先輩たちのたたかい

東部労組大久保製壜支部出身
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一労働者の母親が賃下げで自殺! 奥村電機商会争議 1923年主要な争議⑦ (読書メモ)

2022年01月21日 07時00分00秒 | 1923年の労働運動

写真・ビラ「奥村電機商会の暴状に於いて  京都全市民に訴ふ!!!」1923年6月

一労働者の母親が賃下げで自殺!  奥村電機商会争議 1923年主要な争議⑦ (読書メモ)
参照
「協調会」資料(奥村電機商会争議)
「労働年鑑」第5集/1924年版 大原社研編
 
  京都府紀伊郡吉祥院村の奥村電機商会、社長奥村猛、労働者約840名。1919年(大正8年)に友愛会会員の大争議が勃発し、それ以来、会社は労働者の取締りを極度に厳重にし、労働組合に加入したとみられる労働者はたちまち解雇することで職場を強権的に支配してきた。しかし、最近労働者の中に日本労働総同盟京都連合会、電機工組合に加入する者が急増し、会社が密かに調べるとその数は840名中150名もいることが判明した。驚いた会社は1923年5月21日に中心人物4名の労働者に退職を迫ったが、ついには6月3日この4名の労働者をクビにしてきた。この夜、京都市内各所に「奥村商会の横暴について京都市民に訴える」(上の写真)の奥村電機における過酷なる職場実態を暴露するビラが一斉に撒かれた。

(大幅賃下げと大量解雇攻撃)
 1923年7月11日、朝刊紙上が一斉に奥村電機商会の賃金大幅切り下げを発表した。労働者は大いに驚き、しかも社内より先に新聞に発表するとは何事かと怒った。大量解雇を予想した労働者側は急いで解雇予告手当制定要求を提出した。会社は、この解雇手当制定要求に動いた中心的労働者36名を特定し、その中の27名に辞職を勧告した。この時会社は「解雇予告手当は日給2週間分、解雇手当(特別賞与)は5年以上勤続19圓など)、共済会から規定の選別金支給)を答えている。

(ストライキ)
 7月11日午後、社長が工場内を巡視中、直接社長に解雇手当の要求書を手渡そうとした労働者に社長は面と向かって「会社に不満な者は会社を辞めろ」と叱責した。ここにきてついに、840余名の工場労働者は一斉に立ち上がり各工場に走り、そこのスイッチを切った。全工場が止まった。サボタージュ闘争、ストライキが始まったのだ。

 総同盟京都聯合会は、奥村電機商会の工場を退場した840余名全労働者を同村岡甚演舞場に導き、ストライキを決議し、全労働者は以下の誓約書を提出した。
誓約書
 一、本争議に全員一致団結して最初の目的を貫徹する
 二、本争議においては京都聯合会、電機工組合の指揮を仰ぎ争議終了後も本組合に加入する義務を負う
 三、委員の許可なく、かってに会社に文書を提出したり、会社の文書に返答しないこと
 四、全員の操業・休業は委員の命による事
 五、争議負担は全員の負担なること

 各工場より10名づつ計84名の代表を選び、又争議資金として各自から日給一日分を集めた。

 12日、争議団は工場門において、スト破りを阻止するピケッティングを行った。会社は臨時休業を断行し、また構内の購買組合の売店も閉鎖し兵糧攻めをしてきた。労働者は工場門に押し寄せ喚声を挙げて示威運動をした。労働者代表6名は社長への面会を申し入れたが、会社は、外部団体とは絶対に会わない、在籍者3名に限り面会すると回答してきた。労働者は門前で「大正8年の争議では鈴木文治氏と面会したではないか」と抗議した。3名の労働者代表は以下の要求書を提出した。
 要求書
 一、現在の日給を下げないこと
 一、解雇手当の制定(勤続6ヶ月以上には日給60日分等)
 一、共済組合委員の改選を行い、労働者より選出すること

会社の文書
「不良分子の煽動により付和雷同せんとする者有り」として、なお次の解雇予定者22名を決定した。

(一労働者の母、賃下げで自殺)
 西山はる(66才)は7月12日午前1時頃奥村電機商会社宅にて自殺した。息子西山辰之助40才が賃下げされたことを妻女に話していることを病床で聞いた母は、現在の賃金でも家族7人の生活が厳しいのに、この上賃下げになれば生活がいよいよ窮迫する、家族が一人でも減れば皆の生活が楽になるだろうと考え、また会社への怒りの自殺だった。

