仕事に一区切りついたら、お散歩の時間である。皇后と共に1時間ほど吹上御苑をお散歩するのが日課になっていた。天皇が最も心待ちにしているのがこの時間だ
天皇はくたびれた背広に着替えて、古びた靴をはく。皇后も古い洋服を仕立て直したモンペなどの気軽な服装。天皇皇后の後ろには侍従や女官が邪魔にならぬようそっと付き従う
お散歩は植物観察が主眼なので、植物図鑑とルーペが必需品である。いくらも歩かないうちに天皇はしゃがみこみ、見知らぬ草花を熱心にルーペで眺め、図鑑を開いて名前や特徴を調べだす。すぐに学名がわからない時には、何ヵ月もかけて成長過程を観察する
吹上御苑は6代将軍徳川家宣の時代に整備された天下の名苑である。苑内には四季折々の花が咲き乱れ、野鳥が飛び交い、大池は青い空を映して豊に輝く。200年以上にわたり日本の園芸技術の粋を集めた名苑を、武蔵野の自然園へと変える計画は宮内省の一部から反対があがったものの、最終的には天皇の思いが叶う
芝は伸び放題に伸び、そこかしこでクローバーが根を張り、タンポポやスミレなどの花々が咲く。思うままに伸びゆく植物の中を歩くことで波打つ心は穏やかに整えられた
その後、喜多見御料地、白金御料地などからリュックを背負った侍従たちが少しずつ野草を採取して、天皇と相談のうえ、吹上御苑のふさわしい場所へと植え替えた
皇子、皇女の疎開先や東大の日光植物園や小石川植物園などからも、種子が届けられた。このような場合、天皇は必ず同種の植物が他にたくさん自生していることを確認する。貴重な植物をやたらと有り難がるわけではなかった
各所から届けられた種を天皇は芝生の上に適当にパラパラと撒く。野草は自然な生えるものだから、なるべく自然に近いやり方の方がよい、という考えに基づくものである
当初はうまく根付かないこともあったが、専門家の助言を仰ぎながら、吹上の高地には高山植物を、平地にはその他の植物を植えていった