斉東野人の斉東野語 「コトノハとりっく」

野蛮人(=斉東野人)による珍論奇説(=斉東野語)。コトノハ(言葉)に潜(ひそ)むトリックを覗(のぞ)いてみました。

37 【強制連行、女子挺身隊、少女慰安婦像】

2017年12月27日 | 言葉

 コトバのトリックと印象操作
 韓国発の慰安婦問題は、ここ何年かで一定の傾向が明確になった観がある。日本国内で論争が下火になりつつあるのとは反対に、海外では新たな火種が増えようとしている。朝日新聞が、繰り返し報じていた「吉田証言」を創作つまり虚偽と認めたうえで2014年に16回掲載の全関連記事を取り消した辺りが、国内で論争が沈静化する、きっかけだったかもしれない。言い尽くされているので詳細は省くが、それまでは「吉田証言」が「慰安婦強制連行」の大きな根拠と受け止められていた。
 ところが海外に目を転じると、米カリフォルニア州やフィリピンで少女慰安婦像が設置されるなど、問題は拡大している。朝日新聞の記事取り消し以前のことだが、慰安婦(comfort girls、comfort women)は性奴隷(sex slaves、国連人権委クマラスワミ報告ほか)に、慰安所(military brothels)は強姦所(rape centers、同委マクドゥーガル報告書ほか)にと、コトバとしての過激化も顕著だった。こうしたコトバに接すれば人は思考停止に陥り、それ以上は真偽を判断しなくなる。コトバのマジックであり、コトバのトリックである。

 名称変更の経緯と混同
 1992年にオランダ人女性が「インドネシアで当時の日本軍に暴行された」と名乗り出たことも、国連報告書で両語が使用された理由だろうか。インパクトのあるコトバは拡散するのも早い。インドネシアは戦前までオランダの植民地だったため、日本軍占領と同時に多数のオランダ人女性が捕虜となり、日本軍から強姦被害を受けた。真に「性奴隷」であり「レイプセンター」だった。とはいえ彼女らと朝鮮人慰安婦とは背景も経緯も異なる。さまざまな事実が明らかになった現在、両者を「性奴隷」や「レイプセンター」で一緒に括ることには無理がある。
 
 ちなみに朝鮮戦争当時の米軍や国連軍の軍人相手の売春では、朝鮮人慰安婦は「comfort women」で、慰安所は「military brothels」だった。韓国の「東亜日報」など主要メディアでは、1980年代までは「慰安婦」と言えば米軍や国連軍相手の慰安婦を指し、旧日本軍相手の慰安婦を指すようになったのは、やっと1990年代になってからのことだという。フェアな研究姿勢の朴裕河(パク・ユハ)韓国・世宗大学教授は著書『帝国の慰安婦』(朝日新聞出版刊、第27回アジア・太平洋賞特別賞、第15回早稲田ジャーナリズム大賞受賞)の中で「クマラスワミ報告書などの国連報告書には『吉田証言』の引用がある」と指摘している。

 国民総動員法と強制連行
 「女子挺身隊」といったコトバが日韓両国で解釈に違いがある理由は、ともに漢字文化圏であることが一因だ。漢字表記は同じでも意味の違う場合がある。日本なら「身を挺(てい)する」は「崇高な使命感にささえられて一身を危難の中に投げ出す」(三省堂『新明解国語辞典』)という意味だが、韓国では「(女性が)身体を提供する」の意味になってしまう。朝鮮戦争時の韓国では、国連軍や米軍相手の慰安婦を指す語として「挺身隊」も一般に定着していた。現在の韓国では「挺身隊」の語への誤解は減ったというが、慰安婦問題を協議する韓国側団体はいまだに「韓国挺身隊問題協議会」の名称のままだ。

 筆者のような戦後生まれでさえ、国家総動員法(1938年)から第二次大戦末期((1944年8月)の「女子挺身勤労令」へ至る戦時勤労動員の経緯は、それなりに知っている。終戦まで1年を残して、銃後の未婚女性(12-40歳)を軍需工場へ勤労動員させる徴用令だった。朝鮮半島は「女子挺身勤労令」の発令対象外とされたが、実際は日本国内の未婚女性たちと同様、多数の未婚朝鮮人女性が内地へ勤労動員された。動員先は工場が大半で、間違っても慰安所行きにはならない。ところが1990年代になって日本から韓国へ「挺身隊」のコトバが入ってくると、韓国流に「慰安婦」の意味に誤解された。勤労動員令(女子挺身勤労令)も徴兵令と同じくに国家の強制力を伴ったから、「挺身隊」と「強制」の2つのコトバが「慰安婦の強制連行」の連想へと結び付いたわけだ。

