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小島信夫『墓碑銘』    「文学表現と思想の会」でのリポート

2014-09-22 23:05:45 | 読んだ本
          小島信夫『墓碑銘』             松山愼介
 小島信夫は『抱擁家族』など、戦後の日本におけるアメリカをテーマにしている作家だろう。『抱擁家族』は小説もだが、江藤淳の評論『成熟と喪失』で一躍注目をあびた。おそらく江藤淳も同じ問題に直面していたからであろう。
『墓碑銘』はアメリカ人を父にもち、母が日本人であるトーマス・アンダーソン(浜仲富夫)が日本軍に入っての物語である。日系人が米軍に入隊して、日本軍と戦ったという話はよく聞くが、アメリカ系日本人が日本軍に入隊してアメリカ軍と戦うというのは、ありそうでなかった物語である。しかも純日本人で母親が同じ妹と近親相姦を侵すというのも衝撃的であるが、こちらは戦争時といういつ死ぬかわからないという非常時であったことを考慮すべきであろう。
 日本の軍隊生活というのは、ビンタが日常になっている。鮎川信夫『戦中手記』によれば、ビンタの時に真っ先に並ぶのが軍隊生活のコツだそうだ。これに慣れないと毎日が悲惨なことになる。大西巨人は野間宏の『真空地帯』を「俗情との結託」と批判したのは、野間がインテリの立場から一方的に日本軍隊を批判的に描いたからであった。これを踏まえて、後に大西巨人は『神聖喜劇』を書くことになる。『墓碑銘』を読んでいると、富夫は体力があるので、いじめにも耐えている。一方、沢村は上官のいじめに耐えられないタイプで、森は軍隊での要領をよく心得ている。二十三歳の隊長が中村兵長に手こずるところなども、目配りがよくきいている。朝鮮人と日本人の慰安婦が一人ずついるという設定も安易だが納得する。一週間に百人の相手をするので、一日十五人(一人二十分)ということになる。これらは小島信夫の体験からきているのだろう。小島信夫は暗号兵であったため一人情報部隊に転属し、原隊はこの作品のようにレイテ島に送られほぼ全滅したということである。
 レイテ戦は栗田艦隊、謎の転進で知られる。小沢艦隊がオトリとなり、アメリカ艦隊を引きつけ、その間に栗田艦隊がレイテ湾に決死の突入をするというもので、マッカーサーの心胆を寒からしめる作戦であったが、おそらく弱気になった栗田長官の判断ミスで好機を逃してしまった。オルモック湾のアメリカ艦隊が降伏直前という情報は、この時のことをさしているのだろうか。
 篠田一士は『新潮日本文学全集』の解説で、小島信夫の文体を問題にしている。篠田によると、文体を完成させたのはフローベールの『ボヴァリー夫人』で、それを日本に移入したのが日本の自然主義文学となる。ところが小島信夫はこの文体を崩した、大正から昭和にかけてのロシア文学の翻訳を換骨奪胎したようなものだという。「無重力言語」とも書いている。また岐阜弁の影響もみられるという。たしかに「この日一日の先発大隊のうけた攻撃は、十粁はなれたドロエス高地から、だいたいわかった」(306ページ)という文章は流れが悪い。
 柄谷行人は『新潮現代文学』の解説で小島信夫の作品の特徴は「物」に対するマルクスが使った意味でのフェティシズムだと書いている。『小銃』では小銃が実際の小銃であると同時に、女でもある。『抱擁家族』ではアメリカ式の建物が「三輪家」という家庭と区別されたり、同一化されたりしてあらわれている。この作品では富夫が日本兵であり、アメリカ兵でもあるものとしてあらわれている。また富夫が隊長や朝丸と同化しようとしているようにも読める。『小島信夫全集2』の小島信夫のあとがきによれば、富夫のモデルは『燕京大学部隊』で扱った第一次大戦の時のアメリカ・マリンの落し子である、日本の兵隊さんH君がモデルになっているという。また文体については自身の言語障害(吃音)と関係づけている。「行動を追って外から書くと、辿々しくなり、内側から心の動きを中心に書くと流れる」という。また『墓碑銘』について「私のねらっているのは、どうもオカシサというようなものであるらしい。戦争というようなことや、皮膚の色というようなことについての問題にも、一生懸命ふれているような顔をしているが、私のほんとうに興味があったのは、そんなことよりも、どうもオカシサをいいたかったのらしい」と書いている。このように篠田一士、柄谷行人、小島信夫の解説を読んでくると、この作品を成立させているのは、独特の文体であり、「オカシサ」である。単純な戦争文学ではない。
 偶然、「世界」の戦後五十年間の総目次号を手に入れたが、それを見ると『墓碑銘』の連載中はちょうど六十年安保改定問題でうめつくされ、丸山真男、隅谷三喜男、都留重人、宮沢俊義、我妻栄らの東大を中心とする文化人が登場している。面白いのは武田泰淳の『森と湖のまつり』、安部公房の『第四間氷期』の連載があり、大田洋子、開高健、遠藤周作、椎名麟三、堀田善衞らの名前もある。
 なお解説にあるように文芸文庫にこの作品を収録するにあたって、「(何か)のあとのような」(12ページ)、「(私はもはや)癩病患者のように」(33ページ)が削除され、「された」が「殺された」(232ページ)に変更されている。                       2014年9月13日
 追記
 差別語をどのように取り扱うかは、本当に難しい。解説の千石英世が「数箇所小さな削除を加えている」と書き、講談社文芸文庫の最後のページには、「今日からみれば不適切な表現がありますが、作品が書かれた時代背景、作品の文学価値、および著者が故人であることをなどを考慮し、底本のままとしました」という恒例(?)となった「あとがき」がある。このような「あとがき」の立場からしても、前記の二つの言葉は出版社として使えないということなのだろう。
 ほぼ同時に、日本映画専門チャンネルで『若者たち』(一九六八年)を見た。この映画はリアルタイムで見ていたが、原爆批判が大きなテーマになっていたことは覚えていなかった。田中邦衛ふんする太郎が、被爆者(石立鉄男)を愛してしまった妹(佐藤オリエ)に対して、「一つ目小僧が生まれたらどうするんだ」と詰め寄るシーンがあった。これに対して三郎(山本圭)が、被爆してなお今、生きている人の生命力から考えて異常な子が生まれる可能性は限りなく低いと理論的に説明していた。この映画もかなり差別語が飛びかったが、日本映画専門チャンネルでは、放送前に但し書きを付けて当時のまま放映した。我々の子供時代は平気で差別語が飛びかっていた。現在ではつかわれなくなったそれらの言葉を、そのまま現代に伝えるべきか、悩ましい問題である。その言葉の使われた時代背景をじっくり説明していればいいとは単純には言えないところに言葉の難しさがある。