先輩たちのたたかい

東部労組大久保製壜支部出身
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芝浦製作所争議など 1920年主要な労働争議③ (読書メモ——「日本労働年鑑」第2集/1921年版 ) 

2021年07月21日 16時32分10秒 | 1920年の労働運動

芝浦製作所争議  御用組合のストライキ!

友愛会理事麻生久は『芝浦事件の教訓』(解放大正9年5月号)で
 「この紛議が御用組合に事を起こさせ、友愛会の如きをのっぴきさせず共渦中に巻き込むと共に一挙にしてこれを撃滅し、会社の内部から労働組合の存在を一掃せんと』する企てなり、『一般世間の多くの者は、この同盟罷工が何人の手によっていかなる目的をもって行われ、その幹部なる者がいかなる策戦の下に行動つつあるかを知る由もないから、ただ外面に現れた同盟罷工という名に幻惑せられて、彼らの策戦の思う壺にはまらせ、ついに真の労働運動を滅亡せしむるのである」と真っ向から反論している。

1920年主要な労働争議③
(読書メモ——「日本労働年鑑」第2集/1921年版 大原社研編)
 

 
5、大阪鉄工所争議

 1月31日、会社請負賃金の賞与率を7割から5割に減額し、精勤賞を廃止し、しかも前年10月のサボタージュ闘争を理由に造船部73名を解雇し、2月にも15名を解雇してきた。造船部1200名、天保山分工場造機部3300名の労働者は怒った。17日、労働者代表20名は次の3か条を要求した。
 一、今後解雇する時は一週間、あるいは二週間以前の通知
 一、解雇手当以外に想當の旅費を支給
 一、物価上昇もあり賃金を値上げ

 27日会社は全面的に拒絶してきた。

 米国提供船イースタン・セーラー号(7500トン)進水を阻止するぞ!

 3月1日、造船部約200名の労働者はイースタン・セーラー号の進水を阻止すべく圧縮空気原動室を襲撃して、水圧器と送水管の破壊を企てた。会社は朝日橋署巡査70名を急派させた。押し寄せる労働者と巡査は投石格闘で衝突した。会社は正午「臨時休業」を発表し、造船部の600名全員の退社を強要してきた。朝日橋署長の調停で、代表24名を残して全員が退場した。会社が天保山分工場より急遽呼んだ労働者の助けで、かろうじてイースタン・セーラー号の進水はできた。
 会社は2日より工場を休業してきた。また、会社が工場の中に呼び入れ働かせていた仕上げ工ら180名が「他の多数職工のため迫害されるおそれあり」との理由で、一斉に退場してしまった。これは同情ストライキだった。午後3時会社は、「本日出勤した職工に日給の八分の一を支給する」と回答した。
 3日午後7時には4千の全労働者は平日のように出勤した。
 
 近藤憲二氏は、『労働運動』第五号で
「職工は、ついに資本家の軍門に降伏した。最初の勢いは大層なものであったが、遂に竜頭蛇尾であった。この紛争がかくの如くに終わったのは、種々な原因もあるのであろうが、まず第一に職工の結束の薄弱であったことに帰せなければならない。それにしても僕らは、平素に組合的訓練の必要なる一事実を見た。」

6、芝浦製作所の争議

 (「日本労働組合物語大正」より)
 <縦の組合・横の組合>
 1919年、20年ごろから、友愛会など横断的組合の弱体化をねらった政府や資本は、しきりに<縦の組合>企業別労働組合結成を唱えるようになった。「(一工場だけで)職長も組長も工場長も技師も、ないしは支配人も社長も、ことごとく組合員の中に取り込む。・・・実に封建的な仕組みといわなければならぬ」(友愛会機関誌『労働』1920年2月号巻頭論文鈴木文治)。

「資本家はその権力と知恵をもって、労働者のこの弱さと無智と助平根性とをたくみに利用して、いわゆる縦の組合を設立し」(同5月号「芝浦事件の教訓」麻生久)

