斉東野人の斉東野語 「コトノハとりっく」

野蛮人(=斉東野人)による珍論奇説(=斉東野語)。コトノハ(言葉)に潜(ひそ)むトリックを覗(のぞ)いてみました。

39 【重い雪の恐怖、軽い雪の恐怖】

2018年01月23日 | 言葉

 (続・雪下ろし、雪掘り、&『北越雪譜』)
 羽毛のように降る雪
 筆者を含め関東で生まれ育った者は、雪に重さがあることを実感しにくいかもしれない。雪は空から羽毛のようにふわふわと時間をかけながら舞い降りて来て、地上へ落ちれば積もることはまれで、たいていは落ちるのと同時に融けてしまうもの、といった程度の理解である。『漢語林』(大修館書店)によれば「雪」という漢字の元となった甲骨文字は「羽」に似ていて「羽毛のような雪片の象形」であると説明されている。なるほど「羽」の字をよく見ると、左右3片ずつの雪片が2筋になって舞い落ちる形に見えなくもない。であれば、羽毛のように軽いのも当然だろう。
 豪雪地で育った者なら、舞い落ちる様子の印象は変わらずとも、雪は地上に落ちても羽毛のように軽いままであるなどとは決して考えるまい。いくら積もっても放っておけば屋根の雪が消えてしまうのなら、大人たちが「雪掘り」に精出すはずもない。懸命に雪を掘る理由は、怠れば雪の重みで家が押しつぶされてしまうためだ。

 象のように積もる雪
 さて、屋根の上の雪は一体どれほどの重さになるのか。水が1メートル立方で1000キロ(1トン)の重さであることは子供の頃に学校で学んだ。これに対して雪の水分量は新雪で15%から20%、根雪で50%前後と推定され、降雪後何日が過ぎているかによって重さに差が出る。新雪の降った翌日か翌々日、屋根上の積雪が1メートルになった時点で計算してみよう。仮に水分量が20%とすれば、広さ1平方メートルにつき200キロの重さになる。逸ノ城のような巨漢力士が1平方メートルごとに屋根の上にいると想像すれば良いだろう。屋根の広さが50平方メートルの民家なら総重量は200×50=10000キロ(10トン)で、逸ノ城が50人ほど屋根に載っていることになる。成体のインド象の重量は1頭が4トンから5トンと言われるから、インド象なら2頭が載っている計算だ。積もった雪は、もはや羽毛のようには軽くない。なんとか早く2頭の象サンに屋根から降りてもらわねばと、人々が「雪掘り」に焦り気味(?)になる気持ちはよく分かる。
 六日町に勤務していた頃、それでも民家が雪の重みで押しつぶされたという記事を書いた記憶はない。当時すでに若い世代は働き口を求めて都会へ出るケースが多く、農村は高齢化が進行していた。高齢者のみの世帯が多かったにもかかわらず、民家をつぶすことがなかったのは、さすがに豪雪地の知恵によるものだろう。そのかわりに、と言うのではないが、納屋や物置がつぶれたといった程度の雪害は毎日のように耳にした。

 雪崩(なだれ)
 鈴木牧之著の『北越雪譜』は「雪頽(なだれ)」の項で「雪頽は雪吹(ふぶき)と双(なら)べて雪国の難儀とす」と説明し、「なだれは撫下(なでおり)る也」と語源に触れている。「撫下る」は山の地肌を「なで下りる」の意だといい、発生時期は「陽気地中より蒸して(雪が)解けんとする」春先、落ちる雪は「こほりて岩のごとくなるもの」と書いているので、牧之が頭の中に描いているのは全層雪崩(ぜんそうなだれ、底雪崩)のようだ。表層雪崩(ひょうそうなだれ)については項を改めたうえで「雪崩とは似て非なるもの」の「ほふら」だと説明している。何故「ほふら」と呼ぶか、つまり語源については説明がない。12月(旧暦)の寒中に「高山の雪深く積もりて凍りたる上へなお雪ふかく降り重なり」、雪が「風などの為に一塊り枝より落ち」るなどのキッカケから一気に山斜面を滑り下る、と解説しているので、表層雪崩に間違いない。事前に兆候がある全層雪崩とは異なり「此のほふらはおとづれ(前ぶれ)もなくて落ち下るゆゑ、不意をうたれて逃げんとすれば軟らかなる雪深くて走りがたく、十人にして一人助かるは稀(まれ)也」と、全層雪崩より人々が恐れていたらしい様子が記されている。

