斉東野人の斉東野語 「コトノハとりっく」

野蛮人(=斉東野人)による珍論奇説(=斉東野語)。コトノハ(言葉)に潜(ひそ)むトリックを覗(のぞ)いてみました。

86 【世界観政党と世界観国家・下】

2021年11月29日 | 言葉
 政党と世界観
 政党には主義主張に基づいた政治目標や方向性がある。「世界観」の語義を広く解釈すれば、どの政党も「世界観政党」なのである。しかし自由や民主主義を党是とする中道政党が「世界観政党」と呼ばれることはない。自由主義それ自体が「世界観」のカテゴリーに含まれるにもかかわらず、である。
 各政党が「政治目標」として設計図上に引く線は、精密なものから大雑把なものまで、さまざまだ。とりわけ線が濃く明瞭、かつ緻(ち)密な図を持つのは、宗教政党と共産主義政党である。ともに文献が豊富で、主張は体系的に整理され、アッピールしやすい。これらの政党が「世界観政党」と呼ばれる。『現代日本の革新思想』で論じられているのも、社会主義政党やマルクス・レーニン主義政党である。「イデオロギー政党」とされることも多い。

 完全に近付けば「イデオロギー」?
 どのような考え方であれ、考え抜かれてモノゴトは整理され、深化する。イデオロギー政党の設計図が完璧に、あるいは完璧に近く描かれているとすれば、優秀な頭脳が長大な時間と労力を費やして構成し、体系化した結果だ。しかし皮肉なことに、設計図の完成度が高ければ高いほど、芳(かんば)しからざるイメージで「イデオロギー政党」や「世界観政党」の名を頂戴することになる。不当な評価だと言えなくもない。
 「上」でも述べたが、これには理由がある。設計図の完成度の高さは、裏を返せば、他者の異論を排除する論理に繋(つな)がりやすい。「あるべき姿」がアプリオリ(先験的に)に存在し、すでに明快なのだから、それ以上は議論するに及ばない。ならば議論はムダ、というわけだ。
 しかし、これでは”民主主義”に反する。民主主義の常道とは、さまざまな”異”見を持ち寄って議論し合い、議論の場を保証し合うことである。どれほど「あるべき姿」の設計図が立派でも、議論なしにモノゴトを決めてはいけない。価値観は単一ではなく、一元化すべきでもない。多様な価値観を認め合いながら、国や社会の「あるべき姿」を見い出すプロセスこそが、民主主義の本質である。「議論なし」では少数の、場合によっては1人の独裁者によって、モノゴトが決められかねない。
 
 「階級独裁」から「一党独裁」へ
 「プロレタリアート独裁」が論じられる時、しばしば引合いに出されるのが、マルクス『ゴータ綱領批判』(1875年)中の、以下の部分である。ドイツ革命(1848年)やパリ・コミューン(1871年)が起きた、騒然とした時代だった。
<資本主義社会と共産主義社会との間には、革命的転化の時期が横たわる。それにはまた一つの政治的過渡期が照応し、この過渡期の国家はプロレタリアートの革命的独裁以外の何物でもありえない>
 「資本主義から共産主義への過渡期には『プロレタリアートの革命的独裁』が必要である」と。マルクスが「プロレタリアート独裁」を論じたのは、この書の、この部分のみ。簡単過ぎるために明確さと精確さを欠き、後世さまざまに論議された。
 さらにレーニンは「プロレタリアート独裁」を、「一切の法律に依拠しない、無慈悲な暴力による独裁」と定義した(『国家と革命』)。激しい党派闘争の時代を背景に「階級独裁」は実質「一党独裁」へとコトバを変えた。

 時代がイデオロギーを追い越す
 どれほど優れた世界観(イデオロギー)であれ、200年も経てば綻(ほころ)びが生じる。200年の間に起きた世界の変貌変質を「あるべき姿」の設計図内に収め切れなくとも、マルクスの過誤ではない。地球温暖化や核戦争の危険、貧富の枠(わく)外で激化する人種対立や宗教対立、コロナ禍・・。解決にマルクスはヒントを与えていない。

 昔こんなジョークがあった。「マルクス主義は男女の三角関係に、解決策を示せない」。対してマルクス主義者(?)の反論。「三角関係はフロイトにでも、お任せしたら? マルクス主義とは別次元の問題には、解決策を出せなくて当然だ」。なるほど。しかし、さらなる異議も聞こえて来る。「地球温暖化や人種対立にマルクス主義が解答を示せないなら、問題を自由に討議すべき。マルクス主義が触れなかった問題まで『一党独裁』で対応すると言うのでは、スジが通らない」。
 新たな問題であれば、討議で決めても「世界観(イデオロギー)」の修正にはならない。もともと修正すべき原図がないのだから。200年間の変化変貌を見極めることも「日和見主義」ではない。時代の変化に目を瞑(つむ)ってしまえば、歴史学の書とは言えない。
 『現代日本の革新思想』の本が出てから半世紀が過ぎた。「修正主義」も「日和見主義」も死語に近くなったが、「一党独裁」の方は現在も世界を闊歩(かっぽ)し続けている。

 「運動論」の分離を
 マルクス・レーニン主義は、哲学から経済学、政治学、歴史学、運動論その他に及ぶ、壮大な学問体系である。古色蒼然ながら唯物史観や剰余価値説、資本の共有化、貧富差の解消など、社会や学問に投げ掛けて来た問題意識と貢献には、容易に否定し得ないものがある。一方、壮大な世界観体系だけに、時代にそぐわないものも多々出ている。とりわけ「運動論」と「組織論」の部分かもしれない。現代という時代を読み、この2つを大胆にリフレッシュしてみては、どうだろうか。