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 御用組合のストライキ

(以下「日本労働年鑑」第2集より)
 芝浦製作所には以前から1500名の強力な友愛会芝浦支部が存在していた。にもかかわらず、日頃から、経営陣と懇意にしている人物が中心になり、昨年10月渋沢栄一男爵が来賓として芝浦「枝友会」を結成した。御用組合であった。ところが、枝友会は、3月14日突然芝浦職工大会を召集し、以下の5項目の要求を決めた。
 一、組長の任期を一年とし職工互選の事
 一、平等に50千の賃上げする事
 一、軍務・公傷で欠勤者を皆勤扱いとする事
 一、勤務手当支給資格5年を3年に短縮する事
 一、賞与は月給者の三分の一以上とする事

 そして、この夜、枝友会代表は友愛会芝浦支部に、上の決議への賛助を求め、翌日の会社への交渉に友愛会も代表を派遣せよと申し入れてきた。事前の話し合いは一切ない一方的なものであった。友愛会は枝友会の要求自体はおおむね賛成するが、代表派遣は突然の申し入れなので、最初の交渉は枝友会に一任すると回答すると枝友会幹部は、この回答を拒否し「友愛会芝浦支部が明朝までに代表を出さないのなら、今後の行動はすべて枝友会が単独で自由行動を採る」と答えた。それまでも枝友会の姿勢を信用できないとみていた友愛会支部は、会員に慎重な態度を求める警告を発し、同時に枝友会との交渉断絶を決めた。
 
 17日、枝友会はストライキに入った。

 友愛会支部の調査によると、会社と枝友会の中心人物は頻繁に接触していて、会社の予定していた昇給案などを事前に知って、これを利用した。枝友会のストライキには友愛会支部は「同情ストライキ」を宣言したが、枝友会には「不合理な労働争議は、枝友会幹部の無責任にある」と厳しく批判した。枝友会は「友愛会を日本の労働社会より排除する」と発表した。両組合の反目は高まるばかりである。

 23日夜、友愛会支部は「同じ階級の人々が血で血を洗うのである。資本家は喜ぶであろう。警視庁は待っていたと計り一網打尽に検挙するであろう。社会は労働者の無智を嗤うであろうが、『労働運動の将来のために、不純なる野望家と、労働運動の寄生虫なるブローカーを絶滅』せんがため、ついに紛争の渦中に突入すべきと決した。」

 大杉栄は「労働運動」(第5号)の『友愛会の厳正中立」と題し
「枝友会員は友愛会員を罷工破りとして、労働階級の敵として相衝突した。・・・・一致行動を妨げた責任が全々枝友会にあるとしても、この資本家対労働者の争議に際しても、しかも同一工場で働く友愛会員が、就業を肯じて顧みないのは、まさに労働階級の敵である。友愛会は2日の『同情罷工』をもって枝友会への義理が立ったと思っているかも知らぬが、それは大間違いだ。『同情罷工』とは何事であるか。『厳正中立』とは何事であるか。『厳正中立』とは純然たる第三者のみ探り得る態度である」と厳しく非難した。

 一方友愛会理事麻生久は『芝浦事件の教訓』(解放大正9年5月号)で
「この紛議が御用組合に事を起こさせ、友愛会の如きをのっぴきさせず共渦中に巻き込むと共に一挙にしてこれを撃滅し、会社の内部から労働組合の存在を一掃せんと』する企てなり、『一般世間の多くの者は、この同盟罷工が何人の手によっていかなる目的をもって行われ、その幹部なる者がいかなる策戦の下に行動つつあるかを知る由もないから、ただ外面に現れた同盟罷工という名に幻惑せられて、彼らの策戦の思う壺にはまらせ、ついに真の労働運動を滅亡せしむるのである」と真っ向から反論している。

 24日、枝友会は三田警察署の幹部の下で会社重役と会見し要求を撤回した。これで今回の騒ぎの目的と正体がはっきりしたのだ。8日間の争議は終わった。



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