(争議団は団葬を行った)
 7月13日、葬儀委員長を総同盟関西同盟会長奥村甚之助とする故西山はるの争議団団葬が社宅広場で行われた。労働者約1000名、家族約300名が参列した。外からは総同盟京都、機械工組合、京都電気工組合約150名、京都合同組合約30名、西陣織物労働組合約20名、京都煙草労働組合と染物組合約20名、全新聞配達人同盟約10名等々京都中から駆け付けた多くの仲間たちはみな仕事を休んできた。
 奥村甚之助葬儀委員長は、弔辞で諸君、西山はるさんは資本主義制度のためにあらゆる困難、あらゆる迫害をこうむったのであります。はるさんは階級意識に目覚めた婦人でありました。諸君ははるさんの死を意義あるようにしなければなりません。我々の目的を貫徹することがはるさんを慰める所以です。諸君我々はあくまでも頑迷な奥村商店と戦はなければなりません。」
 式が終わり、「西山はるの霊 奥村争議団」と大書した白布の弔旗と花一対の棺桶を先頭に、4列縦隊の隊伍1千余名が、労働歌を歌いつつ行進した。工場正門前で行進を止め読経のうえ、会社糾弾の激烈な演説を行い、市内の東山花火葬場に到着した。全新聞配達人同盟員が検束された。

 14日、急遽、府警察部長、特高課長が会社を視察し、会社に対し「購買部閉鎖に関し警告」を発した。会社は渋々購買部を開いたが、新たに「現金売買」という嫌がらせを行ったため、さらに騒ぎが発生した。

(1500名の大デモンストレーション)
 15日、奥村電機争議団と応援労組の総計1500名の大示威行進が行われた。夜は奥村電機商会糾弾演説会が開かれた。
 16日、争議団と応援部隊は、早朝より再び工場周辺でデモを敢行した。午後ついにデモ隊は警官隊と衝突し、官憲の暴力により労働者側に多くの怪我人が出た。また、その場で80名が検束されたが、その日の検束者は総数108名にも及んだ。この中には不当にも起訴され収監される労働者も出てきた。

(350名の争議団の女房連、社長宅へ乗り込む)
 16日午後350名の争議団の女房連は隊伍を組んで社長宅に押しかけた。社長夫人と面会し、購買組合の売店を従来通り「伝票制」で買えるように社長夫人が尽力せよと強く迫った。

(大阪自由法曹団)
 
17日、大阪自由法曹団が争議団に出向き、官憲の暴力で怪我を負った労働者から、官憲告訴に向けて調査を行った。
 18日、会社は「19日から操業する。出勤した者にだけ日給二日分を与える」と社員を使って盛んに宣伝した。
 19日、この日スト破りして出勤した者はわずかに3人しかいなかった。会社はやむなく休業を続けるよりほかなかった。争議団は、夜「官憲暴力糾弾演説会」を開催し、16日の官憲の暴力で怪我を負わされた労働者3名が警官200名を相手どり京都地方裁判所検事局に告訴したことを報告した。
 20日、総同盟の関西の各聯合会代表は、午前11時に大会を開催し、「一人の労働者の損害は、全労働者の損害であることを我らは自覚している。奥村電機商会争議は最も重大なる問題であるゆえに必勝を期し、決死的応援を宣言す」の決議をした。この夜、神戸の地で総同盟神戸聯合会主催による「奥村電機商会糾弾、官憲糾弾演説会」が開催された。
 22日、争議団、10数班に分かれ、京都市内中にビラ配りを行った。
 23日、争議団、桂川で水泳大会を催す。

(警察部長の調停と決裂)
 24日、争議団、亀山公園でデモンストレーション。中野府警察部長が調停に乗り出し、争議団の代表を呼び出す。
 25日、争議団代表、中野警察部長と面談。調停は不調となり部長は手を引く。
 26日以降、争議団は毎朝会社前で示威行動を行い、27日以降は「市中行商隊」を組織し、いよいよ持久戦の用意に入った。
 27日、市公会堂にて「報告・糾弾演説会」。右翼団体が調停に現れるが、会社の態度はかえって右翼団体を怒らせ彼らも調停から手を引いた。

(裏切り者集団の登場と100名の検束攻撃)
 8月5日、午前9時、警官隊が突如争議団本部を襲撃し、幹部10数名を工場内に拉致した。時を同じくして裏切った労働者集団が警官の庇護のもとで工場付近で集会を開き、「我らは中野警察部長を信じ、今回の争議の調停に関して、無条件で部長に一任する」という署名を約300名分集めたと報告した。午後2時中野警察部長は会社幹部と裏切り集団代表者6名と会見した。再び中野部長の調停が開始された。すぐに彼らとの間の調停は成立し、6日から350名が就労することになったと警察部は発表した。しかし、6日、スト破りをして工場に入ったのは、徒弟あがりの社員200名と現場労働者はわずか50余名でしかなかった。あわてた警察は反撃のため労働者大会の開催を準備していた争議団を襲撃し、幹部以下100余名を乱暴に検束した。争議団は幹部をほぼ全員を奪われてしまった。

(争議解決)
 7日、総同盟は総力で労働者大会の開催実現に動いた。会社に怒った右翼団体までも争議団に協力してきた。会社が「解雇手当は勤続6ヶ月未満の者に解雇予告手当も加えて日給30日分以上、また勤続年数に応じて加算する」と発表してきた。この声明を受けた労働者大会は「我々の要求が貫徹したも同然であるから、本日をもって争議を打ち切る」との決議を可決した。こうして28日間に及んだ激烈な争議は終わった。
 1923年8月9日、工場に800名一同出勤した。



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