コンビニでトイレを借りた。
何も買わないのにトイレだけを利用するのは気が引けた。とはいえ買いたい物もないので財布に入っていたUSBから適当に何かを印刷することにした。(コピー機利用)。
印刷してみると日本労働研修研究機構(JILPT)の濱口桂一郎さんのhamachanブログの記事だった。
2021年12月の記事で、安い日本がホットな話題となっているという内容で、日本ではとにかくよい製品が大変安価で、なぜ高品質低価格が可能なのか?という理由が書かれています。
安い日本
テレビでは外国人観光客が、安い日本でショッピングを満喫している様子や、テレワークをしながら物価の安い日本で生活している外国人の様子が見られる。みな口を揃えて言う。コンビニとかはどこも同じ値段で、しっかりした商品である。食べ物もチェーン店はとても安くおいしい。外国(本国)ではありえない、とのこと。
コメンテーターとかは、ニッチな日本が見直されて嬉しい、やはり日本は優秀だな〜と言っていた。日本人の賃金が非常に安いことには全く触れられていなかった。
濱口桂一郎さんは、安い日本は安い日本人労働者の賃金がもたらしているとして、その淵源に遡って説明している。
「労働は商品ではない!」として、労働者の賃金を上げることが唯一可能な労働組合が日本では機能していないことを指摘しています。
海老原嗣生さんとの共著「働き方改革の世界史」を引用し、アメリカでは労働組合までがカルテルとして違法扱いになってしまったときに、「労働は商品ではない!」として、アメリカ総同盟が経済界と戦ったことを紹介しています。
この本、歴史本なので難しいのですが、再挑戦しました。
濱口さんは「労働は商品ではない!」が間違った使われ方をしていると憤慨しています。労働は商品ではないから企業がちゃんと社員の面倒をみろ、などというものではなく、反トラスト法(日本の独占法みたいなの)などが適用されないような特殊な商品として、労働組合の集団交渉を談合扱いしない、というのがそもそもの「労働は商品ではない」という。
労働者は商品ではない、というと、当たり前だ、労働者は人間だ!と多くの人はいう。だから派遣制度では、企業は客、派遣会社は店屋、派遣労働者は商品という説明に怒る。だが、商品は商品でも人間という商品は機械や野菜とは違う。ナマモノという点では野菜や食肉と同じだが、生きているという点で牛馬と同じだが、人間はそれらとは一線を画している。商品だからといって怒るのではなく、人間という商品であることを考慮しないで機械や野菜、食肉、牛馬と同じ商品のように扱うから怒るのである。
アメリカ労働運動のゴンパースは、労働組合を政党の下部組織にするようないかなる発想にも反対し、労働組合運動は本来自力本願の運動であるという。そして、幾多の難問を決定するのに羅針盤となるのは、政治的なものと経済的なものを明確に区別することであるという。経済界は本質的に科学的であり、政治は相争う力の場であるという。
政治と経済は相異なるとか、別であるとか、関係ないとか、そういうことではなく、本質が違うのだということだろう。政治・経済と一緒くたにして、理系が苦手な者の逃げ場所や劣等感を挽回する分野ではない。
もちょっとがんばって本読んでみよう。
何も買わないのにトイレだけを利用するのは気が引けた。とはいえ買いたい物もないので財布に入っていたUSBから適当に何かを印刷することにした。(コピー機利用)。
印刷してみると日本労働研修研究機構(JILPT)の濱口桂一郎さんのhamachanブログの記事だった。
2021年12月の記事で、安い日本がホットな話題となっているという内容で、日本ではとにかくよい製品が大変安価で、なぜ高品質低価格が可能なのか?という理由が書かれています。
安い日本
テレビでは外国人観光客が、安い日本でショッピングを満喫している様子や、テレワークをしながら物価の安い日本で生活している外国人の様子が見られる。みな口を揃えて言う。コンビニとかはどこも同じ値段で、しっかりした商品である。食べ物もチェーン店はとても安くおいしい。外国(本国)ではありえない、とのこと。
コメンテーターとかは、ニッチな日本が見直されて嬉しい、やはり日本は優秀だな〜と言っていた。日本人の賃金が非常に安いことには全く触れられていなかった。
濱口桂一郎さんは、安い日本は安い日本人労働者の賃金がもたらしているとして、その淵源に遡って説明している。
「労働は商品ではない!」として、労働者の賃金を上げることが唯一可能な労働組合が日本では機能していないことを指摘しています。
海老原嗣生さんとの共著「働き方改革の世界史」を引用し、アメリカでは労働組合までがカルテルとして違法扱いになってしまったときに、「労働は商品ではない!」として、アメリカ総同盟が経済界と戦ったことを紹介しています。
この本、歴史本なので難しいのですが、再挑戦しました。
濱口さんは「労働は商品ではない!」が間違った使われ方をしていると憤慨しています。労働は商品ではないから企業がちゃんと社員の面倒をみろ、などというものではなく、反トラスト法(日本の独占法みたいなの)などが適用されないような特殊な商品として、労働組合の集団交渉を談合扱いしない、というのがそもそもの「労働は商品ではない」という。
労働者は商品ではない、というと、当たり前だ、労働者は人間だ!と多くの人はいう。だから派遣制度では、企業は客、派遣会社は店屋、派遣労働者は商品という説明に怒る。だが、商品は商品でも人間という商品は機械や野菜とは違う。ナマモノという点では野菜や食肉と同じだが、生きているという点で牛馬と同じだが、人間はそれらとは一線を画している。商品だからといって怒るのではなく、人間という商品であることを考慮しないで機械や野菜、食肉、牛馬と同じ商品のように扱うから怒るのである。
アメリカ労働運動のゴンパースは、労働組合を政党の下部組織にするようないかなる発想にも反対し、労働組合運動は本来自力本願の運動であるという。そして、幾多の難問を決定するのに羅針盤となるのは、政治的なものと経済的なものを明確に区別することであるという。経済界は本質的に科学的であり、政治は相争う力の場であるという。
政治と経済は相異なるとか、別であるとか、関係ないとか、そういうことではなく、本質が違うのだということだろう。政治・経済と一緒くたにして、理系が苦手な者の逃げ場所や劣等感を挽回する分野ではない。
もちょっとがんばって本読んでみよう。
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