 1944年12月に沖縄師範学校女子部や沖縄県立第一高等女学校の女子生徒と教員により結成された「ひめゆり学徒隊」は志願制の動員だったが、国内外とも強制動員が原則である。上級学校の生徒だから朝鮮でも日本と同様、経済的余裕のある家庭の出身者が「挺身勤労女子」として動員されるケースが多かったと、朴裕河教授の『帝国の慰安婦』にある。朴教授によれば韓国では現在でも「朝鮮人慰安婦の数は20万人で、大半が少女だった」と認識されているといい、この時の動員との混同が理由のようだ。混同は、なぜ韓国に限って慰安婦は性的魅力に乏しい少女慰安婦(像)ばかりなのか、という疑問への解答になるかもしれない。

 日本は謝罪の継続を
 叫ぶ声がいかに高くても、主張に誤りがあれば、むやみに謝罪すべきではない。誤った認識だと承知しつつ謝罪することは、誤りを上塗りすることであり、誠実な行為だとは言えない。しかし慰安婦問題から離れて、さきの植民地支配全般に関してなら話は別だ。
 国内には「植民地時代の日本も教育や産業振興では、植民地側に役立った面が少なからずあった」という日本擁護論がある。愚論であることは立場を入れ替えて考えれば、よく分かる。仮に日本が韓国や中国の植民地だったとして同じように言われたら、日本国民は同意するだろうか。植民地支配を受けたこと自体が屈辱なのだ。
 日韓合意(2015年)の見直しは論外にしても「植民地支配全般に関して」なら、日本は韓国など旧植民地の国々に対し繰り返して謝罪をすればよい。さきの大戦まで掛け続けた植民地支配の迷惑は、何度謝罪しても十分ということはない。

36 【ちーちゃんのおねだり】

2017年12月09日 | 言葉

 おねだりの天才?
 孫のちーちゃんは3歳と6か月。共稼ぎの娘夫婦の手助けにと週に3日、保育園からの降園時間にジイジがちーちゃんのお迎えに行く。ジイジの家と娘夫婦の家とは「スープがちょうど冷めそうな」距離。そのちーちゃん、女の子は言葉が早いと言うが、ジイジの贔屓(ひいき)目なのか確かに早い気がする。大人と普通に会話が出来るからだ。
「あのね、ジイジね! ちーちゃんとお手手つないで、自転車、買いに行こうよ! アンパンマンの自転車がいいよ!」
 3歳のお誕生日を前にした頃、ちーちゃんがジイジに、頻(しき)りにおねだりをするようになった。保育園からの帰り道、おしゃれなアパートの前に差し掛かるたびに、ジイジの自転車の後ろ座席で声を上げる。アパートの脇にピンク色の補助輪付きの自転車が置いてあって、それが目にとまるらしい。
「そうだね。お手手つないで、ね!」
 ジイジも答える。「お手手つないで行こうよ」という誘いのコトバが、ジイジの心を蕩(とろ)けさせる。それでなくともジイジは、ちーちゃんのためなら何でも買ってあげるつもりでいる。ちーちゃんの母親から、つまりジイジの娘から「あまり買い与えないようにしてネ」とクギを刺されて我慢しているが、本当は「お手手つないで」今すぐアンパンマンの自転車を買いに行きたいくらいだ。

 とはいえ3歳の幼児が安全に自転車を漕げるとも思えない。ジイジは、ちーちゃんの家の庭にあった赤い三輪車を思い浮かべながら聞いてみる。
「おウチにある三輪車は、漕げるようになったの? 三輪車のペダルが漕げないと、自転車は漕げないからね!」
「あのね、ちーちゃんはね、お母さんが後ろから押してくれれば、漕げるよ、三輪車! だから大丈夫だよ!」
「でも、それじゃあ自転車は無理だよ。独りで三輪車が漕げるように、ならないと!」
「ふーん」
 以上のやりとりも、おねだりの後で毎回必ず繰り返される。何度も繰り返すところが、3歳児の3歳児たるユエンだろうか。ある時「どうして、お父さんと、お手手つないで買いに行かないの?」と聞いてみたら、答えは「だって、お父さんは買ってくれないの、おもちゃを」だった。誰が自分に甘いかも、しっかり見抜いていたわけだ。

