るるの日記

なんでも書きます

日本風俗史 「料理」

2022-09-19 06:59:37 | 日記
■料理
料→はかる
理→おさめる
物事をはかり、おさめ、適当に処置することを指す
中世にいたって食物を処置することを料理すると言うようになった

煮炊きする前に食物の形を庖丁で整えておく必要があるので、料理は「庖丁する」ともいう
味付けをするときは「塩梅する」と言い、合わせて調理・割烹などと言う

中華料理は塩梅を重視する
味は淡白を尊ぶ日本料理は、割・庖丁に主力をおき、料理人は庖丁人と呼ばれる
果実は皮をむくだけで食べよくなるし、生魚は刺身に切り揃えると美味しさ倍増

■日本最初の庖丁人
景行天皇53年
天皇が淡の水門(あわのみなと・千葉県千倉町)に行幸の折、大きな白蛤を見つけた。これを磐鹿六鴈(イワカムツカリ)が鱠(なます)に切って献上した。磐鹿六鴈は膳部(かしわべ)の役を賜った。これが日本最初の庖丁人
磐鹿六鴈の子孫は、文武天皇に高橋氏を賜り、明治に至るまで宮中で大膳職に奉仕する
料理自体はそれまでも毎日行われてきたし、庶民とて料理なしではすまされなかったはずである。ただ、この説話の重要な意味は、日本の料理人の最初が男性であったこと。最初の料理が海産物であったこと。の二点である

世界的にみて、料理は男性の業とされていることが多い。女性は月経・妊娠など生理的に変化することで、コンスタントな調味に向いていないからだ。女性に料理が押しつけられたのは武家時代、とくに江戸期後期である

料理は、まず割に始まる
刺し身などただ切ったものであるが、それだけでは味気ないので、醤油、塩など調味料を添える。調味料として酢が添えられれば刺し身は「なます」という

鳥・獣・魚の肉は、放置すれば容易に腐敗する。それを防ぐためには速やかに乾燥する。乾燥は保存のための食品加工である
保存のために塩漬けもある。
さらに塩漬けを、細胞の持つ酵素によって自家消化を行わせると塩辛ができる。
植物性食品についても原則はまったく同じである。

生野菜を塩、その他の調味料で食べるものにサラダがある
塩を効かせて貯蔵する漬物
原始的な漬物は、塩を必要とせず、水と一緒に漬け、酸っぱくなるのを待って食べた。阿茶羅漬のように始めから酢を加えるものもある

■火食
料理の本体をなす火食のはじまりは、直火で焼くことである。材料は串にさす。
石を焼いて、焼いた石で獣をつつむようにして焼く。これは落ち葉焚きのときにできた燠に芋を放り込んで焼くのと同じ原理。
太古には穀物を土中に埋め、その上で火をたいて焼き米、焼き麦にした。
室町時代には狸に粘土を塗りつけて、蒸し焼きにした。

★味付けによる焼き方分類
素焼
塩焼
付け焼
味噌焼
照焼

★オーブン効果
オーブン→材料の上下から焼く
炮烙焼(ほうろくやき)
素焼きの平たい丸ざらに、塩を焼き、松葉などをその上に並べ、材料をのせ、蓋をして焼く
器が浅いからオーブンで焼くようなかんじになる

★貝殻
貝殻に、貝の身をさいの目切りに、椎茸やその他を入れて焼く貝殻焼きではサザエのつぼ焼きがある

貝殻を鍋がわりに用いる貝焼は、ホタテ貝が愛用される

★蒲焼き
身の長い魚の照焼
昔は身を開かず、串刺しにして焼いた。それが蒲の穂に似ていたので蒲焼きと呼ぶ

■煮る
水だけで煮る、水煮
水煮した野菜をお浸しと言い、醤油などにつけて食べる

水だけで炊く、水炊き
薄塩味で煮る鍋料理
ポン酢、醤油などにつけて食べる

調味料を入れて煮込む
塩煮
味噌煮
酢煮

材料によって
若竹煮
あら煮
渋皮煮
小倉煮

地方によって
江戸煮
関東煮
筑前煮
佃煮

土佐煮は土佐のものではなく、かつお節が入ったもの
南蛮煮は唐辛子を入れるのを原則とする

その他
青煮
うま煮
甘露煮
角煮

すっぽん煮は、魚を酒などを用いて濃厚に調味した汁で煮詰めたもので、すっぽんは入っていない

■汁物
煮物の汁の多いもの
潮汁→塩だけで調味
普通は
出汁や味付けが難しく、汁で料理人の腕が知れる

■蒸物

日本料理では油物を好まない
それでも
天ぷらは美味しい

日本風俗史 料理の流派

2022-09-18 16:04:54 | 日記
料理の流派が確立したのは、足利政権の東山時代の頃。

光孝天皇は884年に即位、887年に58歳で崩御。在位は短いが、即位前から料理に興味を持ち、自ら庖丁をとって、薪を炊いて煮炊きを試み、煙のために家が黒くなったので、「黒戸の宮」の異名があった。

