斉東野人の斉東野語 「コトノハとりっく」

野蛮人(=斉東野人)による珍論奇説(=斉東野語)。コトノハ(言葉)に潜(ひそ)むトリックを覗(のぞ)いてみました。

89 【「政治テロ」と世論誘導】

2022年07月16日 | 言葉
 予想通りの与党大勝に終わった第26回参議院選挙。ウクライナ侵略戦争を目(ま)の当たりにしてきた有権者が、軍備強化と憲法改正の必要へと傾くタイミングで、さらに投票日直前に安倍元首相が銃撃を受けて死亡した。

 政権与党にとれば追い風が二度吹いた形だろう。特に二度目の風には与党寄りメディアの援軍も加わり、事件の政治性を強調しつつ「卑劣な言論封殺 許されぬ」や「民主主義への挑戦」と声高に叫んだ。安倍氏を民主主義の守護者とする一大キャンペーンには、票を政権与党側へ誘導させる効果があった。安倍氏への”同情票”が、氏の持論だった軍備強化と憲法改正の推進勢力へと流れ、一定の加勢要因となった。

 「政治テロ」だったのか?
 「テロリズム」について『デジタル大辞泉』(小学館)は「政治目的を達成するために、暗殺・暴行・粛清・破壊活動など直接的な暴力やその脅威に訴える主義。テロ」と解説している。表題で「政治テロ」とした理由は、最近は「サイバーテロ」といった新語も生まれているので、誤解のないように区別するためである。もともと「テロ」は「政治テロ」に限られる。
 
 立ち止まって考えてみたい。あれは本当に「政治テロ」だったのか。「言論封殺」や「民主主義への挑戦」が目的であれば、政治性を帯(お)びた「テロ」ないしは「政治テロ」になるだろうが、41歳の容疑者は逮捕直後から「安倍氏の政治信条に対する恨みではない」「母親を破産させた宗教団体と(安倍氏と)のつながりが動機」と供述していた。「個人的な恨み」であれば「言論封殺」や「民主主義」とは次元が異なる。あくまで「怨恨(えんこん)」である。これを「政治テロ」の問題へと捻(ね)じ曲げてしまうなら、まさに<ミソも✖✖も一緒>だろう。

 政治家が関わるから「政治テロ」になるわけではない。選挙演説という政治活動中に殺されたという理由だけでは「政治テロ」と言えない。「政治目的を達成するために」という点が重要だ。繰り返すが、今回事件ではこの側面が限りなく希薄なのである。与党寄りメディアが参院選を横目でにらみつつ、あえて「怨恨」を「政治テロ」にすり替えたのであれば、これはもう立派な(?)「世論誘導」になる。

 むしろダークなイメージが強かった安倍政治
 善人悪人の枠を超えて死者を悼(いた)み、死者に鞭(むち)打つことをタブーとするのは、日本社会の伝統的な習(なら)いである。悪いことではないが、やがて歴史的評価が定まるであろう一国首相への追悼記事であるなら、安倍政権の功罪を冷静かつ沈着、公平に書き記して欲しかった気がする。

 悪しき点には、森友学園と加計学園のいわゆる「モリカケ問題」、さらに桜を見る会等々が列挙される。安倍氏は外交や国防といった面で国外からの評価が高いが、国内での評価となると金銭がらみのダークなイメージが強い。欧米民主国家の政治家ならモリ、カケ、サクラの、いずれか1件でもあれば辞任に追い込まれかねない大問題になる。 
 これまでも指摘されてきたことだが、安倍家と旧統一教会との濃い関係は、祖父・岸信介氏時代からのものだ。犯行は旧統一教会と安倍・岸家との関係に恨みを抱いてのことであって、「民主主義への挑戦」や「言論封殺」とは関係がない。

 「政治テロ」以上に慄然(りつぜん)とさせるもの
 事件から数日が経ったいま、容疑者がたどった人生が次々に明らかになってきた。7日発売の「週刊文春」や「週刊新潮」、それに女性週刊誌などが、身内の自殺と破産により解体してしまった容疑者家族の悲惨を紹介している。筆者も「自分が容疑者の立場だったら、どうしたか? 自分も・・」と一瞬考えたが、もちろん、どんな理由にしろ人を殺すことに道理はない。容疑者が苦しんだように、殺されて苦しむ家族は殺される側にも出る。そこに想像力が及ばないことは、やはり愚かしいのである。
 
 一方、慄然とさせられる事実も浮かび上がった。「世論誘導」が、かくも大っぴらに行われるようになったという事実だ。もとよりメディアの原則は公平さにあり、世論を意図的に誘導することは禁じ手である。太平洋戦争への反省から、戦後になって「報導」の表記は「報道」へと変わった。ところが、それが大手を振って復活した、というのだろうか。そうした歴史の経緯を、もう一度考えてみる必要がある。

 「政治目的を達成するために」という点では、「世論誘導」は「政治テロ」の蛮行と変わらない。テロのような誰もが否定する明らかな暴力手段ではなく、誰にも知られずに民意の内側に潜(もぐ)り込む「世論誘導」は、ある意味では「政治テロ」よりも危険かもしれない。
 ここ数日のメディアは、安倍氏国葬の是非で盛り上がっているかに見える。安倍氏を民主主義の守護者として祭り上げ、今年の秋にかけ国葬で民意を盛り上げておき、憲法改正と軍備費増強へと向かいたいのだろう。誘導せんとする道筋は、ミエミエでもある。