先輩たちのたたかい

東部労組大久保製壜支部出身
https://www.youtube.com/watch?v=0us2dlzJ5jw

「大正震災志」が触れている自警団の残酷非道と警察の対応 読書メモ(その三)

2023年08月14日 07時00分00秒 | 1923年関東大震災・朝鮮人虐殺・亀戸事件など

上・「朝鮮人虐殺」

「大正震災志」が触れている自警団の残酷非道と警察の対応 読書メモ(その三)
参照・「大正震災志」内務省 社会局編 大正15年2月28日発行

自警団の残酷非道
「しかも極度に昂奮せる民衆は各自皆戒器凶器を提げて自衛に任じ、一般通行者を査問し、盛んに鮮人を捕獲し本部に拉致し来るの状況にして、同夜より三日払暁にかけ、警戒員及之等民衆の手により本部に同行したる者実に百六十余名の多きに達せり。之等はひとまず裁判所の留置所を借受け収容することとし、早稲田及び新場橋署員をして之が看守勤務に応援せしむ。」385ページ

「路上には凶器戒器を提げ殺気立ちて警戒に任じ居る壮者の喧騒と、地震再来と鮮人襲来に脅かされたる老幼婦女子の泣き叫ぶ悲鳴と相交わり、実に惨悽たる光景を呈せり。」385ページ

「尚鮮人中警察官に変装せる旨風評せられ、伝令任務の警察官に対し、民衆に於いて査問を行ふものすらあるに至れり。」385ページ

「二日戒厳令は布かれたが、民衆の自警団は到る所に設けられ、刀を帯び、棍棒を携え、関門を作りて通行人を誰何し、朝鮮人を迫害するのみならず、神経昂奮の極、無辜(むこ)の民を殺傷するものさえ少なからず、物情騒然としてほとんど無警察の観があった。」385・386ページ

*感想 戒厳司令部・警察によって作られた自警団の凶行のすさまじさと残酷さは、ここの文章の箇所を書いた担当者自身の自警団に対する朝鮮人虐殺への怒り・糾弾ではないかとすら思えるほど生々しい。

(九月三日)警視庁の公布
「昨日来一部不逞鮮人の妄動ありたるも今や厳密なる警戒により其の跡を絶ち、鮮人の大部分は順良にして何等凶行を演ずる者に無之に付濫りに之を迫害し暴行を加ふる等無之様注意せられ度、又不穏の点ありと認むる場合は速に軍隊警察官に通告せられ度し。」386ページ
*感想
 警視庁は、民衆がみだりに朝鮮人を迫害し暴行を加えていた事実を認めている。しかし、朝鮮人があたかも妄動を起こしていたことを前提にし、また今後も不穏の動きがあり得るとしている。これでは流言蜚語を否定していることには全然ならない。

(三日)警視庁から各警察署長への命令
「鮮人に対する反感益々甚しく理由なき暴行を加ふる者頻出の状況に付此際鮮人に対しては極力保護を加へ可成一箇所に収容し、安全の地域に置かるゝ様努力せらるべし。」
「今後の警戒は専ら警察官及軍隊之に当たり、在郷軍人団・青年団には専ら救護事務に当らしむると共に軍隊警察官以外の者に短銃・刀剣・其他戒器凶器を携帯せしむるは避難民相互に於ける争闘殺傷等其他頻々として弊害少からざるに付軍隊と協力し、之が携帯を禁じ、肯ぜずして携帯するものあるときは領地を為す等相当なる措置を講じ、警戒上遺憾なきを期せるべし。」386ページ

*感想 
 自警団、在郷軍人団・青年団が、「短銃・刀剣・其他戒器凶器」を携帯していたこともわかる。他の箇所でも「竹槍」「棍棒」「鳶口」も出てくる。自警団らは、こうした武器で武装して、「一般通行者を査問し、盛んに鮮人を捕獲し拉致」し、何千人も殺害したのだ。なんとも恐ろしい話ではないか。朝鮮の人々は、子供たちも大人たちもどんなに怖かったことか。

朝鮮人強制収容
「(全24署の警察署と警視庁本庁による朝鮮人収容)は、九月六日頃の現在総数は6,118の多きに上った。・・之等収容鮮人中には学生あり、労働者あり、行商人あり、婦女小児も之に交じっており、その中には日本語を解するものも解せざるものもあって、雑然喧操を極めていた。」387ページ

「然し人心は中々沈静に帰せず、鮮人に対しては恐怖もしくは憎悪をもってこれに臨み、之を保護する警察官に対して反感を有するものさえあったので、小松川署の如きは軍隊に交渉して五日より十日にわたり収容鮮人を盡く千葉習志野に移送し、亀戸・寺島署も亦之に倣ひて七日八日の両日に其大部分を移送し、警視庁は九日早朝其収容に係る鮮人三百五十一名を、青山署其他より委託の百八十七名と共に騎兵第十六連隊に引継ぎて、同所に移し、他の各署は時宜に応じて或いは解散し、或いは収容して、九月十日の総数は習志野移送の三千五十人を除いて総数三千百七十七人であった。」387・388ベージ

「九月十一日、鮮人を目黒競馬場に収容したが、警視庁の鑑識課長及目黒勤務員が誤解を解くに努めた結果、前日の反感は却って美しい同情となり、目黒町内自警団消防組合等より続々慰問品の寄贈ありて鮮人は歓喜し、或いは感泣するものさえあり、保健衛生も亦遺憾なることを期した。」388ページ

「九月二十五日には、朝鮮総督府より鮮人引取の交渉ありて、目黒収容所の鮮人を引渡し、各署に対しても被疑者を除き、差支なきものは之を総督府に引渡すべき旨を指示したから、九月二十五日には各署に残留するもの百二十余名となり、・・・鮮人の収容事務は此に一段落を告げたのである。」388ページ

以上
つづく
「大正震災志」に見る東京市の陸軍と流言蜚語 読書メモ(その四)



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。