斉東野人の斉東野語 「コトノハとりっく」

野蛮人(=斉東野人)による珍論奇説(=斉東野語)。コトノハ(言葉)に潜(ひそ)むトリックを覗(のぞ)いてみました。

断想片々(27) 【政治は「仮定」してこそ】

2021年01月13日 | 言葉
 テレビ朝日の「報道ステーション」で、菅首相が1都3県の緊急事態宣言に関して「仮定の質問には答えられない」と言ったことが、話題になっている。「(沈静化のめどの)1か月が経っても今一つだったら、対象の拡大は?」との質問に答えてのこと。
 官房長官時代の菅氏は「仮定の質問には答えられない」が口癖だったから、あるいは、つい口をついてコトバが出たのかもしれない。「対象地域の拡大および自粛・制限方法の追加策は、当然もっか検討中です。詳細はまだ決まっていないので、いずれ早いうちに明らかにします」くらいは言ったら良いものを、「仮定の質問には答えられない」では、国民の期待を担う首相の言辞として、あまりに素っ気ない。

 それにしても政権の長たる者が、なぜ「仮定の質問には答えられない」などと言うのだろう。外交や防衛、裁判・捜査中の案件等の中には、確かに「仮定の上での質問には答えようがない」ほど微妙なものがある。しかし国政の議論の大半は「仮定」の上でのものだ。「将来の国家財政破綻に備え、今のうちにどんな対策を打っておくべきか」。「想定される〇〇国からの核ミサイル攻撃に対し、どのような対処法を考えるか」。将来の事態を仮定してこそ「先手、先手」の将来計画が成り立つ。ことにコロナ禍の緊急事態にあっては、対策や計画のプログラムのようなものは、何にも優先して明快にしておくべきだろう。

 政治から「将来に起きる仮定の事態とその対策」を除けば、残る仕事は後始末のみ。これでは「後手、後手」の政治しか出来ない。コロナ禍対策で後手後手に回ってきた理由が、そんなところにあったとしたら、笑い話にもならない。

断想片々(26) 【イマドキの記者会見】

2021年01月11日 | 言葉
 1都3県に緊急事態宣言を発した菅首相。記者会見のテレビ中継(7日)を見て「またか・・」と落胆した国民も多かったのではないか。例によって首相は事前通告された質問に対して、返答原稿を読み上げるだけ。記者は記者で突っ込んだ再質問をすることもなかった。シュクシュクと、タンタンと。こんな会見なら質問項目と返答をプリントして各社に配れば用が足りる。それにしても、記者の側もまた、ラクな仕事をしているものだ。

 一般には知られてないが、本来、記者会見を主催するのは記者クラブ側である。首相会見であれば内閣記者会が主催する。ところが最近の会見では、官邸側の女性が司会進行役を務め、冒頭で「限られた会見時間なので、再質問はしないでください」とまで断わっていた。官邸サイドに仕切られ、記者側は官邸にお任せ、という印象だ。
 昨年10月にはNHK「ニュースウオッチ9」で、有馬嘉男キャスターの菅首相インタビューを放送したところ、あとで政権サイドから「(事前の了解なしに)学術会議問題について質問した」との抗議が来たという。この後、NHK内に有馬キャスターの降板説が流れたというから驚く。降板説は単なる噂だろうが、噂が実(まこと)しやかに流れる理由は、信じるに足る余地があるからだ。ともかくも予定外の質問は許されず、首相の都合次第で質問が選別されるなら、「報道の自由」など、あったものではない。

 政権の強い姿勢とは対照的に、譲歩ばかりが目立つ近年のメディア。今回のコロナ危機では、読者や視聴者の厳しい目が、政権ばかりでなくメディアにも向けられていることを、記者たちは、お忘れなく。国民目線を拠(よ)り所とせず、政権の手足や道具になってしまえば、メディアは存在価値を失う。