経典主義を振りかざして禅に対立したのは唐朝の天台関係の僧たちだ。経文の中には釈迦以来のたくさんの理法が説かれている。そうゆう経文を読まず仏教を知ろうとするのはどうゆうわけか?というのだ。天台教理からみれば禅の説く不立文字ぐらい不思議な仏説はない
こういう対立はその底にはインド的考えと、中国的考えの相違となる。
インドの禅は心を鎮め観想に至る身を処する形。頭の中で想像され一種の奇跡的なものをあらわす(神秘体験か)
中国禅はもっと現実的な禅。人々の生き方にはそれぞれの人の叡知が潜む。天地間の創造が人間の立場の中であらわれてくると同時に、天地自然現象と同じ世界の人間という立場。自分と自然の対立なくして、自己を自然の中に没入し、そのとき現実的・具体的に自由自在な自分ということを悟る
そうゆう立場から、経文を否定するのではなく、経文ばかり読んで経文に表れていることを概念化・固定化してしまうことの弊害をなくすための不立文字の主張だった
インドから達磨が中国に来て、その真髄を伝えて文字を書かないことを本心としてきた。しかしそれを伝えるとなると、はたしてそれがよいのだろうか?と中国僧は考えた
始めに文字を頼らずに、しかも文字を無視しないということを知る者は本当の意を知っている者である(機会に熟した者か)
代々祖師の意を伝えていったが、今になるとどうしても文字がないと難しい
釈迦が迦葉に伝えた「拈華微笑」の機縁より後、これをずっと伝えられているけれどそれは文字によって解っているのであって、もし文字がないとしたらどうして伝えることができるのであろうか
これが文字を捨てることができない理由である