コロナ禍のもと、いくつかのカタカナ言葉が登場した<断想片々(10)参照>が、ここへ来てまた一つ「フィジカルディスタンス」の語を耳にするようになった。「ソーシャルディスタンス」の言い替え用語としてWHOも推奨しているらしい。確かにソーシャルディスタンスでは「社会と距離を置く」、つまり「孤立する」の意味に誤解されかねないから、人同士の心のつながりが必要なこの時期には、ふさわしくないだろう。言い替え語の「フィジカル」には「物理的な」や「身体的な」の意味があり、こちらの方が誤解の余地は少ないかもしれない。
なお違和感
22日夕方のNHKニュースを見ていたら、アナウンサーが早速この語を「身体的距離」と日本語に訳して使っていた。カタカナ言葉のまま使わない点には「さすが!」と思ったが、どうも、しっくり来ない。まず「身体的」の語感が、広くキャンペーンするには硬過ぎる。次に、人と人との問題であることは自明なのだから、わざわざ「身体的」と断る必要もない。「身体的距離」に対する違和感の理由は、忠実過ぎる直訳に因(よ)る。
「間隔をとる」で十分
日本語は類似した物事や事象を幾通りにも言い分ける言語だ。一方、英語はシンプルな言語であり、あえて言えば大雑把な言語である。つまり適切な表現は日本語の得意とするところ。この点「間隔」は「間(あいだ)を隔(へだ)てる」だから、実にコロナ禍対策のためにあるような、誤解の余地のない語だ。距離の「距」も「隔てる」の意だから「距離をとる」でも良い。
「2メートルの身体的距離」と「2メートルの間隔」とでは、良し悪しは一目瞭然である。耳慣れないカタカナ言葉には人を振り向かせる力があるが、何度か振り向かなければ理解に至らない、というのでは困る。重要な事柄の周知徹底には、やさしく正確な日本語がいちばんである。
なお違和感
22日夕方のNHKニュースを見ていたら、アナウンサーが早速この語を「身体的距離」と日本語に訳して使っていた。カタカナ言葉のまま使わない点には「さすが!」と思ったが、どうも、しっくり来ない。まず「身体的」の語感が、広くキャンペーンするには硬過ぎる。次に、人と人との問題であることは自明なのだから、わざわざ「身体的」と断る必要もない。「身体的距離」に対する違和感の理由は、忠実過ぎる直訳に因(よ)る。
「間隔をとる」で十分
日本語は類似した物事や事象を幾通りにも言い分ける言語だ。一方、英語はシンプルな言語であり、あえて言えば大雑把な言語である。つまり適切な表現は日本語の得意とするところ。この点「間隔」は「間(あいだ)を隔(へだ)てる」だから、実にコロナ禍対策のためにあるような、誤解の余地のない語だ。距離の「距」も「隔てる」の意だから「距離をとる」でも良い。
「2メートルの身体的距離」と「2メートルの間隔」とでは、良し悪しは一目瞭然である。耳慣れないカタカナ言葉には人を振り向かせる力があるが、何度か振り向かなければ理解に至らない、というのでは困る。重要な事柄の周知徹底には、やさしく正確な日本語がいちばんである。