るるの日記

なんでも書きます

動じることのない昭和天皇の皇后

2021-03-31 13:38:55 | 日記
戦時下。ついつい沈みがちな昭和天皇の気持ちをやわらげていたのは皇后である。皇后の微笑みは戦時下の宮廷を明るく照らしていたが、時としてあまりのおおらかさに側近たちが戸惑うこともあった

真夜中に空襲警報が発令され、B29が鳴り響いているというのに両陛下が一向に避難しないことが続き、大問題になる。侍従長が天皇にもっと急ぐようにお願いしたが、その後も一向に改まる気配がない

最長老の侍従、甘露寺受長に頼んで、再度きつく申し上げることにした

「お上、みなの心配をお考え頂かなければなりません。どうぞ急いで待避なさいますように。。。」甘露寺の直言に陛下は
「うん、実はね、良宮が待避の準備に手間取るものだから、、、」
なんと、天皇は皇后の着替えを待っていたのだ

空襲警報が発令されると、皇后は慌てふためくことなくいつも通りゆったりと服装を整える

ベッドの端にちょこんと座った天皇は、マイペース過ぎる皇后をたしなめるわけでもなく、支度ができあがるのを時っ待っていた

思いがけない告白に甘露寺は「はいそうですか」と引き下がるわけにもいかない。皇后にも釘をさす
「皇后さまもお急ぎいただかなければなりませぬ。もし警報が鳴った時、皇后さまが裸でいらっしゃいましたなら、そのままでもよろしいではございませんか!」

皇后さまは軽く「はい、仰せのとおりに致しましょう」と受け流された。何事も動じることなく、抜群な安定感を見せる皇后の側にいると、こわばりがちな天皇の表情は自然とほぐれてゆく

昭和天皇の1日・夜の診察

2021-03-31 13:07:11 | 日記
■午後10時「御格子(みこし)」の時刻である。天皇皇后は支度を整え、寝室へ向かう

その頃を見計らい、侍医はおやすみ前の拝診のために寝室のドアをノックする。お許しを得て侍医が部屋に入るとベッドの傍らに置かれた椅子に天皇がぽつんと座っている。このとき皇后は隣室で待っている

侍医は白衣をつけない。白衣は患者の持つ菌から医者を守るという意味があるので両陛下の前でつけるのは失礼にあたるからだ

まず天皇に体温計を4分ほど脇にはさんで測ってもらう。待っている間に脈をはかる

拝診の結果体調に変化がなければ、侍医は御前を退く。侍医と入れ替りに、白羽二重の寝間着を着た皇后が寝室へ入ると、寝室の電気が消される

御格子を伝える電話が関係部署を巡り、連絡を受け取った部署の職員は次々と仕事を終えて眠りにつく

■足の爪を切るのも侍医の仕事だ。手術に慣れた外科医が担当する。しかし手の爪はいつも皇后が切ってくれるので侍医にはさわらせなかったという。爪や髪は玉体の一部なので女官が集めて年月日を記して封をする

■このような毎晩の拝診の他に、天皇皇后とも週1回30分~1時間ほどかかる全身の検診を別々に受けていた。ちなみに皇后は毎日の拝診はない

■体重は月末に量った。体重計は分銅式で、全体に蒔絵が施された雅な秤で、その日の朝に寝室近くに置かれる。パジャマ姿のまま体重計にのり、着替えを済ませるとパジャマは侍医に手渡される。体重計の数値からパジャマの重さを引いたものが天皇の体重というわけだ

昭和天皇の1日・側近のお相伴

2021-03-31 12:31:29 | 日記
昭和天皇の夜のスケジュールとして定まっているのは、「側近お相伴」と「弟宮との映画鑑賞会」の2つだけである

●側近お相伴
天皇皇后と当直の側近のうち数名が会食するというもので、基本的には土曜日の午後6時から開催された。食堂が会場となり、侍従2名、侍従武官1名、女官2名、侍医1名が出席する

天皇の御前で頂くときには、手のひじを膝の上にのせて身をかがめる、という独特の作法を守らなければならない。途中で食べ物がつっかえそうではある

料理はいつもフランス料理だった。オードブル、スープ、魚、肉というコースで、天皇は飲めないがワインも供された
お相伴は話をしながらゆっくりと頂く

明治時代には、天皇皇后と側近とが会食する機会がなかった。陪食という制度はあったが、招かれるのは外交団、重臣、将軍など公的資格のある者ばかりで侍従や女官は対象外だった



天皇・皇后の晩酌🏠️😳🍶

2021-03-31 11:44:20 | 日記
午後6時過ぎ、天皇皇后が食堂の席につくと夕食が始まる
洋食の場合・魚または肉1品、野菜1品、果物
和食の場合・汁1品、魚または肉1品、野菜1品
天皇皇后が散歩中に摘み取った野草が厨房に届けられ、おひたしなどに調理され食卓に上がることもあった

明治天皇は酒豪で、毎晩日本酒、葡萄酒を嗜みシャンパンも好きだった。大正天皇は明治天皇ほどではなかったが、御祝御膳のときは日本酒を、普段の食事のときは葡萄酒やベルモットを少々嗜んだ

昭和天皇は全く酒が飲めない。宴会のときなどは湯冷ましを酒のように盃に注ぎ、招待した客に気を遣わせないような工夫をしていた。これに対して皇后は日本酒でも葡萄酒でもいけるくちなので、夕食のとき少々嗜むこともあった

食事を終えると天皇はうがいをする。ガラガラと廊下まで響き渡るうがいが聞こえると臣下たちは今日もあと少しだと時計を確かめた

天皇のトイレ事情

2021-03-31 11:26:57 | 日記
昭和天皇はトイレは一人で入っていたと考えられる。天皇は用を足した後、水を流さず、侍医は夜の拝診前後にトイレを拝見する。また週に一度はおじゃじゃ(尿)を採取して、精密な分析が行われた

明治天皇がトイレに向かう場合、御内儀では女官2人、御学問所では小姓役の少年がお供していた

便器は黒塗りの箱で、底にモミガラを敷き、その上に美濃紙を重ねて使用する。用を済ませた後、箱ごと取り出し侍医の検分を受け、道灌濠(どうかんほり)の所定の場所に捨てる

侍医によるチェックに、プライバシーの入りこむ余地はなかった