 2度続いた表層雪崩災害の取材
 牧之の説明にもある通り、新雪の表面が数日来の陽気で融けて氷状になることが、発生の気象上の条件である。山斜面の上部から山裾にかけて凍るので、ちょうど氷の滑り台になる。さらに新雪が積もり、その重さが一定以上になると、新雪は一気に“氷の滑り台”を滑り落ちる。これが表層雪崩だ。軽く軟らかな新雪なので木々や岩の間を巧みにすり抜け、崩れ落ちるスピードは速い。また全層雪崩と比べると崩壊幅が広く、総延長も比較にならないほど遠くまで到達する。このため里近くで表層雪崩が発生すると被害は甚大である。

 1981年(昭和56年)1月7日未明、筆者の守備エリアだった新潟県北魚沼郡守門(すもん)村(現・魚沼市)で、民家4棟13人が一瞬のうちに表層雪崩に呑み込まれて生き埋めになり、8人が死亡する惨事が起きた。さらに18日未明にも同じ北魚沼郡湯之谷村(現・魚沼市)の特養ホームが表層雪崩に襲われ、寝入っていたお年寄りたちのうち17人が生き埋めとなり、6人が死亡した。どちらの時も、雪の降りしきる未明のアイスバーン道路を片道2時間以上かけて現場へ急行し、消防団員らの必死の救出作業をフィルムに収めようと夢中でシャッターを切った。惨事は2度とも朝刊1面と社会面のトップ記事になった。
 ともに衝撃的だったが、強く印象に残るのは鉄筋コンクリート2階建ての特養ホームが襲われた、2度目の表層雪崩の方である。すでに積雪が1階の屋根に達していたため、1階の各部屋へは雪崩も侵入せずにパス。そのかわり高さ4メートルの丸太製雪囲いを突き破ると、2階廊下のガラス窓めがけて殺到し、建物内へ侵入した。以後の経路がすさまじい。まるで水のように変形自在の雪崩は、2階の廊下から各部屋の狭いドアを抜け、5部屋を天井まで雪で埋めたうえ、反対側の廊下へとあふれ出た。

 軽い雪の恐怖
 威力のすさまじさは特養ホームの設立主体である周辺町村の関係者たちを震撼させた。彼らも軽い新雪なら雪囲いや鉄筋コンクリートの建物で十分くい止められると考えていた。ところが新雪は軽さゆえに水のように形を自在に変え、ヘビのように身をくねらせて執拗に入所老人たちを襲った。重い雪は単純に家屋をつぶすが、軽い雪は意表をついて人を襲う。土地の人が雪を「白魔(はくま)」と呼ぶ理由が身に沁みて分かった。

38 【雪下ろし、雪掘り、&『北越雪譜』】

2018年01月09日 | 言葉
 真冬の積乱雲
「冬でも入道雲がモクモク出ているって、ご存知でしたか?」
 いつだったかテレビの天気予報で、気象予報士サンが女性アナウンサーへ、こんな質問をしていた。一瞬、女性アナウンサーが不思議そうな表情になる。
「秋にも結構たくさん入道雲を見ますけど、冬は見ませんし……」
「ところが雪国では、冬も夏以上に入道雲の活発な年があります」
「えっ、冬の入道雲ですかア……」
「はい、冬です!」
 冬晴れと強風続きの関東地方では雲の一片さえ見えない日も多いから、東京のキー局で仕事をする女性アナウンサーの不審顔も無理はあるまい。

 「雪下ろし」はカミナリ様のこと
 入道雲、積乱雲、雷雲。どれも俳句では夏の季語でもあり、勢い盛んな夏の象徴と思われている。ところが豪雪地では、雪雲に隠れて上空の入道雲は見えないのに、多くの人が「ああ、雪下ろしのことか!」と思い当る。新聞社の仕事で6年間すごした山間豪雪地の新潟県六日町(現在の南魚沼市)では、厚い雪雲に光る稲妻のことを「雪下ろし」と呼んでいた。歌の題名ではないが「冬の稲妻」。カミナリ様が雪雲の中で吠えるのは、まるで笊(ざる)を逆さまにして底を叩くように、ため込んだ大量の雪を地上へブチまける合図である。「さあ、雪国の皆様、これからドカ雪ですよ」と。山陰地方では「雪起(お)こし」とも呼ぶようだ。

 雪は音も無く降る。柔らかな雪の表面が音を吸収するからだと説明されている。昨夜はやけに静かだったなア、と思いながら翌朝目覚めると、積雪が1メートル以上増えている場合が珍しくない。そんな時、寝入りばなに布団の中で聞いた「ゴー、ゴー」という不思議な音に思い当る。大きな花火5、6発を一度に打ち上げたような大音響の夏のカミナリとは異なり、天空のはるか彼方(かなた)で巨大なケモノがイビキでも掻(か)いているかの如き音だった。あるいは夢うつつの境い目で聞いた幻聴だったのか。

