遠くまで・・・    松山愼介のブログ   

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読書会に参加しているので、読んだ本の事を書いていきたいと思います。

城山三郎『辛酸』を読んで

2024-09-29 23:05:20 | 読んだ本
                    城山三郎『辛酸』         松山愼介

 田中正造については、教科書的な知識を持ってはいたが、詳しいことは知らなかった。天皇に直訴する時に、躓いて近くまで行けなかったこと、またそのために警備の騎馬警官が方向を変えようとして落馬したことも初めて知った。
 この本に関連して、以前から気になっていた立松和平『毒 風聞田中正造』も読んだ。立松和平の曽祖父は「兵庫県の生野銀山から足尾銅山に渡り坑夫として移住し、足尾の鉱山開発の先頭にたっていた」(『毒』「後記」)という。母方の祖父も一時、足尾銅山の飯場を経営していた。足尾には叔父がいたので、立松は子どもの頃から鉱山の風景に馴染んでいたという。二十四歳の時に、足尾銅山の閉山や、最後まで谷中村に残留しやむなく北海道のサロマに開拓移民していた人たちの子孫の帰郷運動などがあり、立松は「谷中村強制破壊を考える会」を作ることになる。『鉱毒悲歌』というドキュメンタリー映画にもかかわり、その過程で嶋田宗三郎翁に出会い、『田中正造翁余録』も知ることになり、『毒』の執筆資料としても使っている。現在(一九九七年)でもほぼ東京山手線の内側ほどの谷中村跡地が渡良瀬遊水池と呼ばれ荒涼たる原野になって広がっているということだ。
この谷中村の闘いで最後まで残ったのは、堤内十六戸、百十六名ということだ。これだけ悲惨な状況のなかで、これだけの人数が残ったのは田中正造と嶋田宗三郎の力によるのだろう。
 私はこの本を読んで、成田空港建設のための立ち退きに反対した三里塚闘争をおもわざるを得なかった。私が参加したのは、わりと初期で一回だけである。さんざん機動隊に殴られて泥まみれになり、その夜は三里塚の農家に泊めてもらって、食事と名産の落花生をご馳走になった。
 映画『三里塚のイカロス』(代島治彦監督 二〇一七年)によれば、撮影時点で立ち退きに応ぜず農業を続けている人達もいた。女性活動家で青年行動隊員と結婚した人もいるし、十年以上にわたって三里塚の団結小屋に住み続けた活動家も多くいたようだ。田中正造はもちろんだが、これらの活動家にも頭が下がる思いである。
 三里塚闘争は一九六六年ごろから始まった。ベトナム戦争の真っ最中だった。そのため私の所属していたセクトでは、三里塚闘争の位置づけは、空港はいつでも軍事転用できるのだからということで「三里塚軍事空港建設反対」だった。私はこれは安易な位置づけだと思ったが他にいい考えも思いうかばなかった。整然としたデモしかしない党は、実力闘争が不可避だとわかると姿を消した。小ブルジョワの財産(土地)を守る闘いには参加しないと明言する「新左翼」党派もいた。後に知ったのだが、国家権力の横暴に反対する農民の意気に感じて共に闘うという党派の考えに共感した。
 三里塚でも、谷中村でも国家が良い代替地を用意するから立ち退きに応じるように説得にくるのだが、結局、ろくな土地は用意されなかったようだ。足尾銅山の鉱毒は現在でも残っているようである。NHKの朝ドラ『虎と翼』によると、公害裁判は被害者が因果関係を立証しなければならないそうだ。水俣病もチッソの水銀垂れ流しが原因だと確定するのに随分時間がかかっている。寝る場所も食べるものも保証されない中で反対運動を死ぬまで続けたことは誰にもできることではない。

