斉東野人の斉東野語 「コトノハとりっく」

野蛮人(=斉東野人)による珍論奇説(=斉東野語)。コトノハ(言葉)に潜(ひそ)むトリックを覗(のぞ)いてみました。

48 【「なぜ?」の欠落】

2018年08月09日 | 言葉
 新しいパソコン
 10年以上使い続けたのDELL(WindowsVista)は、2、3年前からフリーズを繰り返すようになった。それでもダマしダマし使っていたが、数か月前になると呼び出した画面が、最初だけ左右半分しか映らなくなった。仕方なく国産のEPSON(Windows10)に買い換え、メモリ容量も4GBから8GBへ倍増した。
 Windows10を動かした最初の印象は、まさに浦島太郎の気分。当然だろう。この進歩の時代に当方はVistaの中で10年間も眠っていたわけだ。とはいえ新しいWindows10には不便さや使いにくさも感じた。不便な点の第一は、メールが発信時間から半日遅れで着信するようになったこと。以前はネットバンキングでの振り込みやネットショッピング後に、折り返し、先方から確認メールが届いていた。ところが新しいパソコンでは半日経たなければ確認メールが届かない。一方、使いにくさの主な理由は当方の不慣れだが、ソフトを提供する側の不親切さ、つまり説明不足にもよる。一例が同じ文面で毎日機械的に届く<Microsoft アカウントの問題>なる通知だ。

 迷宮へ?
 題の下に<お使いのMicrosoftアカウントを修正する必要があります(最も多いのはパスワードが変更された場合)。こちらを選択し、[共有エクスペリエンス]の設定で修正してください>と書かれている。「パスワードを変更したことはないけどなあ……」と思いつつ[共有エクスペリエンス]を開くと、しばらくしてから<このMicrosoftアカウントには問題があります>という警告。<お使いのMicrosoftアカウントを修正する必要があります>で始まったのだから、<このMicrosoftアカウントには問題があります>など最初から知れたこと。同じ画面の<webでこの問題を解決する>をクリックすると、サインインを求められ、さらにパスワードを入力させられる。こうして、たどり着いたのが<いつもの操作を行うだけでリワードを獲得><Microsoftでのショッピングでリワードを貯めて無料のリワードを獲得しよう>の画面。何ということか。さんざん引き回された挙句に行き着いたのが買い物案内というわけだ。
 テキの魂胆が分かった以上、先へ進むのは時間のムダというもの。しかし一方で、行き着くところまで行ってみようという興味もわいた。話のネタになりそうである。そこで<今すぐ始める>をクリック。すると<アカウントをセットアップするには、もう少し情報が必要です>と<詳細の追加>を求められ、姓と名を入力。すると<アカウントを健全な状態に保つためには、生年月日が必要になります>とあり、生年月日と国籍を入力した。一度に入力させれば良いものを。ところが、ところが、である。最後に出てきたメッセージには腹が立つより笑ってしまった。<このサイトはメインテナンスのため一時的にご利用いただけません。後でもう一度お試しください>とあったからだ。
 いちばん大事なことを、いちばん最後に告げる。これほどナンセンスな文章作法はない。世のパソコン愛好者たちは、かくも説明不足で文章力のない誘導文に、腹も立てることもなく唯々諾々と従っているのだろうか。これが、WindowsVistaからWindows10への、10年間の進歩と成果だというのか。

 同じような<迷宮>は「グーグルクローム」のインスツールの際にもあった。期待とは逆にインスツール後は動きが重くなり、結局アンインスツールすることで元のスピードを取り戻した。ここでも「クロームにすると、使う側にどんなメリットがあるのか?」といった説明文には、最後までお目にかからなかった。単なる説明不足なら業界の力量不足で済まされるが、ユーザーの側が「そんなものサ!」で納得しているなら、憂うべき風潮だろう。

 政治にも横行する「なぜ?」の欠落
 小池百合子・東京都知事が誕生して、まる2年。7月31日の記者会見で築地市場移転問題について「アウフヘーベンが必要」として「豊洲は安全」を宣言した。アウフヘーベン(止揚)なる哲学用語を持ち出して安全宣言を演出しようと試みたらしいが、何をどういう形でアウフヘーベンするかについては説明がない。メディアの側にも「なぜ?」を質(ただ)した形跡がなかった。そもそもこの件でアンチテーゼを呈したのは小池知事だから、自身が説明抜きでアウフヘーベンを企図したのであれば、ズバリ昔ながらの「マッチ・ポンブ」ということになる。カタカナ言葉の多用は小池知事の得意技だが、最近はキレが鈍く、コトバばかりが空回りしている。
 さて、この問題で小池知事は昨年6月に「築地は守る。豊洲を活かす」の名文句(迷?)で豊洲移転を宣言した。しかし豊洲移転後の跡地利用に「築地ブランド」を有効利用することなど当然の策で、目新しいアイデアでも何でもない。中身のなさをコトバでカバーするかの如き政治姿勢は感心できない。

 最近の国政で言えば、6月末に成立した「働き方改革関連法案」だろう。「高度プロフェッショナル制度」は、誰が見ても「年収1075万円」以上の専門職の残業代抑制をネライとしており、経済界の期待に沿うものだ。「同一労働同一賃金」にしても、正規社員の賃金を下げる、非正規社員の賃金を上げる--の2通りがあるから、一概に働く側の福音にはならない。「働き方改革」という語感の良いコトバは、非正規労働や女性労働の改善を期待させるものだったが、メディアが「なぜ?」と疑問を呈さぬうちに、あわただしく法案成立した印象が強かった。
「高度プロフェッショナル制度は、過労死防止と矛盾する。絶対に納得できない」
 電通に勤めていて過労自殺した高橋まつりさん(当時24)の母親が、参院で同法案が可決成立したのを見届けて言ったコトバだ。

 「なぜ?」が必要
 新聞記事に「なぜ?」の視点の大切さを説いたのは毎日新聞記者の内藤国夫さんだ(『新聞記者として』、筑摩書房)。政治でも事件でも「なぜ?」の疑問で掘り下げると、記事に厚み(深み)が出る。天気予報番組でさえ然り。明日は雨か晴れか、気温はどうか--の結論のみで良しとする視聴者がいる一方で、気圧配置や前線の動き、さらに上空寒気団の接近といった説明を聞いて初めて「明日は夕方から雨になるのか」と納得する視聴者もいる。「働き方改革関連法案」にも「政権党は誰のため、何のために法案成立を急いだのか?」と、一度は首を傾げてみる時間が必要だ。「なぜ?」の視点は、政治を監視するためにも役立つ。