(続・雪下ろし、雪掘り、&『北越雪譜』)
羽毛のように降る雪
筆者を含め関東で生まれ育った者は、雪に重さがあることを実感しにくいかもしれない。雪は空から羽毛のようにふわふわと時間をかけながら舞い降りて来て、地上へ落ちれば積もることはまれで、たいていは落ちるのと同時に融けてしまうもの、といった程度の理解である。『漢語林』(大修館書店)によれば「雪」という漢字の元となった甲骨文字は「羽」に似ていて「羽毛のような雪片の象形」であると説明されている。なるほど「羽」の字をよく見ると、左右3片ずつの雪片が2筋になって舞い落ちる形に見えなくもない。であれば、羽毛のように軽いのも当然だろう。
豪雪地で育った者なら、舞い落ちる様子の印象は変わらずとも、雪は地上に落ちても羽毛のように軽いままであるなどとは決して考えるまい。いくら積もっても放っておけば屋根の雪が消えてしまうのなら、大人たちが「雪掘り」に精出すはずもない。懸命に雪を掘る理由は、怠れば雪の重みで家が押しつぶされてしまうためだ。
象のように積もる雪
さて、屋根の上の雪は一体どれほどの重さになるのか。水が1メートル立方で1000キロ(1トン)の重さであることは子供の頃に学校で学んだ。これに対して雪の水分量は新雪で15%から20%、根雪で50%前後と推定され、降雪後何日が過ぎているかによって重さに差が出る。新雪の降った翌日か翌々日、屋根上の積雪が1メートルになった時点で計算してみよう。仮に水分量が20%とすれば、広さ1平方メートルにつき200キロの重さになる。逸ノ城のような巨漢力士が1平方メートルごとに屋根の上にいると想像すれば良いだろう。屋根の広さが50平方メートルの民家なら総重量は200×50=10000キロ(10トン)で、逸ノ城が50人ほど屋根に載っていることになる。成体のインド象の重量は1頭が4トンから5トンと言われるから、インド象なら2頭が載っている計算だ。積もった雪は、もはや羽毛のようには軽くない。なんとか早く2頭の象サンに屋根から降りてもらわねばと、人々が「雪掘り」に焦り気味(?)になる気持ちはよく分かる。
六日町に勤務していた頃、それでも民家が雪の重みで押しつぶされたという記事を書いた記憶はない。当時すでに若い世代は働き口を求めて都会へ出るケースが多く、農村は高齢化が進行していた。高齢者のみの世帯が多かったにもかかわらず、民家をつぶすことがなかったのは、さすがに豪雪地の知恵によるものだろう。そのかわりに、と言うのではないが、納屋や物置がつぶれたといった程度の雪害は毎日のように耳にした。
雪崩(なだれ)
鈴木牧之著の『北越雪譜』は「雪頽(なだれ)」の項で「雪頽は雪吹(ふぶき)と双(なら)べて雪国の難儀とす」と説明し、「なだれは撫下(なでおり)る也」と語源に触れている。「撫下る」は山の地肌を「なで下りる」の意だといい、発生時期は「陽気地中より蒸して(雪が)解けんとする」春先、落ちる雪は「こほりて岩のごとくなるもの」と書いているので、牧之が頭の中に描いているのは全層雪崩(ぜんそうなだれ、底雪崩)のようだ。表層雪崩(ひょうそうなだれ)については項を改めたうえで「雪崩とは似て非なるもの」の「ほふら」だと説明している。何故「ほふら」と呼ぶか、つまり語源については説明がない。12月(旧暦)の寒中に「高山の雪深く積もりて凍りたる上へなお雪ふかく降り重なり」、雪が「風などの為に一塊り枝より落ち」るなどのキッカケから一気に山斜面を滑り下る、と解説しているので、表層雪崩に間違いない。事前に兆候がある全層雪崩とは異なり「此のほふらはおとづれ(前ぶれ)もなくて落ち下るゆゑ、不意をうたれて逃げんとすれば軟らかなる雪深くて走りがたく、十人にして一人助かるは稀(まれ)也」と、全層雪崩より人々が恐れていたらしい様子が記されている。
2度続いた表層雪崩災害の取材
牧之の説明にもある通り、新雪の表面が数日来の陽気で融けて氷状になることが、発生の気象上の条件である。山斜面の上部から山裾にかけて凍るので、ちょうど氷の滑り台になる。さらに新雪が積もり、その重さが一定以上になると、新雪は一気に“氷の滑り台”を滑り落ちる。これが表層雪崩だ。軽く軟らかな新雪なので木々や岩の間を巧みにすり抜け、崩れ落ちるスピードは速い。また全層雪崩と比べると崩壊幅が広く、総延長も比較にならないほど遠くまで到達する。このため里近くで表層雪崩が発生すると被害は甚大である。
1981年(昭和56年)1月7日未明、筆者の守備エリアだった新潟県北魚沼郡守門(すもん)村(現・魚沼市)で、民家4棟13人が一瞬のうちに表層雪崩に呑み込まれて生き埋めになり、8人が死亡する惨事が起きた。さらに18日未明にも同じ北魚沼郡湯之谷村(現・魚沼市)の特養ホームが表層雪崩に襲われ、寝入っていたお年寄りたちのうち17人が生き埋めとなり、6人が死亡した。どちらの時も、雪の降りしきる未明のアイスバーン道路を片道2時間以上かけて現場へ急行し、消防団員らの必死の救出作業をフィルムに収めようと夢中でシャッターを切った。惨事は2度とも朝刊1面と社会面のトップ記事になった。
ともに衝撃的だったが、強く印象に残るのは鉄筋コンクリート2階建ての特養ホームが襲われた、2度目の表層雪崩の方である。すでに積雪が1階の屋根に達していたため、1階の各部屋へは雪崩も侵入せずにパス。そのかわり高さ4メートルの丸太製雪囲いを突き破ると、2階廊下のガラス窓めがけて殺到し、建物内へ侵入した。以後の経路がすさまじい。まるで水のように変形自在の雪崩は、2階の廊下から各部屋の狭いドアを抜け、5部屋を天井まで雪で埋めたうえ、反対側の廊下へとあふれ出た。
軽い雪の恐怖
威力のすさまじさは特養ホームの設立主体である周辺町村の関係者たちを震撼させた。彼らも軽い新雪なら雪囲いや鉄筋コンクリートの建物で十分くい止められると考えていた。ところが新雪は軽さゆえに水のように形を自在に変え、ヘビのように身をくねらせて執拗に入所老人たちを襲った。重い雪は単純に家屋をつぶすが、軽い雪は意表をついて人を襲う。土地の人が雪を「白魔(はくま)」と呼ぶ理由が身に沁みて分かった。