斉東野人の斉東野語 「コトノハとりっく」

野蛮人(=斉東野人)による珍論奇説(=斉東野語)。コトノハ(言葉)に潜(ひそ)むトリックを覗(のぞ)いてみました。

断想片々(32) 【消えた事件と「陰謀論」】

2021年09月06日 | 言葉
「お父さんチの近所で昨日、殺人事件があったらしいネ。大丈夫?」
 夏もまだ盛りの先月半ば、同じ市内に住む娘から電話をもらった。テレビのニュースで知り、心配して掛けて来たという。
「コロシ? さあ、気が付かなかったナ。夕方頃だって? 消防車のサイレンなら聞いたけど、パトカーや救急車のサイレンは聞かなかったナ」
 答えて電話を切り、新聞の朝刊にもう一度目を通した。社会面から地域版、そして第3社会面へ。ない。まさか1面に載るはずはないと思いながら、一応確かめた。やはり、なし。夕刊の配達を待ち、こちらも隅から隅まで目を通した。そんな記事はなかった。

 夕食後パソコンに向かい、キーワードを入れて検索してみた。あった。警視庁小金井署が、自営業男性(41)を包丁で刺した親族男性(76)を、殺人未遂の現行犯で逮捕していた。事件取材に強い産経新聞のクレジット付き。動機など詳細は不明だが、男性に催涙スプレーを噴射した後に腹部を刺したというから犯行は計画的、つまり悪質である。未遂に終わって命に別状なしとのことで、それが掲載見送りの理由だったのかもしれない。

 単純な事件事故は新聞に載らなくなった
 筆者が現役記者だったひと昔前、一般紙掲載方針の特徴の一つは多項目主義だった。短い記事で、小さな事件事故まで数多く載せた。交通事故などは死亡事故でなくとも記事にした。ところが現在は、死亡交通事故でも特別の背景がない限り、あるいは変則的な事故でもない限り、記事にしない傾向にあるように思える。

 新聞の定期購読者も減った 
 この10年で日刊紙の定期購読世帯は激減した。これもメディアを取り巻く状況変化の一つだ。筆者宅の隣近所7軒のうち、現在も日刊紙をとっているのは筆者宅の1軒だけ。テレビのニュース番組に加え、ネットニュースも充実度を増してきたから、紙媒体は不要と考える世帯が多くなったのだろう。加えて冒頭の話のように、新聞に載らなくともネットニュースですぐ分かるとなれば、若い人たちが電波媒体を選ぶのも必定である。コロナ禍の経済不安の時代にあって、電波媒体の無料ニュースはありがたい。一方で「陰謀論」のような、不確かな言説も増えた気がする。
 
 ネットニュース時代の不安と「陰謀論」の横行
 特に今回のコロナ禍では「陰謀論」が世に溢(あふ)れた。いわく「新型ウイルスの流行は高齢者を減らすために画策された」など。確かに日本では高齢者が多い(65歳以上が全人口の28・1パーセント=2018年、総務省統計局調べ)が、世界に目を転じれば、高齢者率の低いアメリカ(同15・8%=同)や韓国(同14・4%=同)、その他カナダやフランスなど、低くとも新型コロナの大流行した国は多い。医療現場ひっ迫の弊害は、若年層にも及んでいる。「高齢者を狙い撃ちにした陰謀」だと主張するなら、これらをどう説明するのか。
 ワクチン接種をめぐる「陰謀論」にも荒唐無稽なものがある。いわく「ワクチン接種により、がんになる」が一例だろう。子宮頸がん予防ワクチンの副作用等から連想するのだろうが、同じ「ワクチン」のコトバからコロナワクチンも同様と考えるのだろうか。

 「陰謀論」流行の背景には、もちろん為政者の側の説明不足もある。辞任を表明した菅総理大臣の記者会見は、いつも楽観的に過ぎたし、同じコトバを繰り返すだけだった。説明や展望はなし。「ワクチンさえ行き渡れば」とワクチン頼み(モノ頼み)一辺倒になり、人流を抑え込めず、結果、未曽有の感染者数の第5波を招来させてしまった。一国の首相でさえ迷走に次ぐ迷走だったのだから、国民が何を信じてよいか分からなくなり、あれこれ深読みした末に「陰謀論」にたどり着いたとしても仕方あるまい。

 紙媒体メディアも読もう
 元新聞記者だから言うのではないが、もう少し新聞を読んでみてはいかがか、とも思う。各紙それぞれ主張の違いはあっても、よく整理された書き方や、系統立てて説明する纏(まと)め記事の明快さには、単発記事(えてして散発記事)が主体のネットニュースを超えるものがある。新聞を読んで頭の中を整理しておけば、荒唐無稽の「陰謀論」が幅を利かせる余地はなくなる。
 最後に。もちろん小稿には、国内外の政治に「陰謀」なしと主張する意図は、さらさらに無い。陰謀、謀略、、フェイクニュースと世論誘導--。仕掛ける人と対象によりコトバは違っても、何につけ画策したがる人は、ごまんといる。であればこそ荒唐無稽な「陰謀論」を排し、よくよく頭の中を整理して備えるべきだろう。