
↑写真・婦人、少年坑夫の深夜業と坑内労働の禁止記事1928年3月18日付東京朝日新聞
1929年7月1日から実行されることになったが、3年から5年の猶予期間をおくというもの
・「夜業禁止並びに寄宿舎制度改善に関する件」
日本労働組合同盟日本紡織労働組合昭和三年度大会提出議案1928.6.17
1928年の女性労働者(読書メモ)
参照・日本労働年鑑第10集/1929年版(大原社研編)
・協調会史料
「女工の八割余が紡績工場に働き、寄宿舎に収容され、殆んど自由を束縛されてゐる。而も過労のために甚だしく健康を害されてゐることは、最近各地に行われる女工の保健調査の結果によって明らかであり、又帰郷女工の疾病調査を見るときは、如何に婦人労働者が酷使されてゐるかを想像するに苦しまない。」(労働年鑑第10集/1929年版 第二章婦人労働者第一女工)
(紡績工場)
1928年(昭和3年)12月末現在の女性労働者は1,533,612人で、男性労働者総数に対して46.6%iに及び、全労働者のほぼ半数が女性であった。女性を最も多く使用しているのは紡績工場である。1927年末に紡績工場の女性労働者は803,358人。その上紡績工場の女性労働者の21%は16歳未満であった。男の16歳未満が僅かに4%であることに比較すればいかに幼い女性労働者の数が多いか。
(鉱山)
炭鉱における女性労働者は66,079人で、その内20歳未満は19.3%。また女性労働者のうち65.2%が坑内の厳しいきつい労働につき、その16.1%が20歳未満の女性たちであった。
*↑写真・婦人、少年坑夫の深夜業と坑内労働に対し、政府がようやく1928年中に禁止の新聞記事
1928年3月18日付東京朝日新聞は、婦人、少年坑夫の深夜業と坑内労働に対し、政府がようやく1929年7月1日より禁止の方向で動き出したとある。しかし、いずれも3年から5年の猶予期間をおくというもの。この記事では「女坑夫と少年坑夫は四万三千に上がる」とある。
(労働時間)
製糸工場においては12時間以上の労働時間、紡績・織物等は概ね11時間以上の労働時間、少数ではあるが例外的に10時間、9時間の工場もある。8時間労働を要求する労働組合の運動により8時間制の工場も僅かに出てきているが、大部分は10時間以上を基本としている。
(休日)
工場法は、15歳未満の者と女性労働者に対して、毎月少くとも月2回の休日を、また交替制の労働者には月4回の休日を命じているが、大部分は、いまだに月2回(1日と15日ないしは第一、第三日曜日)だけの休日である。
(昼夜二交替制労働)
1926年10月時点で、24時間操業・昼夜交替制労働の工場は全国で379工場あり、この過酷な昼夜交替の二交替制労働についている女性は全国の女工総数は195,256人で、そのうち紡績と織物業で昼夜交替制の女性は173,021人もいる。
(負傷と疾病)
1926年中の女性労働者の負傷・疾病(3日以上の治療と休業)者数は合計140,937人。負傷者5,698人。疾病者135,239人(男性労働者の1.8倍)。疾病で多いのは呼吸器病(結核、肺結核にど)、消化器病(胃腸病)、脚気、トラホームなどであった。
(帰郷女性労働者調査)
岐阜県の帰郷女工調査によれば1923年から1925年の病気が治らず解雇された帰郷女子397人中、死亡した者は125人もいて、死亡の36.1%は製糸工場労働者であった。残りの帰郷した病人は223人で主な疾病は呼吸器疾患、消化器疾患、結核などで、死亡率の高さは結核(61.1%)であった。
鹿児島県の出稼職工帰来者健康状態調査(労働時報第五巻第十号)によれば、1916年から1925年までの10年間に帰郷した女性労働者823人(大部分が紡績工場)中、11.2%が病人で、7.8%は死亡であった。呼吸器疾患患者113人のほとんどが紡績工場で働いて2年未満で発病し、全死亡者の約半数が帰郷して1ヶ年未満で亡くなっている。
(年少労働者)
16歳未満の年少労働者は、1927年末現在で女子208,674人、男子36,268人で、女子の年少者労働者数は男子の6倍にのぼる。特に紡績工場が女子の年少労働者で占められている。
(700名中500名が女性の福山市メーデー)
1928年総同盟福山労働組合が主催した福山市メーデーは、参加者700名中じつに500名が女性だった。
以上
次回予定 1928年に女性労働者多数が立ち上がった主な労働争議―1928年の労働争議(読書メモ)