                      2024年9月14日

丸谷才一『笹まくら』を読んで

2024-09-29 23:01:29 | 読んだ本
         丸谷才一『笹まくら』                     松山愼介
 この作品は徴兵忌避がテーマである。徴兵忌避をテーマにするならば、それにどのくらいリアリティーがあるかが問題である。私はあまりリアリティーを感じなかった。記憶が曖昧だが随分と昔、山口百恵と三浦友和の映画で、徴兵忌避をするために足を切断するという場面があった。そういうことなら、ありうる話だと思った。ただ、徴兵忌避をして、山の中で隠れて暮らすというのなら小説にならないが。
 杉浦健次のように、地方都市で時計やラジオの修理、さらに砂絵屋で身分を隠しながら生活していけるかどうか疑問である。戦前は米穀通帳の管理なども厳しかったと聞いている。配給ももらえたのだろうか。隣組もあったし、いくら砂絵屋が香具師とはいえ少し設定に無理があるように感じた。ただ、炭鉱の口入屋、下関の刑事との対話は迫力があったが、刑事が監視しているのがわかっているのに、そんな場所を通ろうとするだろうか。
 ストーリーも、逃げる途中で隠岐の島で、宇和島の質屋の娘、阿貴子と知り合って、一緒に暮らすようになるというのも、話がうますぎる。「ケンちゃん」と呼んでも振り向かなかったというセリフにはリアリティーがあった。その阿貴子も死んでしまうのだが。
 陽子との結婚生活も、出来過ぎの設定だと思ったが、陽子が警察に捕まることによって破綻寸前になる。「手癖の悪い娘と徴兵忌避者とを夫婦にしよう」ということだったらしいと、浜田は気づく。
 徴兵忌避の逃亡生活と、二十年後の私立大学職員としての生活が混ざって話はすすんでいく。三章の終わりが、五章に続くのは面白いが、いまいち意味がわからない。
 作品のなかに面白い言葉があった。「頼信紙」、「羅宇屋」など。「まだ埋めていない防空壕」、防空壕を作る(掘る)話はよくあったが、埋めるという話は初めてだった。木炭バスなども出てくるが、このエンジンの仕組みを知りたいものだ。
 堺の「結局、国家というものがあるから、いけないんだな」とか、浜田の「おれは二十年前この国全部を相手にして逃げまわった徴兵忌避者じゃないか」という、現在時における、作者の戦争観、国家観を読むべきなのかも知れない。ただ、作者は浜田の徴兵忌避を、誇るべきものとしてではなく、引け目を感じるものとして、えがいているのは気になった。戦死者や、傷病者に対する気持ちはわかるのだが。
 パリオリンピックの最中で、開会式のコンシェルジュリーでのマリーアントワネットの生首には驚いた。フランスといえば、フランス革命の革命的伝統と言われるが、最近見たNHKの『ザ・プロファイラー 言行不一致ナポレオン』では、フランス人(?)のコメンテーターが、「フランス革命は暗黒時代だった」と言い切った。また、この番組によれば自分も、ギロチンにかけられるのだが、ジャコバン派のロベスピエールは、五十万人を逮捕し一万二千人を処刑したという。ナポレオンもよく考えれば、戦争ばかりして皇帝の座を追われた男である。
 日本の戦争について少し思うところがある。最初は明治維新だろうが、いつの間にか軍部というものが力をつけてきて、国民を戦争へと追いやる体制を造ったのは、逆に見事であると言えなくもない。天皇機関説事件をきっかけに、統帥権を拡大解釈して、軍部(陸軍)独裁体制を確立していく。天皇の神格化、国民総動員という戦争体制を造り、抵抗するものは容赦なく獄に放り込んだ。確かに一般の国民はその流れに抵抗できなかった。徴兵忌避はこの軍部独裁に対する、消極的ではあるが、立派な抵抗運動である。しかし、作者の、浜田庄吉の造形を読んでいると、現在時において、抵抗運動とは考えず、何か後ろめたい行動であったように捉えているようなのは残念である。
 履歴書に兵役、徴兵忌避と書くのだが、この時代、そういうことを書いたのかどうか疑問に残った。ともあれ、徴兵忌避を題材にここまで話を展開した筆力は評価せざるを得ない。

