナ」と気づいた。孫からは「ジイジ」や「バアバ」、孫の存在を考えなければ「ジジイ」や「ババア」。「イ」や「ア」の位置が一つ違えば、語感はこんなに違う。

 何年か前、上の娘が何かの拍子に筆者を「ジジイ」と呼んだ。小学校で教師をしている上の娘は、2人の息子(筆者には孫)の言葉遣いにウルサく、2人が保育園児の頃から「ジイジじゃなくて、オジイチャンと呼びなさい」と教えていた。だから「ジジイ」と呼ばれた筆者は、かえって新鮮な語感が楽しく、怒るより笑ってしまった。言い間違えに気づいた娘は弁解せず、ただ顔を赤らめていた。

 幼児は誰でもそうだろうが、上の娘は幼児の頃、よく言い間違いをした。何かの拍子で慌てたり興奮したりすると、コトバが変化する。ある夏の宵に「ボンドロリへ行きたい。ボンドロリ!」と頻(しき)りに、せがんだ。ボンドロリ? 「盆踊り」の言い間違えだと気づいたのは、広場の方角から太鼓の音が聞こえて来たからだ。
 また、ある時、テレビを指さしながら「ニュース、ニュース!」と叫ぶ。テレビはニュース番組を流していたから、「そうだね、ニュースだね」と答えつつ、さすがは新聞記者の娘、ニュース番組が好きらしい、と感心した。ところが、依然として娘は「ニュース、ニュース!」と叫び続ける。一瞬の後、裏番組で『ニルスのふしぎな旅』という人気アニメを放送していることに気づいた。チャンネルを変えてやると、満面の笑顔になった。舌が回らない娘は「ニルス」のつもりで「ニュース」と言っていたのだった。

 【じいじ】=「ジジの長音化。祖父を親しんで呼ぶ幼児語」(『広辞苑』第7販)。さすが広辞苑には載っていた。同じ意味の方言は無いようだから、語源は幼児語、つまり言い間違いから。しあわせな気分にさせてくれる言い間違いである。