斉東野人の斉東野語 「コトノハとりっく」

野蛮人(=斉東野人)による珍論奇説(=斉東野語)。コトノハ(言葉)に潜(ひそ)むトリックを覗(のぞ)いてみました。

68 【唱歌「冬景色」】

2019年12月12日 | 言葉
一、狭霧(さぎり)消ゆる湊江(みなとえ)の 舟に白し朝の霜 
ただ水鳥の声はして いまだ覚めず岸の家
(作詞・作曲者 不詳)
 
「私が好きなのは『朧(おぼろ)月夜』と‥‥『冬景色』です」
 上皇后様(当時は皇后陛下)からそうお聞きして、国語学者の金田一春彦さん(故人)はポンとひざを叩きたかったという。金田一さんも詞の美しい、この二つの唱歌が大好きだった。1993年、場所は静岡県下田の御用邸。近くの別荘に滞在していた金田一さんは、その日、宮内庁係官から「よろしければ、こちらにお越しになりませんか」との誘いを受けた。
 「好きな歌は『海』です。歌うといつも沼津の海を思い出します」。上皇様(当時は天皇陛下)は別の御用邸がある静岡県沼津を思い浮かべるように答えられた。「答えられた」というのは、金田一さんはどの人に会っても「あなたの好きな童謡、唱歌は何ですか?」と尋ねるようにしていたから。上皇様への質問の後、お答えに触発されれるように上皇后様も「朧月夜」と「冬景色」をお挙げになった。

 金田一さんの父でアイヌ語研究に業績を残した京助は、金田一さんに言わせると、熱烈な教育パパだった。そのためもあって音楽に、特に童謡や唱歌に魅かれるようになる。「逃避場所だったのかもしれないな、唱歌が‥‥」。どんな歌でも「ド、レ、ミ、ファ」の音階で歌えるようになった。そんな息子を、父は客の前で自慢した。息子はますます童謡や唱歌が好きになった。
 やがて「十五夜お月さん」など数々の童謡を作曲した本居長世に弟子入りする。旧制高校時代のこと。以後、本職の国語学のかたわら寸暇を割いて童謡や唱歌を研究し、この方面の著作も多い。会う人ごとに「あなたの好きな童謡、唱歌は?」と問うのには、こんな経緯があった。
 ちなみに筆者も東京・阿佐ヶ谷のご自宅に取材でお伺いした時に同じ質問を受けた。咄嗟にミッションスクール出の姉が讃美歌と一緒に口ずさんでいたフレーズが浮かび「題名は忘れましたが<おおヒバリ 高くまた かろく何を歌う‥‥>という歌詞です」と答えると「ああ、それはメンデルスゾーンです。明るい歌がお好きなんですね」と、おっしゃられた。

二、烏啼(からすな)きて木に高く 人は畑(はた)に麦を踏む
げに小春日ののどけしや 返り咲きの花も見ゆ

 「冬景色」は大正2年、音楽教科書「尋常小学校唱歌(五)」で発表された。5年生用。わかりやすい歌詞をという方針で作られた文部省唱歌の代表作だったが、それでも「狭霧消ゆる湊江の」など、当時の子供たちにも理解しにくい言葉が並んだ。他にも特徴があった。歌詞が六五調であること。それまで六五調の歌はなかったから、斬新な印象の歌だった。
 「それにね‥‥」。唱歌を語る時は、いかにも楽しそうな金田一さん。「当時は歌詞の優れたもの、しゃれたものは、すべて三拍子でした。『冬景色』もそうです」。上皇后様もこの歌の好きな理由として、やはり六五調の節回しとリズミカルな三拍子を指摘されたという。
 冬だが、むしろ初冬。一番は海か湖岸の早朝、二番は野の日中、三番は里の夕暮れ。「日本画の掛軸でも見るような、伝統的な美意識に訴える歌詞です」。その構成は人の一生にもたとえられる。一日の始まりをより新鮮に印象付ける、緊張感さえはらむ冬の朝。人の一生なら赤ちゃんか幼児期。二番の情景の何と平和なことか。麦を踏む農夫、木々高く啼くカラス。生きてあることの幸福を心底味わっているふうだ。青年期か壮年期。そして三番。一転、景色は冬らしい厳しさへ突き進む。老境だろうか。

三、嵐(あらし)吹きて雲は落ち 時雨(しぐれ)降りて日は暮れぬ
若(も)し燈火(ともしび)の漏れ来ずば それと分かじ野辺の里

 氷雨混じる冬の嵐。陰鬱(いんうつ)な空。人家らしきものは見えない野辺の一点から、茶色がかった火影(ほかげ)がポッと漏れて来る。ランプそれとも囲炉裏(いろり)の火影か。光さえ漏れなければ粗末な茅ぶき民家は背後の草木に溶け込み、自然のままに同化してしまいそうだ。向井潤吉さんの絵を思わせ、詞には強い描写力がある。
 寒いほど、また暗いほど、火影は暖かみを増す。家族の団らん。老境を意味するとしても、冬らしい寒さや暗さがかえって人生の温(ぬく)もりを伝える不思議な歌詞である。三番があればこそ二番の「のどけしや」が活き、一番のピーンと張り詰めた気配も強調される。