 作中に徴兵検査の結果として、第三乙とか甲種合格という言葉が出てくるが、中野重治の『甲乙丙丁』という題名はここからきているのかも知れない。高等学校などの成績表にも使われていたが。
                             2024年8月10日

森村誠一『新版 悪魔の飽食』を読んで

2024-09-29 22:50:23 | 読んだ本
          森村誠一『新版 悪魔の飽食』          松山愼介
『悪魔の飽食』は出版された時に読んでいる。それなりに衝撃的な内容だった。しばらくして、続編が出版され、そこに載った写真が七三一部隊と関係ない写真であると報道されたので、その時は続編以降を読んでいない。
 第一部は、満洲・平房での、七三一部隊の実態、人体実験の内容が、第二部(続編)は戦後における七三一部隊の動向、同時期にアメリカで七三一部隊の資料を発見したジョン・パウエルについて、第三部は森村と、秘書役の下里正樹による、中国・平房での現地調査のルポとなっている。第二部での写真誤用問題で、光文社がこの本の出版から手を引き、森村誠一の『人間の証明』や『野生の証明』を出版していた角川書店が後を引き継いだ。
 森村はこれ以後も『〈悪魔の飽食〉ノート』、『ノーモア〈悪魔の飽食〉』を晩聲社から出版している。『悪魔の飽食』がなぜ書かれたのか、なぜ写真誤用問題が起こったのかとか、森村と下里正樹の関係などや、『悪魔の飽食』の反響と、森村に対するインタビュー、井上ひさしらとの対談も含まれている。
『悪魔の飽食』のような内容をノンフィクションとして出版する場合は、書き手に慎重な姿勢が要求される。内容は、元七三一部隊の隊員からの聞き取りが主になっている。取材した人間はその人物の話し方や態度から、発言内容の真偽はある程度判別できると思われるが、読者は書かれた文章がすべてである。今回、読み直してみて少し森村の行き過ぎを感じた。七三一部隊の人体実験の内容や、そこでおこなわれた残虐行為を知らしめたいという熱意は伝わってくるが、森村の推測も混じっている。どこまでが聞き取りによる事実で、どこからが森村の推測かを明確にした書き方をしていない。
 第二部では細菌兵器について書かれている。朝鮮戦争でアメリカが細菌兵器を中国軍に対して使用したとする中国の抗議声明に触れている。ここでこの細菌兵器は、アメリカが七三一部隊の資料に基づいて造ったのではないかとしている。日本軍の風船爆弾についても書かれている。風船爆弾は耳にしていたが、アメリカ本土についたものもあり、その中身は細菌兵器だったとしているが、いずれも森村の推測である。
 森村の秘書とされる下里正樹は、「赤旗」の記者で松本清張も担当していた。この『悪魔の飽食』でも、渡米してジョン・パウエルを通じてのアメリカでの七三一部隊に関する資料の調査や、誤用された写真の受け取りにAさん宅に出向いている。一部では、『悪魔の飽食』は森村と下里の共著ではないかといわれているが、森村は、これを明確に否定し、下里は協力者ではあるが共著者ではなく、作者は森村であるとしている。
 森村のエッセイを読んでいると、『悪魔の飽食』を書いたのは、二度と戦争をおこしてはならない、現行憲法第九条の擁護という考えからのようである。この時期、中野孝次らによる「反核署名運動」が行われていた。その影響も受けていたようである。この中野孝次の「反核運動」に対しては、吉本隆明が『反核異論』を書いている。
 下里正樹は、「赤旗」に特高警察について執筆し、戦前の共産党幹部・市川正一が、特高に屈服し供述に応じたというところで、共産党からストップがかり、長期間、査問されたうえ除名されている。森村も下里の共産党除名に抗議し、共産党と絶縁した。一九九四年のことである。
『悪魔の飽食』という題名は、七三一部隊の人体実験に参加した隊員や、科学者・研究者が悪魔で、人体実験のことを「飽食」といっているのだと思うが、七三一部隊では、内地では考えられないようなビフテキ等のごちそうが振るまわれたという個所もあるので、単に七三一部隊では豪華な食事をしていたというように誤解される恐れもあるように思う。