この天皇に仕えていた四条中納言藤原政朝山蔭も、天皇の趣味と同じく料理道に入り、秀でた腕前をもっていた。
今に伝わる四条流の原型は、この人の創始である。しかし当時四条流の名はなかった。
料理が著しく躍進したのは、室町時代の東山時代の頃である。

流儀名としては、京都足利将軍の料理人・大草三郎右衛門公次を祖とする【大草流】の方が早い。
【進士流】、【生間流】も武家料理を扱う流派だ。

四条流は、公家の料理であり、庶民の料理でもあったが、12世紀初めに武家料理に入ることになった。
それが【四条園流】である。
その創設者は、園別当入道基氏という優れた庖丁技術者である。

江戸時代初期に、園部新兵衛によって、四条園部派が生まれ、江戸将軍家の料理を担当してきたが、明治維新に際して、当時の京都四条流と合流し、江戸派がリーダーシップをとった。

当時、四条園部派の7代目石井治兵衛が事実上の四条流継承者となり、以後、宮中式臣民式料理家元の名で、8代石井治兵衛、9代石井秦次郎に及び、10代石井御水子(秦次郎長女)、11代秦次郎妻さき、12代門人山下茂となっている。

大草流は、熊本県人宇佐美一舟により復興され、生間流は、京都の料亭方亀楼にその系統が伝えられている。

日本風俗史 「笑い」人間以外の動物は笑わない

2022-09-18 15:16:28 | 日記
笑い
快感や喜びを表す表情
人間以外の動物は笑わない
古事記には、天照大神が天岩戸に隠れたとき、アメノウズメノミコトが岩戸の前で舞い、「八百万の神、共に笑いき」と記される
神前で人々がともに笑うということが、神意を慰め、また怒りを鎮める

山村では、山の神がオコゼという海魚を好み、オコゼを見ると笑う

笑うという感情は優越感を伴うことであるが、逆に笑われるということは屈辱感を味わうことである
「来年のことを言うと、鬼が笑う」

愚か者、そこつ者などを題材にした笑い話も古くから喜ばれ、民話の中にも多い

人を笑わせることが職業化して、狂言が生まれ、お伽衆や咄家が生まれた

日本風俗史 「祈祷師」

2022-09-18 12:28:00 | 日記
祈祷師
祈祷を、特技や職業とする人

巫女は神に仕え、神との媒介や祈祷、神楽などを行い、祈祷師の源流の1つ

仏教経典には「偈」や「呪」があり、古代から祈祷に採用されたが、養老の「僧尼令」では僧や尼は、病の治癒以外に、祈祷に偈や呪を用いることを禁止された

平安宮廷では、国政・個人ともその欲求充足には、祈祷が万能とし、真言を擁して正式な祈祷の座を設けた

祈祷は陰陽道と関連しながら民衆に浸透していった。修験者はもっとも祈祷・護摩・護符を尊重した。これは江戸時代には高次宗教から離れ、祈祷だけで、得福、息災、治病を媒介した
庶民の要望によって、巫女、神人、祈祷僧、修験者、行者、山伏などから職能的祈祷師を発生させた

祈祷師は立場の高低をとわず、神聖観念を背景にして、現世利益のみを追求する民間信仰としてはたらいた




日本風俗史 「加持祈祷」

2022-09-18 10:41:52 | 日記
■加持祈祷
加持→相応し関り合う

※仏・菩薩が不可思議な力で、衆生を護る
※密教では、
仏の大悲大智が、衆生の機に応ずる→加
衆生がこの仏力を受持する→持
印契を結び
真言を唱え
心をこめて仏に加護を求める(祈祷)ならば、仏と衆生の三密は相応し、種々の妙果を得る

■修法は四種
★息災
★増益
★敬愛
★降伏(調伏)

■加持祈祷は、道鏡が宿曜秘法で、孝謙天皇の病を治したなどの伝承をみれば、奈良時代に発生している
空海の真言密教確立を契機として、大いに発達した

空海は「経典購読を主とする従来の護国法会は、病原を論ずるだけで効験を期しがたいが、密教の陀羅尼の秘法は、薬を調合し食し病を除くようなものである」と主張した
この説明は、密教修法の内要を直に示すものとして貴族たちに歓迎され、以後貴族仏教は真言宗、天台宗をとわず、現世利益を求める加持祈祷が中心となる

平安時代の加持祈祷は、天皇の玉体安穏、反乱鎮圧、祈雨など、国家的祈祷から、安産、除病、延命など貴族個人の祈祷まで多様であるが、玉体安穏、鎮護国家を祈念する国家的修法がまず発達し、年中行事化した

古代貴族仏教を批判する鎌倉新仏教諸派は、加持祈祷に対して批判的であったが、教線を拡大してゆく過程で、日蓮宗をはじめ加持祈祷的色彩を深めていった

近世以後の民間加持祈祷にもっとも影響を与えたのは修験道である。修験道では呪術宗教的儀礼が中核をなしているが、江戸時代になると、修験者は村や町に定住し、占いや加持祈祷を行った

現代においても、社会不安の下で、呪術宗教への民衆の期待は衰えず、加持祈祷は盛んに行われている