 作詞・作曲者不詳の文部省唱歌
 今も「冬景色」のような作詞・作曲者不詳の文部省唱歌は多い。「『平家物語』の作者が誰かといった学術論文なら山ほどあります。ところが文部省唱歌の作詞者、作曲者探しの論文は出ません。不思議です」と”金田一探偵”。これまでも機会あるごとに作詞・作曲者探しを呼び掛けてきた。一例は「こいのぼり」。この歌が「浜千鳥」や「靴が鳴る」「しかられて」の作曲者、弘田龍太郎の作曲であることを突き止めたのは金田一さんである。ちなみに作詞・高野辰之、作曲・岡野貞一のゴールデンコンビの作として知られる「故郷」と「朧月夜」も大正3年の音楽教科書初出時は作詞作曲者不詳の文部省唱歌として発表され、作者名が明らかになったのは戦後のことだった。
 なぜ作者不詳の文部省唱歌が多いのか。「詞や曲の多くは合議制で作られました。それが不詳のままの理由の一つです」。東京芸術大学教授の佐野靖さん(音楽教育学)の解説。文部省が明治40年に設置の唱歌編纂委員には作詞と作曲に各5から7人がいて、合議で唱歌を作った。その場合もたたき台となる詞や曲はあり、合議で修正されなかったり、わずかな修正にとどまったりすれば、その後に作詞・作曲者は名乗り出やすい。逆に大幅な修正が加えられていれば、自作とは主張しにくくなる。「それに金田一先生のご指摘の通り、これをテーマにした研究者は少ないのです」。佐野教授の結論だ。
(本稿は、岩波現代文庫『唱歌・童謡ものがたり』の中から、当時筆者が執筆した「冬景色」の項を、書き改めたものです)

断想片々(5) 【「桜名簿」アナログ処理の滑稽】

2019年12月04日 | 言葉
 今春「桜を見る会」出席者名簿を、5月9日には内閣府がシュレッダー廃棄していた問題。保存期間に決まりがあるようだが、何も1月余で廃棄することもなかろうにと、ひどく可笑(おか)しかった。いたずらが発覚し、あわてて痕跡を隠す幼児のようだ。

 安倍首相の国会答弁も、聞いていて力が抜ける、というかニヤニヤしてしまう。「出席者名は個人情報だから、明らかにできない」と。個々人のプライバシーではなく、あくまで名前のみの話。桜咲く陽光の下、首相や各界著名人が多数参集し、メディアのカメラマンが飛び回る。これ以上ないほど晴れやか、かつ正々堂々たる行事だ。招待状に「出席」の丸印を付け返送した者が、名を公表されて困る理由など、あろうはずもない。困るような後ろ暗い人は、そもそも、このような席に出るべきではない。言いたくはないが「桜を見る会」には、参加したくとも参加できない国民の税金が使われているのだ。

 いちばん疑問に思うこと--。アナログ資料もデジタルデータも無いとしたら、翌春の招待者名簿は、どうやって作るのだろう。同じ人を翌年も、いや毎年招待してしまう手違いが起きないか。筆者は年賀状を書くにも、パソコン入力の名簿を毎年書き換えている。多くの人も同じだろう。「桜を見る会」出席者のデジタルデータまで消去して、毎年名簿をイチから作り直しているとしたら、これほど非効率な事務作業はなく、したがって、こんな税金の無駄遣いもない。この点を突かない野党も、どうかしている。

 一連のメディア報道には、内閣府のシュレッダー作業の映像が繰り返し登場する。現代はしかし、このようなアナログ処理の時代ではない。メモリースティック1本のレベルの話だ。思うに現代のエラい政治家サンたちは、自身は名簿作成のような地味な作業とは無縁なのだろう。だから今回の如き滑稽な言い訳けが通ると思ってしまう。考えてみれば、いや考えずとも滑稽な世の中であることは間違いない。

67 【教皇の消されたメッセージ】

2019年12月01日 | 言葉
 「とてつもないテロ行為」とローマ教皇
 教皇としての来日は38年ぶりになるという。フランシスコ・ローマ教皇が11月24日に被爆地の長崎と広島を訪れ、核兵器廃絶を訴えた。若い頃に日本での布教を熱望したというだけあって、発せられた核兵器及び大量破壊兵器廃絶への訴えは、82歳とは思えないほど情熱に満ちていた。訪日の目的はただ一つ、核兵器廃絶の訴えにあったようだ。

「核兵器による威嚇に頼りながら、平和を提案できるのか?」
 世界唯一の被爆国であり、なお核抑止力と「核の傘」に守られていると信じる日本の国民に、教皇は問い掛けた。日本政府は核兵器禁止条約の批准に対して「現実を十分に踏まえた条約ではなく、核兵器保有国からも非保有国からも支持を得られていない」(25日、菅義偉官房長官の会見から)と否定的な立場をとっている。教皇の問い掛けに菅長官は「核を含めた米国の抑止力を維持強化してゆくことが現実的で適切な考え方だ」と反論した。