 帝銀事件は七三一部隊の人間が関与している疑いが濃いが、『暗殺』で話題になっている柴田哲孝によると、下山事件も七三一の部隊の人間が関与しているらしい。真偽は不明だが、下山国鉄総裁は血を抜かれて殺されたともいわれている。七三一部隊でも、どれだけ血を抜けば人間が死ぬのかを実験していたという。

                2024年7月13日

竹西寛子『蘭 竹西寛子自選短篇集』を読んで

2024-09-29 22:46:24 | 読んだ本
           竹西寛子『蘭 竹西寛子自選短篇集』       松山愼介
『蘭』(2005 集英社文庫)と『兵隊宿』(1991 講談社文芸文庫)の2冊を読んだ。両者に共通していたのは、『蘭』『虚無僧』『兵隊宿』であった。講談社文芸文庫の方は、主人公はほぼ「ひさし」少年で、『蘭』の方は少女が主人公の短篇もあった。「虚無僧」という言葉は、今では死語になっているのだろうか。でも、確かに、子どもの頃尺八を吹きながら門付け(?)をしている虚無僧を何度も見たことがある。門付けで生活できていたのだろうか? そういえば、子どもの頃、クズ屋さんも各戸を回ってビール瓶などを回収していた。今から考えると、あれで生活できていたのか不思議だ。NHKの朝ドラに傷痍軍人が出ていたが、これも私が小学校低学年だった昭和30年代前半に大阪駅の地下で何度も見たことがある。ニセモノという噂もあったが。
「日中戦争も勝ち戦の頃でした」という『鶴』と、「乗船待ちの出征軍人の宿を割り当てられた」ひさし少年の一家をえがいた『兵隊宿』の2篇が戦争の時代だとわかる作品である。『鶴』には広島という都市の名前も出てくる。一方、文芸文庫版の方には、「陸の港から舟でほぼ十五分」かかる島へ上陸用舟艇で運ばれ、土掘り、土運びのために勤労動員された、ひさし達、中学生の様子がえがかれた『猫車』が収録されている。「猫車」は荷物運び用の一輪車のことだ。
 竹西寛子は、被爆体験前の広島を書くにあったって、文芸文庫に、少年を主人公にしたことについて、「少年でなければ見えない少年の世界もあるが、大人だから見える少年の世界もある」と書いている。さらに、腰も目の位置も低して平明に書くことをこころがけたという。戦争中もいろいろあっただろうが、この短篇集はそれらをじっくり読ませる。
 日本の戦争は昭和6年の満洲事変から始まったといっていい。その過程で左翼運動は治安維持法、特高警察によって昭和10年頃までに壊滅させられた。その間に、庶民を戦争に取り込んでいく過程が進んでいく。『兵隊宿』にえがかれた、民家に軍人を泊めるというのも、その一環だろうか。考えてみれば、戦争を遂行するために国家、軍部が国民を動員していった過程は驚くべきものがある。推測でしかないが、日本が百万人単位で軍隊を海外に展開したということは驚くべきことだ。工場では、まともな工員はいなくなり、農家では働きざかりの農民も徴兵された。このため、代わりに女性、年寄、中学生、学生が動員される。ベテランの工員がいなくなった工場では、部品が足りないこともあったが、まともな製品が造れなかったという。農業生産も落ちこんだと思われる。
 原爆を待つまでもなく、家庭から金属供出なんてことをやりだした時点で敗戦は見えている。被爆体験も様々だ。竹西寛子は、その日、体調が悪く勤労動員に出なかったため、爆心地から2、5キロ離れた自宅で被爆し、勤労動員に出た同級生の多くが被爆死している。竹西寛子も長生きしているが、その間に体調不良があったに違いない。被爆もそれぞれである。『はだしのゲン』の中沢啓治はコンクリート壁の影にいて被爆したので、程度は軽かったという。東大助手でありながら二等兵として召集された丸山眞男も、爆心地から五キロの地点で被爆したが軍の建物の影にいたため爆風の影響を受けなかったということだ。
 映画『無法松の一生』で阪東妻三郎の相手役を務めた女優・園井恵子も移動劇団桜隊に所属し、丸山定夫とともに広島で被爆し、家の下敷きになったが、這い出ることができ助かっったが、放射能の影響で、8月21日に亡くなっている。原爆の被害は、さまざまで一律にあつかうことはできない。
                        2024年6月8日

