先輩たちのたたかい

東部労組大久保製壜支部出身
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「ろう城」と「糾察隊」で闘った中央郵便局の国際通運株式会社自動車部争議―1928年の労働争議 

2025年02月14日 08時00分00秒 | 1928年の労働運動

「ろう城」と「糾察隊」で闘った中央郵便局の国際通運株式会社自動車部争議―1928年の労働争議 
参照・協調会史料

国際通運株式会社は、全国11社が合併して逓信省・鉄道各駅の運送業を請け負う運送会社であった。東京では逓信省との請負契約により、中央郵便局から各市内の郵便局に郵便物を運搬していた。自動車数は中央郵便局用に20台、一般貨物運輸用に21台の計41台を有していた。

争議の場所 中央郵便局その他市内一円
争議参加数 運転手40名、助手31名、修理工4名 計75名(従業員全員)
争議発生日 1928年8月6日
争議団・応援労組 旧評議会系の東京自動車従業員同盟が相談応援していたが、国際通運の労働者は当初「国際自運会」なる互助会を結成したが表向きの労働組合は作らなかった。争議発生からは「国際通運争議団」として行動した。

1928年8月6日、運転手ら従業員は待遇改善を求めて31項目の要求を提出したが、会社は具体的回答を拒否してきた。

(要求)
一、賃金値上げ
一、日給を月給制へ
一、公休日を月4回に
一、手当の支給(居残り運転5割増等)
一、昇給、賞与、皆勤手当の改善
一、公傷時の日給・治療費全額支給
一、病気欠勤時、給料全額支給
一、制服の支給
一、交通事故の損害は会社が全額負担
一、助手の増給
一、遠出時の手当支給
等31項目
*この要求書の最後には、「国際通運株式会社社長殿」の後に、「連判状」のように運転手・助手ら75名全員の氏名が列挙されており、並々ならぬ決意と緊張が伝わってきます。

(スト決行)
労働者の要求を会社が拒否したため、1928年8月31日から運転手40名、助手31名、修理工4名の全従業員がストライキを敢行した。

(争議団本部にろう城)
ストライキ決行と同時に75名全員は争議団本部にろう城し、会社の切り崩しに抵抗した。争議団は市内の関係する自動車車庫に宣伝ビラを配布し会社との持久戦に入った。

(「糾察隊」を組織)
争議団は独身者、若者で特別行動隊「糾察隊」を組織した。糾察隊長、副隊長2名、班長6名を先頭にした糾察隊員は会社の攻撃とスト破りの代理運転手との攻防など果敢にストライキ防衛にあたった。糾察隊は各自動車運転路線に張り付き待ち伏せをした。スト破りの代理運転手との衝突は各地で発生した。糾察隊員の必死な説得が続いた。争議団の説得を拒否し、あくまでスト破りを強行しようする車のタイヤは次々にパンクさせられた。その数は10台に及んだ。

(糾察隊ビラ―上の写真)
警告!
火事場泥棒のような真似をやめて、すぐ家に帰れ!
正義と人道の上にたて!
   国際通運争議団本部
          糾察隊

(会社)
会社がスト破りのために雇った多くの臨時労働者が仕事に不慣れの為、郵便物の運送に支障が出てきた。

(警察弾圧)
警察が糾察隊総検挙の方針を決めた為、争議団は糾察隊隊長を「食料部部長」とするなどして組織防衛をはかった。しかし、9月2日所轄西神田警察は争議団副団長、糾察隊隊長、副隊長ら9名、芝愛宕警察は自動車従業員同盟員1名を一斉に検挙した。

(争議応援演説会)
9月6日夜8時から神田演芸場において、中部地区無産団体協議会と自動車従業員同盟本部主催による争議応援演説会が開催され、約150名が参加した。弁士に市電自治会の篠田八十八らが立ったが、篠田はすぐに臨監警察から「弁士発言中止」を命じられた。

(結末)
協調会史料では、「ろう城と糾察隊」で闘ったこの争議のその後の結末は不明です。しかし、警察はこの争議団を旧評議会系労組が応援指導をしていると激しい弾圧体制で臨んでおり、結末は厳しい結果であったと推察されます。

以上


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