るるの日記

なんでも書きます

生きるとは

2020-09-26 12:21:04 | 日記
古来の禅僧たちは、人生や宇宙を究め、人間のはかない命と無限の存在について知る努力をした

動くものと動かざるものが混入一体化し、生と死の恐れと、その生死が存在する矛盾が止揚されて

真理の喜びを知り、さらに喜びでも哀しみでもないそのままの姿(無心)浸ることまでその努力はすすんだ

生きることは現在の時間に十分力をそそいで悔いなく、充実感を感じることであり、目的に達しようとしまいと「人事を尽くして天命を待つ」という境地よりもさらに超脱して、一切の期待を持たない。あるがままを知る境地に至ることである

一方では喜怒哀楽を感じとる余裕もあり、伸縮自在であってもその要はしっかりと押さえているかんじ



1つ1つ丁寧に終わらせていくだけ

2020-09-26 09:46:27 | 日記
修行中は極度に緊張、修行が終われば気が緩み元に戻ってしまうというのでは何の効果もない。修行中も終わってからも常に変わりなく行動する精神(不動心)となるために常に努力し励むことが大切

日常の小さな行為もすべて修行で、真理に繋がることであると心得て身を処することこそ大切。行動に差別をつけてはならない

今しなければ、もう同じ機会はこない。諸行無常だから

ただ今日この時をいかに大切に生きるかということに常に心がけていればよい。一つ一つ丁寧に終わらせていけばよいだけ

悟りを生活に活かす

2020-09-26 09:23:28 | 日記
座禅によって反省、思惟、体調調節し、作務によって体験を積んでいった。この静と動の調和や調和を崩さないことが悟りに至る重要な点

真の目的は
座禅の心を日常生活に生かすこと
座禅により悟りに至ることができたら、それを生活に応用しなければならない

千万に一つの貴重な機会をもって得た体を、仏の智慧を用いて十分活用しよう!

作務

2020-09-26 09:08:27 | 日記
禅宗が重要視したのは、「坐禅による正しい思惟」「悟りに至ること」「日常生活の仕事(作務)」

与えられた量と供物で最大限のものを作る。ここから禅修行の心をつかむ。個人修行と寺院集団への利他的精神を一致させた典座職

少しの時間であっても仕事(作務)に熱中すること。それがどんな仕事であれ集中し、没頭し、行うところに重大な禅の道あり。それをたどってはじめて悟りに到達する

その悟りに至る手段、方法を悟りの道とよぶ。これは仏教の道理や経典の理解ということの他にもっと大切なことがある

道元がいっさいの雑念を排して坐禅に勤め励むことを第一としたように、禅の道は体験をもって知らなければならない

知識(理解)と体験(直観)がなければならない。どちらを主とするかは卵が先に生まれたか、鶏が先に生まれたかに似ていて、その立場・環境・時代などいろいろなことを考えてから自分で決定するのが一番よい

目ざすべきところは1つである