 雪掘り、雪揚(あ)げ、雪を払う
 さて、では屋根に積もった雪を地上に下ろすことは何と呼ぶか。同じ新潟県内でも雪の少ない平野部の蒲原(かんばら)地方などでは「雪下ろし」と言うが、山間豪雪地の魚沼の人たちは「雪掘り」と呼んでいた。流雪溝や消雪パイプが普及していなかった時代、豪雪地では屋根の雪は地上へ落とさず、地上へ積み上げるものであった。屋根の高さより地上の雪嵩(ゆきかさ)の方が高いから、屋根から雪を除くには、下から上へ積み上げなければならない。「下ろす」と「掘る」。流雪溝や消雪パイプが普及しても、市街地から離れた区域では現在も「掘る」である。

 越後塩沢(現・南魚沼市)の縮(ちぢみ)商人だった鈴木牧之(ぼくし)が天保8年(1837年)に68歳で出版した名著『北越雪譜(ほくえつせっぷ)』には「雪を掃(はら)う」の項に「雪揚(あ)げ」の語も見える。「雪掘り」だから「雪揚げ」、すなわち「雪上げ」。「雪下ろし」とは反対に、雪を屋根から落とすのではなく「掘り、上げる」わけだ。
<――右は大家(たいか)の事をいふ。小家の貧しきは掘夫(ほりふ)をやとふべきも費(つひえ)あれば(=脚注「出費になるので」)男女をいとはず一家雪をほる。吾里にかぎらず雪ふかき処は皆然りなり。此雪いくばくかの力をつひやし、いくばくかの銭を費(つひや)し、終日ほりたる跡へその夜大雪降り、夜明けて見れば元のごとし。かかる時は主人(あるじ)はさら也、下人(しもべ)も頭を低(たれ)て嘆息(ためいき)をつくのみ也。大抵(たいてい)雪降るごとに掘るゆゑに、里言(りげん)に一番掘(いちばんぼり)二番掘といふ>
 「雪を掃う」の項の一部を引用した。現在も江戸の昔も豪雪地の人の心は、あまり変わらないようでもある。それにしても「雪を掃う」のお題などは、牧之一流のユーモアだ。「雪をはらう」は「落花をはらう」と同じく、京や江戸の都では風雅な所作である。ところが越後の国塩沢の雪ときたら、こんなにも難儀なシロモノなのだ、と言いたいのだろう。

<雪の飄々翩々(ひょうひょうへんぺん)たるを観て花に喩(たと)え玉に比べ、勝望美景(しょうぼうびけい)を愛し、酒色音律(しゅしょくおんりつ)の楽しみを添え、画に写し詞(ことば)につらねて称翫(しょうがん)するは和漢古今の通例なれども、是(これ)雪の浅き国の楽しみ也。我越後のごとく年毎(としごと)に幾丈(いくじょう)の雪を視(み)ば、何の楽しきことかあらん>。牧之は別の項で、こうも書いている・

 我が雪掘り経験
 筆者が籍を置いた新聞社は1回ごとに「雪下ろし手当」を支給してくれたが、土木作業員の「掘夫」サンへ頼もうにも、忙しい時期は極端に忙しいのが彼らだ。優先順位を言うなら、まず普段の仕事でもある道路除雪、次に自分の家の雪掘り。依頼に応じるとしても、雪掘りが困難な高齢者世帯、それも知り合いの高齢者世帯が優先される。とても20代の若者宅などへは来てくれない。そこで仕方なく筆者もスノーダンプを片手に屋根へ上ることになる。雪の多い冬は10回近く上った。
 昼間はドカ雪の記事を送稿しなければならないので、屋根に上るのは夜になってから。雪止めがあっても耐雪仕様の二階トタン屋根は滑りやすい。高所恐怖症ならずとも、おっかなびっくりの作業だ。スノーダンプを雪の山に差し、屋根の傾斜を利用して地上へ落とす。流雪溝が家の前を流れていたので、実際の作業は「雪下ろし」である。2時間も繰り返し、ほぼ屋根上の雪を落とし終えた頃には、凍(い)てつく寒気にもかかわらず汗で下着がびっしょりになってしまう。
 夜空を見上げると魚沼丘陵の各スキー場から放たれたナイター・スキー用のカクテル光線が、ただただ美しかった。慎重に降りて一目散に風呂場へ駆け込む。仕上げの熱い風呂も、地獄にホトケとはこのことぞ、と思えるほど有り難かった。   (引用した『北越雪譜』は野島出版社刊です)