るるの日記

なんでも書きます

昭和天皇の1日・お風呂😌♨️

2021-03-31 11:11:25 | 日記
昭和天皇は御風呂は一人で御入りになる。御風呂の後を拝見すると「狼藉の限りをつくしている状態(散らかり放題)」だったそうな

なぜなら

明治天皇が御風呂に入るときは3人の女官がお供して、「清」である上半身は上役の女官が、「次(不浄)」である下半身は下級の女官が洗っていた

なみなみ張った湯に肩まで浸かってしまうと、下半身の触れた湯により上半身が穢れてしまうので、半身浴の形式で入浴し、後ろの女官が手で新たな湯を背中に静静とかけていた

御風呂からあがるとき、専用の浴衣で水分を拭きとっていた

明治天皇の場合は3人の女官が至れり尽くせりで世話をやいてくれたが、昭和天皇はたった一人。狼藉の限りを尽くしたと表現された御風呂の状況は、このルールを一人で守った結果かもしれない

明治天皇は規則ばかりの入浴法のせいか御風呂が嫌いだった。昭和天皇もからすの行水だったそうな

昭和天皇の1日・吹上御苑内でお散歩・図鑑とルーペが必需品

2021-03-31 10:38:26 | 日記
仕事に一区切りついたら、お散歩の時間である。皇后と共に1時間ほど吹上御苑をお散歩するのが日課になっていた。天皇が最も心待ちにしているのがこの時間だ

天皇はくたびれた背広に着替えて、古びた靴をはく。皇后も古い洋服を仕立て直したモンペなどの気軽な服装。天皇皇后の後ろには侍従や女官が邪魔にならぬようそっと付き従う

お散歩は植物観察が主眼なので、植物図鑑とルーペが必需品である。いくらも歩かないうちに天皇はしゃがみこみ、見知らぬ草花を熱心にルーペで眺め、図鑑を開いて名前や特徴を調べだす。すぐに学名がわからない時には、何ヵ月もかけて成長過程を観察する

吹上御苑は6代将軍徳川家宣の時代に整備された天下の名苑である。苑内には四季折々の花が咲き乱れ、野鳥が飛び交い、大池は青い空を映して豊に輝く。200年以上にわたり日本の園芸技術の粋を集めた名苑を、武蔵野の自然園へと変える計画は宮内省の一部から反対があがったものの、最終的には天皇の思いが叶う

芝は伸び放題に伸び、そこかしこでクローバーが根を張り、タンポポやスミレなどの花々が咲く。思うままに伸びゆく植物の中を歩くことで波打つ心は穏やかに整えられた

その後、喜多見御料地、白金御料地などからリュックを背負った侍従たちが少しずつ野草を採取して、天皇と相談のうえ、吹上御苑のふさわしい場所へと植え替えた

皇子、皇女の疎開先や東大の日光植物園や小石川植物園などからも、種子が届けられた。このような場合、天皇は必ず同種の植物が他にたくさん自生していることを確認する。貴重な植物をやたらと有り難がるわけではなかった

各所から届けられた種を天皇は芝生の上に適当にパラパラと撒く。野草は自然な生えるものだから、なるべく自然に近いやり方の方がよい、という考えに基づくものである

当初はうまく根付かないこともあったが、専門家の助言を仰ぎながら、吹上の高地には高山植物を、平地にはその他の植物を植えていった

昭和天皇の1日・天皇の仕事

2021-03-31 09:44:45 | 日記
拝謁がない場合、天皇の主な仕事は捺印や署名である。毎夕、上奏箱に入った書類が内閣から届けられる

上奏箱は漆塗りで、蓋の上に金箔押の菊の御紋と内閣という文字が彫られ、大中小の3種類があった。箱に鍵がかけられた状態で届けられる

箱を受け取った侍従が革の小箱に入っている合鍵で箱を開け、見やすいように中から書類を取り出して並べておく。同じように陸海軍からも書類が届けられ、こちらは侍従武官がお世話をする。書類は時には積み上げると1メートル近くになることもあった

書類を読み終わると、見たという意味で「可」「認」「聞」という字が彫ってある象牙の印を場合に応じて押す。時には納得がいかず、印鑑を持ったまま考えこんでしまうこともあった。そうした時は、すぐに担当の者が呼ばれ説明を求められることになる
この他、詔勅関係の書類や、勲記に署名することも大事な仕事であった

署名の墨は書道の心得のあった内大臣秘書官の工藤壮平の肝いりで作られた特別製で、侍従が墨をする。筆は平安堂の細筆。たっぷり墨を含ませて、一筆一筆丁寧に筆を進めた

昭和天皇の1日・昼食

2021-03-31 09:21:32 | 日記
正午、天皇は侍従や内舎人を従えてえて宮内省庁舎を後にする。朝方とは別の顔を見せる植物の様子を観察しながら御文庫へと戻る

食堂の席についた天皇は、卓上の小さな花瓶に活けられた可憐な花々に目を留める。皇后が天皇の心をなごませるために皇居内で摘んだものだ。皇后は天皇の植物研究の優秀な助手であったから、手折ってよいものだけをごくわずか選んでいた。天皇はその美しさを褒め、しばし見入った

昼食・夕食共にメニューは簡素である。
洋食の場合、魚または肉1品・野菜1品・果物
和食の場合、魚または肉1品、野菜1品、汁1品という具合だ

皿の上に盛り付けられている品は全て食べる、というのが【天皇の食卓の鉄則】である。柏餅を葉っぱに包んで出したところ、返ってきた皿の上には柏の葉の葉脈だけが綺麗に残されていた、という珍事件が起きたことがある。臣下から天皇家の方々に直接話しかけることはできない習わしなので、お側の者はじっと見守るしかない

食事の給仕は基本的には女官が勤める。だが皇后が病気などで別に食事をとる場合は、給仕役は侍従や内舎人へとかわる

常に女官が天皇の身の回りのお世話をしていた時代の宮廷と異なり、昭和の宮廷には、天皇のお側に男性職員、皇后のお側に女性職員が仕えるとの基本ルールが存在していた

帝と女官のはかない恋は遠い昔の話になった

昭和天皇の1日・通勤しながら植物観察

2021-03-31 08:50:43 | 日記
午前九時前後、軍服・軍帽を身につけた天皇は御政務室のある宮内省第二期庁舎へ向かう。皇后は特に用がなければ女官を従えてお見送りする

急ぎの用事があるときは車で(5分)。普段は徒歩で通う(10分)。天皇の後ろには侍従や内舎人などが従っている。従者の手には万が一に備えて天皇用の鉄兜やガスマスクがしっかりと握られていた

このわずかな通勤時間を天皇は楽しみにしていた。幼い頃から生物に興味を持っていた天皇は皇居に生物学研究所を構え、公務の合間の時間を研究にあてていたが、政治や軍事よりも研究活動を好んでいるのではないかと疑念を抱かれ、軍人の中にはこころよく思わない者も少なくなかった。そのような周囲の空気を察して、昭和19年11月4日を最後に生物学研究所には足を運んでいない

そんな時、天皇の心を捉えたのは庭の植物だった。武蔵野の植物生態に興味を持った天皇は吹上の庭を歩きまわり、熱心に植物を観察した。朝食前に起き出して水をやったり、ベランダの植物も、この研究の延長線上にあるものだ

天皇にとっては通勤の往復も貴重な観察タイムゆえに、そこかしこに目を配りながら歩く。その後ろから従者は大切な大切な植物を踏まないように気をつけながら付き従う。不自然なまでにうつむいた一行はそろりそろりと足を運ぶ