 教皇の発言は明快であり、神に仕える身として正直かつ遠慮のないものだった。教皇は長崎で、こうとも明言した。
「武器の製造や維持、改良は、とてつもないテロ行為だ」(25日付け東京新聞朝刊ほか)
 コトバは使い方次第で強くもなり、弱くもなる。教皇の言によれば米国やロシア、中国といった軍事超大国は例外なく「テロ行為の国、すなわちテロ国家」ということになる。核兵器こそ持たないが、日本とて世界有数の軍事大国である点は変わらない。世界に多くの信奉者を持つローマ・カトリック教会のトップとはいえ、言い切るには勇気が必要だったろう。従来バチカンの立場とされてきた「最小限の核抑止力は認められるべき」から、一歩前へ踏み出すコトバでもあった。キリスト教徒でない筆者でさえ「よくぞ、はっきり言ってくださった」と、仰ぎ見るような敬意を覚えたものだ。

 消されたメッセージ
 ジャーナリストたちの思いも同じだったのだろうか。発言翌日の大手各紙朝刊は、そろって「とてつもないテロ行為」のコトバを軸に報じた。ところが、ところが、である。最大手の読売新聞(13S版)に、このコトバはなかった。1面、社会面のほか7面には特集「ローマ教皇フンシスコ 長崎演説の全文」及び「広島演説の要旨」を組み、演説内容の紹介に大きなスペースを割いたにもかかわらず、である。他紙や共同通信、時事通信が電子媒体も含めて「とてつもないテロ行為」の語をこの日の記事のキーワードとして取り上げていたから、読売新聞の扱いは余計に目立ってしまった。

 読売1紙だけを購読している読者は、この違いに気づかなかったかもしれない。しかし、たまたま他紙に目を通した人を含め2紙以上を読み比べてみた人は、この点に甚だしい違和感を覚えたはずだ。「なぜ読売新聞は『とてつもないテロ行為』というコトバを削ったのか?」と、首をかしげたに違いない。
 もっとも、多くのジャーナリストが下したであろう結論は、容易に想像がつく。政権寄りの論調か目立つ同紙ゆえに、米国と同盟関係にある安倍政権の立場を慮(おもんばか)ったのではないか、ということだ。いわば忖度(そんたく)。米国を「とてつもないテロ国家」と名指すことは、刺激が強すぎるのである。

 テロとは何か
 現代の国際法にはテロリズムの語に関して統一した定義がないという。ここでもう一度テロとは何かを考えてみたい。詳細は当ブログ「35【テロリズム】」に譲るとして、このコトバに対する現代的な理解は「民間人を脅迫または威圧し、政府の政策に影響を与えること。大量破壊、暗殺、誘拐、人質行為により政府の行動に影響を与えること」(「アメリカ愛国者法」、2001年制定)とする定義がスタンダードだ。他国の政策や行動に影響を与えるという意味では、たとえ「抑止力」の語が付いてもテロ行為であることに変わりない。北朝鮮の核武装がテロ行為なら、全地球を一瞬にして破壊する米ロ中3国の大量核兵器保有もまたテロ行為なのである。
 
 歴史をさかのぼれば第二次大戦中の英独両国の都市空爆合戦、なにより米国による日本全土への空爆と二度の原爆投下は、女性や子供などの非戦闘員を巻き込んだ無差別殺傷テロだった。まさしく「民間人を威圧し、大量破壊により政府の行動に(戦争終結を促すべく)影響を与える」行為だった。
 現代の日本では「過激派のテロ」など、反・非政府武装勢力の殺傷行為を指すコトバという理解が一般的だ。しかし、これまで米国は中米や中東の反政府武装勢力に対して幾度となく武器を供与してきたし、中国も「政権は鉄砲から生まれる」(毛沢東)と公言する国家だった。フランシスコ教皇や「アメリカ愛国者法」が意味する「テロ行為」は、日本で通用しているコトバのイメージとは異なる。

 報道サイドの忖度(そんたく)
 「テロ行為」は、現代の日本では意味の揺れているコトバ、それゆえ誤解されやすいコトバだ。「とてつもないテロ行為」のコトバ削除も、好意的に解釈すれば、誤解を避ける意図だったのかもしれない。あくまで筆者の一方的な解釈、憶測にすぎないが・・。
 しかし、そうだとしても削除が適切な処置だったとは言い難い。見出しに「演説」と明記しながら、インパクトのあるコトバを、インパクトが強いという理由で削ってしまうのでは、報道の公正な姿勢からは遠い。誤解されやすいコトバなら別項を建てて解説しても良いし、後日改めて「テロ」というコトバの特集を組んでも良いはずだ。削除した後で何もせず、素通りしてしまうのは報じる側の怠慢である。
 最近は「フェイクニュース」というコトバがメディアを賑わしている。ウソのニュースを流すことが大きなフェイクなら、コトバを意図的に変えたり削除したりするのは小さなフェイクだろう。「とてつもないテロ行為」発言の削除は、フランシスコ教皇には顔を向けず、もちろん読者にも顔を向けず、もっぱら日米首脳に顔を向けた、報道サイドの忖度である。