85 【世界観政党と世界観国家・上】

2021年11月10日 | 言葉
 世界観とイデオロギー
 「世界観」の意味は「世界を全体として意味づける見方。人生観よりも包括的」(『広辞苑}』第7版)だ。「包括的」とは「一つに合わせて、くくること」(同辞書)。コトバとしての「世界観」は、ドイツ観念論哲学のカントが、1790年の著『判断力批判』で使ったのが最初とされる。現代でも哲学のほか宗教学や文学、政治学、社会学などで広く使われ、意味も少しずつ異なるようだ。しかし、こう説明すると、かえって分かりにくくなる。ここでは字面(じづら)どおり「世界をどう観るか」の意味と理解しておきたい。

 さて、政治や思想の次元で考えると、似たコトバに「イデオロギー」がある。こちらの初出は19世紀初め、フランスの哲学者デステュット・ド・トラシ著の『イデオロジー要論』という本だった(有斐閣『社会学小辞典』より)。ナポレオンがトラシの説を「空論」と批判したことから、このコトバには「根拠の無い虚偽・空論」というイメージが付いて回るようになった。さらに19世紀半ば、マルクスとエンゲルスが『ドイツ・イデオロギー』を著(あらわ)し、ヘーゲル左派流の観念論を「イデオロギー」と呼んで「偏った虚偽意識である」と揶揄(やゆ)・批判した。以後マイナスイメージの語として定着した。
 しかし現代では「共産主義イデオロギー」など、マルクス主義そのものを指す場合が多くなった。コトバの変転はアイロニカルだ。ここでは「転じて、単に思想傾向、政治や社会に関する主義の意」(『広辞苑}』第7版)との理解で十分だろう。

 「世界観政党」の例 
 「世界観」も「イデオロギー」も、人と時代により異なる意味で用いられてきた。現在も変化し続ける、生きたコトバである。トランプ政権下の米国内でベストセラーになった『全体主義の起源』(日本では、みすず書房刊)という本で、著者ハンナ・アーレントは「全体主義は国家でなく運動だった。ナチスは、運動の初期の段階で人種や民族という概念を世界観に持ち込み、それを統治の原理に組み込んだ」と書いている。
 第1次世界大戦の敗北で国力を落とし、疲弊の極にあったドイツ国民は、勝者である英米仏の背後でユダヤ系資本が策動したから負けた、と信じていた。陰謀論がドイツ国民の「世界観」だった。ヒットラーは「ユダヤ人のいない世界」への道筋を示し、扇動(運動)した。「世界観」の染み込んだ国民は、虐殺という暴挙に疑問を抱くことなく加担した。

 世界観政党が勢力を増し、権力を握って世界観国家となった例には、ナチス・ドイツや旧ソ連などがある。戦前の日本も<大東亜共栄圏>や<八紘一宇(はっこういちう)>の「世界観」を戴いて、破滅への道を突き進んだ。歴史をさかのぼれば中世ヨーロッパのキリスト教諸国家が、現代ならイスラム教強硬派の国家群が、典型的な世界観国家だと言える。

 なぜ「世界観政党」が問題か
 世界観国家の危険は以下の点だ。至上とする「世界観」がアプリオリ(先験的に、事前に)に存在するため、もはや国政の場で「あるべき国の姿」(たとえば「完全な共産主義社会」や「神の国」)を追い求める努力は不要になる。時にはアンタッチャブルでさえある。議論の対象は、もっぱら「世界観」に反しない政策であるか否か、だ。反する意見(異見)は「反革命」であり「異端」であるから、時に存在そのものまでが排除される。

 さらに問題は「反するか否か」が「一党独裁」や「宗教裁判所」の名のもと、幅広い国民の議論を経ることなく、少数の権力者たちで決められる点。権力側の言い分は「反するか否かの判断には高度な知識が必要で、衆愚政治の多数決には馴染(なじ)まない」である。この論理から最終的には独裁政治が生まれる。
 付け加えると「一党独裁」はマルクス主義の本義ではない、とする考え方もある。説いたのは「プロレタリアートによる階級独裁」であった。複数の階級政党による合議制とする方が理に適(かな)うし、チエも出やすい。「一党独裁」と「階級独裁」とでは、まるで違う。 

 日本での「世界観政党」論
 日本での世界観政党論議で筆者が真っ先に思い浮かべるのは、1966年に河出書房新社から刊行された『現代日本の革新思想』という本だ(現在は岩波現代文庫に上下巻で収録)。政治学者の丸山真男、マルクス主義哲学者の梅本克己、構造改革派系経済学者の佐藤昇の3氏が、半世紀余前の日本の思想状況について鼎談(ていだん)した。
 東西冷戦も真っ盛りの半世紀前のことだから、鼎談のポイントは旧ソ連共産党など当時の共産圏諸国の「一党独裁」に行き着く。丸山氏は戦後民主主義を代表する政治学者、梅本氏は非共産党系のマルクス主義学者、佐藤氏はトリアッティの流れをくむ構造改革派の経済学者。ともに当時気鋭の論客たちだったから論議は多岐にわたり、しかも濃かった。しかし50余年の時を経て、どのテーマも”解答”の出ぬまま薄れてしまった観が否めない。
 筆者個人としては「世界観政党」も「世界観国家」も、ずっと胸の中で蟠(わだかま)り続けて来たコトバだった。そして今、世界では、香港や台湾の人々を「一党独裁」政治が追い詰め、頑強頑迷なイスラム原理主義運動が猛威をふるっている。2つのコトバを、再び俎上(そじょう)に載(の)せるべき時であるように思えてならない。(「下」に続く)