いろんな分野で専門分化が進むなか、専門性の穴を埋める何でも屋も必要

2015年02月26日 | 日記
看護師の宮子あずささんが、5年前の中日新聞(東京新聞)のコラムで医療の専門性について書いていました。

宮子さんは、東京都内の総合病院で22年間働いていました。内科病棟、精神科病棟、緩和ケア病棟を経験しており、緩和ケア病棟の5年間は、看護師長として精神科病棟も兼務していたそうです。

病院で働く看護師は同じ部署にとどまらず、たいていの場合時期が来れば異動するということです。専門性という点ではマイナスだが、一方で幅広い知識を授けてくれると宮子さんは言います。

内科病棟に勤務していたころ、夜中に患者さんの意識が低下し、宮子さんは血圧その他の既往歴から脳卒中を疑いました。実際その通りだったのですが、その晩の当直医は初め肝性脳症を疑いました。その医師は大学病院から来たばかりで専門は肝臓でした。しかし、医師は柔軟な人で看護師の指摘をすぐに受け入れてくれたそうです。

突発的な変化があった時、誰もが自分の知識に照らし、それを解釈する。これ自体は責められるべきではない。大事なのは、別の視点からの指摘を受け入れるかどうか。

宮子さんは、専門性と専門性の間には穴があると言います。高度医療のもとで医師や看護師の専門分化が進むことは素敵なことだが、専門性と専門性の穴を埋める何でも屋的役割も高度医療には不可欠なのだと。

医療に限らずです。

とても大事な視点であると思います。

日本には様々な社会制度が整っていますが、制度には狭間というか、隙間というか、宮子さん風に言えば穴があります。重なっている部分もあります。それぞれの分野の担当者はその分野のことには詳しいかもしれませんが、他のことはよく知らないというか無頓着なことが多いと思います。行政機関では、同じ建物・同じフロア内にあっても、課が違うと市民の依頼に応えて問い合わせると言うこともあまりなく、縦割りといってしまえばそれまでですが、なんかもったいないかんじがします。

そこでようやく思いました。

社会保険労務士が社会保険・労働保険の何でも屋にならないとだめなんだって
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