吉田修一『悪人』を読んで

2024-09-29 22:34:04 | 読んだ本
                  吉田修一『悪人』              松山愼介

 福岡、佐賀、長崎とくれば、少し話から外れるが森元斎(もとなお)の『国道3号線 抵抗の民衆史』を思い浮かべる。国道3号線は北九州から、三池、熊本を通って鹿児島に至る。国道3号線はその道程に、谷川雁、石牟礼道子、森崎和江、宮崎八郎などを輩出している。元々、九州は反体制的な色合いの濃い土地柄である。その外側を福岡から佐賀まで国道263号線が通る。事件の舞台となった三瀬峠はほぼその中間にあり、福岡、佐賀から1時間以内で行くことができる。
 写メを「写メール」としているのは時代を感じさせる。18年前の作品だが、もうこの頃から出会い系サイトがあったらしい。石橋佳乃は、それを使う典型的な若い女性ということになる。3万円で身体を売ることもある。それに対して、清水祐一は既成の風俗を利用し、美保というヘルス嬢の元に通いつめる。祐一は母に捨てられ、祖母に育てられる。そのため屈折した性格の持ち主としてえがかれる。最後の光代との逃避行では、素直な男になっているが。
 作者は匂いに敏感である。増尾圭吾はサウナの仮眠室で男たちの発する「獣の匂いを鼻先」に感じる。光代は祐一の車の中で「廃墟のような匂い」を嗅ぐ。結局、この二人が佳乃を殺すことに関わるのだが、二人が異様な匂いを発しているところは、さりげなく書かれているが面白い。
 また、不可抗力だが佳乃も餃子の匂いが命取りになっている。祐一の車に乗るつもりがなかったので餃子を食べたのだろうが、その後、圭吾と出会い、圭吾の車に乗るのだが餃子臭を発しながらのおしゃべりで、圭吾に車から蹴り出されることになる。不幸なのは佳乃に同情して後を車でつけた祐一であろう。この祐一が佳乃を殺すところが、この作品の一番の弱点であり、わかりにくいところである。
 佳乃は祐一に好意を持ってはいない。だが、めったに車の通らない峠道に放り出されたら、誰かの車に乗せてもらうしか帰る方法がない。だが、自分が圭吾に捨てられたところを見られた(?)ことには屈辱を感じたのであろう。せっかく助けようとした祐一に罵詈雑言をあびせる。この場面(下130ページ)がこの作品の山なのだが、イマイチ納得できる描写ではない。「真冬の峠の中なのに、山全体から蝉の声が聞こえた。耳を塞ぎたくなるほどの鳴き声だった」と書いてあるが、これは事実としてはありえない。とすれば、祐一は幻聴を聞いていることになる。
佳乃の首に手をかけるのだが、祐一にとっては夢の中の行為のようだったのかも知れない。最後の光代との場面でも、光代の首に手をかけている。案外、祐一のこの行為は、母に捨てられた恨みの感情がもたらしたものなのかも知れない。女性総体に対する否定の感情かも知れない。
 結局のところ、「悪人」は誰かということになるのだが、女性を軽んずる増尾圭吾ということになるのだろう。直線的に犯人を示さずに、圭吾と祐一を絡ませているストーリー展開は見事だが、この作品が、「朝日新聞」に連載され、映画化もされ、優秀な興行成績を収めたということは何か信じがたいものがある。
                    2024年3月9日