 疑問氷解?
 ちーちゃんは歌も好きだ。保育園の歌はすぐ覚えるし、シンガー・ソングライターよろしく(?)、つまり口から出まかせの歌もよく口ずさむ。時に歌詞が七五調に整っていたりするので笑ってしまう。ある日、後ろ座席から聞こえてきた元気な歌声にジイジは驚いた。
<♪♪ ジンセイは かみひこうき ねがいのせて とんでいくよ かぜのなかを……>
 おやおや、3歳にしてジンセイの歌か……と感心するも、後で母親に聞くと「ああ、それ? NHKの朝ドラの主題歌なの。ちょうど保育園へ行く時間に流れてくるので、覚えちゃったのよ」だった。道理で、どこかで聞いたような歌だった。真似だと分かっても、感心グセの付いているジイジは「よく暗記できたものだなア」と、またここで感心してしまう。ついでなので「お手手つないで」の件を尋ねてみると「ううん、私が教えたわけではないわ。もしかしたら、保育園の先生が使っていた、お誘いのコトバだったのかもしれないわねえ」との答えだった。なるほど、独りポツンとしてマイペースな子を遊びの輪の中へ誘うような時に「さあ、みんなとお砂遊びしましょう。先生と、お手手つないで行ってみましょう!」と言うのかもしれない。ちーちゃん自身じゃなく、ほかの子供が先生に言われているのを、横で聞いて覚えた可能性もありそうだ。

 「感動を与えた」?
 ちーちゃんが「お手手つないでアンパンマンの自転車を買いに行こうよ!」と言うようになってから半年。やっと最近、独りで三輪車のペダルが漕げるようになったらしい。
「あのね、ジイジね、ちーちゃん、先生に感動を与えたの! だから、アンパンマンの自転車、ちーちゃんに買ってあげてね!」
 ごく最近のこと。やはり保育園からの帰り道だった。
「へえー、ちーちゃんが、先生に感動を与えたって? どうしたの?」
「あのね、ちーちゃんが三輪車を漕げるようになったの。そおーしたら先生が『うわー、ちーちゃん、先生に感動与えた!』だって……」
 なるほど、なるほど。保育園の園庭に、三輪車が何台かあるのを思い出した。半年かけて練習したすえ独りで漕げるようになったのだろう。園庭でチャレンジする姿を見てきた先生は、やっと漕げるようになったちーちゃんの姿に「感動を与えられた」と思ったのかもしれない。

 ただ、この「感動を与える」という言い方、ちょっとヘンだ。3歳児が保育園の先生に「与えた」と言うのでは“上から目線”だろう。活躍したスポーツ選手がテレビのインタビューに「みなさんに感動を与えたい」や「夢を与えたい」と答える場面がしばしばあるので、「与える」が流行(はや)ったのか。しかし選手たちも、こんな時は控えめに「感動を贈り(送り)届けたい」や「感動を届けたい」「感動をプレゼントしたい」と言い替えた方が、良いように思う。

 評価急落?
 さて、話は戻る。「お手手つないで買いに行こうよ!」で蕩けたジイジの心が「感動を与えた」のコトバで一挙に冷えてしまったのかと言えば、もちろん、そんなことはない。大人のスポーツ選手が言えば違和感を覚えるコトバも、舌の回らない3歳児から聞けば、その“上から目線”が、かえって眩(まぶ)しく映ることもある。お分かりだろうか? 孫を持つ身になって初めて実感できることかもしれない。
 まッ、そういうわけで、ちーちゃんへのクリスマスプレゼントは、補助輪付きの自転車と決まった。ちーちゃんは知らないだろうが、ちーちゃんと「お手手つないで自転車を買いに行く」ことが、ジイジへの何よりのクリスマスプレゼントなのである。