古来の禅僧たちは、人生や宇宙を究め、人間のはかない命と無限の存在について知る努力をした
動くものと動かざるものが混入一体化し、生と死の恐れと、その生死が存在する矛盾が止揚されて
真理の喜びを知り、さらに喜びでも哀しみでもないそのままの姿(無心)浸ることまでその努力はすすんだ
生きることは現在の時間に十分力をそそいで悔いなく、充実感を感じることであり、目的に達しようとしまいと「人事を尽くして天命を待つ」という境地よりもさらに超脱して、一切の期待を持たない。あるがままを知る境地に至ることである
一方では喜怒哀楽を感じとる余裕もあり、伸縮自在であってもその要はしっかりと押さえているかんじ